Gulf Storm~灼熱の空に響く雷鳴~
とにかく、作者の趣味が全開の内容で、やたらと長いです。それと、似たタイトルの作品がありますが、どちらも完全に独立した物語なのでお好きな方をどうぞ。
なお、演出の都合で専門用語や馴染みの無い単位が出てきますが、どうかご容赦ください。
事前説明
方位は真北を0度とした時計回りの360度表記。
例 北:000 東:090 南:180 西:270
単位換算表
1インチ:25.4mm
1ft:0.3048m
1kt:時速1.852km
1nm(ノーティカルマイル/海里):1.852km
1990年8月2日のイラクによる隣国クウェートへの軍事侵攻に端を発する戦争、世間一般での通称『湾岸戦争』は複数の国家が真正面から激突した20世紀最後の戦争として歴史の1ページに深く刻まれている。
そして、この戦争ではメディアが多国籍軍に同行して取材した事で戦場の映像が一般家庭のテレビにも流され、そこでゲーム画面にも似た映像が連日のように繰り返し放送された為、すっかりハイテク戦争としてのイメージが人々の間には定着してしまった。
確かに、多国籍軍の中核を担うアメリカ軍が幾つもの最新技術や次世代兵器を投入して目覚しい戦果を挙げたのは紛れも無い事実だが、湾岸戦域に投入された兵器や弾薬の大半は東西冷戦時代の遺物とも言える従来型のものであり、それと同様に戦略についても対ソ連用に考案されたシンプルな計画であった事を忘れてはならない。
勿論、従来型の装備や戦略が一概に悪いという訳では無く、重要なのは現実の戦争で使い物になるかどうかである。ただし、『湾岸戦争』に関して我々に植え付けられた“ハイテク戦争の幕開け”というイメージがアメリカ軍による情報戦略の一環だという事も覚えておいて欲しい。
なぜなら、これから語られる物語で大いに活躍する事になる兵器も冷戦時代の遺物と言ってもいい代物だからだ。そんな訳で、まずは本題へ入る前に主役となる兵器の簡単な紹介を行いたいと思う。
ちなみに、その兵器とはアメリカ空軍や空軍州兵航空隊に配備されている航空機で『A-10AサンダーボルトⅡ』の正式名称を持ち、同時に現場のパイロットや整備員からは『ウォートホッグ(イボイノシシ)』の愛称で親しまれている攻撃機である。
さて、この『A-10A』であるが、攻撃機というカテゴリーに分類される航空機なだけあって外見は直線で厚みのある長い主翼と左右一対の垂直尾翼が胴体下面に配置されており、そこへ後部胴体の上面に胴体を挟み込むような形で横に並べて2基搭載したエンジンと機首に装備する大型の武装が相まって独特の雰囲気を醸し出していた。
勿論、このような形状となったのは対地攻撃で重要となる低速・低高度での操縦安定性を何よりも重視したからであり、それに伴って2基のターボファン・エンジンも燃費効率に優れたタイプでA/B(アフターバーナー:エンジンノズルから排出される高温の燃焼ガスに追加で燃料を直に吹きつけ、燃料消費量の増大と引き換えにエンジン推力を増加させる装備)も搭載されていない。
ただし、低速・低高度での対地攻撃ともなれば敵地上部隊からの反撃を受ける危険性が上昇するのは目に見えていたので、機体各部の強化と共にコクピット周りを中心に重要な箇所はチタン合金の防弾装甲で覆われ、さらに主翼とエンジンの位置関係も重要なエンジンが地上からの対空砲火の被害を受け難い配置となるようにした結果だった。
つまり、この『A-10AサンダーボルトⅡ』という航空機は初めから撃たれ強い頑丈な機体として設計されていたのだ。機体そのものに続いて攻撃面についての話になるのだが、ここでも『A-10A』の特徴を語る上で絶対に外せない物がある。
なにせ、航空機としては異例の『GAU-8/Aアベンジャー』の正式名称を与えられた7銃身の30mmガトリングガンを固定武装として装備しているのだから。
そのカテゴリーが指し示す通り、この武装は30mm機関砲弾を最大4200発/分(一部の改修機では3900発/分に固定)という発射速度で撃つ事が可能で、発射機構やドラム弾倉までを含めた巨大な構造物が機首部分の多くのスペースを占有しており、まるで機体の方がオマケのような扱いだった。
それだけに『GAU-8/A』が放つ劣化ウラン製のAPI(徹甲焼夷弾)は破壊力も絶大で、たとえ攻撃対象が防御に秀でたMBT(主力戦車)であっても最も頑丈な正面装甲以外であれば貫通して破壊するのに充分な威力がある。
さらに、『A-10A』の長大な主翼には片側だけで5箇所、胴体下部には1箇所で合計11箇所の兵装搭載ステーションが設けられ、アメリカ軍で運用される様々な空対地ミサイル・自由落下爆弾・誘導爆弾・クラスター爆弾・ロケット弾・空対空ミサイル・各種ポッド類(用途に応じた電子機器を収めた専用の容器)・ドロップタンク(外部燃料タンク)といった吊るし物を任務内容に応じて自由に選択して搭載する事が出来た。
こうして『A-10AサンダーボルトⅡ』は優秀な攻撃機(あるいは、タンク・キラー:戦車殺し)としての称号を得るのだが、その代償として空対空戦闘能力は無いに等しく、敵の戦闘機に狙われればひとたまりもなかった。
それどころか、夜間/全天候攻撃能力の欠如から作戦運用時の柔軟性も阻害されているだが、これは機体の開発が1970年代だったのと開発・生産コストを下げる効果もあったので仕方の無い部分だと割り切る事も出来る。
そうなると、今度はアメリカが何故『A-10A』のような癖の強い機体を開発したのかが気になるだろうから簡単に説明しておく。
当時、アメリカを始めとするNATO(北大西洋条約機構)陣営にとって最も警戒すべき仮想敵といえばソビエト連邦を盟主とするワルシャワ条約機構であり、もし第3次世界大戦が勃発すれば中央ヨーロッパは侵攻してきたワルシャワ条約機構軍と戦う最前線となる。
だが、当時の地上部隊の規模ではワルシャワ条約機構軍がNATO軍を上回っており、その大部隊の先鋒を務める戦車部隊を効果的に撃破し続けて本隊や増援部隊が到着するまでの時間を稼ぐ航空機がアメリカには必要だった。
そして、このような時間稼ぎを目的とした遅滞戦術は味方地上部隊との密接な連携の下で行われるのが作戦の常識で、そういった前線の味方地上部隊に対する航空機やヘリによる様々な航空支援の事を専門用語ではCAS(近接航空支援)と呼ぶ。
つまり、『A-10AサンダーボルトⅡ』はCASを専門に行う機体として時代の求めに応じて開発されたという訳だ。
ところが、その冷戦構造そのものがソビエト連邦の崩壊によってあっさり消滅するとNATOの軍事戦略も根本から見直され、世界規模での軍縮を進める流れもあってCAS任務での運用に特化して設計された『A-10A』には多方面から不要論が持ち上がる。
しかし、最後の花道を飾るような形で湾岸地域に派遣された事が『A-10A』の後の運命を大きく変えるキッカケになるのだった。
◆
さて、1991年に勃発した『湾岸戦争』というと多国籍軍によるクウェート解放とイラク軍撃滅が主な目的だった事もあり、イラク・クウェート両国が戦場になった事は広く知られているだろう。
まあ、例外なのは短距離弾道ミサイル『スカッドB』(実際に使用されたのはイラクが独自改良を施した『アル・フセイン』)による周辺諸国(イスラエル・サウジアラビア・バーレーンの3カ国)への攻撃だが、実は1度だけ占領中のクウェートから国境を越えてサウジアラビアへと侵攻し、短時間ではあるが同国内の国境近くにあるペルシア湾沿いの小都市『ハフジ』(住民は全員退避していてゴーストタウンになっていた)を占領しているのだ。
もっとも、この時期にイラクがサウジアラビアへと侵攻したのは都市を占領する為では無く、真の目的は多国籍軍の将兵(特に欧米人)を多数捕虜にして『人間の盾(人質)』として使うつもりだったと今では推測されている。
なお、イラク軍が多国籍軍の防衛ラインを突破して都市の占領に成功した背景には、素人でも分かるぐらいにシンプルな要因が幾つかあった。まず、1つ目の要因は同地域に展開した両軍の戦力に大きな開きがあったからで、その中でも特に重師団(戦車師団や機械化歩兵師団)の充実度が違っていた。
なにせ、イラク軍が陸軍の中でも精鋭(親衛隊に位置づけられている共和国防衛隊とは違う)で人員・装備ともに充実した部隊を投入したのに対し、多国籍軍は東部合同軍(アラブ諸国の連合軍)とアメリカ海兵隊が展開していたものの大半は砂漠での機動性を重視した軽師団(軽装甲車両が中心の師団)だった上に広範囲に薄く分散していたからだ。
