第1章 2020年
それから、数千年経った。時は西暦2020年。
人類は、超微細加工技術《ナノテクノロジー》の発達によって、電子機器・機械・兵器などあらゆるものを小型化することに成功した。また、ロボット工学の発達により、完全なコミュニケーション能力を持つロボットが誕生した。これらの技術を世界に発信していた日本は近代産業の中心となり、2017年ごろから徐々に経済を回復。世界経済に今まで以上に影響するようになった。
人類は、発展の一途を辿っていった。
だが・・・・どれだけ経済が豊かになろうとも、人間の身勝手さは一向に変わらなかった。
― 宮城県・仙台市近郊の小さな町 ―
小さな町だった。町の海岸沿いに、20mもあるカラフルな電波搭が、ひときわ目立っている。明らかに場違いなその電波塔以外、あまり大きい建築物はない。道路沿いに、個々の家がポツンポツンと点在しているばかりだ。これ以上過疎化が進めば、町というより村になるかもしれない。
町の片隅に、小さな広場があった。柵と門に囲まれた小さな空間の中に、奇妙な形をした岩がひとつ立っている。その岩の側には、これまた小さな文字盤が設置されていた。岩の名前と、由来のようなものが書いてある。
―《竜神岩》―
文字盤にはそう名前が記されていた。
「えぇっ!あの竜神岩を!?」
バー《竜神》のマスターは、愕然としていた。あの竜神岩が、明日にも撤去されるというのだ。そんな話は、全く聞いていなかった。
「ああ、そこに張り紙があったよ。明日の朝一番で、撤去されるらしい」
吉崎は壁に寄りかかりながら、沈痛な面持ちで言った。
無精な吉崎は、バーに来るときも大工の作業着姿だ。彼にとっても、竜神岩は慣れ親しんだ存在であった。
「そんな・・・・・大体、あの竜神岩はこの町が出来る前からあそこに存在している、すごく貴重なものじゃないですか。そんなものをなんで・・・・」
時折、岩の中から竜の声が聞こえてくる。それが、竜神岩の名前の由来らしい。もちろん、今では迷信だと考えられている。昔の人間のことだから、風の音か何かを聞き間違えたのだろう、と言われている。なんの役に立つわけでもないが、町の象徴とも言えるもので、発見当時から丁寧に保護されてきたものだった。
この土地に人が住み始めた頃には、既に現在の場所に竜神岩はあったという。少なくとも、1000年近い歴史があるということになる。
竜神岩のある広場は、町から仙台市に続く山道に面していた。そのため仙台市に仕事に行く人間は、毎日のように竜神岩の側を通ることになる。岩を毎日目にする町の住民たちにとってみれば、日常であったのだ。
そんな竜神岩が撤去されようとしている。しかも、住民の自分達が知らないうちに。こんなメチャクチャなことは無かった。
「なんでも、あの土地を買い取った金持ちがいるそうだ。あそこを取り壊して、ビルを建てるって噂だよ・・・・・・」
バーの窓から、道の向かい側にある竜神岩の広場を見て、吉崎が言った。
確かに竜神岩のある場所は、地理的な条件が良かった。すぐ脇を通る道は仙台市に近いし、広くて起伏も激しくない。隣の区画には小さい廃ビルがあったが、買い取って取り壊してしまえば繋がったひとつの広い土地にできる。海沿いで地盤がしっかりしていることもあり、大きな建物を建てるには最適だった。
「そんな酷い・・・・・・それに、あそこは小さいと言えど、広場のハズでしょう。公共の広場を勝手に買い取って私有地にするなんて、普通許されないでしょう」
納得できないマスターが、怒ったように言った。吉崎も同じ心境だったが、自分にはどうすれば良いとかは思いつかなかった。
「そりゃあ、そうなんだが・・・・・」
そのときバーのドアが開いて、男が1人入ってきた。
「よう」
青い服を着込んだその男は、バーの中を見回しながら言った。
「水岡さん」
マスターが言った。
水岡は店内にいた2人の近くまで行くと、カウンター席に座った。左目には、まるで海賊のような黒い眼帯をつけている。無論、飾りなどではない。
「遅かったじゃないですか。確か十時半には来るって言ってたのに、もう昼過ぎですよ」
「いやね・・・・・こう、バカ共の騒ぎが多いと、警官ってのは大変な仕事だと改めて思うよ」
マスターと吉崎の顔がサッと曇った。水岡が遅く来た理由がわかったからだ。
「・・・・・またヤクザですか?」
マスターがウンザリした様に言った。
「ああ、今月入って3件目だ。1人の下らねえ小競り合いが、最後には町ひとつ巻き込んだ大騒ぎになっちまう・・・・・・2,3年前までは、この辺も平和だったんだけどな」
そう言うと水岡は、マスターの出した水を一気に飲み干した。
水岡は格闘技に長けている上、その風貌に迫力があるので、巡査部長という立場でありながら、暴力団の関係者を検挙する際によく、仙台警察署へ呼ばれていた。片目の無い水岡が警察に残っていられるのは、そのためだった。
そのとき、吉崎が思い出したように言った。
「・・・・あ、そういえば水岡さん聞きました?竜神岩・・・・無くなっちゃうそうですよ」
水岡は吉崎のほうを向いた。
「ああ、それなら知ってるよ。なんでも、跡地にビルを建てるんだっけ?ふざけた話だよな・・・・・・。昨日役場に行ったら、たまたまその話聞いてさ。俺も、納得がいかねえから町長に文句言いに行ったんだよ。そしたら町長、なんて言ったと思う?」
水岡の顔を見てビビッただろうな、と思いつつもマスターは聞いた。
「・・・・なんて言ったんです?」
「『もう決まったことだから』って言いやがるんだよ」
水岡は吐き棄てるように言った。
「ふざけてるよな。自分達の都合のいいように決まるまで、こっちには知らせもしねえクセに。おかげでこっちは、反対運動の準備もできねえよ」
このバーの外に立っている色とりどりな電波搭も、実は町長の趣味で勝手に発注されたものだった。9割以上が完成した時点で、構造があまりにも不安定な上、景観を損ねると気付いた住民達が町長に抗議したが、”今さらやめられない”、”金になる”との理由で取り合おうとしなかった。まさか、竜神岩は”金にならない”から撤去されるというのだろうか?
