表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私は寝る

作者: むー


 私は担当編集の丘咲真知子おかざきまちこさんに長編の原稿を手渡した。

 年下の編集さんだが、私よりも背が高くてとても大人びている。何故か私も敬語を使ってしまうくらいだ。

 そんな真知子さんが、困ったような顔をして訊ねてきた。

「先生、お疲れのところ申し訳ないんですけど、すぐにファンタジーロマンス物を書いてもらませんか?」

 今日までの悪戦苦闘の日々を知っているはずなのに、また仕事の話とは……。

「ちょっと……そんな怖い顔しないでくださいよ。私だってこんな仕事を振るのは嫌なんですから」

 そう言ってまでも話を振ってきたからには、それなりの理由があるのだろう。

 最後まで聞いてみることにした。

「非常に困ったことに、私の上司の友人の息子さんが……」

「ずいぶん遠いんですね……」

「そうなんですけど、なんか小説書きたいって言い出したらしくて、どうしたら良いんだろうって」

 何やら非常に回りくどかった。

 断れば良いのでは、と思ったのだが、上司である以上、真知子さんも断りづらいのだとか。

 さらに言えば、普段から真知子さんにお世話になっている私も非常に断りづらい……。

「そうですねぇ……ちなみにファンタジーロマンスってどのくらいの話を書けばいいんですか?」

 さすがに長編を書き終えたばかりなので、量の多い物は辛いと思ったのだ。

「ああ、もう王道物でいいみたいですよ。中世ヨーロッパあたりの貴族階級をベースに、恋愛要素を入れるくらいの気持ちで」

「そんな簡単でいいんですか?」

「はい。話がちゃんとしていれば良いそうです。ただ、設計図とか構成をしっかり書いて添えてほしいらしいです。どんな流れで話ができるのかを見たいそうで……」

「あー、つまりプロの仕事を全部見せろと?」

 真知子さんがこくりと頷いた。

 プロの仕事を随分と安く見られたものだと内心で溜め息をついた。

「じゃあ、適当に思いついたので……。伯爵令嬢が政略結婚で嫁ぐ話はどうですか?」

「本当にありきたりですね……それで?」

「相手はかっこいい旦那さんで、めでたく結ばれ――たら面白くないから、戦に行くことが多くて、なかなか初夜を迎えることができない、と」

 真知子さんの反応を見ていたが、無言で頷かれてしまった。

「えー、そんなある日、戦争が激化してしまい、旦那さんが行方不明になっちゃいます。お嫁さんは毎日祈り、そして旦那さんは無事に帰ってきます。――めでたしめでたし」

 これではあまりに適当過ぎたか? 心配になるが、

「そんなんでいいと思います」

 あっさり許可が下りてしまった。

 唖然としている私に、真知子さんは付け足した。

「そもそも、まじめにやる必要もないはずです。適当に流しちゃってください」

 仕方ないので受けることにした。








 その日の深夜、行動を開始する。

 さすがにこの時間だけあって、周りから何も音が聞こえなかった。

 執筆するには理想の環境である。意気揚々とパソコンデスクの前に座り、書き始めようとした。そのタイミングでインターホンが鳴らされてしまう。

 いきなり出鼻をくじかれ、ガクッと転げた。

 そんなことをしている間にインターホンは絶え間なく鳴らされている。この鳴らし方に覚えがあった。

 仕方なく玄関まで行き、のぞき窓から確認する。すると、やはりと言うべきか、彼氏の田山信士たやましんじがインターホンを連打しているではないか。

 私は溜め息をつきながら玄関を開けてやる。信士がにっこっりと笑ってくる。

「おーう、一緒に呑もうぜぇ」

 よく見ると、信士の顔はすでに赤くなっていて、目尻も少しさがっている。すでにできあがっているのは明らかだった。背の高い彼の吐息からは酒気が感じられ、思わず私は顔を背けた。