そして、2つ目の要因も1つ目と似たようなもので、多国籍軍が有する航空偵察能力の絶対的な不足である。
ここでも世間一般で言われているようにハイテク偵察システムでイラク軍の動向が24時間体制で全て監視されていたのとは異なり、現実には偵察活動に従事していた航空機の数が戦域の広さに対して圧倒的に少なく、おまけに偵察任務の内容が爆撃の効果を確かめる爆撃損害判定や移動式のスカッド・ミサイル発射機の捜索に割り当てられていた事が原因になっている。
そうして残る最後の要因は、単純に多国籍軍司令部の判断ミスだった。なぜなら、彼らは西に展開した共和国防衛隊にばかり気を取られ、そちらに航空部隊の主力の攻撃を集中させていただけでなく、東部での動きを本格的な侵攻が始まった段階になっても陽動だと思い込んでいた程だ。
つまり、これらの要因が偶然にも重なった結果、イラク軍は制空権を失った状態でも地上部隊単独での侵攻作戦を見事にやってのけ、文字通り多国籍軍に一泡吹かせたのだった。
◆
1991年1月29日の午後7時を20分ほど過ぎた頃、サウジアラビア・クウェート両国の国境沿いに多数が設置されていた監視哨の1つで警戒任務に就いていた部隊は、思いもよらない突然の事態に大きな衝撃を受けていた。
「正面に敵部隊を発見しました! ここから見えるだけでも30両はいます!」
この監視哨を含む周辺一帯の警戒を担当していたアメリカ海兵隊の第1海兵遠征軍指揮下に編成された第3軽機甲歩兵大隊D中隊では、保有する『LAV-AT』自走対戦車ミサイルに搭載された赤外線暗視装置が隊列を組んで接近するイラク軍の大部隊を捉え、それを受けて車内で装置による監視を担当していた海兵隊員が緊張感を滲ませた声で中隊長の大尉に報告している。
なお、最初に姿を捉えた時点では彼らは敵部隊の全容を把握していなかったのだが、監視哨へと侵攻してきたイラク軍はMBT『T-62』とIFV(歩兵戦闘車)『BMP1』を中心に編成した50両を超える規模の部隊で既にD中隊の本隊までは10km、より前方に展開しているD中隊所属の偵察小隊に至っては5kmを切る距離にまで接近していた。
しかも、第3軽機甲歩兵大隊の保有する夜間戦闘装備は個人用のNVG(暗視装置)以外には『LAV-AT』の搭載する赤外線暗視装置しか無く、配備されている車両の数による制限も加わってアメリカ海兵隊の夜間戦闘における優位性は無いも同然だった。
それから、ここで登場した『LAV-AT』自走対戦車ミサイルとは、『LAV-25』の正式名称でアメリカ海兵隊に採用された軽装甲車両に『TOW』ATM(対戦車ミサイル)発射機を取り付けて対戦車仕様に改造した派生型車両の事である。
「こちら、D中隊! 現在、我々の担当する警戒ラインの正面に30両を超えるイラク軍の機甲部隊が押し寄せ、なおもサウジ方面に向かって侵攻中です! なので、これより我々も全力で敵部隊の迎撃に当たります!」
「分かった! こちらからも援軍を送ると共に航空支援を要請したから、それまでは何としてでも敵の侵攻を食い止めるんだ!」
「了解!」
そうやって部下からの報告を受けた大尉は上官の中佐にも連絡を入れると、指揮下のD中隊を率いて偵察小隊の援護と敵の迎撃に向かった。
その頃、最前線にある2階建ての石造りの建物(平時は国境警備隊の詰所)付近で配置に就いていた偵察小隊には、サウジ侵攻を目論むイラク軍の先鋒を務める部隊(『T-62』が5両と『BMP1』が4両)が迫っていた。そして、敵部隊を充分に引き付けたところで小隊長の少尉が攻撃命令を下す。
「まだだ……、まだ……。よし、攻撃開始!」
ここで海兵隊にとって幸運な点を挙げるとすれば、彼らの展開した場所が国境付近という事で待ち伏せに適した地形(車両が通行できる通路が所々にあるものの、それ以外は車両が登れない角度の砂堤が続いている)だったのと、進撃してきたイラク軍が偵察小隊の存在には気付いていなくて多少は警戒するような動きもあったが、結果的に小隊の設定したキルゾーン(攻撃範囲)に真っ直ぐ突入して不意討ちに近い先制攻撃を受けた点の2つが大きい。
その為、キルゾーンへ侵入した敵部隊に対して海兵隊の装備する多種多様な小火器が理想的な状況で一斉に火を噴き、たちまち周囲を銃撃音と飛び交う曳光弾の光が満たして地獄絵図を作り上げる。
「機関銃チーム、敵に歩兵部隊を展開させる余裕を与えるな! 対戦車チーム、まずは先頭の敵戦車を吹き飛ばすんだ!」
「アイ・サー!」
こうして小隊長である少尉の指示を受けた小隊の機関銃チームに所属する2人の兵士が伏せ撃ち姿勢で『M60』LMG(軽機関銃)の火力を生かした制圧射撃を『BMP1』の後部ランプ付近を中心に浴びせて降車してくる敵兵士の動きを牽制し、その間に対戦車チームの海兵隊員が『M136』携帯対戦車ロケットを構えて先頭の『T-62』の側面を狙って発射する。
さらに、少尉を含めたライフルマン達は『M16A2』ライフルで猛攻にも怯まずに遮蔽物の陰から身を晒した敵兵士を片っ端から狙い撃ちにし、それと並行して『M249』SAW(分隊支援火器)を構えた海兵隊員が車載機銃で応戦しようと果敢にも身を乗り出した敵兵士を圧倒的な連射力で射殺した。
「くそっ! まだ動いてるぞ!」
1発目の『M136』の弾頭は側面から『T-62』の足回りに命中して動きを鈍らせる事には成功したが、戦車そのものを完全に破壊するには威力が不足していたらしく、戦闘能力を誇示するかのように砲塔がゆっくりと旋回して主砲の115mm滑腔砲(砲身内部にライフリングの刻まれていない火砲)で反撃してきた。
「伏せろ!」
それに気付いた誰かの声が銃声と爆発音の中でもはっきりと響き渡り、咄嗟に射線上にいた海兵隊員達が遮蔽物の陰で身を伏せる。すると、至近距離に砲弾が着弾して衝撃と轟音が襲ってくる。その所為で彼らの頭上には砂や小石が大量に降り注ぐが、幸いにも今の攻撃による重傷者や死者は出ていない。
「もう1発、食らわせるんだ!」
「なら、今度は俺が行く! 援護してくれ!」
「分かった!」
対戦車チームを率いる隊員の命令を受け、最初に『M136』を発射した兵士とは違う海兵隊員が声を上げると武器を手に素早く射撃位置へと移動していき、残った海兵隊員たちが『M16A2』ライフルの一斉射撃を敵戦車に浴びせて注意を逸らす。
そして、その僅かな隙を利用して敵戦車から2発目の115mm砲弾が発射される前に『M136』の弾頭を叩き込んだ。
「これで、どうだ!」
次の瞬間、独特の発射音とバックブラスト(発射時に発生する後方への爆風)を残して本体から飛び出した『M136』の弾頭が奇跡的に『T-62』の砲塔と車体の境目に近い部分へと命中し、それから1~2秒後には小さな爆発を伴って敵戦車が炎上し始めた。
どうやら、今の攻撃で戦車内にあった何らかの可燃物が誘爆を起こしたらしい。当然、直後に戦車の中から生き残った敵の戦車クルーが慌てて飛び出してくるが、直ぐに海兵隊員の装備する小火器の一斉射撃を浴びて射殺され、そのまま戦車と一緒に火達磨になって無残な死を遂げた。
しかし、まだイラク軍の装甲車両は8両も残っており、少数の限られた対戦車兵装しか持たない海兵隊の偵察小隊にとっては厳しい状況が続いていた。
「全員、攻撃の手を緩めるな! とにかく、全力で撃ち続けろ!」
「アイ・サー!」
先頭の敵戦車を撃破できた事で海兵隊は士気が上がり、それを感じ取った小隊長の少尉が装甲車両の陰に隠れる敵兵士の1人に『M16A2』ライフルで射撃を浴びせながら大声で部下達を鼓舞するが、実際には追い詰められているのは彼らの方だった。
そして、そんな現実を象徴するかのように海兵隊の対戦車チームが陣取る建物周辺に別の敵戦車の放った砲弾が立て続けに着弾する。
「畜生! 2人やられた!」
その直後、誰かの怒りに満ちた声が銃撃音や爆発音に混じって辺りに響き渡り、先程までの勢いのある雰囲気を一瞬にして消し去ってしまう。
そうして砂埃と煤に塗れた姿で叫び声を発した人物の見つめる先では、上半身だけとなった海兵隊員の死体が仰向けで地面に転がっており、さらに死体の傍には血溜まりの中で千切れかかった右足の太腿を両手で必死に押さえながら悲鳴を上げている別の隊員が居た。
