《人形遣い》のエリサ・ルーティア
スーリィ・ネルカは『魔導人形』である。その事実は彼女の周辺の人間ならば当たり前のように知っていることで、エリサ・ルーティアもよく知っていることであった。
ルーティア家に仕えるメイドのスーリィは、エリサが幼い頃からずっと世話係として傍にいてくれて、今更その事実に疑問も、嫌悪感も持たない。
かつて、魔導人形は『戦争に勝つ』ために作られた人型兵器であったが、戦争が終わった今では、こうして人に仕える存在として活動しているのだ。
エリサは特に、スーリィの完璧さをよく知っている。
朝起こす時間はいつも同じで、食事の準備は完璧。掃除、洗濯もミスはなく、魔導人形であるスーリィは単独で完成された存在であった。
彼女一人で、ルーティア家の使用人の数名分を賄えるほどである。
そんなスーリィに、エリサはよく懐いていた。
「スーリィ! 今日は魔法を教えてほしいの!」
「お嬢様、今は洗濯の時間です」
「分かっているわ。終わるまで待つから」
「終わってからは掃除の時間です」
「もうっ、それくらい少しずらせるでしょう?」
「そういうわけには参りません。ルーティア家の使用人たる者――」
「『完璧であれ』、とか言うんでしょ?」
「よく分かっていらっしゃるではありませんか」
「そんなこと言うの、あなただけよ」
エリサは少しずつ頬を膨らませて、怒ったような表情を見せる。対するスーリィの表情は変わらない――それこそ、人形のように無表情だ。
初めて彼女を見る人は、恐怖感を覚えるかもしれない。
幼い頃から一緒にいるエリサには、そんな感覚はなかった。ただ……中々に融通が効かない。
人形として完璧であるが故に、人間としては不完全であった。だが、
「なら、それも全部終わってからね――あっ」
「きちんと前を見てお歩きください」
振り向き様に転びそうになったエリサの身体を、スーリィが支える。驚くべきほどの反応速度だ……洗濯物を抱えたまま、優しくエリサを立たせる。
「あ、ありがとう」
「全て終わりましたら、お嬢様の部屋に向かいます。それまでお待ちいただけますか?」
「……ええ、それくらいなら待てるわ」
「ありがとうございます、お嬢様」
スーリィはメイドらしく整った礼を見せると、踵を返して洗濯物を干し始める。
(スーリィみたいな人に、私もなりたいな)
いつしか、エリサはそんなことを思い始めていた。けれど、首を横に振って、エリサはそれを否定する。
エリサには、もう一人憧れている人がいた。
「こんなところにいたの、エリサ」
「! お母様っ!」
エリサはその声を聞いて、嬉々とした表情で振り返り、駆け出した。
エリサにとっては、母のルーマは誰よりも尊敬している人物であったからだ。
『魔法学園』を主席で卒業したという実績を持つルーマは、女性でありながらも、かつて戦争で活躍を見せたという。
軍人である父と知り合ったのも戦場であったという話を、エリサはよくルーマから聞いていた。
「今ね、スーリィに魔法を教えてもらう約束をしていたの」
「そう。お仕事の邪魔はしていない」
「していないわ! ……あっ、少しだけしてしまったかも……」
先ほどの転びそうになったことを思い出して、エリサはうつむき加減に言う。
そんなエリサを見て、ルーマがくすりと笑みを浮かべ、
「少しくらいなら、スーリィも怒ったりしないわよ」
「……そうかしら。――って、スーリィは《魔導人形》なのだから、怒ったりしないでしょう!」
「……ええ、そうね」
エリサの頭を優しく、ルーマが撫でる。
ルーマが目を細めるようにして、スーリィの方を見据えた。それに合わせるように、エリサも振り返る。相変わらず、人形らしく完璧に仕事をこなしている姿が目に入った。
「お母様?」
「何でもない――ごほっごほっ」
「! お母様っ!」
不意に、ルーマが咳き込みながら膝をつく。エリサは母の身体を支えるように手を伸ばすが、そっとルーマが応えるように手を握る。