「酒くさいよぉ。悪いけど仕事中だから、他を当たって?」

 しかし、私のそんな言葉を信士はまともに聞いてくれなかった。

「水くさい……俺とお前の仲だろう?」

「あ、ちょっと!」

 私の言葉を一切無視して強引に上がり込んできた。酔っ払いに何を言っても無駄だと悟る。

 私が諦めの溜め息をついていると、信士は平然と言ってきた。

「まぁお前も呑めよ」

「呑まないって……。もう、私の邪魔だけはしないでよね」

 すっかり呆れた私は信士を残し、仕事部屋に戻った。

 普段からいい加減な人だと思っていたけど、酒を呑むと特に酷い気がする。

 信士は放置されたのをいいことに、大音量で音楽を流し始めた。その行為に私のイライラ度数は急上昇だ。

 この環境で書かなければならないと思うと、爆発しそうになる。

 私は必死に精神を集中させ、パソコンに向き直た。


 * * *


 アルティナ・エミスはリムルグ家に嫁いだ。

 乗せられてきた豪華な馬車を降り、屋敷を眺める。

 リムルグ家は武門の家柄とは聞いていたが、伯爵家とは思えないほど簡素な作りだった。もしかしたら、エミス家よりも小さいかもしれない。もちろん、家の大きさが全てではないが、それでも由緒正しきお家とは思えないほどだ。

 従者たちに案内されるまま、屋敷の中へと入っていく。

「これは、すごい……」

 思わず感嘆の声が出てしまうほど、豪華な内装になっていた。

 壁のどれもこれもが大理石で、顔が写りそうなほど磨かれている。

 よほど使用人の数が多いのか、それともしつけがちゃんと行き届いているのか、廊下も窓も塵一つない。さすがは伯爵家である。

 アルティナがそうやって周りの様子を伺いつつ、奥へ奥へと案内される。一番大きな部屋に案内され、椅子を勧められる。

 待つこと数分。しばらくして、自分とは反対側のドアから、一人の人物が入ってくる。着ている物が豪華なことから、伯爵本人と判断した。思わず腰をあげた。

 だが、アルティナはその人を見て、あんぐりと口を開けそうになるのを必死にこらえた。

 シーンジ・カラルラス・リムルグ伯爵はとんでもない相手だったからだ。

 薄くなっている頭髪に、本当に武門の家柄なのかと疑わしくなる腹を抱え、のっしのっしと歩いてくる。アルティナの前に立ち止まり、顔を覗き込んでニヤついた顔は、生理的嫌悪感を覚えるほどだ。

 アルティナは失礼にならないよう、ドレスの裾を持ち、必死に笑顔を作りながら挨拶をした。

「アルティナでございます」

 最初の挨拶にしては無礼かもしれないが、この際しかたないだろう。それほど期待していた人物とはかけ離れていたのだ。

 今も、アルティナの心中などお構いなしに、古狸のような気味の悪い笑い方をしている。その表情を察するに、気に入られたらしい。

 思わず目をそらしたアルティナに、見るに見かねてか、執事らしき人物が進み出てきた。

「お話中、失礼致します」

 綺麗な銀髪を腰まで伸ばしていて、一見すると女性のように見えた。その人が優雅にお辞儀をする。

「私は、リムルグ家の執事をしておりますドーミ・ラウツオと申します」

 鍛えているのだろう、細身に見えるが、がっしりとした肩幅と、立ち振る舞った姿に男性の逞しさが垣間見えた。

「ドーミさんですね。アルティナと申します。今後ともよろしくお願い致しますわ」

「いえ、こちらこそよろしくお願い致します。――奥様は長旅で疲れているでしょうから、すぐにお部屋へと案内致しますね」

 最後のは伯爵にお伺いを立てたのだろうが、ほとんど『そうします』と言っているように聞こえた。

 主である伯爵を置いて執事が話を進めるなど、執事の領分を超えているはずなのに、周りの空気が当たり前だと言わんばかりだ。執事が話を進めるのが、この屋敷の常識なのかもしれない。