だが、イラク軍の車列の方でも『BMP1』の1両が『M136』から発射された弾頭の直撃を受けて爆発を起こし、それによって周囲に飛び散った無数の破片が数人のイラク軍兵士を爆風で吹き飛ばすのと同時に容赦なく切り裂いて殺傷した。
「くそっ、もう弾が無い!」
「こいつが最後の1本だ! 大事に使え!」
「助かる!」
すると、今度は切羽詰った声のやり取りが小隊長の耳にも届く。どうやら、手持ちの弾薬を使い切った海兵隊員の1人に別の人物が1本だけ残っていた予備のマガジン(弾倉)を渡したらしい。さらに、こんな会話が別の所からも聞こえてくる。
「よし、まだ銃は握れるな!? だったら、あそこにいる連中を狙って撃て!」
「くっ……、りょ、了解!」
そこでは被弾によって左肩を負傷した隊員が歯を食いしばって痛みに耐えながらも『M16A2』ライフルを構え、隣にいる仲間が指し示した場所で『AK-47』ライフルによる連射を続けている敵兵士に対してライフル弾のバースト射撃(トリガーを引くたびに数発ずつ発射されるモードで『M16A2』の場合は3発)を繰り返し叩き込んでいた。
そして、この事からも分かるように時間が経つにつれて戦力の劣る海兵隊の偵察小隊はイラク軍に圧倒されつつあり、このままでは全滅して敵に警戒ラインを突破されるのも時間の問題であった。
「おい、気を付けろ! 左の装甲車の陰にも2人いるぞ!」
「分かり……、がはっ!」
「くそっ! こっちでも1人やられた! 誰か彼を安全な場所まで運ぶんだ!」
小隊長の少尉が部下に警告を発しながらも『M16A2』ライフルによる射撃を続けて敵兵士の1人を射殺したが、ほぼ同時に別の敵兵士の放ったライフル弾が彼の右隣にいた海兵隊員の首に命中し、撃たれた海兵隊員は肺の中の空気を一気に吐き出すような声を漏らすと共に口から大量の血を吐き、そのまま糸の切れた操り人形のように力無く仰向けで地面に倒れた。
「おい、しっかりしろ! こんな所で死ぬんじゃない!」
少尉の救援要請に応じて駆け寄った海兵隊員が応急キットのガーゼの上から両手で傷口を押さえて止血を試みるが、頚動脈を深く損傷していた所為で出血が一向に止まらない。
結局、彼は地面に横たわって空を見上げた姿勢で暫くは咳き込むたびに血を吐いて苦しそうに呼吸をしていたが、それも徐々に弱くなって最後は戦友に看取られる格好で目を開けたまま死んだ。
「少尉、ダメです! 死にました!」
「分かった! なら、お前が代わりに配置に就け!」
「了解!」
この時、“仲間を絶対に見捨てない”という全ての兵士達に共通するルールを無視し、ほんの少しだけ移動して手を伸ばせば届きそうなほど近くにいた少尉が彼を助けに行かなかったのにも理由がある。
なぜなら、ここで少尉が射撃を止めて持ち場を離れれば攻撃が手薄になり、その瞬間に射撃の弱まった箇所を敵に突破されて防衛ライン自体が崩壊するのは火を見るより明らかだったからだ。
だから彼は、直ぐ傍で瀕死の仲間が苦しんでいるのに気付いても心を鬼にして助けには行かず、そのまま攻撃を継続して2人目の敵兵士の胴体と頭に『M16A2』ライフルのバースト射撃を立て続けに浴びせて射殺した。だが、この出来事が彼に1つの決断をさせる。
「とは言え、これ以上は流石に無理か……」
そう小声で呟いた少尉は視線を敵部隊から一瞬だけ外すと周囲を素早く見回して味方の状況を大雑把に把握し、味方部隊に辛うじて余力が残っているのを確認してから射撃を一旦停止する。
そして、迷う事なく腰のポーチから使い捨ての信号弾を取り出して空中へと撃ち上げ、それが夜空で輝くのを見てから敵部隊に対する射撃に戻った。ちなみに、彼が撃ち上げた信号弾の意味は一刻も早い救援を要請するものである。
「大尉、偵察小隊からの救援要請です!」
「ああ、こちらでも信号を確認した! 第1小隊と対戦車チームは直ちに偵察小隊の救援に向かえ! 残りの部隊は彼らの援護に回るんだ!」
「アイ・サー!」
自身の目でも信号弾の放つ光を確認したD中隊を率いる大尉は直ぐに決断を下し、1両につき6名の完全武装をした海兵隊員を載せた6両の『LAV-25』で編成された1個小隊に『LAV-AT』を4両加え、臨時の機動打撃部隊を編成して偵察小隊の救援に向かうよう命じた。
そして、残りのD中隊所属の部隊も前進する味方部隊の援護と退路の確保を目的として幾つかのチームに別れ、前方へと進出した第1小隊の後方に広がる戦闘地域の各所に展開した。
その頃、中隊長の命令で楔形隊形で前進した第1小隊と対戦車チームは『LAV-AT』に装備された赤外線暗視装置でイラク軍の装甲車両を捕捉すると、捉えたターゲットがミサイルの射程内にいるのを確かめてから停車して素早く発射準備を整え、味方の偵察小隊が立て篭もる建物に向けて砲撃を行っていた『T-62』や『BMP1』に対して『TOW』ATMを発射する。
「ロックオン、完了!」
「ファイア!」
そうして車長の命令を受けた砲手が手元のボタンを押してミサイルを発射し、そのまま彼は照準装置の捉えた画像を真剣な表情で睨みながら手元のコントロール・ハンドルを小刻みに動かしてターゲットを捕捉し続け、ミサイルが狙った敵装甲車両に命中するまで操作だけに集中していた。
なぜなら、この『TOW』ATMは発射してからターゲットに命中するまでの誘導段階にも人間による操作が必要な光学追尾・有線誘導方式のミサイルだったからだ。
こうして第1小隊と共に前進した対戦車チームに所属する4両の『LAV-AT』が各個に発射したミサイルによって『T-62』と『BMP1』がほぼ同時に1両ずつ撃破され、さらに別の射撃位置に就いた3両の『LAV-AT』からのミサイル攻撃で更に1両の『T-62』が撃破される。
もっとも、今回は事前に指揮官が各車ごとにターゲットを割り振る統制射撃では無かったので、同一目標に複数のミサイルが殺到する結果となって撃破数そのものは決して多くは無かった。
そして、対戦車チームとは別に『LAV-25』の各車両も独自の判断で25mm機関砲による短い連射を敵部隊に何回か浴びせるが、こちらの車両には索敵でも効果を発揮する赤外線暗視装置が搭載されていないので射撃は慎重にならざるを得ず、近距離の確実に敵と判明している目標への攻撃しか実施できなかった。
しかし、この一連の攻撃によってイラク軍には大きな混乱が広がり、結果的に海兵隊の偵察小隊に対する砲火は弱まる。
「全員、聞け! この隙に後退するぞ!」
当然、今の状況を偵察小隊の指揮を執る少尉が見過ごす筈は無く、彼は直ぐに部下達に命令を下すのと同時に戦死した仲間から回収した『M16A2』ライフルのハンドガード下部に装着されている『M203』グレネードランチャーに同じく戦死した仲間から回収したグレネード弾を装填し、それを複数のイラク軍兵士が固まっている地点に向けて撃ち込んで纏めて殺した。
さらに、彼は手慣れた素早い操作で空薬莢を排出して次のグレネード弾を『M203』グレネードランチャーに装填すると、装甲車両の背後に隠れて銃撃を回避している敵兵士の近くへと撃ち込んで着弾時の爆風と飛び散った無数の破片で数人を一気に殺害する。
そして、また新しいグレネード弾を短時間で装填すると今度は自分の方へ向いていた『BMP1』IFVの砲塔を狙って撃ち込んだ。
ただし、このグレネード弾は対人攻撃用の弾頭なので装甲車両には大したダメージを与えられないのだが、こうして立て続けに3発を撃った事によって敵に後退するのを悟らせない為の牽制としては充分な効果があった。
それ故、敵の追撃を見事に封じた偵察小隊は後方にある車両の隠し場所までの移動をスムーズに開始する事が出来たのである。
「隊長、次です!」
「分かった!」
少尉からの命令を受けた後、偵察小隊は敵との距離が最も近い者から数人ずつ順番に駆け足で後方へ下がると部隊の最後尾に達した所(敵から最も離れた所)で立ち止まって振り返り、その場で敵に制圧射撃を浴びせて他の隊員達と共に次に後方へと下がって来る味方の援護を行うといった動きを繰り返して移動していく。
これは部隊を移動と援護射撃を実施する2つに分け、それぞれの役割を状況に応じて適宜切り替えて敵を制圧しながら前進する歩兵の基本戦術を後退に応用したもので、後退していくチームは次に後退するチームの傍を通過する時に肩を叩いて声を掛け、順番が回ってきた事を銃撃戦の最中でも分かる形で合図するのが基本なのだと彼らは新兵の頃から叩き込まれていた。