「……大丈夫よ。少し、体調を崩してしまっているだけだから」
「本当に?」
「ええ、本当よ」
「もつ、心配させないでっ」
エリサはまた、怒ったようにルーマを見る。ルーマは笑顔で返してくれた。
「ごめんなさいね。さ、もうすぐお父様も帰ってくるわ。迎えに行きましょう?」
「うん!」
エリサはルーマと手を繋ぎ、その場を後にする。
これがルーティア家の日常であり、エリサはそんな日々がずっと続くと思っていた。信じて疑わなかった。
それから程なくして――ルーマが病により、命を落とすまでは。
***
「……はっ、はぁ……」
呼吸を荒くしながら、エリサは両手を地面につく。ルーティア家の庭園は花が咲き誇り、特に春になると美しいと評判であった。
だが、今のルーティア家の庭園にその面影はない。
庭園を修練場として、ひたすらにエリサは魔法の訓練に明け暮れていた。
そんなエリサの前に立つのは、メイドであるスーリィだ。
「本日はここまでに致しましょう」
「……まだよ」
スーリィの言葉を否定して、エリサは力を込めて立ち上がる。スーリィは無表情のまま、それでも首を横に振ると、
「限界です」
ピシャリと、そう言い放った。だが、エリサは構えるのをやめない。
「まだよ……お母様は、こんなものではなかった。私には、お母様ほどの才能はないもの。だから、もっともっと努力しないと」
エリサのそれは、最早妄執のようであった。母を失い、悲しみに暮れた日々を過ごした彼女は、いつしか母の代わりになろうとした。
それは、この家におけるルーマとしての役割――すなわち、『魔法学園』を主席で卒業し、戦場でも活躍できるほどの魔導師だ。
戦争が再び起こるかは分からない――けれど、エリサはただやみくもに、憧れであった母を目指す。
そんなエリサに対して、淡々とした空調でスーリィは言う。
「お嬢様とルーマ様は違います」
「……違うって、何が?」
「貴女は貴女で、お母様は――」
「そんなの、知ってるわよ。何度も聞いた。『人にはそれぞれ個性がある』? 人形のあなたに何が分かるのよっ!」
エリサは怒鳴り散らすように言った。その言葉に対しても、スーリィの表情は変わらない。ただ、
「申し訳ありません」
そう、謝罪の言葉を述べる。エリサにも分かっている――スーリィに何を言ったところで仕方ない、ということは。
彼女はただの《魔導人形》であり、命令に忠実なだけだ。人らしい会話はできるが、人間ではない。
だからこそ、腹立たしかった。魔導人形である彼女が、どうして『人』を語ることができるのか、と。
「もういいわ。私は一人でやる。あなたはもう戻りなさい」
「お嬢様――」
「戻れって言っているの!」
「……承知致しました」
いつものように整った礼を見せて、スーリィがその場を後にする。その日から、エリサはスーリィとも関わる機会が減ってしまう。同じ家にいるというのに、録に会話をすることもなくなった。
それが数ヶ月と続き、エリサは一人でも魔法の修行も続けていた。
やがて冬になり、再び国同士の戦争が始まることになった。
***
「どうしてよっ!」
「落ち着きなさい、エリサ」
声を荒げたエリサに対して、父であるウェルは諌めるように言う。だが、エリサは怒りの感情を露にしたままだ。
「どうして、私ではなく、あの『人形』が戦場に行くの!? お父様が行くならともかく、ルーティア家からはあの人形だけ!? そんなのおかしいじゃない!」
「何もおかしくなどない。それが『取り決め』だ」
感情的に話すエリサに対して、ウェルはどこまでも冷静だ。
それが余計に、エリサの感情を逆撫でする。
「お父様は悔しいとも思わないの!? 軍人でありながら兵役を免除される……そんなの、ルーティア家の恥でしかないわ!」
「やめなさい。もう決まったことだ……この決定は覆らない」
「……っ」