 アルティナは言われるがままに案内される。そして、あてがわれた部屋は、エミス家とは比べ物にならないほど豪華なものだった。

 真っ先に大きな化粧台が目につき、きらびやかなシャンデリアに、床にはふかふかな絨毯が敷かれている。

 極めつけは、五人が楽に寝そべれるだろうベッドがある。しかも、そんなベッドが置かれているのに、部屋にはまだまだ余裕があるほど広い。

 唖然と部屋の入口で硬直しているアルティナを尻目に、ドーミは中へ入っていき、化粧台に置いてあった小箱を持ってきた。

「こちらは旦那様からの贈り物でございます。私が代わりましてお渡し致しますね」

 これも執事の領分を超えているような気がするが、何も言わないようにする。

「こちらがリムルグ家の結婚指輪となります」

 ダイヤモンドがはめ込まれた綺麗な指輪を渡される。かなり高価な品だろうが、あの伯爵との結婚指輪だと思うと、そのありがたみも地に落ちる。

「そしてこちらが護身用の短剣となります」

 柄に赤い宝石がはめられ、鞘がやけにキラキラしているナイフを渡される。

 刃物を一度も持ったことがないアルティナは困惑した。

「ナイフ……ですか?」

「ナイフです。当家は武門の家でございますので、いくら女性と言えども、護身術は習っていただくのが慣例でございます」

 ドーミはそれだけ言い、アルティナの横を通り出て行こうとした。が、ドアの前で足を止めた。

「……ああ、言い忘れておりました。旦那様が今夜こちらに伺う、とのことです」

 その言葉にアルティナは血の気が引く思いだった。まさに絶句したと言ってもいい。

「……奥様?」

 無言になってしまったアルティナに、ドーミは心配そうな声をかけてきた。

 アルティナは頭を振り言った。

「……あー、その、本日は長旅で疲れておりまして……えー、殿方には言いづらいことなのですが…………がですね……」

 言葉使いにいかにも『月のもの』という雰囲気を含ませる。

 その意味を正確に理解したのだろう、ドーミは慌てて言ってきた。

「あ、ああ、これは失礼致しました。そこまで気が回りませんで、不得の極みです。その旨、主に伝えておきますね」

 これがいくら政略結婚で、子を作る必要があるとしても、あんな不潔そうな男には抱かれたくなかった。だが、このまま逃げ続けることができないのも明らかだ。

 アルティナは今後の身の振り方を真剣に悩んだ。


 * * *


 凄まじい振動と音に、私は我に返った。

 まるで大荷物の何か落ちた気配に、慌てて作業部屋から出る。

 音がした方――寝室の様子を覗きにいくと、足だけをベッドに乗せ、頭から床に落ちている信士の姿があった。

 今の衝撃で目を覚まさないところを見ると、泥酔しているのは明らかだった。

 私はほっと一息ついた。信士が変な格好で寝ているくらいで、特に異常はない。

 そのままほっとくことにして、作業部屋に戻る。

 パソコンに写し出されている、先程まで書いていた物を読み返す。その酷い内容に思わず頭を抱えた。

 王道ロマンス物を書くつもりが、いつの間にか『おぞましい古狸』が出てきてしまったではないか。しかも初夜断ってるし……。

 この話は永遠の闇に葬らなければならないないと心に誓う。他人に見せるなど言語道断だ。はっきり言って『黒歴史』になってしまう。

 これで約一日分の時間を損したのだ。

 私は溜め息をついて、パソコンの電源を落とした。









 信士の話を聞き、そのあまりの内容に私は声を荒げた。

「海外旅行!?」

「そうなんだよ。前から思ってたんだけど、ピッツァの修行の為に、留学してみたいんだよねー」

 その為に、イタリアを見てということらしい。しかも一人でだ。

 寝耳に水とはまさにこのことを言うのかと思った。

 未だかつて、そんなことを一切匂わせてこなかったし、第一そんなことされたら私は一体どうなると言うのだ。

 戻ってくるまで日本で待ってろということなのか? それとも付いてこい?

