第2章 怪獣と紅龍
信じ難かった。とっくの昔に絶滅したはずの恐竜が、自分の目の前に現れた。しかも突然、何の前触れも無く。
いや、正確に言えばそれは恐竜ではなかった。全身を金属の装甲のようなもので覆われ、頭に大量の孔が開いている。体の大きさに比べ、頭部が巨大すぎる。特に足は生き物らしさがなく、指もなければ爪もない。ロボットのような、金属光沢を持つ角ばった足だった。だがその全身の形は、かのティラノサウルスをはじめとする肉食恐竜に酷似している。
水岡は、その姿をなんと形容すれば良いのか分からなかった。
そのとき”恐竜”がわずかに唸った。そっと男とオヤジの方を見やると、男の方は立ったまま硬直していた。オヤジの方は、恐怖の表情を浮かべながらも少しずつ動いている。逃げようとしているのだ。だがその時、男が声を上げた。
「は・・・・・はわ・・・・・」
その声に気付いた”恐竜”が、男の方を振り向いた。
男がかすかに動いたその瞬間、”恐竜”が男に襲い掛かった。”恐竜”の吼え声と、男の叫び声と、死に物狂いで走るオヤジの悲鳴。何がなんだか分からないまま、気付いたときには男が”恐竜”に口で持ち上げられていた。走っていたオヤジが、”恐竜”が足を踏み出した衝撃で転ぶ。
悲鳴を上げ続ける男を、”恐竜”は独特の動作でいとも簡単に口の中へ放り込んだ。”恐竜”が口を動かすたびに、人間の噛み砕かれる音がする。牙の隙間から真っ赤な血が吹き出た。
「う・・・・うわあぁっ!!」
水岡も、あまりの恐怖に叫び声を上げた。口から血を滴らせながら、”恐竜”が水岡とオヤジのいるほうを向く。
そのときやっと水岡は、”恐竜”が側にある2階建ての廃ビルよりでかいことに気が付いた。だが、そんなことはどうでもよかった。”恐竜”がゆっくりと自分達の方へ歩んでくる。水岡は、開けっ放しだったバーの入り口に、一目散に飛び込んだ。
マスターと吉崎は、ずっとバーの外でしていた大きな音の正体を知ろうと、ドアの外を覗こうとしていた。その時突然、水岡が血相を変えて飛び込んできた。
「ど、どうしたんですか、水岡さん?」
マスターは驚いて聞いた。水岡の恐怖の表情など、全く見たことが無い。
水岡は、慌てて今の状況を話そうとした。
「そ、それが・・・・・!!」
その時、バーの外で悲鳴が聞こえた。
3人がドアの外を見ると、オヤジが”恐竜”に追いかけられていた。オヤジの真後ろを”恐竜”の口先がかすめる。マスターと吉崎は、凍りついた。
「な・・・・・何なんですかアレは!?」
マスターがやっとの思いで口を聞く。
水岡は、恐怖から我に返った。そうだ。こういうときはまず自衛隊だ。
「ま、マスター!電話・・・・・電話貸して!自衛隊呼ばなきゃ!!」
「わ・・・・わかりましたっ!!」
マスターは、慌てて受話器をとった。
「あ!あと町長にも・・・・・」
水岡は、マスターから受話器を受け取って番号を押しながら、頭の中で考えていた。たった今目の前で起きた惨劇。そして、あの”恐竜”の正体は何なのか。
いや。水岡はもう、アレがただの”恐竜”でないことに気付いていた。
アレが歩いたとき、ロボットの関節が動くときの機械音がした。それに顔中に孔が開いているなんて、どう考えても普通の生物ではない。電話の呼び出し音を聞きながら、水岡は確信していた。アレは、”恐竜”ではなく”怪獣”だと。呼び出し音が、妙に長く感じられた。
「町長、電話が入っております」
「わかった」
そう答え、町長は秘書の繋いだ電話に出た。
この町長の格好といえば、蝶ネクタイのスーツに真っ黒なシルクハット、極端な丸眼鏡。十八世紀のイギリス紳士のような姿だ。その上、赤だの青だので電波搭並みにカラフルな町役場の建物。自分の椅子の上で踏ん反り返るこの男は、とことん趣味が悪いようだった。そんな自分の悪趣味にも気付かず、受話器から聞こえてくる声にのんびりと耳を傾けている。
それにしても、受話器の向こうはやけに慌てているようだ。水岡とかなんとか言っている。
「水岡・・・・・・」
町長の昨日の記憶が甦った。
「ああ、キミかぁ~!」
昨日、あの”ナントカ岩”を撤去しないでほしいと言いにきた男だ。海賊のコスプレだかなんだか知らないが、片目に眼帯をしていたのを覚えている。面倒なので適当にあしらっておいたが、今日は何の用だろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・な、何ぃ?怪獣が出たぁ!?」
町長は自分の耳を疑った。この男は本気でそんなことを言っているのだろうか。”ナントカ岩”のことで仕返しをされているのだと思った。