ちなみに、こういった局面でも各海兵隊員の装備する『M16A2』ライフル・『M249』SAW・『M60』LMG・『M203』グレネードランチャー・フラググレネード(破片手榴弾)といった数々の武器が攻撃力を如何なく発揮し、前線から後退してくる味方部隊の援護として敵部隊に猛烈な弾幕射撃や爆破を浴びせていたのだ。
そして、彼らは身体に染み付いた基本戦術に従って移動と援護射撃を小隊内で巧みに組み合わせた後退行動を何度も続け、ついにチームの1つが小隊保有の車両(武装を搭載した『ハンヴィー』が3両と兵員輸送トラックが1両)を隠してある場所へと辿り着き、まずは3両の『ハンヴィー』それぞれに海兵隊員が駆け寄ってルーフトップに搭載されている『M2』HMG(重機関銃)と『Mk19』グレネード・マシンガン(40mm×53のグレネード弾を毎分300~400発で連射可能な武装)を射撃可能な状態にする。
その後、彼らは各車両のエンジンを掛けて移動の準備を急いで整えると共に個人装備の物よりも強力な武装である『M2』HMGを搭載した2両と『Mk19』搭載の1両の『ハンヴィー』からも敵部隊に射撃を加えて後退する味方部隊を援護し、この困難な局面において1人の戦死者も出す事なく車両を隠してあった場所までの過酷な後退行動を成功させた。
なお、アメリカ海兵隊には“死体であっても戦場に仲間を置き去りにしない”というモットーがあるので、兵員輸送トラックの荷台には戦死した3人の海兵隊員の遺体が載せられていた。
「隊長! 撤退準備、完了しました! 何時でも出せます!」
「よし、いま直ぐ出発だ!」
「了解!」
偵察小隊の全員が揃っているとの報告を受けた少尉は『ハンヴィー』の屋根をバンバンと手で叩いてから小隊の兵士達の中で最後に車両へ乗り込むと、左隣に座る運転担当の海兵隊員に大声で命じた。
次の瞬間、彼らの居る位置からアメリカ軍の展開する側へ少し離れた場所で大爆発が起こり、それに伴う轟音と衝撃波が銃撃戦の最中でも移動を開始しようとしていた偵察小隊の車両部隊の所にまで届き、海兵隊員の何人かが反射的に爆発のあった方向へと顔を向ける。
ただし、個人用NVGしか持たない彼らの目には何かが炎上している事しか分からなかったので各車両は隊列を組んで直ぐに前線よりの離脱を開始し、敵味方を識別する為に赤外線ストロボライト(明滅を繰り返す赤外線ライトで肉眼では見えないが、暗視装置などを使えば簡単に見える)を目立つ位置に掲げて合図を送りながら後方の味方部隊との合流を目指した。
しかし、それと同じ頃、やや後方でD中隊の指揮を執る大尉の下には思わず拳を壁に叩きつけたくなるような厳しい報告が入っていた。
「第1小隊より報告! 味方の1両が被弾しました!」
「それで、こっちの被害は!?」
「ちょっと待って下さい。これから確認を……、いえ、いま詳細が判明しました! 被弾したのはグリーン5で爆発により大破、現在も炎上中です!」
「グリーン5のクルーは無事なのか!?」
「それが……、報告によると車両からの脱出は確認できなかったとの事です」
それは前線にいる第1小隊の指揮官からの通信だったのだが、内容は海兵隊D中隊に所属する車両が撃破された事を報せるものだった。
なお、ここで彼らの会話に登場した“グリーン5”とは中隊に配属された各車両を判別する為に割り振られた識別コードで、第1小隊と共に前進した対戦車チームに所属する『LAV-AT』の1両にグリーン5の識別コードが与えられている。
それだけでなく、さらに中隊長以下の面々を悩ませる事になる報告が第1小隊の指揮官から届き、それによって『LAV-25』の派生型の1つである指揮車両『LAV-C2』の車内が今まで以上に重苦しい空気に包まれた。
「第1小隊より新たな報告が入りました! 後方から進軍していた数十両規模のイラク軍部隊による本格的な攻撃を受け、全車が後退しながら応戦中との事です!」
「くっ……、報告にあった本隊か!」
その連絡を受けた大尉が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて叫ぶ。だが、これでアメリカ海兵隊は一気に不利な状況に追い込まれてしまった。なにせ、軽装甲車両しかない海兵隊にはMBTやIFVを主力とするイラク軍の重師団と正面から戦って撃退する力は何処にも無いからだ。
そして、先程の『LAV-AT』(グリーン5)を破壊したのも新たに後方から現れた侵攻部隊の本隊に所属する2両の『T-62』で、それぞれの主砲から発射されたHEAT弾(対戦車榴弾)2発がほぼ同時に『LAV-AT』の車体正面に直撃していた。
当然、この軽量な『LAV-AT』には115mm滑腔砲から放たれる砲弾の直撃に耐えられるような防御力は無く、HEAT弾の高温のメタルジェットによって車内にあった予備のミサイルや燃料が一斉に誘爆し、その大爆発に伴う衝撃で車両は辛うじて原形を留めていたのがタイヤだけという程バラバラに破壊されて炎上する。
さらに、爆発がもたらした膨大なエネルギーは車内にいた4人のクルーにも及び、彼らは爆発の発生とほぼ同時に即死した挙句に車体もろともバラバラに吹き飛ばされて無数の肉片になり、燃え盛る炎で焼かれてしまった。しかし、ここへ来てアメリカ海兵隊の方にも頼りになる援軍が空から現れる。
「サンダー17(コールサイン:任務で飛行する機体に付ける識別コード)より地上の海兵隊。これよりCASを開始するので、そちらでターゲットを指示してくれ。なお、ウイングマン(僚機)のコールサインはサンダー18だ」
「地上部隊、了解した。今からターゲットをマーキングする」
それはD中隊がイラク軍の接近を最初に探知した際に要請した航空支援に応じて戦闘地域上空へと飛来した『A-10AサンダーボルトⅡ』の2機編隊で、FAC(前線航空統制官:地上部隊に同行してCASを行う航空機に様々な指示を出すパイロット経験のある将兵)が持つ専用の無線機を経由して連絡を入れてきていた。
なので、FACは第1小隊の指揮官に『LAV-25』が装備する25mm機関砲で空爆するべきターゲットを攻撃するよう言った。
ちなみに、こういったターゲットのマーキングを目的とする射撃ではHEI弾(焼夷榴弾)を使用するのが常識であり、着弾時に発生する派手な炎を目印に本命の武装を搭載した兵器が攻撃する。
「少尉、ターゲットをマーキングして下さい!」
「分かった! 砲手、11時方向の敵車両に主砲を2連射だ! ファイア!」
「アイ・サー!」
こうして第1小隊を率いる小隊長が自身の搭乗する『LAV-25』の砲手に25mm機関砲での攻撃を命令し、それを聞いた砲手が手元のコントロール・ハンドルを操作してターゲットである敵車両を精確にロックオンすると短い連射を2回浴びせた。
すると、ターゲットとなった『T-62』の砲塔部分に吸い込まれるように25mm機関砲弾が命中して暗闇の中では特に目立つ火花を周囲に飛び散らせる。
「どうだ、捕捉できたか?」
「ネガティブ(無理という意味)」
「なら、もう1度実施するから今度は見落とすなよ」
「ウィルコ(了解という意味)」
命中弾を与えた直後にFACが尋ねるが、上空で旋回しながら待機している『A-10A』のパイロットからは敵戦車の居場所が確認できなかったらしい。そこで彼は、躊躇う事なく25mm機関砲によるマーキングを再度実施するよう小隊長に進言した。
「少尉、もう1度お願いします!」
「分かった! 砲手、さっきの敵車両に主砲で4連射、ファイア!」
「アイ・サー!」
再び『LAV-25』に搭載された25mm機関砲が火を吹き、HEI弾の命中した『T-62』が派手な火花を上げる。しかも、今度は先程よりも連射する回数を増やして見え易くしたつもりだったが、それでも結果は変わらなかった。
「今度は確認できたか?」
「ネガティブ」
だが、こうなったのは上空のパイロットの能力に問題があったからでは無く、選択したマーキンングの方法に無理があったからである。
なぜなら、開発時は夜間ミッションでの運用を想定していなかった『A-10AサンダーボルトⅡ』では機体の僅かな改修とパイロットがNVGを装着する事で夜間作戦能力の不足を補っており、こうして夜間に飛行するだけでも大変な事だったのだ。
しかも、他に使えるとすればコクピット正面のコンソール(計器盤)にある小さなディスプレイに表示されるIIR(画像赤外線)誘導方式の空対地ミサイル『AGM-65Dマベリック』のシーカー(ミサイルの先端にあり、誘導に必要な情報を得る為のセンサー部分)が捉えた粗く狭い範囲の赤外線画像だけで、とても索敵や敵味方の識別には使えなかった。
