ないしょ話
加筆、編集いたしました
目が合うたび、心が跳ねる。
話しかけられると、顔が熱くなる。
気づいたら、目が追っている。
「これが、恋……」
ちいさく呟いた私の声が、休み時間の教室の喧騒に溶けていく。なんだか恥ずかしくなって机に突っ伏した。この高校に転入して間もなく恋に落ちるとは……これが運命ってやつか。
無性に手足をじたばたさせたくなった。衝動から逃れるように目をつむると、唐突に彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。
「っ!」
思わずバッと顔を上げた。
この16年の人生のなかで経験したことのない、居心地の悪い胸の痛みに私は顔をしかめる。ついでに、長い上り坂を全力で走った後のような息切れも起こった。……大丈夫かな私の体。
「落ち着け……落ち着け私……」
しばらく息を整えようとじっとしていると、不意に彼と言葉を交わしたときの記憶がよみがえってきた。慌ててこちらに差し伸べてくれた手、くしゃっと笑った顔、心地よい声。
「死ぬ……」
もだえ死ぬ。
**
「ね、ねえ、あなた」
放課後。転入早々日直で教室に残って日誌を書いていた私は、ためらいがちにかけられた声に思わず硬直した。
「……えっと……間宮、さん?」
丁寧に巻かれた髪、すこし気の強そうな瞳、ぷるんとした愛らしい唇。いかにもお嬢様然とした彼女は実際、お金持ちの多いこの高校でも指折りのご令嬢だ。
そういえば彼は一般家庭出身らしい。だけどその人好きのする性格から、分け隔てのない友人関係を築いている。ポイント高い。
……と、とりあえず、そんな間宮さんがおととい転入してきた人見知りのぼっちに何の用なのか。もしや待ちに待ったフレンド申請?
「このあと、少しお話をしたいのだけれど」
……この雰囲気で「お友達になってくれませんか?」は無いな……。
「ああああの、私、これから少し用が、あっいやそういえば無かったですねハイ全然暇ですおーけーです」
なんだかとてつもなく面倒臭そうな予感がしたが、私のことなど小指で潰せそうな彼女には逆らえなかった。コワイヨー。
間宮さんはあたりを見回すと、そっと椅子を引いて私の隣に座る。妙にこそこそしている。あやしい。そしてめんどくさそう。
「お時間を取ってごめんなさい。でも、どうしても聞きたいことがあって」
聞きたいこと……なんだろう。これまで特に間宮さんと接点は無かったはずなのだけれど。この三日間でなんかしたのか私。
「単刀直入に申しますわ。……あなた、速水さまのことが好きよね?」
ん?
「ん?」
「……速水さまが素敵なのはわかるわ。この世のものとは思えない素晴らしく整った顔立ちとか、鋭い眼差しとか、学年トップレベルの明晰な頭脳とか、」
「んんん?」
「好きになってしまうのは仕方ないわ。でも、」
「ちょ、ちょっと待てい」
思わず言葉を遮ってしまった。
「間宮さんが速水くんを好きなのは十分に伝わってきたのですが、その、私は速水くんのことはなんとも思っていません」
「……へ?」
「……わ、私が好きなのは、田中くんです!」
「え」
「速水くんと田中くんは結構一緒にいることが多いから、わ、私が田中くんにむ、向けてる視線を勘違いしたんだと思うんだけど、」
「え」
顔が赤くなっているのが自分でもわかる。間宮さんの誤解を解くために必要だったとはいえ、「好き」という気持ちを言葉にするとものすごく恥ずかしい。
「……ねえ、“田中くん”って、うちのクラスの田中くんよね……?」
間宮さんの唖然とした声が聞こえてきた。私は恥ずかしさのあまり顔を手で覆ったまま叫ぶ。
「そっそうです!高校2年2組27番の田中元輝くんですっ!!」
どこかで「ゴンッ」と何かがぶつかったような音がした。
「そ、そう……。ちなみにどこが……好きなの?」
間宮さんの冷静な声に、私もだんだんと落ち着きを取り戻す。顔を覆っている手を外すと、窓から差し込む橙色に照らされた、ぽかんとする彼女が見えた。
「実は私、転入した日に迷子になってしまったんです。その時に田中くんが助けてくれて。その時に、その……一目惚れを」
「そ、そう……。田中くんを……」
「そうなんです。だから速水くんのことは、私、なんとも思っていません!全く!」
「なんだかそこまで言われると複雑な気持ちになるけれど……。でも、そうなのね。変に勘違いして申し訳なかったわ」
「は、はい」
私がこくこくと必死に頷くと、間宮さんは静かにため息をついた。そしてぽつりと話し始める。
「……私ね、速水さまのことが好きなの。会社の関係で幼い頃から一緒にいて、将来は結婚するのだと当たり前に思っていたわ」
「は、はあ……」
「でもね、そこにあなたが現れた」
「……うん?」
「季節外れにやってきた謎の美少女転校生。しかも、ここの編入試験はかなり厳しいのに、それを乗り越えて入ってきて。知ってる?あなた結構有名なのよ。才色兼備って。それに加えて、私や速水さまと肩を並べるくらいの大企業の娘。……私は、あなたに速水さまを取られるんじゃないかと思ったの」
「……冗談きついですよ間宮さん。私、褒められて伸びるタイプですけどそれは流石に言い過ぎです」
「いえ、本当のことよ。全部ね。そして、あなたがさっき言っていたように、速水さまと田中くんはよく一緒にいるから私はあなたが速水さまを見つめているのだと勘違いして」
「わ、私そんなに熱烈に見てました……?」
「ええ、それはもう」
恥ずかしさのパラメーターがMAXになった。もう無理。誰かスコップ持ってきて。穴掘るから。
「あら、もうこんな暗いのね」
首を傾げて窓の外を見る彼女に、私はため息をつく。
「最近は日が落ちるのが早いですから」
「では、私はそろそろ行くわ。あ、そうだわ。あなた徒歩?」
「はい。頑張れば歩いていける距離なので」
「外に車を待たせてあるのよ。時間を取ってしまったお詫びに家まで送って行くわ」
「いえ。ありがたいのですが、大丈夫です。帰りは寄るところがあるので」
言えない。行き先が駄菓子屋だなんて、言えない。
「本当に?なら良いけど。それでは、また学校でお会いしましょうね」
ふわりと笑う彼女を見て、速水くんが間宮さんの彼氏になるのも時間の問題だなあとぼんやり思った。
**
まさか、神宮寺さんが田中くんを好きだなんて。
「意外だわ」
車に乗り込んだ私は、シートに背中を預けて窓の外の流れる景色を見つめた。
「教室を出た時に彼と会ったのは予想外だったけれど」
いつもは落ち着いた雰囲気の田中くんが、真っ赤な顔であたふたしているのを思い出してクスッと笑う。
「神宮寺さんと彼が恋人になるのも時間の問題かしらね……」
どちらが先に恋人同士になれるのかしら。負けられないわ。
新たな決意を込めて窓から見上げた空には、金色に瞬く星が浮かんでいた。