いくら喚いたところで、決定が変わることはない。ルーティア家からは、使用人であるスーリィが戦争へと赴くことになる。
父の書斎を後にすると、部屋の前にはスーリィの姿があった。
すっかり話すことのなくなった彼女は、いつもと変わらずに無表情のまま頭を下げる。
「……家の代表として行くのだから、精々頑張ってきなさい。壊れない程度にね」
それは、ただの皮肉のつもりだった。もはや人として扱っていないような言い方を、スーリィにしてしまった。ただの八つ当たりだということは分かっている――けれども、彼女が活躍することも、エリサは望まなかった。
……最後の会話はそれほどに軽いもので、翌日にはスーリィは戦場へと向かい、そして――帰ってくることはなかった。
スーリィの『死』を知ったのは、ウェルが彼女の遺書を持ってきたからである。
『魔導人形』でありながら、母すら遺すことができなかったものを置いていくとは、どんな皮肉かと笑ってしまう。――だが、手紙を開いてすぐにエリサは目を見開いた。
――この手紙が読まれている頃には、私はこの世にはすでにいないかもしれません。私にできる『人間』らしいことは、こうして手紙を通して気持ちをお伝えすることくらいです。どこまでも、私は『人形』のようにしか、生きることができませんでした。
すぐに、エリサは父に真相を尋ねた。――戦争で使われる《魔導人形》など、この世には存在しなかったのだ。行く当てのない孤児を『人形』のように作り替え、兵士を作り出す――そんな国の闇を、エリサは初めてこの手紙で知った。
エリサとウェルが戦争に赴く必要がなかったのは、この真相を秘匿して、《魔導人形》としてスーリィを引き取ったからである。
他の《魔導人形》達もそうだ――だから、戦争で犠牲になったのは、エリサと同じ人間なのだ。
その事実を知らされて、エリサはようやく後悔した。
八つ当たりのように人形扱いした彼女は生きた人間で、感情のないように振る舞っていただけなのか、と。
エリサは脱力したまま、それでも手紙の続きに目を通す。
――私は、人間らしく振る舞うことはできませんでした。それが私の決められた運命であり、私の選んだ道でもあります。魔導人形として、そしてただの使用人としてですが、私はルーティア家に仕えました。初めはそれこそ、何の感情もありませんでした。
けれど、貴女に出会って、私は変わった。
人形らしく、完璧なメイドを演じていても、私は貴女のことをずっと大切に想っていました。
たとえ、貴女に嫌われても、その気持ちが変わることはありません。私から教えることはできなかったけれど、『貴女とお母様』は違います。私は、『お母様のような魔導師を目指す貴女』のことが好きです。
だから、もしもこの手紙を読んでくださいましたら、そのように生きてほしいと節に思います。
それが、私の願いです。
もしも、生きて戻ることができたのなら、私の口から、直接伝えさせていただこうと思います。
……日記のような、そんな遺書。
エリサはそんなスーリィの残した手紙を抱いて、涙を流す。
「馬鹿じゃないの……それなら、生きて伝えなさいよ」
スーリィが戻ってくることはない――だが、その真相を知ったエリサは、ようやく吹っ切れることができた。
***
それから一年――再び停戦となり、エリサは『魔法学園』に通うようになった。
主席で入学した彼女の異名は、《人形遣い》のエリサ・ルーティア。
『魔導人形』などという偽りの兵器ではなく、『完全なる人形』を、完璧に使いこなす唯一無二の魔導師として、学園にその名を轟かす。
「行くわよ、スーリィ――私達が《最強》であることを証明するわ」
『はい、主様』
エリサの作り出した『魔導人形』――スーリィと共に。
このまま連載してもいいかな?って思う感じのものができました。
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