街の喧騒とちょっとした決意-1
街へ繰り出した三人。
昨日のことでわかっていたけれど、この世界は異世界、僕のこれまでの常識が通用する街ではなかった。
そんな街の喧騒を離れ、用事があると裏路地へと足を踏み入れるメリル。
彼女と共に路地を抜けた先に会ったのは、奇妙な器具の溢れる薄暗い研究所だった。
人が多い、建物が多い。昨日僕が見た森と宿は、当然だけれどこの世界の本当に端っこだということがよくわかった。
青空の下に石造りだったり、木造だったりする建物がぎっしり並び、大きな通りには所狭しと出店が並んでいる。そして、その数に見合うだけの人が通りにごった返していた。
「う、わ...」
たくさんの人だけでいえば、一応首都圏、そう呼べる土地に住んでいた身であったから耐性はある。あるはずなんだけど...。
「イツキさん、何してるんですか。逸れて迷子にならないでくださいよ?」
「あはは、いつかのぬこちゃん思い出すね〜」
「先輩はそう言うこと言わなくていいんです!」
少し、もふっとした感触のある手に引かれて、周りに散らばっていた注意が戻ってくる。
「あ、いや、すいません...」
「もー、同い年なんだからタメ口でいいっていったのにさぁ」
「私には丁寧語でもかまわないんですよ?」
「いや、はは、うん、ごめん」
今日、僕は昨日のメリルの宣言通り、二人と一緒に「街」、にやってきていた。
聖十字街、通称街。この、僕の今いる地域は森や渓谷、山などの過酷な自然環境が多く、この場所が一番大きな街らしい。そんな、人が集まることが当然ともいえる街、そこに集っていた人々は...当たり前のように、一筋縄でいくものではなかった。
眩いばかりの陽光に輝く額の宝石、複眼、鉤爪、角。通りを埋める人々の大半がただの人間ではなかった。パッと見ただけで人外だとわかるような方々が楽しそうに談笑したり、買い物を楽しんでいる。
といっても、何か問題が起きている様子もなく、しっかりと街に馴染んでいる。当たり前といてば当たり前か...この町では僕の方が異端者だもんな。
うぉぉ...すごい、すごい。
あの人は多分鬼で、あちらは悪魔?魔族?そんなところだろうか。長い羽らしきものを持っている人は、周りへの配慮か上から軽くカバーのようなものを被せて場所を取らないようにしている。鋭い鉤爪がうかがえる人は、先端に革製らしきカバーを被せていた。ぱっと見、人外のごったにのようなこの街はその見た目だけではおさまらない深みを持っている、そんな何かを感じさせてくれた。そのせいでついそこら中を見回したり、一つを見つめてしまったりして歩みが遅くなる。
その度にコットンさんに手を引かれながら、僕はそんな街の中を歩いていた。
メリルは手慣れた様子で、屋台の店主に挨拶をしながら、するすると人混みの中を歩いていく。
「おーい、メリル。今度また仕事頼むかもしらねぇから、そん時はよろしく頼むぜ」
「あいあーい。あ、そのときはホテル通さないで直接よろしく〜、そっちのが利鞘いいからねぇ」
雑踏の中からかかってきた声に、にひ、と笑みを浮かべながらメリルさんが返す。
「メリル、今度あんたのとこの子少し借りていいか?取引の立会人が欲しくてさ」
「ん、予定確認して後から連絡するねぇ」
荷物の詰まった皮袋を担ぎ、雑踏の中を泳ぎ回るように歩きながら、依頼を受けて挨拶をすます。昨日のどこか抜けている様とはちょっと違ったメリルの様子に、思わず感心してしまった。
かっこいいな、なんか。
これが仕事に望む大人の姿、みたいなものなんだろうか。
ふと、鼻先を香ばしい何かの匂いがくすぐった。まるで焦した醤油みたいな。
それに反応するようにぐるる、とお腹が鳴る。視線を横に向けると、すぐ近くの屋台で見たことのない野菜と、何かの肉が鉄板の上で軽快な音を立てながら踊っていた。