 信士が何を考えているのか全く分からなかった。

  私は、信士に食ってかかった。

「――ふざけないで! 急にそんなこと言って、なら私はどうなるのよ!?」

「少しは落ち着けよ。満足に話もできないぞ」

「決定事項の話されたってどうしようもないじゃないっ!」

「まぁ、確かに……」

「もう勝手にしてよ! もし本当に行ったら――っ!」

 それだけ言って、私は作業部屋にこもった。

 身勝手な男だと思っていたが、まさかここまでとは思いもしなかった。

 完全に頭に来ていたが、仕事をしなければならない。

 少しでも冷静になれるように深呼吸をしてから、パソコンを見る。

 書きかけの小説が画面一杯に写っていた。


 * * *


「リムルグ流短剣術を披露いたします」

 ドーミがそう言って短剣を構えた。呼吸を整えた後、動作に入る。

 それはみやびやかな舞を披露しているかのような美しさだった。長い銀髪が短剣とともに閃き、キラキラと輝いている。

 ナイフ捌きに足捌き、素人目でも解るほどに洗練されたその動きに、思わず見入ってしまう。

 一切の無駄を感じさせない動きは、おそらく何千回、何万回と繰り返したから会得できたものだろう。

 深く踏み込み、ナイフを横薙ぎに払って止まった。どうやら終わったようだ。その態勢のまま、ちらりとアルティナに視線を向けてくる。

 その視線――真っ直ぐ澄んだ瞳に射抜かれたアルティナは胸がざわついた。

 優しく微笑みかけられる、ざわつきはより一層激しくなっていく。一体これが何なのか理解できず困惑した。

 それからというもの、ほぼ毎日ドーミのことを目で追っていた。

 ドーミもドーミで、見られていることに気付いているだろう、時たま、目が合ってしまう。その度にアルティナは頬に熱が帯びるのを感じていた。

 一体これが何なのか解らない。どうしたら良いのかも解らない。

 今まで感じたことのない感覚に戸惑いが隠せない。病気にしても、今まで生きてきた人生でこんな症状はなかったのだ。

 散々迷った挙句、これはもうドーミ本人に訊いてみるしかない。そう思ったのだ。

 アルティナは早速ドーミを自分の部屋に呼びつけた。

 ドーミはいつもと変わらない優雅なお辞儀をし、部屋に入ってくる。

「どうしたのですか? 気分がすぐれませんか?」

「ええ、そうなのです。よく分かりましたね?」

「分かりますとも。いつもアルティナ様の視線を感じておりましたので、何かあるのではと思っておりました」

 やはり、気づかれていたのだ。トクンと心臓が高鳴った。

「……ええ、とっても苦しいのです。あなたのことを考えると、胸がざわついてしまうのです」

 そう、伝えるとドーミは困惑した様子で言った。

「大変困ったことに、その症状に心当たりがあります……」

「あ、あるのですか!? なら、ぜひ教えてくださいっ!」

「ですが……」

 ドーミは何やら非常に困った様子で、喋ろうか喋らまいか悩んでいるようだった。

 アルティナはしびれを切らし、まるで掴みかからんばかりの様子でドーミに迫った。

「張り裂けそうなんですっ! これは一体何なのでしょう。教えて、教えてくだ――キャッ!?」

 この言葉を最後まで言うことはできなかった。いきなりドーミに抱きしめられてしまったからだ。

「そこまで言うなら、教えて差し上げましょう」

 耳元でささやかれた。


 * * *


 携帯電話の鳴る音に私は我に返った。

 原稿を見る。むしゃくしゃしてやったとは言え、ここまでめちゃくちゃだと反省しようがない。一体伯爵はどこへ行ってしまったのか。

 信士に対しての怒りはもうなかった。もうどうでも良くなったと言ったほうが正しいだろう。

 そんなことよりも、この『やらかし』の不始末をどうしよか、そっちのほうが大事だった。

 いっそのこと、伯爵をなかったことにして、ドーミを添えてしまえばすべて丸く収まるのではないだろうか?