「本当、腹立ちますよね・・・・・」
マスターが言った。
「全くだよ・・・・・・」
水岡はため息をついた。
「科学が発達して国が豊かになって・・・・・・何もかも上手くいってると思ってたら今の時代、金さえ出せば何でも買えると思ってる連中がいる。挙句の果てが、広場を私有地にする奴だ」
「本当ですよ・・・・・」
マスターもあまりのことにため息をついた。
「公共の広場を買い取って私有地にする奴、増え続けるヤクザ・・・・・・まったく、世も末ですね」
「本当だよ、まったく」
水岡はハァ、とため息をついた。
「これ以上悪いことが起こらないといいんだけどな・・・・・」
竜神岩の前にオヤジが1人立っていた。彼もまた、この岩が無くなることを惜しんでいた。
「この岩もこれで見納めか・・・・・」
竜神岩はいわば、この町の象徴であった。はるか昔からこの地にある。町長の建てた趣味の悪い電波搭なんかより、よっぽど存在感があった。何故竜神岩が撤去などされなければいけないのだろうか。
「・・・・・・・・」
オヤジは悲しそうな顔で振り返ると、広場の門から外に出ていった。
門を出たオヤジは、とぼとぼと道を歩いていった。ショックのせいか、オヤジは気付かなかった。自分の進行方向に目つきの悪い男が向かってきていることに。オヤジと男がすれ違った瞬間、2人の肩がぶつかった。と、いうよりも、男からぶつけたのかもしれない。男が、オヤジを睨みつけた。オヤジはしばらく状況が飲み込めなかったが、男の形相を見てハッとした。
「え・・・・・いや、あの・・・・」
「・・・・なにやらかしとんじゃワレェ!?」
オヤジは胸倉を掴まれた。
「うわっ・・・・・」
「ワイにぶつかるとはええ度胸やんか、えぇ!?」
「え、えぇ~・・・・!?」
怯えているオヤジを路上に放り出すと男は電波搭の下に行き、放置されていたツルハシを掴んで戻ってきた。
「オトシマエつけて貰おうやないかい・・・・・」
「ひ・・・・・ひいぃ・・・・」
オヤジは慌てて逃げようとしたが、腰が抜けてしまってなかなか進めない。男がツルハシを振りかざしながら追いかけてくる。
「や・・・・やめ、やめてください・・・・!」
悲鳴も空しく、オヤジは男に捕まった。
「何でワシにぶつかったんじゃ、コラ!!」
オヤジはあまりの恐怖にガクガク震えている。だがオヤジの目が向く方向で、男は大体の察しがついた。
「おぅ?アレか?あの岩かぁ!」
男はオヤジを放り出すと、竜神岩にドスドスと近づいた。
「・・・・・これがそんな大切なモンか?」
オヤジはガクガクと震えているだけだ。男はニヤッと笑った。
「だったら・・・・・・・こうしたるわ!!」
言うが早いか、男は岩目掛けツルハシを振り下ろした。
水岡がコップに口をつけようとしたその時だった。
ガシャアァァン!!
激しい破壊音がした。マスターが怪訝な顔で辺りを見回した。
「・・・・・何の音だ?」
「!」
水岡の第六感が、何かを感じた。
「・・・・・・嫌な予感がする!」
水岡は慌ててドアを開け放った。
バーの外に出た瞬間、信じられない光景が水岡の目に飛び込んできた。
竜神岩が粉々になっている。岩の上半分が砕け散ってそこら中に飛散し、残った下半分にも長い亀裂が走っていた。ツルハシを持った目つきの悪い男が、ニヤニヤ笑いながら立っている。オヤジが1人、力なく崩れ落ちた。
「あ・・・・あぁ・・・・・」
「今度からは気をつけることやな。ハッ!」
男があざ笑うかのように言って、持っていたツルハシを放った。水岡もショックのあまり放心し、しばらく立ち尽くしていた。
だが、ふと我に返った。
「・・・・・・?」
水岡の気のせいだろうか。崩れた竜神岩の周りが、一瞬光ったような気がしたのだ。水岡は目を細めた。だが気のせいではなかった。男も気付いていた。
「・・・・・なんや?」
そう言った次の瞬間、再び岩の周囲が光った。間を空けずにまた光る。また光る。ついにはストロボのように発光し始めた。しかも段々(だんだん)、光の強さが増している。
「・・・・・!」
水岡は思わず目を覆った。その瞬間、激しい閃光がほとばしった。
『うわーっ!』
男もオヤジも悲鳴を上げた。光はバーの中にまで入り込み、吉崎とマスターは目を背けた。
閃光が収まったので、水岡が目を開けた。強い光を浴びたので目がチカチカする。水岡は瞬きをしながら、ゆっくりと竜神岩のあった所を見た。
「・・・・・・え?」
水岡は自分の目を疑った。砕け散った竜神岩は、そのままだった。・・・・だが、そこに在りえないものが出現していた。巨大な恐竜がそこにいた。