「このままじゃラチがあかない。照明弾を投下するから直接誘導してくれ」
「了解した」
その為、編隊を率いるサンダー17からFACに昔ながらの方法に切り替えてターゲットの識別を行う旨の通信が入り、異論の無かった地上のFACも直ぐに了承する。
こうして許可を得た事で味方部隊の後方から戦闘地域上空を通過した1番機がマグネシウムを主成分とする眩い閃光を放つ照明弾を投下し、それによって昼間ほどではないものの周囲一帯が明るく照らし出された。
そして、直後にFACは照明弾が作り出した光を頼りにターゲットと遅れて進入してきた攻撃役の2番機の位置関係を素早く把握し、無線機越しに口頭でターゲットまでの誘導を行った。
「サンダー18、ターゲットは貴機の正面にある照明弾から見て2時の方向、距離は現時点での照明弾の位置を基点として約0.5nm遠方だ」
「いいぞ、捕捉した!」
そうやって地上からの誘導を受けた『A-10A』(サンダー18)のコクピットでは、パイロットが操縦桿・スロットル・フットペダルを巧みに操作して機体をターゲットへの攻撃軸線に乗せ、選択した武装である『AGM-65D』のシーカーが『T-62』を捉えたところで操縦桿に付いた兵装発射ボタンを押して左主翼下のパイロン(ハードポイントに装着して兵装を搭載するのに使われる懸架装置)からミサイルを発射する。
すると、発射信号を受けたミサイルが機体から切り離されるのと同時にミサイル後部にあるロケット・モーター(推進装置)にも点火し、ロックオン時にシーカーが捉えた敵戦車の情報を基に闇夜の空をターゲットの頭上を目指して一直線に飛翔していく。
そして、深い角度で急降下すると着弾した際の衝撃で信管が作動して弾頭の高性能炸薬を起爆させ、装甲に覆われた戦車の中でも薄い上面装甲を貫いて砲塔に搭載された弾薬の誘爆を引き起こし、頑丈な戦車を燃え盛る鉄屑へと変えてしまう。
勿論、これだけの威力を有する爆発の中で生身の人間が生き延びられる筈も無く、車内にいた4人のクルーは爆発の起きた直後に全員が即死した。
「サンダー17、次のターゲットは貴機の正面にある照明弾から見て12時の方向、距離は現時点での照明弾の位置を基点として約0.8nm遠方だ」
「ターゲット、ロックオン、完了!」
照明弾を投下した後、大きく左に旋回して最初に通過した時と同じルートで交戦地域上空へと再進入してきた『A-10A』(サンダー17)のパイロットに対し、既に双方の位置関係を把握していたFACが新たなターゲットの情報を簡潔に無線機で伝え、それを受けたパイロットが先程と同様に左主翼下のパイロンに搭載していた『AGM-65D』を発射した。
そして、機体から離れたミサイルはロケット・モーターを一気に燃焼させて最高速まで加速(大半のミサイルは発射直後に推進剤を使い切る格好で加速して可能な限りの高速を維持し、残りの行程は惰性で飛翔していく)すると、ターゲットとなった『T-62』の砲塔へと急角度で命中して爆発と共に戦車を内部にいた人間ごと燃え盛る残骸に変える。
それに続いて今度は、2機の『A-10A』によって撃破された2両の戦車の後方に位置していた『BMP1』に『LAV-25』の25mm機関砲弾の連射と『LAV-AT』の『TOW』ATMが直撃して誘爆が起き、周囲にいた数人の敵兵士を巻き込みつつ車体が空中に5m以上も浮き上がってバラバラに吹き飛ぶ。
「上空の味方機、いま撃破した3両の敵車両の位置は確認できているか?」
「サンダー17だ。こちらは確認できた」
「サンダー18も同じです」
「なら、そこより北東のクウェート領方面に展開している車両は全て敵だ。だから、遠慮はいらない。手当たり次第に撃破してくれ」
「ウィルコ」
初めにターゲットを指示するのに使用した照明弾の光は既に消えていたが、大部隊を引き連れてアメリカ海兵隊に迫りつつあったイラク軍の先鋒の車両を複数撃破した事で両軍の間には僅かながらも空白地帯が生まれ、そこに目印となる破壊されて炎を上げる敵車両がある事を確認したFACが無線で上空に滞空する2機の『A-10A』のパイロットに全力攻撃を要請して受諾される。
すると、攻撃した順番の関係で先に爆撃コースに乗ったサンダー18の機体が高度1200ftで味方部隊の上空を通過していき、その高度を維持したまま左右の主翼下にあるパイロンから1発ずつ『CBU-59』クラスター爆弾を密集するイラク軍部隊を狙って投下した。
ちなみに、『A-10A』が投下したクラスター爆弾には1発につき247発もの対装甲目標用の子爆弾が収められており、2発を投下した今回の攻撃では500発近い弾体がイラク軍の展開するエリアを覆うように散布された計算になる。
さらに、全体の重量が僅か610gしかない小さな子爆弾といっても威力は侮れず(15cm以上ある装甲でも貫通可能と言われている)、それが装甲の薄い上面に着弾する事もあって直撃を受ければMBTでさえ無事では済まない。
しかも、攻撃の手を一切緩めないアメリカ軍は2機目の『A-10A』が数分の内に上空へと飛来して同様に2発の『CBU-59』を投下し、結果として子爆弾の降り注ぐ範囲内にいたイラク軍は甚大な被害を受けてしまった。
だが、この地域へと侵攻してきたイラク軍は配備された装甲車両の数が50両を超える規模の大部隊だった事や、時間の経過と共に各車両の間隔が広がっていった事もあって4発を数えるクラスター爆弾の投下後も20両以上が破壊を免れて戦闘を継続しており、その中の1両である『BMP1』が撃った『AT-3サガー』ATM(NATOコードによる名称)によって第1小隊所属の『LAV-25』が1両撃破されてしまう。
もっとも、『BMP1』から発射された『AT-3』ATMは対戦車ミサイルとしては比較的小型な部類に入るのだが、今回は被弾したのがMBTよりも装甲の薄い『LAV-25』であった事から受けた被害も大きく、爆風と共に高速で飛び散った無数の鋭い金属片が車両の周囲で戦っていた海兵隊員達の身体を容赦なく切り裂いて殺傷し、乗員の3人と合わせて一瞬で7人の海兵隊員が戦死した。
しかし、そうやってミサイルを直撃させて被害を与えた『BMP1』も直ぐに空からの強烈な制裁を受ける羽目になる。
「上空の味方機、今度は通路を突破しようとしてる敵を片付けてくれ!」
「サンダー17、了解」
まだ敵の攻勢が続いているのに気付いたFACが無線で更なる攻撃を要請すると、クラスター爆弾を投下し終えたばかりの『A-10A』が旋回して戻って来て今度は機首に装備された『GAU-8/A』による機銃掃射を浴びせる。
さらに、続いて進入した2機目の『A-10A』も別の敵車両に低空から容赦の無い機銃掃射をお見舞いする。すると、たった2回の攻撃だけで『T-62』の1両と『BMP1』の2両が車内にいた人間もろとも蜂の巣にされて破壊された。
この強力な『GAU-8/Aアベンジャー』には5発のAPIにつき1発の割合でHEI(高性能炸薬焼夷弾)を混ぜたコンバット・ミックスと呼ばれる状態で1174発(装填システムの不具合の関係で最大までは搭載しない)の30mm弾が装填されているが、実際の機銃掃射においてパイロットがトリガーを引く時間は僅か1~2秒の一瞬である。
ただし、その極めて短い時間でも発射速度の関係で50~60発もの30mm弾が音速を超える速度で降り注ぐ訳だから、それに攻撃される側としては悪夢としか言いようがない。
ちなみに、『GAU-8/A』から発射される弾が音速を超えているという事は発射音を耳にした時点で目標には既に着弾しているので、撃たれた方にとっては自分が何によって殺されたのかさえ分からないだろう。
「次は、いま撃破した敵の北にいる連中を始末してくれ」
「了解した」
ところが、これ程の損害を受けても未だにイラク軍の攻勢は続いていたので、それに対抗して地上の海兵隊に同行するFACも『A-10AサンダーボルトⅡ』を操縦する空軍の2人のパイロットに追撃を要請した。
すると、やや独特なターボファン・エンジンの音を響かせて上空へと飛来した2機の『A-10A』が絶妙な間隔で機首に搭載した30mmガトリングガンから地上のターゲットに劣化ウラン弾のシャワーを浴びせ、ゆっくりとした速度で前進していた『T-62』と『BMP1』を周囲にいた数人の敵兵士もろとも1両ずつ破壊する。
その結果、ようやくイラク軍の前進が止まって一部の部隊が徐々に後退し始めた。しかし、ここで攻撃の手を緩めるような真似はしない。
