2_準備はお済ですか?
嵐のような三ヶ月が過ぎた。
若干くったりとしながらアンネリースは着慣れないドレスを身にまとい船着き場を訪れていた。
「お嬢様、大丈夫でしょうか」
「ええ、何とか」
身のこなしと化粧で疲労をごまかしながら、アンネリースは言うと胸元に手をやる。
そこにはアンネリースの瞳と同じ色の大粒のサファイアの首飾りが輝いていた。
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結局のところ、アンネリースが伯爵家に嫁いだ姉に面会する予定を立てられたのは出発する2週間前、それも次期国王である兄と纏めてと言う有様であった。
「お久しぶりです、グレーテお姉様。ラルフお兄様もお変わりなく」
すっと礼をすると、アンネリースは椅子に付く。
「お疲れさま、アンネリース。少し痩せたかしら、風邪を引いたと聞いたのだけど」
グレーテはそう言って、アンネリースのほほにそっと触れた。
「大丈夫です、お姉様。体調も良くなりましたし、食事も睡眠もきちんと取っていますので」
そっと手を振りほどいてから出来る限りの笑みをアンネリースは浮かべると紅茶に口を付ける。
「それで渡したいものと言うのは?」
「ああ、そうだった」
ラルフが手で合図すると、近くで待機していた侍従が宝石箱を持って来た。
恭しく、侍従はラルフにそれを手渡すとラルフはアンネリースにそれを渡す。
「開けても?」
「良いとも」
伺いを立ててから、アンネリースは宝石箱を開ける。
蓋を開ければ中には大粒の色の薄い、丁度アンネリースの瞳と同じ色のサファイアの嵌った首飾りと、同色のサファイアをあしらった花をモチーフとしたブローチが入っていた。
「これは、お母様の形見の宝石――その中でもお父様が贈ったものよ」
「お母様のですか?」
アンネリースは、母親の顔をほぼ知らない。
アンネリースの母親、フロレンツィアは産後の肥え立ちが悪く、アンネリースを生むとすぐに亡くなってしまった。
肖像画もほとんど片づけられており、そのため、自分と同じ色の目と髪の色であるくらいしかアンネリースは知らない。
「でも、これは、あくまでもお兄様の婚約者が受け継ぐべきものではありませんか?」
アンネリースは宝石から視線を外し、兄の方をまっすぐ見る。
「大丈夫だ、父上にも、ゲルトルートにも話は通してある。お守りとして、持って行ってほしい」
父親譲りの茶色い瞳でアンネリースの目を見ながらしっかりとラルフは言った。
「ゲルトルートお義姉様にも話が通してあるのなら、受け取らないわけにはいきませんね」
父にも未来の持ち主になるはずだった女性にも許可を取ってあるのなら、アンネリースが受け取れない理由はなかった。
しっかりと宝石箱を閉じると、アンネリースはテーブルにそれを置いた。
「お兄様、お姉様、ありがとうございます」
頭を下げる妹に、姉と兄は苦笑いを浮かべた。
「もう、あとは夜会と見送り以外会えないのかもしれないのだけど元気でやって頂戴ね」
「はい」
ぎゅうと、拳を握りながら、アンネリースはしっかりと返事をした。
「僕はまだ、父上の名代で何度かそっちに伺う手筈になっているから、何度かは会えると思うけど、どうか、元気でいてくれ」
「はい」
姉と兄からのいたわりをかみしめながら、アンネリースは三人での会話を楽しんだ。
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・・・
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「お嬢様」
豪華客船の船室に乗り込み、一番最初にアンネリースがしたことはもふもふ成分を補給することだった。
「ごめんなさいねフェデリオ」
「くぅん」
ペットの狼のフェデリオを思いっきり撫で、もふもふし、心を癒す。
一通り撫でたら心が落ち着いたので、アンネリースはフェデリオを解放した。
一応、フェデリオは船室に鎖と首輪でつないでいるので船員の安全は確保されている。
「そろそろお見送りの方が見えられる時間です。甲板に」