...そういえば、昨日ひまわり亭で飲み物をもらってから何も食べてない、な。
今日もメリルに叩き起こされ、寝ぼけ眼のまま街へと連れてこられた。
思い出したような空腹が、胃袋を襲ってくる。
「ん、ちょっと、イツキさん!気になるのはわかりますけど...ぁ」
つい足を止めてしまった僕につられて、コットンさんもつまずくように立ち止まる。
少し困った顔をこちらに向けたのも束の間、彼女も鼻をひくつかせる。そして...きゅるる、少し可愛らしい音が。
「...聞いてないですよね?」
「はい、聞いてないです」
黄色い瞳が鋭い眼光をもってこちらへと向けられる。掴まれた手に鋭い爪がまるで脅しでもするように食い込ませられた。
ぞくっ、と背筋を冷たい感覚が走る。
昨日、あの後聞いた話だが彼女は獣人族...いわゆるデミ、亜人らしい。その瞳からも、人ならざる獣の野性、殺意のようなものがちらりと感じられる。
条件反射のように答えた。めっちゃ嘘だけど。
「...っふ、んはは、二人とも、用事終わったらご飯にしようね〜」
その様子をバッチリみていたメリルが楽しげに笑った。コットンさんが苦々しい表情を隠すように帽子を深く被る。
「...そういえば、なんの用事で街に出てきたんだっけ?」
「ぇ?言ってなかったっけ?」
はい、聞いてないです。突然あなたに掛け布団の上からボディプレスをくらいました。
とある建物と建物の間で、メリルが立ち止まる。
九十度進行方向を変えると、流れるように屋台の隙間を通り抜けて建物の間、薄暗い路地に入っていった。
先ほどまでの表の雑踏とは違い、路地裏の空気は不思議なほどにシン、と静まり返っている。
太陽の光は背の高い建物のせいで限りなく細くなり、表通りの半分ほどもない。
「ちょっと、合わなきゃ行けない人がいて」
建物の間、路地裏をズンズンと迷いなく進んでいく。
コットンさんも躊躇うことなくその後をついていく。
直進して、右に曲がって、その次は左、そしてまた右、と。複雑な、
迷路のような路地裏を立ち止まることなく、勢いよく突き進んでいく。
「あと、イロハくんの健康診断」
健康診断、とは。昨日があまりにも濃かったせいで、聴き慣れたはずの言葉が少し久しぶりのものに感じる。
メリルが焦げ茶色の鉄で舗装された木の扉の前で立ち止まった。
こんこんここん、と不思議な調子で扉を4回ノックする。
「ギムルー、いる〜?」
「いるよー、好きにはいってなぁ」
どこか間延びした声が壁の向こうから聞こえてきた、それとほぼ同時にメリルが勢いよく扉を開く。
「おっじゃま〜、この前言ってたイロハくん、連れてきたよ〜。あ、あと依頼の品はここに置いておくから」
扉を開けた先には、奇怪な物品に囲まれた部屋が広がっていた。薄く発光している球体や、よくわからないねじれたパイプ。巨大なハサミのようなものまである。メリルはちょうど扉から入ったすぐそばにある台に、手に持っていた皮袋を置いた。そんなものに囲まれた部屋の奥に、綺麗な細工が施された机が一つ。
その向こうに、コットンさんと対して背丈が変わらない、もっこもこの赤い毛玉とも形容できるような人物?が座っていた。ねじれて絡まった、真っ赤な多分髪の毛の塊がもぞりと動いて真ん中あたりから、すぽん、と顔が現れる。
「えーっ、と...イツキ・イロハくんだっけ?話は聞いてるよ。いらっしゃい、異世界へ。そして、その中でもとびきりの混沌へようこそ」
どこか猫を想起させるような、黄色い瞳ににんまりと持ち上がった口角。癖のある笑みを浮かべて彼女はそう言った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「この人はギムル・ストレイシープ...ジョブ、魔道士の隠遁者さんです、すごい人です」
