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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私が死んだ日

作者: kano


「死にたいと思いながら生きる人生に意味なんてないよね」


 香織は眼下に広がるコンクリート製の駐車場をぼんやりと眺めながら呟いた。場所は自宅アパートからほど近い6階建てマンションの外廊下だ。香織の住むアパートは2階建てなので、飛び降りても軽傷で済んでしまう可能性が高い。確実性を求めるなら、なるべく高いほうがいい。そしてクッションになりそうなものが何もない、硬い地面も必須だ。平日の昼間ということで車はほとんど止まっていない。わざわざ有給をとってきた甲斐があったというものだ。

 

 神部香織、24歳。職業はそこそこ大手の企業で事務をしている。給料は多くはないが少なくもなく、生きていくのに支障はない。世の中にはお金がないだとか、病気で余命いくばくもない人とか、事故で唐突に死んでしまう人とかがいる中で、自ら命を捨てようとしている自分は、なんて贅沢なのだろう。そう思いながらも、これから訪れるであろう、幸福もなければ苦痛もない、自分という意識がなくなり、この世から消え失せる事実にただただ歓喜している。


 香織は要領の悪い子供だった。他人には普通にできることが自分にはできない。努力すれば時間をかけてできるようにはなるが、その頃には他の子達は既に違うことを身につけている。だんだんと取り残され、周りとの出来の違いから自信をなくしていき、自分は人より劣るのだという意識から、対等に話すことができず、いつもオドオドとしてしまう。そんな態度のせいで人からは煙たがられ、煙たがられることを恐れ人と関わることを極力避けて生きている。

 

 だいぶ後になって、香織が周りの子より劣っていたのは、3月生まれであることも一因であったのではないかと気がついた。4月生まれの子供と比べれば、体の大きさも、体力も知能も、まるまる一年分違うのだ。大人になれば一年なんて大して変わらない違いでも、生まれて数年の子供では大きなハンディキャップだ。


 しかし、このことに気がついてからも、染み付いた劣等感と、自信なさげな態度は簡単には変えられなかった。新しいことをやる前から、どうせできないだろう、また失敗するんだろうな、と失敗するビジョンしか見えない。失敗を過剰に恐れるせいで、かえって失敗する。そしてまた卑屈になっていくという悪循環。


 仕事でも、今でこそなんとかやっているが、最初はひどかった。やることなすこと、ことごとく失敗する。それでもいつかはできるようになるという希望を持ってやってきた。しかし、今でもたまにくだらないミスをする。こんなこともできないのかと非難されて落ち込む。ミスをしたらどうしようと常に恐れ、気を張っていて、精神的にとても疲れる。2年も務めてできないことが多すぎる。頑張っていればいつかはできると思っていたが、そんなことはなかったのだ。もう疲れた。もう頑張れない。仕事を変えようかとも思ったが、問題は仕事内容ではなく、能力の問題なので、どこに行っても変わらないだろう。そもそも、また一から仕事を覚えなければいけないなんて、絶対無理だ。


 唐突にスマホが震えた。ポケットから取り出して確認すると、母親からのLINEメッセージだ。


”お正月は帰ってくるでしょう?今年のお餅はお母さんがついたのよ!近所の奥様達と一緒にね。仕事納めはいつ?お姉ちゃん達は30日に帰ってくるって”


 微笑ましいメッセージにわずかに目を細めた。すぐに返事を打ち込む。


”仕事納めは29日だよ。お餅楽しみ!”


 バンザイをしている愛らしいうさぎのスタンプも貼り付けた。それはすぐに既読になり、母親からは「わーい」と喜ぶクマのスタンプが送られてきた。

 香織はそれを見て、ほんの少し微笑んだが、すぐにその笑みは消えた。母親は、今まさに娘が死のうとしているなんてこれっぽっちも思っていないだろう。そして死の間際にこんな返信をしている自分が、自分でよくわからない。お正月にはもう、私はこの世にいないのに。


 母親からのメッセージを閉じると、LINEのトーク履歴が目に入った。大学のゼミ仲間のグループトークだ。そういえば先週、忘年会のお誘いがあったことを思い出す。その時も、行くと返事をしたのだった。結局行けなくなってしまったなと、少し申し訳ない気持ちになった。あの時はまだもう少し頑張れるかなと思っていたけれど。


 ゼミのメンバーはとてもいい子達だ。大学でも人を避け続けていた香織だったが、ゼミに入ることは避けられなかった。そこではメンバー同士で協力してする作業が多く、一人でいることは不可能だった。作業を円滑に進めるためだったとは思うが、メンバー達は積極的に香織に話しかけてくれた。失敗ばかりの香織を責めることなく励まし、飲み会にも連れ出してくれた。いつもオドオドとした態度はイラつかせてしまっただろうに、嫌な顔一つせず接してくれた。卒業して2年経つが、2ヶ月に一回ぐらいのペースで食事や飲み会に誘ってくれる。

 