「わかった」
服装を軽く整え、甲板に上がると、既に国王である父は一通り挨拶を終えたらしく船長と雑談をしていた。
急な話とはいえさすがに国王との婚姻であるため、父が出席するのは自明の理で、その為もうしばらくの間、父との別れまでアンネリースには猶予があった。
軽く息を整えてから、アンネリースは船の手摺りから下を見る。
兄と姉、そのほかにも世話になったさまざまな人が、この国の国民が、見送りに来ていた。
アンネリースは鉄面皮な自分の顔が引きつるのを感じながら、出来る限り穏やかな笑顔を浮かべて、軽く手を振る。
ただそれだけで歓声が上がった。
「アンネリース」
父親に言われ、アンネリースは振り返る。
「そろそろ出航の時間だ」
「はい、わかりました」
すっと礼をすると、アンネリースは船室へ向かう。
その背中を見て、船長は苦笑いを浮かべながらヘルマン国王に話しかけた。
「いやはや、本当に王妃様に似ておられる」
「ああ」
遠き日の若かりし頃の妻の様子を思い浮かべながらヘルマンはその様子を嫁入りする娘に重ねずにはいられなかった。
+*+
ルセルラ王国王妃、フロレンツィアは雪の妖精と喩えられるような美貌と天真爛漫でいたずら好きの実に愛らしい女性であった。
そんな彼女と恋に堕ち、お家騒動を起こしかけつつも結婚したヘルマンは身の回りが大変でこそあるものの実に幸福な結婚生活を行っていた。
早くに自分譲りの髪と目の色の男児を授かり、続いて娘も授かった。
そして三人目の子供を産んで、フロレンツィアは息を引き取った。
産後の肥え立ちが悪く、息を引き取るまではあっという間だった。
そして残された末の子供、アンネリースは成長するにつれてフロレンツィアと瓜二つの外見になっていった。
そんなアンネリースにヘルマンは深い愛情を注いでいた。
出来る限り自由な道を歩かせ、そして離れた国に嫁がせる、心の中でそう決めて。
グレーテもラルフも、年々記憶の中の母親に似てくるアンネリースをかなり溺愛していた。
好きなもののために剣の道に進もうとしているのを見て、出来る限り良い師を探し、魔法の才能があると判断されれば魔法の師も探した。
彼女の近衛や侍従は優秀な者で固めるように手配し、彼女を守ろうとした。
――ただ、動物を求め明々後日の方向に暴走を始めたのは予想外であったが。
そんなこんなで、船に揺られながら、別れの時は刻一刻と近づいている。
1人、気の強い酒を煽りながら、ヘルマンはぼんやりと夜の海を眺めていた。
いつまでたっても酔えないままそんなことしているとドアがノックされる。
「入れ」
「失礼いたします」
入ってきたのはアンネリースに仕えるメイドであるマルガレータだった。
「アンネリースの様子はどうだ」
「さすがに少々お疲れのご様子です。このところあまり睡眠がとれていないご様子でしたからそのあたりもあるのやもしれません」
淡々とアンネリースの様子をマルガレータ告げた。
「そうか」
マルガレータは元々、フロレンツィアに仕える護衛兼メイドであった。
フロレンツィアの生まれた家は少々込み入った事情のある家で、護衛と召使を兼ねたような者を引き連れていた。
マルガレータはそんなフロレンツィアが実家から連れてきたメイドの一人で、フロレンツィアが亡くなり、帰っても良いと言われても残った人物でもある。
「やはり、お嬢様を他国に嫁ぐようにしているのは隣国のこともありますが――」
「言わなくともわかっている」
コップに酒を注ぎ、一気に煽ってからヘルマンは吐き捨てるように言う。
「あの家は呪いそのものだ、あのまま残っていればアンネリースがロクなことにならないのはよくわかっているさ」
じっとこちらのことを見つめてくるヘルマンにマルガレータは少しの間、目を閉じてから口を開く。
「……私が主人と認めた人間はフロレンツィア様と、お嬢様のみです。ご心配なさらずとも、私はあの家に義理立てするようなことも命令を受けることもございません」
「……そうか、ならばいい」
部屋から出るように合図され、マルガレータは礼をすると、部屋から出ていく。
「まかり間違っても、あの家とアンネリースを関わらせてたまるか……」