「はいどーも。ご紹介に預かりました、ギムルでーす、すごいでーす。気軽にギムちゃんでも羊ちゃんでも、好きに呼んでねー」
「あ、はい、よろしくおねがいします...ギムル、さん」
真っ赤なもこもこという言葉が一番似合う、彼女の足首近くまで伸びた髪の毛と、猫のような黄色い瞳と極太フレームの黒縁メガネ。ゆるく開かれた口には鋭い犬歯が覗いていた。
どうやらこの人は、すごい人らしい。
部屋の奥から姿を表し、毛玉が人間に進化する。
目の前にちょん、と突っ立つ、すごい人だという黒いローブを身に纏った小柄な女性は、緩く笑みを浮かべながらこちらへと手を降っていた。
とりあえず手を振り返す...けど、なんだろうこれ。
この人が僕の健康診断とやらをしてくれるのだろうか。
「イロハくんも今後お世話になるだろうし、顔は知っといて損ないと思うから」
と言いながら、どこからか引っ張ってきた椅子にメリルが腰掛けた。
「んじゃ、ギムル、いつものお願いしていい?」
「はいはい、ちゃっちゃとやっちゃいますか」
慣れた様子でメリルの背中に回り込んだギムルさんが、その小さな手をかざす。
「『未知を形作る迷路よ、我が前にその形を示せ。ただこの時に限り、欲に塗れし観察者の前に神聖なる巫女の肢体を顕にせよ』」
早口でギムルさんがそう呟くと、彼女の手の平にぼんやりと光の板のようなものが現れた。
「ぉ...ん、ふ...やっぱ慣れないねぇ」
「そういうもの?まぁ、こっちも見る度あんたの体はめちゃくちゃになってるから慣れないよ」
くつくつと喉を慣らすように笑いながら、ギムルさんがその板を掴み、勢いよく中に投げ上げた。
中に浮かんだ板が、ぎゅ、と収縮する。
次の瞬間粒ほどに小さくなった板が、物凄い勢いで広がった。メリルの頭上に、巨大な球形をした光の塊が現れる。
表面には微細な模様が刻み込まれ、多くの線や模様が絡み合い、迷路を形作るようにして、その半径50cmはありそうな球体を構成していた。
「んー...今回はそんな無茶しなかったみたいだね。よし、褒めてあげる、花丸80点」
「う、は...花まるなのに100点じゃないのね...」
「100点はあたしが調律しなくていいくらいの綺麗さだから」
慣れた様子で、巨大な球体の表面をギムルさんがじ、と見つめながら軽口を叩く。
「うわ...」
少し薄暗い訳のわからない機械だらけの部屋と、その真ん中に浮かぶ光り輝く球。非日常を寄せて集めたような光景に、思わず声が漏れた。
「あ、びっくりした?...そっか、君、こっちきたばっかりだもんね」
ギムルさんが僕の反応に愉快そうに笑いながら球体に手を突っ込んだ。
「あたしはジョブ、魔道士。神様に、魔力関連の加護を強くもらってるんだ...んで、これが、魔法ってやつ。」
ギムルさんが手を動かすのに合わせ、球体の表面の模様が動き、ずれ、まるで生き物のように形を変えていく。
「魔術ってのは、この世にある魔力をあたしたちの意思や、この体に流れる生命力を使って指向性を与える術のことをいうんだよ。」
慣れた様子で解説しながらも、ギムルさんは手を動かす。
「で、魔力っていうのはこの世界に満ち溢れてる力。あたしや君が生きてたり、この無茶振り娘が動いているのはこの体の中に魔力が流れているから。...で、改めていうことになるけど、この魔力の操作に関して特別な恩恵を受けているジョブが...」
球体の表面、そこに刻まれていた絡み合ったような模様がゆっくりと解けていき、規則正しく並んでいく。
「あたしとかがついている魔道士ってわけ。ま、魔術についてははいろんな種類があっていろんな人が使ってるから、一概には言えないけどね」
先ほどまで、その表面の模様は混沌と言っても過言ではなかったほどの光の球は、今やどこか綺麗さを感じるまでに整ってきている。
「...よし、おっけ、これで大丈夫なはず」
「あぁ〜....ふぇ、やっぱ疲れる、これ」
