ライフ・ゲーム
「ライフゲーム?」
尚弥は男の言葉にオウム返しのように返答してしまう。
ゲームの意味はわかる。
ライフは何だったか。確か、授業で習った意味では【命】。他だと【人生】とかいう意味だったはずだ。
つまりつなぎ合わせると、【命のゲーム】もしくは【人生ゲーム】という意味になる。
嫌な予感が頭の中で膨らんでいく。
「世界はいろんなもんが賭け事として扱われている。例えば日本だと競馬、競艇なんかはわかりやすいケースだな」
男の説明は【ライフ・ゲーム】という言語からは大きくかけ離れた意味のわからないものだった。
「日本では代表的な賭け事だと後はサッカーくじか。だが、世界ではそんなもんじゃない。イギリスではブックメーカーという組織が様々なものをお題に賭けを行っている」
男は例えばボクシングのような格闘技の勝ち負け、選挙結果などと例を上げつつ指を折っていく。
「さて、そんな中で金持ちの一人が会食中にこんな提案をした。
『賭けをしよう。いま二つ隣のテーブルで一組の男女が食事を行っている。私は男性が指輪をプレゼントしたあと告白し、女性が受け入れると思っている。私の予言が当たるか否か』
賭け事が好きだったんだろうな。皆がその提案に乗った。
ついでに言えば、その会食は会社同士の契約も兼ねていたらしいがね。相手会社は男の予言が外れると賭けた。
結果は提案した男の言う通りに事が進み、見事にカップルが出来上がった。
実はそのカップルは賭けを提案した男の仕込みだったらしい。
そんなところから、このゲームが生まれた。
ゲームの内容は人の人生そのものをギャンブルとし、金持ち共がその結果に対して賭ける。実にわかりやすいものだ。
最初はシンプルだった。でもそれじゃ盛り上がりに欠けたんだろうな。
内容はより複雑に。より過激になっていく。
『会社をクビになった男の家に送り元が不明の銃が届いたら男はその銃を使うか。使うならば誰に使うか』
『自分の妻と娘が自分の弟と肉体関係を持っている写真をインターネットで見つけたら、彼は誰に何をするか』
他人の人生を題材にしたゲーム、いや人の人生に勝手に干渉して、勝手に弄んだうえで、それの結果に一喜一憂しながら金を賭ける。人の人生を弄び、その結末を賭け事にする。――金持ち共の狂った最低の遊び。それがライフ・ゲームだ」
彼の説明を受けた尚弥には返す言葉がなかった。
つまり、尚弥はこれから金持ち達によって自分の人生が弄ばれると宣告されたようなものなのだ。
ふざけるなと言いたい気持ちがあるが、それを彼に言ったとしてもこの決定が覆ることはないのだろう。
このライフ・ゲームというゲームに賭けを行っている人たちには人の人生を自由にいじっても良いだけの金があって、自分にはそれに抵抗する力もお金がない。
でも、自分には何をさせられるのだろう。
ふと自分の母親の顔が浮かんだ。
今自分を支えてくれている親。今もパートに出てひ弱な体に鞭を打ってお金を稼いでいる大切な人。
自分にお金があれば。今ここにある3億と言う金があれば、母もここまで無理をする必要はないだろう。
そう、尚弥にとってこの3億はその価値がしっかりと分かっているわけではなかったが、必要なお金ということがよくわかった。
「さてと。そんな坂本尚弥に質問だ。今お前に好きな子はいるか?」
「へ?」
思いもしなかった男の質問に、尚弥は思わず変な声が出る。
彼が尋ねたのは母親ではなく、自分が好きな子。
思わず顔が赤くなる。
――いる。自分の好きな子。
それはクラスメイトの中にいながらにして、今の自分には話すことすらできていない存在。自分からすれば高嶺の花と呼ばれる人。
――藤宮天音さん。
前髪はしっかりと切りそろえられ、後ろ髪は肩ほどのときが多い。
たまには髪を縛っているときがあったりして、黒髪がびっくりするぐらいきれいな彼女。
いつもニコニコ微笑んでいて、常にクラスの誰かがが彼女の周りにいる人気者。
でも彼女を嫌う人は少なくともクラスにはいないことを考えると、性格だっていいのだろう。
頭の中でそんな彼女の姿が再生されて、思わず下を向いてしまう。
「質問に答えてくれ。お前に今好きな子はいるのか?」
「そ、それ。こ、答える必要があるんですか?」
「あるから言ってるんだよ。まぁ、ライフ・ゲームの対象者であるお前のことなんて全部調べられているんだけれどな。――でもな、俺はお前の口から聞きたい」
彼の言っていることは当然なのだろう。
なにせ、人の人生をいじって遊んでもそれは許されるほどの特権を持った人たちなのだから、自分のことを調べ尽くしているのは当たり前だ。
どうやら自分にはプライバシーもなにもないらしい。
好きな人を自分の心の中に隠しておくこともできない。
尚弥は少し悲しい気がした。
「……います。……いて悪いんですか」
少し苛立ちの感情を混ぜた肯定の言葉は、尚弥からすればせめてものちょっとした嫌味のつもりだった。
男はそれを聞いてニヤリと口の端を上げた。
「悪くねぇよ。お前、中ニだもんな。青春真っ只中。そりゃあ好きなこの一人や二人いて当然だろ?」
「何人もいるとか言ってないです!!」
「ってことは一人か。わかりやすいな。で、名前は?」
見事に図星を付かれた彼の言葉に思わず体が動きかける。
もし目の前にあるのが金の山ではなく水の入ったペットボトルならば彼に投げつけていたかもしれない。
「いやいや、ちゃんともらった設定が合ってるかを調べておくのも俺の役目なんでな。教えてくれるか?」
「ふじ……藤宮。藤宮天音……さん……です」
名前を聞いた彼はそっかそっかと頷く。
自分にライフ・ゲームのことを説明してたときの重さはあっという間に消え去ってしまったようで、尚弥からすれば自分をからかうことにシフトしてしまっているように思えた。
「さてと、坂本尚弥。ここからがお前に与えられたライフ・ゲームの内容だ」
再び戻った彼の真面目さに思わずしっかりと座り直す。聞き逃さないようにと。
「お前が好きな子。――藤宮天音。彼女に告白し、了承されること。つまり彼女と恋愛関係になることだ」
「はい?」
藤宮天音と恋愛関係?
自分が??
ありえない。
ありえてはいけない。
確かに自分は藤宮天音さんが好きだ。いつから好きになったのかは覚えていないけれど、彼女を遠目で見ているだけで自分の心が楽しくなるし、彼女と付き合ってみたい。という感情がないわけではない。
でも、それは思っているだけで、自分と彼女が付き合うというのは妄想だから許されるのであって、現実では自分と彼女が釣り合うわけがない。
そもそも彼女が自分のことを好きになるわけがない。彼女と恋愛関係になれるわけがないのだ。
これは、元々の時点で不可能な話なのだ。
ああ、実にいい嫌がらせじゃないか。
ああ、だからこそ3億円なんだ。
絶対に無理だとライフ・ゲームの人たちもわかっているからこそ3億円という餌で自分に告白させて彼女に振られて玉砕される様をみたいらしい。
実に最低な人たちじゃないか。
そんな思いを男の言葉が簡単にぶち壊した。
「お前が3億円を受け取れる条件は【『坂本尚弥』と『藤宮天音』の恋愛関係が成立した状態で、『坂本尚弥』が『藤宮天音』を殺すこと】だ」