 鳴り止まない携帯電話に思わず目を向ける。そして表示されている名前に私は恐怖した。

 一度深呼吸してから出た。

「も、もしもし……?」

「先生、お疲れ様です。様子が気になりましたので、お電話しました」

 私はその言葉に息を呑むが、怪しまれてはまずい。

「え、えっと、順調ですっ!」

 そう言うより他にどうしようもなかった。



 ドーミといけない関係になってから、一ヶ月経った。あの日から、何度も何度も体を重ねてしまっている。

 伯爵は王城へ行ったっきり帰って来なかった。

 ほっとかれているのがいけないのだと、自分を正当化するが、心のどこかで『このまま帰って来なければいいのに』と、真剣に思い始めていた。

 そして何より一番問題なのが『月のもの』が来ていないという事実だ。

 一ヶ月程度で判断するには、期間は短いと言っていいだろう。単純に遅れているだけかもしれないからだ。

 だが、困ったことは続くもので、一ヶ月以上も音沙汰がなかった伯爵から帰ってくる旨の報告が届いてしまったのだ。

 最悪と言っても良かった。だが、アルティナは逆の考えをした。

 それは、まだ『一ヶ月』だと言うことだ。

 戻ってきた伯爵と即寝てしまえば『伯爵の子』として十分、主張できる。まだ間に合うのだ。

 これが『二ヶ月後』とかであれば完璧に言い逃れはできなかっただろう。危ないところだったとアルティナは思ったのだ。

 そして、そんな思惑など知りようもない伯爵は、予定通り屋敷に戻ってきた。その日の夜である。

 何の沙汰も無しにアルティナの部屋に伯爵が入ってきたのだ。

 伯爵は発情した狸そのものの様子でアルティナに迫ってくる。

「ふへ、ふへ、ふへへ」

 薄気味悪く笑っている。もはや嫌悪感で一杯だった。

 今すぐ助けを呼びたい衝動に駆られるが、そんなことはできない。

 アルティナはただ身を竦ませることしかできなかった。それを良いことにベッドに押しつけられてしまう。

 耳に入ってくる伯爵の息づかいが、アルティナの神経を逆なで、不快感を膨らましていく。全身に拒否反応が起る。

 気持ち悪い。汚い。嫌らしい。

 逃げるようにアルティナは身をよじったが、その程度の抵抗は男の性衝動を煽るだけにしかならなかった。首筋を舐められる。物凄い悪寒が体を駆け巡った。

「ヒッ!」

 思わず呻き声を漏らし、必死に後ずさる。

 伯爵はさらに興奮した様子で迫り、易々とアルティナを組み敷いた。そして、半ば引き裂くように服を脱がしにかかる。もはやこれまでだった。

 アルティナは覚悟を決め――枕元に忍ばせていた赤い宝石のナイフを取り出す。

 その動きを察知した伯爵だが、遅かった。でっぷりとした腹にナイフが深々と突き刺さったのだ。

 絶叫が響き渡る。その場をのたうち回る伯爵に、アルティナは詰め寄り、何度も何度も何度もナイフを突き立てた。

 アルティナの目の前が真っ赤に染まり何も見えなくなった。

 どれぐらいそうしていたのか、解らない。

 気づいたらアルティナは、ただの肉塊とかして転がっている伯爵の上を呆然ぼうぜんと跨がっていた。


 * * *


 インターホンが鳴る音に私は現実世界に戻ってきた。

 やってしまった。もはや言い訳もできないぐらいの惨状だ。

 また彼が来たのかと思ったが、彼であれば連打する。

 宅配便かと訝しながらドアを開けると、そこには真知子さんが立っていた。

「途中経過が気なったので来ました」

「あ、ああ、あーそうですかぁ、順調なんで大丈夫ですよ」

 内心の動揺を必死に隠す。これ以上ないくらいまずい状況だった。

 適当に誤魔化して帰ってもらおうと考えるが、そんな私の心境など分かるはずもない。

 真知子さんが笑顔で言ってくる。

「そうですかぁよかったです。じゃあ途中までのとこで良いので読ませてください」

「え、今ですか!?」

 不思議そうに首を傾げられしまった。

「そうですけど……どうしました?」

 もはや、見せる以外に選択肢がなかった。

 私は諦めて真知子さんを仕事部屋へ案内する。

 もはや一縷の望みに賭けることにした。この仕事を受けたとき「適当でも良い」と言っていたはずである。それに期待するしかない。

 オズオズと『黒歴史』を手渡す。

 もしかしたら平気かもしれない。というより、平気であってくれと心から祈った。

 数瞬して……。

「はっはっはっは」

 真知子さんが盛大に笑い出したが、目が笑ってない。怖い。

「今日は二十七日でしたよね?」

「……はい」

「じゃあ、あと三日あるんで、きっちり書き直して下さいね」

 それだけ言い、真知子さんが出て行ってしまった。

 自業自得とは言え、あと三日で仕上げろとは……。

 とりあえず精神を落ち着かせるためにも、『黒歴史』を頭から追い出すためにも、一度私は寝ることにした。



おわり。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