「上空の味方機、そのまま撤退を始めた敵への追撃に移ってくれ」
「ウィルコ」
こうしてFACからの要請を受けて再び旋回して戻って来た2機の『A-10A』は、機首に装備する『GAU-8/A』と主翼下に吊るした『AGM-65D』を使ってクウェート方面へと撤退を始めたイラク軍に飢えた獣のように猛然と襲い掛かった。
しかも、その攻撃は恐ろしく精確で機体が敵部隊の上空を通過するたびに車両が破壊されて炎上してゆき、いつの間にか形勢は完全に逆転してイラク軍は異様な臭いの充満する戦場に死体や自力で動けない重傷者を残して敗走を始めていた。
そこで、この機会を利用してアメリカ海兵隊D中隊の各車両は一斉に後退へと移り、ほんの数分前に増援として現場に到着したA中隊と交代する。
ただし、本来は戦果拡大を担う増援であったA中隊は撤退するイラク軍への追撃などは行わず、まずは崩された防衛ラインを大急ぎで再構築すると共に破壊されたD中隊所属の車両から仲間の遺体を回収して後方へと送った。
そして、充分な戦果を上げたとパイロットが判断した事で敵への空爆を止めた2機の『A-10AサンダーボルトⅡ』も暫くは戦闘地域の上空に留まって味方からの航空支援の要請に備えていたが、やがて燃料と弾薬の補給の為に翼を翻してサウジアラビア領内の基地へと帰投し、彼らに代わって海兵隊所属の攻撃ヘリ『AH-1Wスーパーコブラ』の4機編隊が飛来してCAS任務を引き継いだ。
なお、イラク軍は夜明けにも砲兵部隊の支援を受けた別の機甲部隊が国境線の突破を目論んで正面から攻勢を仕掛けたのだが、最初の時とは違って奇襲を警戒して態勢を整えていた海兵隊の返り討ちに遭って大損害を被った挙句、逆に予備戦力のB中隊と再編成されたD中隊の追撃によって壊滅状態に追い込まれている。
その結果、アメリカ海兵隊は2両の軽装甲車両の喪失と死者14人・負傷者17人という犠牲と引き換えに国境線を守りきったのに対し、イラク軍の方は60両を超えるMBT・IFVと180人以上の兵士を失ったにも関わらず何も得られなかった。
◆
1991年1月31日の早朝、イラク軍の奇襲攻撃によって占領を許してしまったサウジアラビアの都市『ハフジ』に対する多国籍軍の奪還作戦が開始され、市街では各ブロックや各通りを巡ってサウジアラビア・カタール連合軍とイラク軍との間で血生臭い市街戦が展開されていた。
いつの時代・どこの地域でもそうだが、この市街戦というものは多種多様な戦闘の中でも酷く凄惨で過酷な戦いになる事が圧倒的に多い。
なので、ここでの攻防戦でもイラク軍は各所に戦車と歩兵を組み合わせた堅固な防御拠点を構築して戦車砲・対戦車ロケット弾・重機関銃といった重火器を容赦なく撃ち、通りに面した多くのビルの屋上には高確率でスナイパーが配置してあって侵入してくる車両のタイヤや兵士を的確に撃ち抜いていた。
そして、開始から数時間に渡って両軍が市街地の各所で壮絶な戦いを繰り広げる中、イラク軍は第5機械化師団第26戦車旅団(MBTとIFVだけでも100両を超える大部隊)を占領部隊に対する増援として派遣したのだ。
ところが、第26戦車旅団がクウェート・サウジアラビア間の国境を越えても彼らに対する多国籍軍の空爆は実施されず、迎撃が可能な唯一の戦力だったサウジアラビア軍第5機械化大隊(戦車なし)は無傷の戦車部隊と正面から激突する羽目になってしまう。
だが、そんな風に不利な状況であっても祖国の地を敵に奪われた所為か、第5機械化大隊の将兵達は強大な敵に対しても果敢に攻撃を行っていた。
「目標、正面の敵戦車!」
「ロックオン、完了!」
「撃て!」
まず、第5機械化大隊を構成する3個中隊の1つに所属する対戦車小隊に配備された『TOW』ATM搭載型の装輪装甲車両『V-150』の車内では各クルーが車長の命令で一丸となって行動し、遠方で2列の車両縦隊を組んで道路上を悠然と進んでいた『T-55』戦車の1両にミサイルを誘導して見事に撃破してみせる。
すると、それが合図になったかのように両軍の間で激しい砲撃戦や銃撃戦が始まり、一瞬にして周囲一帯が轟音と喧騒と硝煙の臭いに包まれる。
この時、第5機械化大隊所属の中隊が攻撃した敵軍は第26戦車旅団の先鋒を務める1個機械化中隊であり、敵部隊の中核を為す兵器は旧式ながらも多数が配備されたMBT『T-55』とAPC(装甲兵員輸送車)『YW531』であった。
ちなみに、第5機械化大隊が保有する各種兵器の中で頑丈な『T-55』を確実に撃破できるのは強力な『TOW』ATMを搭載した『V-150』だけだったので、必然的に虎の子の対戦車小隊は『T-55』に対するミサイル攻撃に集中し、火力の劣る90mm砲や20mm機関砲を搭載した大多数の『V-150』は『YW531』や降車した歩兵に攻撃を集中させていた。
「あの装甲車を吹き飛ばせ!」
「了解!」
ある場面では90mm砲を搭載した『V-150』が発射した砲弾が『YW531』に直撃し、降車しようとしていた数人の歩兵を巻き込んで爆発する。さらに、爆発を免れた兵士には20mm機関砲弾や12.7mm×99弾といった大口径弾の連射が降り注いでバラバラの肉片に変えてしまう。
一応、保有する兵器を単純に比較すれば多数の戦車を有するイラク軍の方が優勢になる筈なのだが、奇襲に近い形になった事から今はサウジアラビア軍が主導権を握っていた。しかし、奇襲を受けたからと言ってイラク軍も一方的に攻撃されるばかりでは無い。
「誰か手を貸してくれ! 1人撃たれた!」
降車した歩兵の撃った弾かAPCの車載機銃から放たれた弾かは分からないが、サウジアラビア軍兵士の1人が遮蔽物の陰から身を乗り出した瞬間に胸を撃たれて砂の上に仰向けに倒れる。
しかも、その直後には『V-150』の1両が『T-55』の装備する100mmライフル砲(砲身にライフリングが刻まれている火砲)による攻撃を受けて大爆発を起こし、衝撃で車内にいた5人の乗員もろとも原型を留めない程ぐしゃぐしゃに破壊されて炎上する。
すると、今度は『TOW』ATMが別の『T-55』の砲塔に直撃して高温のメタルジェットが装甲を貫き、中にいたクルーと共に戦車を内側から破壊して戦闘能力を奪い去った。
「対戦車チーム、あの戦車を潰せ!」
「くそっ、出血が止まらない! 衛生兵、衛生兵!」
「何としてでも此処で食い止めるんだ!」
こうして戦闘地域では多くの将兵の怒号が銃弾や砲弾に混じって至る所で飛び交い、時間が経過するにつれて両軍とも加速度的に車両の損害や死傷する兵士の数が増えていく。
その結果、僅か30分程度の短時間の戦闘でサウジアラビア軍は車両を7両と20人以上の戦死者を出しながらも敵を撃退し、イラク軍は各種車両を19両と70人以上の戦死者と多数の捕虜を出してクウェート方面へと撤退していった。
ところが、実戦経験の不足していた第5機械化大隊は敵を撃退しただけで現場の道路を確保しようとはせず、そのまま部隊を纏めて補給と再編成の為に後方へと下がってしまった。
これによって後に奪回された都市『ハフジ』から撤退したイラク軍は退路を遮断される事なく移動できたのだが、それよりも今回の戦闘において重要視されるのは第26戦車旅団の突破を許さずに時間を稼いで進撃を大幅に遅らせた事だろう。
なぜなら、その進撃の遅れが第26戦車旅団の辿る運命を決定付け、後に多くの教訓をもたらしたからである。もっとも、未来が誰にも予測の出来ないものである以上、彼らの中で自身の体験する事を予見していた者は現時点では1人もいなかった。
◆
この日、23rdTFW(第23戦術戦闘航空団)に所属するデヴィッド・マーフィー大尉(私)はサウジアラビアへと侵攻したイラク軍地上部隊を攻撃するよう飛行隊長経由で命令を受け、ウイングマンであるニック・グリフィン中尉の操縦する機体を後方に従える格好で『A-10AサンダーボルトⅡ』の2機編隊で砂漠上空を飛行していた。
まあ、自動車と違って航空機の場合は操縦する機種ごとに色々と訓練を受けてライセンスを取得しなければならないので、今のところ私が操縦するのを許されている機体は『A-10AサンダーボルトⅡ』だけだと言っても過言では無いだろう。
そして、私達がBAI(戦場航空阻止:前線部隊に合流しようとしている増援部隊に対する攻撃)の任務を遂行する為にブリーフィング(事前説明)で定められた飛行コースと各WP(通過地点)における到達時刻を順守しながら飛行していると、作戦地域に近い空域へと到達した所で敵地上部隊の捜索や対地攻撃を担当する味方航空部隊の指揮管制を担う航空機『E-8A J-STARS』に搭乗するオペレーターから通信が入ってきた。
