掌編小説『25メートル』
「164センチが限界かな……」
ハルは、そう言って、ため息をついた。夏休みに入ってから数十日、身長がかなり伸びたらしい。それでも俺の身長を抜かすには、まだ10センチも足りない、と言ってやると、ハルは、そんなの関係無いと怒ったように答えた。
「似合わなくなっちゃうんだよ」
「モデルなんか余裕で170越えてるだろうが」
ハルは、俺の言葉を無視して部屋の鏡の前で半歩下がり、一歩下がりしている。
「いつもの位置にある姿見なのに、いつもの位置に立ってたら頭の上の方が映らない。夏休み前は全身映ってたんだよ」
「へえ…そんなに変わらないけどな…」
俺はベッドに座ったまま、スクール水着に包まれたハルの体を眺めていた。後ろから見ているとハルが男だと忘れてしまいそうになる。もしかすると今までのことは全部、嘘なのではないか。ぼんやりと考えていると、不意に、ハルが身を屈めて俺の方へ腰を突き出す。鏡から目を離さずに、少しの切実さを漂わせながら俺に問いを投げ掛けてくる。
「もし体の中のカルシウムが、どこに行くかを選べるなら、ナツはどこに行ってほしい?」
「は?」
「は?じゃないでしょ。例えばワタシは骨盤、だんぜん骨盤に行ってほしい。お尻がバ~ンってあった方が、だんぜん女らしい」
「あー、そう」
「興味ないこと丸出しだよ。気を遣えっ」
ハルは勢いよく俺の隣に座った。ベッドの反発で軽い体がフワフワと落ち着きなく揺れている。それが収まるとハルの顔が俺に近付いてきた。ハルの唇が開く。それに触れるには俺が25センチ動けばいい。ハルは俺の目をじっと見て、真顔で言った。
「じゃあ脂肪は?」
「……いらなくね?」
「ワタシはね、だんぜん…」
「あー、分かった。言わんでいい」
俺は脇へ置いてあったハルのノートを手にし、立ち上がった。
「帰るの?」
「あー、またな、学校でな」
「……うん…夏休みもあと1日かあ…」
ハルはベッドに座ったまま水着の胸元を引っ張り、自分の胸を覗いた。そして、また、ため息をついた。俺はその仕草から目を離せないでいる。
「…課題…間に合いそう?」
急に視線を合わせてくるハル。心臓が跳ね上がるのを抑え、俺は出来うる限りの素っ気なさで答えた。
「ああ、何とかなりそう、助かる」
「ひとつ貸しだからね」
ハルが水着から指先を放すと、その薄い胸元から ぺちん と湿った音がした。
『了』