「キミキミ、冗談はやめてくれ」
町長はそこで話を終わらせようとしたが、水岡は更に必死になって訴えてきた。自衛隊を呼んでくれ?何を言っているんだこの男は。頭がおかしいんじゃないのか?怪獣なんているわけないだろうが。
「・・・・・・・なに、冗談じゃない?」
町長は段々イライラしてきた。電話の向こうで水岡が必死になればなるほど、バカにされている感じがする。
「・・・・・キミぃ、季節を間違えてるんじゃないのかね?」
町長は、できるだけイヤミっぽく言った。エイプリルフールには程遠い。
「アンタと話してても無駄だ、もう切るよ!」
そう言って受話器を置こうとした時、風を切る音と共に、役場の上空を巨大な影が通り過ぎていった。町長はあんぐりと口を開けた。自分の目が信じられず、しばらく硬直していた。だが、その巨大な影はなくならなかった。
受話器から町長、町長と呼ぶ声がした。その声に、町長はハッと我に返った。何を言ったら良いのかさっぱり分からなかったが、とりあえず正気を取り戻すため、返事をした。
「あ~・・・・。分かった、すぐ・・・・・すぐ自衛隊を呼ぶ」
受話器を置いた町長は、改めて窓の外を見やった。窓の向こうには確かに、空に羽ばたく巨体が見えた。自分の建てた電波搭の方角へ、飛んでいくようだ。
「・・・・・・・・冗談だろう」
自分の正気を確かめた町長は呻く様に言うと、慌てて緊急時の連絡先を探し始めた。自衛隊へはどの番号だったかな。そういえばあの”ナントカ岩”も電波搭の近くにあったな、などと町長は思っていた。
怪獣の咆哮が、町中に響き渡った。点在する家々のドアが開いて、住人たちが顔を覗かせる。どの顔も、何が起こっているのかサッパリ分からないと言った顔だ。小さなバーの奥で震えている3人だけが、そこで起こっていることを知っていた。
「一体何なんですか・・・・・・・・?」
マスターが、怯えるように言った。
「・・・・・わからん」
水岡は、怪獣から目を離さずに言った。
「あぁ~・・・・・夢なら覚めてくれ」
マスターはそういうと、窓際に駆け寄って太陽を見た。眩しければ、この悪夢は終わるだろうか。
だが、マスターが瞬きをした次の瞬間、彼の目には更にとんでもないものが映っていた。
「・・・・・!」
マスターは息を呑んだ。
「水岡さん、吉崎さん・・・・、ドラゴンって・・・・・いると思いますか?」
2人が怪訝な顔をして振り向いた。
「・・・・?こんなときに何言って・・・・」
「ドラゴンが・・・・・・こっちに飛んできます!!」
マスターの言葉を理解するのに、しばらくかかった。
その瞬間、2人はマスターの元に駆け寄っていた。窓から顔を出し、外の空を見回す。巨大な紅い影が、バーの上を通過していった。
怪獣が首をもたげた。紅い影は怪獣の目前で急上昇すると、電波搭の上へと着地した。それは、深紅の龍であった。
異形の怪獣と深紅の龍。対峙する2体は、互いを威嚇するかのように吼えはじめた。天に轟く咆哮と咆哮。もし、この世に数千年生きているものがいたならば、その光景を見るのは2度目であろう。はるか悠久の昔、今と同じ光景がそこにあった。
水岡たちはバーの入り口からそっと、その様子を眺めていた。
と、咆哮がピタリと止んだ。深紅の龍が動く。
龍は、電波搭の前を落下していくと、地面スレスレで羽ばたき怪獣に掴みかかった。強力な体当たりに怪獣がふらつく。だが倒れはしなかった。すぐに足を踏ん張ると、龍を押しとどめた。怪獣の足元に激しい衝撃が走る。怪獣も負けじと龍に攻撃を仕掛けた。今度は龍が押され、再び大地に衝撃が走った。龍は強く唸ると、力に任せて怪獣を押し返し始めた。踏ん張りが効かず、怪獣がどんどん後ろ向きに進んでいく。
水岡たちは、自分たちの方に怪獣が押されてくるのを見て、慌ててバーの奥に下がった。木材の砕ける音がして、バーのドアの辺りが粉々に踏み潰された。マスターが青ざめている。再び、2体はバーから離れた。
そのとき、龍が一瞬の隙をつき、怪獣を投げ飛ばした。電波搭目掛けて怪獣が吹っ飛んでいき、そのまま時報用の大スピーカーに突っ込んだ。巨大な頭部が突っ込んだ衝撃で大スピーカーが粉砕され、塔全体大きく揺れた。
突然、龍の頭部の角が光り始めた。口からも、光が漏れ出している。徐々に強くなっていく光が最高潮に達したとき、龍の口から青白い火球が放たれた。蒼い炎が尾を引いて飛んでいく。
火球が怪獣に命中して爆発した。怪獣の全身が煙に包まれる。しばらくの静寂の後、怪獣の身体から火花が飛び散り、そのまま動かなくなった。龍は怪獣が動かなくなったことを見届けると、一声吼えて羽ばたき、大空へと飛び去っていった。