ちなみに、この『E-8A』は任務遂行に支障が無い状態とは言っても実際には試作機で各種センサー類の試験をアメリカ本土で行っていた機体なのだが、イラク軍によるクウェート侵攻を受けて急遽、予定を変更して湾岸地域に派遣されてきている。
なお、今は通常の編隊飛行時と同じルールが適用されているのでウイングマンと『E-8A』に搭乗するオペレーターが交わす通信も私の耳に聞こえてくる。
「スター03(『E-8A』のコールサイン)よりサンダー09(私のコールサイン)、ならびにサンダー12(ウイングマンのコールサイン)」
「こちら、サンダー09。何かあったのか?」
「サンダー12も聞こえています」
「攻撃目標の変更を伝える。直ちに方位350へと針路を変更し、まずは『ハフジ』の北西へ向かえ。敵の大部隊を発見したので、それを攻撃して前進を阻止するんだ」
どうやら、BAIという当初の任務に変更は無いものの、我々の攻撃するべきターゲットが別の敵部隊へと変更になったらしい。
幸い、私達が操縦する機体には1174発の機関砲弾・4発の『AGM-65Bマベリック』ATM・2発の『CBU-59』クラスター爆弾といった対地攻撃用の基本的な兵装に加え、自衛用として2発の『AIM-9Lサイドワインダー』AAM(空対空ミサイル)とECM(電子妨害)ポッドが搭載されているので突然ターゲットの変更が言い渡されても困る事は無い。
なお、『A-10AサンダーボルトⅡ』には11箇所もの兵装搭載ステーションがあるのだが、その全てに限界まで兵装を搭載するような真似はしない。
なぜなら、機体重量が増加すればするほど操縦性や燃費といったものは悪化するし、1回の出撃で遭遇する敵の数(統計から導いた平均)を考慮すればそこまでの弾薬は必要なく、さらに搭載する弾薬の重量やサイズの関係で全ての兵装搭載ステーションを利用できないケースもあるからだ。
「サンダー09、了解」
「サンダー12、了解」
なので、私達は即座に返答する。
「ライト・ターン、ナウ!」
そして、空中衝突などのトラブルを避ける為にも私はウイングマンに同じタイミングで行動するよう指示を出した後、自身の発した声に合わせて両脚の間にある床から伸びる操縦桿を少しだけ右へと傾けて機体をロール(機体を飛行軸に対して左右に傾ける動き)させると、操縦桿を一旦中央に戻してから手前に引いて緩やかな右旋回に入ってコンソールを見ながら針路を目的の方位になるよう調整し、最後に機体の傾きを修正して水平飛行へと戻した。
さらに、キャノピー(風防)を支えるフレームに設置されたリアビュー・ミラーで後方のウイングマンが指示通りに付いて来ている事を目視で確かめ、それから正面に設置されたHUD(ヘッド・アップ・ディスプレイ:飛行に必要な最低限の情報が投影される透明な板)で高度とピッチ角(水平面に対する機体の上下の傾きを示す角度)が適正であるかも素早く確認しておく。
そうやって一通りの確認作業が終わると私は『E-8A』に搭乗して管制を行うオペレーターとの通信を繋ぎ、新たに指定されたターゲットに関して判明している情報を可能な限り集めようと矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「サンダー09よりスター03。敵の規模は分かっているのか?」
「ああ、こちらが掴んだ幾つかの情報を総合すると数マイルに渡って2列の車両縦隊が道路上に延々と続いている事から、少なくとも各種車両が100両以上は配備されているものと思われる」
「分かった。なら、部隊を構成している車両や防空態勢に関する情報はあるのか?」
「そうだな……。ほとんどが戦車や装甲車で車列の後方にはトラック部隊も含まれているが、現時点ではSAM(地対空ミサイル)を搭載した車両の姿は確認されていない。ただし、AAA(対空火器)を搭載した車両は数両だが確認されている。それと、携帯SAM(1人でも運搬や運用が可能なSAM)ぐらいは装備しているかもしれないので接近する際は充分に警戒しろ」
「了解した。貴重な情報に感謝する」
昼間に低空・低速で地上を攻撃する『A-10AサンダーボルトⅡ』にとっては敵の防空態勢が文字通り生死を分けるので、そういった事柄に関する情報は非常に重要である。
もっとも、いま聞かされた情報には推測による部分も幾つかあるようなので決して鵜呑みには出来ないが、それでも敵部隊に配備されている兵器に関する情報があるのと無いのとでは大違いだ。ところが、ここへ来て『E-8A』に搭乗するオペレーターが思いもよらない事を口にする。
「それと、今回の攻撃は爆撃機部隊との協同ミッションになる」
流石に爆撃機部隊との協同ミッションというのは予想外だったので、私は彼に反射的に訊き返しそうになったのだが、最初にターゲットの変更を聞かされた時の台詞から移動中の敵部隊を殲滅する際に多用される戦術を思い出し、それの確認も兼ねて戦術について具体的な内容を喋る。
「つまり、我々が敵の動きを封じたところを爆撃機の絨毯爆撃で一気に叩き、その攻撃から生き残った連中に再度攻撃を加えて掃討するんだな?」
「ああ、その通りだ。より正確には、最初に君達が車列の前後に位置する敵車両を素早く破壊して移動を封じ、必要なら爆撃機の脅威となる防空部隊も始末してから絨毯爆撃をする事になっているんだが、この作戦だと何か問題でもあるのか?」
「いや、問題は無い。念の為に確認しておきたかっただけだ」
「そうか。なら、他に質問が無ければ、これで通信を終えるが……」
「ありがとう。もう、大丈夫だ」
「では、これで通信を終える。グッドラック、サンダー09」
こうしてお決まりの台詞を最後にコクピット内には機械的な音だけが残り、私は砂の中に隠れ潜んでいるかもしれないイラク軍からの攻撃を警戒しながら機体を飛ばし、新たに提示された作戦についてウイングマンとも情報を共有しておく。
「ネスト、お前は何も訊かなかったみたいだが、作戦は把握できているのか?」
「その事でしたら、ご心配なく。なにせ、自分が訊きたかった事は全部、先に大尉が尋ねてくれたお陰で無事に解決しましたから。それに、こういった攻撃パターンは過去に何度か経験しているので、あまり混乱もしていません」
「そういう事なら、そっちは任せたぞ」
「了解です、大尉」
ところが、彼からの返答は意外な程あっさりとしたものだった。まあ、こんな反応になるのも彼が私と同様に様々な状況下で実戦を経験してきたパイロットだという事を考えれば当然かもしれない。そんな訳で、私の方も無用な混乱を避ける為に必要最低限の確認に止めた。
ちなみに、私(TACネームは『Cop』)がグリフィン中尉の事をTACネーム(パイロットに付ける公式のニックネーム)の『Nest』で呼んだのは、機密保持の観点から任務中の通信で個人名を使うのを軍規で禁止しているからだ。
もっとも、緊急の場合などは反射的に個人名で呼んでしまう事もあるのだが、その辺は臨機応変な対応という都合の良い解釈で誤魔化していた。
そして、『E-8A J-STARS』の機内でディスプレイを睨みながらリアルタイムで状況を監視しているオペレーターからの指示に従って編隊を組んだまま機体の針路変更を何度か繰り返し、ようやくターゲットであるイラク軍地上部隊のいる道路が『A-10A』特有の太いフレームに囲まれたキャノピー越しの正面に視認できるようになってきた。
「サンダー09よりスター03。ターゲットを捉えた。これより、攻撃に移る」
「サンダー12も攻撃に移行します」
「スター03よりサンダー09、ならびにサンダー12。攻撃を許可する。まずは、敵部隊の進撃を阻止するんだ」
「ウィルコ」
こうして対地攻撃の指揮管制を担当するオペレーターからの攻撃許可も下り、最後は私達2人の了解を意味する声が見事に重なる。
「ネスト、私は先頭を進む連中を攻撃して前進を阻止するから、お前は最後尾の奴らを撃破して逃げられないようにするんだ。それから敵の防空兵器には充分に注意しろよ」
「了解です。大尉も気を付けて」
「ああ、そうだな。よし、ブレイク!」
ニックとの間で素早く攻撃するターゲットの割り振りを行うと私は『ブレイク』の号令と共に操縦桿を左へ倒して機体を90度近くまでロールさせると、ほとんど無意識に操縦桿を中央に戻してから手前に引いて機体の限界に挑戦するかのような鋭さで左旋回を実行する。