ギムルさんがそういって球体から手を抜き取る頃には、その表面には整然とした幾何学模様が生まれていた。
抜き取った手を二度叩くと、球体がメリルの背中に飲み込まれるように消えていく。
「これは調律、です。ギムルさんが、先輩の魔力の流れを整えているんです。巫女である先輩は、定期的にこれしないと魔術使えなくなっちゃうんですよ」
「へぇ...調、律」
どこへ行っていたのか、気づいたら隣に戻ってきていたコットンさんがぽつりと呟いた。
魔術、魔力...そして、調律。
良くわからないけど、取り合えずすごいことは良くわかった。
というより、目の前で行われていたことに気を取られていて説明までは完全に頭が回りきっていなかった。
「あー...すっきりした。ほら、次はイロハくんの番」
「え、あ、僕?」
椅子の上でメリルが大きく伸びをして、立ち上がる。
ふらりと近づいてきて、僕の手をとって引っ張った。
促されるままに、ギムルさんの机の近くに置かれていた椅子に腰掛ける。
すでにギムルさんはどこからか奇妙な器具を取り出し、彼女の机の上にセットし始めていた。
「昨日、きたんだって?それで突然メリルの仕事の手伝いさせられたとか聞いたけど」
くつくつと、先ほどからしている喉を慣らすような、不思議な笑い方をしながらギムルさんが聞いてきた。
「あぁ、えっと...はい。昨日、こっちにきて...なんとか、宿屋にたどり着いたら、突然」
「それは災難だったねー...あの子、 巫女なのに適当なことやってるから」
「適当とは失礼な!これでも真面目にやってるんです〜」
不服そうに頬を膨らませ、メリルがぺしぺしと僕の頭を叩く。
机の上に、奇妙な正方形の板が置かれる。その上にギムルさんが丸い、透明なガラス玉らしきものを浮かせた。
「ま、悪い子じゃないからそんな怒んないであげてね、プロ意識はちゃんとあるみたいだし。さ、準備完了っと」
「まったく、本当だよ、ねぇ?イロハくん?」
「え、いや...まぁ、そう、かな?」
...プロ意識、本当にあるのだろうか。昨日の話では巫女は転生者の案内人って話だったけど...。最初の四時間くらいガッツリ放置されたせいで、僕めちゃくちゃ苦労したんだけど。
正直不満ではある。
「そこは即答してよ〜!」
「あっはは、残念だったねメリルー。ま、今後頑張んなよ」
楽しげに笑いながら、ギムルさんが球体の表面を指先でなぞる。窓から差し込む陽光が、ガラス質な玉の表面で反射した。
「これは、魔力検査機。通称マケン君。君の体が内包してる魔力量の検査と、その大まかな性質を教えてくれるんだ」
「はぁ...マケン君、ですか」
なんか不安になるあだ名だなぁ。
これが健康診断とやら、なんだろうか。
「そ、マケン君。じゃ、そっとこの球に触ってくれる?そしたら、その後の球に浮かぶ紋様で結果が出るから」
「触るだけでいいんですか?」
「うん、触るだけでいいよ。適性が炎だったら赤く光るし、風だったら薄緑とか、そんな感じで。魔力が強いほどゆっくり、強く光るから、すぐ手を離したりしないで、ね」
なんか、やっぱりいろいろあるみたいだな。
話を聞いて、なんだか少し気持ちが引きしまる。
僕の異世界生活、それがこれの結果にかかってると言っても過言じゃないのかもしれない。
昨日のこと、炎の渦を考えると、やっぱり赤く、それなりに光ってくれたりするんだろうか。
それなりの期待を込めて、手を近づける。
「じゃ、じゃあ、いきます」
ゆっくりと、訳のわからない動力、多分魔力で浮かんでいる球にそっと触れた。
「調律...あれ、終わった後は気持ちいんだけど、やられてる最中なんとも言えない感じなんだよね〜...体の内側、直接手でいじられてる、っていうか」
<住所不定、ギルド「エッジウォーカーズ」ギルドマスター/16歳/lv??/Mさんのコメント>