 香織が死んでも、彼女達はなかなか気づかないだろう。今現在香織たちをつないでいるものはこのLINEのメッセージだけだ。他に友人のいない香織の死を人づてに聞くことはないだろう。香織の家族は彼女達を知らない。家族から連絡を入れることはないだろう。急に音信不通になったらどう思うだろうか?薄情なやつだと思うだろうか?それともどうしたのか心配して調べてくれるだろうか?そこまではしないだろうか?まぁ、香織はよく助けられたが、彼女達の役に立ったことは一度もないので、自分一人いなくなっても誰も困らないだろうし、わざわざ調べることはないかもしれない。それにこんなことを気にしたところで、それを知るすべはないし、自分のいなくなった後の世界なんて、実は大して興味はない。自分はなんて薄情なやつなのだろうと、香織は苦笑した。でも、とてもとてもお世話になったのだ。彼女達に救われたことは何度もあった。最後にありがとうと言いたかったけれど、突然言われても不思議がられるだけなので何も言わないでおこう。あぁ、遺書に書けばよかったな。


 香織はケータイが入っていたポケットの反対側を軽く押さえた。カサッと紙の感触がする。そこには半分に折りたたんだ遺書を入れていた。自分が死ぬ理由を簡潔に書いたものだ。誰も悪くない。イジメがあったわけでも、脅されたわけでも、借金があるわけでも、不治の病にかかったわけでもなく、”私は私が嫌になって死んだのだ”ということ。そしてなんの恩も返せないまま先に逝く親不孝な娘であることを両親に謝罪している。


 手にしたスマホが再び震えた。可愛らしいクマのスタンプが踊っている。母からだ。新しいスタンプの試し打ちだろうか。それを眺めながら心の中で謝罪する。姉達と違って出来が悪く手のかかる香織を、今まで育ててくれた母。明るくてよく喋り、器用で料理も裁縫も得意。香織とは正反対の自慢の母親だ。

 父は穏やかな人だがよく働く人だ。仕事もできる。だが3人もいる娘を大学までやるには経済的に厳しかっただろうに、全員平等にしたいからと奨学金に頼ることなく香織の大学の資金まで全て出してくれた。

 

 『あぁ、ごめんなさい。そこまで手間もお金もかけて育てた娘なのに。本当ならもっと稼いで、親孝行しなければいけないのに。私は何も返せずにここで死にます。子供一人を成人まで育てるのにかかる費用ってどれくらいだろう?せめてそれに見合うだけの額を返してから死にたかった。口座のお金を全部おろして部屋の机の上に置いてきたけれど、あんなものではとうてい足りないだろうなぁ・・・・・・』


 そして本来娘なら、老後の面倒を見たりもしなければならないのに。でもそれは姉が二人いるから心配はないだろう。彼女達は香織と違って出来がいいので稼ぎも多いし、資金面でも困ることはないはずだ。

 

「あぁ、やっぱり、私っていらないよね」


 ポツリとつぶやいた。なんで自分は生まれてきたのだろう。大金をかけて育てたのになんの役にもたたずに無駄にして。無意味どころか無駄ばかりの人生。どうせなら産んでくれなければよかったのに。なんて、言えるわけないけれど。最近あまり仕事をしない顔の筋肉がわずかに動いていびつな表情を作った。目から生暖かい水が流れる。


 母親に、父親に「死にたい」なんて言えるわけがない。子供の頃からずっと感じていた生きづらさを誰かに相談したことはなかった。そんなことをしたって相手を困らせるだけだ。それに、言ったところで香織の無能さが改善されるわけではない。死にたい死にたいと思いながら生きてきた。もちろん楽しいこともいくらかはあった。しかし、それを帳消しにしてあまりある辛い出来事にこれ以上耐えることができそうにない。出来の悪い自分を呪う日々。それでもこの体は呆れるくらい健康で、不調といえば食欲不振による貧血くらいだ。それでも倒れるまではいかないのだから、本当に健康に産んでもらったみたいだ。祖父や祖母を見ていても大きな病気ひとつしていないため、遺伝的なものもなく、おそらく香織は長生きするだろう。してしまうだろう。そう考えるとゾッとする。この辛い毎日が後何十年と続くのかと思うと気が狂いそうになる。昔は多少の希望を持って生きていたけれど、結局何も変わらなかった。これからだってきっと変わらないだろう。なら、今逝こう。


「私なんか、生まれてこなければよかったのに」


 素早く手すりによじ登った。誰かに見咎められる前に逝かなければ。あぁ、このマンションの人ごめんなさい。この場所以外、入れなかったんです。最近の建物はセキュリティーが厳しいから。


「・・・・・・バイバイ私。ずっと大嫌いだったよ」


 よく晴れた空を見上げた。雲ひとつない。日差しは暖かいけれど、冬の冷たい風は容赦なく頰を打つ。下ろしっぱなしの髪が暴れた。力強く手すりを蹴ると、空中に身を投げ出した。一瞬の浮遊感の後、体は重力に従って真下に引っ張られた。今度は先ほどの比ではないくらいの風を全身に受けながら落下していく。耳元で轟々と風を切る音がする。目は青空に向けたまま。最後は綺麗なものを見ていたかったから。そして、


 自分の頭蓋骨が潰れる音を、聞いた。


 久しぶりの投稿です。何年振りだ・・・?

なんだかすごく暗い話になってしまいました。本当はこれ、長編小説の冒頭だったんですが、プロット練ってるうちになんだか先を書くのがしんどくなってしまって、一応これで完結はしているのでupしとこうかなと。


 拙い作品を読んでいただきありがとうございました。

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