刺し違えてでもケリをつける、そんな覚悟をヘルマンは固め、もう一度酒を煽った。
+*+
大分日が落ちたころ魔大陸の王宮、そこでレヴィスは手ずから衣装などの最終確認を行っていた。
「アレン、あのティアラは」
「残念ですが盗難にあってしまい……現在下手人と盗難品の捜索にあたって居ますゆえご容赦を。代わりの品はこちらになります」
そう言ってアレンは手で代わりの品を示す。
「これであるなら問題はないだろう。婚礼が終わり次第、捜索の人数を増やせ」
「御意に」
公式の場であるため畏まった態度を取るアレンにレヴィスは特に感慨を抱くことなく確認を済ませていく。
「儀礼剣は業物の剣にした方が良いのでは?アンネリース姫は武を嗜むと聞いているが」
「わかりました。アンネリース姫がこちらにお着き次第、どういったものをご使用になられているか確認の上で宝物庫より裁定いたしましょう」
魔族式の婚礼の儀ではお互いの仕事に使う道具を交換するという儀式がある。
普通であれば貴族の女性であれば刺繍を施したハンカチや化粧品を夫に渡すのだが、何らかの役職を持っている場合はそれにちなんだものを渡すことになる。
文官であればペンや巻いた紙、武官であれば剣や槍となり、変わったところでは下級貴族の女性がモップを交換する道具として選んだことがある。
とは言っても相手が自分と違うその道具を使わない仕事をしている場合は見栄えをかねて飾り立てた実用的ではないものにすることが多く、逆に同じ道具を使う仕事の場合は実用的な品を送ることになっている。
当然アレンもそのことを知っており、主に対して確認しているかのトラップとして仕掛けたがきちんと気が付いたようだとアレンは胸を撫で下ろした。
「裁定する際は私も同行する。少々厳しいが予定を開けておけ」
「では、そのように」
当然、そのつもりで時間を空けてあるので特に日程の調節はせずに手帳に書きつけるふりだけをしておく。
「後は――」
いくつかの確認の後、作業が終わり、人払いを済ませた後、どっかりとレヴィスは近くのソファに座
る。
「あー、ろくでもない」
虎視眈々と自身の娘を側室にあてがうチャンスを狙ってくる貴族に辟易とした様子で、レヴィスはアレンから毒見を済ませた瓶入りのジュースを受け取った。
「お疲れ様、竜便でさっき連絡があったが、アンネリース姫は無事に国を出立したそうだ」
「ひとまずはそれまでの辛抱だな」
眉間のしわをほぐしながらレヴィスはそういうと、一気にジュースを飲み干す。
「で、側室は取るのか?取らないのか?」
「取らん、取れる気がしない。正直言って今のところそこまでの許容量は私にはないつもりだ。もっとも、仕事が減ればまぁ、取るかもしれんがな」
皮肉たっぷりのその言葉にアレンは肩をすくめた。
正直に言えば今の魔王の執務は多忙を極める。
先代から王位を継いで20年、まだまだ魔族としては若輩で、そうであるがゆえにナメられた態度やら叛意ともとられてもおかしくない言動を取る貴族がいたり、挙句の果てに女をあてがって手玉に取ろうとする貴族がいたりとそれらの各種工作でレヴィスの執務は当然のごとく雪だるま式に増えていた。
「はっ、あいつら絶対そんなことしねぇよ」
そんな実情を知っているアレンはにやにやと笑いながらちらりと懐中時計を見る。
まだ、時間に余裕はあるようだ。
「ま、この騒動のおかげである程度膿は絞れそうだとククリの姐さんから報告があったぞ、なにせあの腰の重い事で有名な怠惰卿がキレたとかなんとかで結構人手を借りられたそうだ」
「はぁ、その辺は以前話した通りに始末しろと伝えてくれ。方針は変わらん」
魔法で瓶の中に水をつくりだしそれを煽ると瓶をアレンに渡し、レヴィスは立ち上がった。
「しばらくは忙しくなりそうだ」
その言葉を紡いだ唇はかすかに歪んだ弧を描いていた。
「おお、おっかねぇおっかねぇ」
そんな幼馴染の様子にアレンは笑いながらそう言って、幾つかの策謀を頭で巡らす。
「まぁ、まずは晩餐会だな。終わった後に何か用意させるか?」
「頼む」
アレンを伴いながら部屋を後にするレヴィス。
結婚まであと――