なお、この号令は『全機、編隊飛行を解除して単独行動に移行しろ』という意味なのだが、それ以外にも『急旋回して針路を90度近く変える機動』の名称として使う場合もあった。
そんな訳で、東から敵部隊に接近した私達は左右それぞれに急旋回を行って私は方位140へと機首を向けて道路を右側に見ながら南下する敵部隊の車列の先頭を目指して飛行し、彼は最後尾の敵を攻撃する為に右旋回した後は私とは逆に道路と並行に飛ぶように北上していった。
そして私は、敵へと攻撃を仕掛ける前に機体そのものの状態や搭載している各種システムが適切に稼動しているかどうかの最終確認を実施する。
「まず、エンジン内温度・燃料・油圧・電気系統などは全て正常値の範囲内……。次いでRWR(レーダー警戒受信機)・自衛用ECMも問題なく作動中……。さらに、FCS(火器管制装置)と連動したターゲティング・システムも正常に機能しているようだな」
そうやって声に出して1つ1つ機体の状態を確認していき、機体のどこにも問題が無いのを確認したところで顔を右に向けて道路上を移動しているターゲットを目視で探す。
すると、下方に周囲の砂漠と同じ色をした無数の小さな塊のように見える敵の車列を直ぐに発見する事ができ、そのまま先頭と思われる車両を追い越してからも南下を続けて充分に距離を取った辺りで私は次の行動に移った。
まずは機体を右に大きくロールさせてから中央に戻した操縦桿を手前に引いて針路を180度変える右旋回を行い、それによって機首をターゲットの方向へ向けると主翼下に搭載する多数の兵装の中から『AGM-65Bマベリック』ミサイルを選択する。
その後、HUDに表示される数値を見てスロットルを僅かに手前に引いて対気速度(機体に搭載されたセンサーに流入する空気の速度から算出する値で、これが航空機における速度と言った時の基本)360kt・高度5000ftでの水平飛行状態を維持し続け、同時に正面コンソールに設置されたディスプレイを頻繁に確認しながら針路を細かく修正してミサイルの先端にあるシーカーが敵を捉えるのを緊張した面持ちで待った。
そして、ターゲットまでの距離が直線距離による換算で2nmを切った付近でようやくシーカーが敵戦車らしき車両を捕捉し、粗く小さな画像と電子音でロックオンが完了した事を伝えてきた。
「サンダー09、ターゲット・ロック。ウエポン、シュート」
ほとんど条件反射みたいに攻撃の実行を声に出してコールした私は、それに合わせて操縦桿に付いている兵装発射ボタンを右手親指で押してミサイルを発射する。
もっとも、このミサイルはTV誘導を使用した完全な撃ちっ放しミサイルなので発射後は私が何らかの操作をする必要は無く、攻撃は一撃離脱が鉄則だというルールに忠実に従って操縦桿を大きく動かして機体の針路を180度近く反転させると、そこからは左手で握るスロットルを奥へと一杯まで押し込んで2基のダーボファン・エンジンをミリタリー推力(A/Bを使用しない状態での最大推力)まで上昇させて加速しながら敵から離れた。
勿論、その間も頻繁に計器を見たり首を左右に振って肉眼で周囲の様子を確認したりして敵からの攻撃を最大限に警戒していたのは言うまでも無い。
すると、非常に小さいながらも遠方の地上で何かが爆発するのが視界の隅に入り、爆発の規模と大まかな位置から私の攻撃したターゲットにミサイルが命中して撃破に成功したものと判断する。
そして、様々な情報から周辺の脅威度が極めて低い状態にあると認識した私はHUDと正面コンソールに表示される数値を見ながら操縦桿とスロットルを必要な分だけ操作し、また機首方位をほぼ180度反転させて機体を攻撃ラインに乗せると使用する兵装を選択する。
当然、今回も対気速度360kt・高度5000ftのポジションを維持した状態で針路を微調整しながら水平飛行を続け、右翼下のパイロンに吊るした『AGM-65B』のシーカーが敵車両を捉えるのを静かに待った。
「サンダー09、ターゲット・ロック。ウエポン、シュート」
先程と同様にロックオンの完了と共に条件反射で攻撃の実行をコールし、操縦桿に付いている兵装発射ボタンを右手親指で押してミサイルを発射すると直ぐに反転して加速しながら敵の攻撃圏外へと逃れるように飛行する。
そして、敵からの反撃を警戒している所為で緊張を強いられる時間を過ごした後、再び地上付近で小さな爆発が起きるのを視界の隅で捉える。
それから私は機体の針路を180度反転させ、今度は敵からの迎撃を受けても対処する時間を確保できるように充分な高度を取りつつ慎重にターゲットの方へ接近を試みると、敵部隊の前進阻止という任務の成否も含めた戦果確認を改めて目視で行った。
すると、2列縦隊で前進していた敵部隊の先頭を進んでいた2両が黒煙を激しく噴き上げて炎上しているのが目に入り、その破壊された2両が狙い通りに道路を塞いだお陰で後続の車両もことごとく停止して大渋滞になっているのを確認できた。
なので、これで任務の第1段階を完了したと判断した私は早速、機体を旋回させて敵の攻撃圏外へと離脱しつつ『E-8A』に搭乗するオペレーターに報告を入れて指示を仰ぐ。
「サンダー09よりスター03。敵部隊の前進を阻止した。次の指示を頼む」
「スター03よりサンダー09。方位290へ向かってサンダー12と合流し、別命あるまで当該空域で高度14000ftを保って待機しろ」
「サンダー09、了解」
こうしてオペレーターからの指示を受けた私は旋回して最初に機首を方位290へ向けると、そのままミリタリー推力を維持した状態で操縦桿を手前に引いてピッチ角(機体の水平面に対する上下の角度)10度で高度14000ftまで上昇し、所定の高度に達した所で水平飛行に移行して速度を落としつつ首を左右に振ってウイングマンの姿を目視で探した。
すると、探し始めてから僅か数分で3時方向に接近してくる『A-10A』の機影を発見したので、合流を促す為に無線を使って彼に呼び掛ける。
「サンダー09よりサンダー12、ジョイン・ナップ」
「ウィルコ」
現在、我々は『E-8A J-STARS』の管制下で任務を遂行しているので私が直接ウイングマンに細かい指示を送る必要は無く、ここでは無線越しに『編隊を組め』というコールを送るだけで彼の機体が大きく接近してきて左斜め後方の所定のポジションへと就く。
そして、私達が指示通りに編隊を組み終えたタイミングに合わせて『E-8A』で指揮を執るオペレーターからの声が聞こえてきた。
「スター03よりサンダー09、ならびにサンダー12。そのまま編隊を維持して現空域で待機しろ」
「サンダー09、了解」
「サンダー12、了解」
こうして待機命令を受けた私達は即座に応答し、この新たな指示に従う格好で私はウイングマンを引き連れて対気速度315kt・高度14000ftを保って緩やかに円を描くような旋回飛行を始め、単調な動きの中でも定期的に周囲を警戒しながら攻撃したばかりのターゲットを遠くに眺めつつ空中待機を継続していた。
すると、その最中に南東の空から高高度でゆっくりと接近してくる機体が複数あるのに気付き、それを目撃した私は独特な飛行機雲の形状からBUFF(爆撃機『B-52Hストラトフォートレス』を意味するスラング。大きくて醜い太った奴の頭文字)の編隊だと判断し、これから実施されるであろう大規模な爆撃にも少しだけ意識を向けるのだった。
◆
サウジアラビア領内の都市『ハフジ』の占領を続ける部隊の増援として海岸近くの道路を南へと進撃していたイラク軍第5機械化師団第26戦車旅団にとっては、まさに悪夢としか言いようのない出来事が立て続けに発生していた。
まず、先行していた戦車中隊がサウジアラビア軍との遭遇戦で敗退して引き返した事により部隊は一時的に進撃を止めざるを得ず、それによって当初の計画には無い大幅な遅れが生じてしまう。
そして、その遅れが2機の『A-10AサンダーボルトⅡ』による攻撃を絶妙なタイミングで招き、結果として車両縦隊の先頭と最後尾に位置する車両を同時に破壊されて旅団のほぼ全車両が砂漠を走る一本道で立ち往生してしまったのだ。
もっとも、周囲は何も無い砂漠地帯なので普通なら左右どちらかへ迂回して進撃を再開すれば良かったのだが、彼らにとって不運だったのは其処が無数の対戦車地雷を埋めた地雷原(構築したのはサウジアラビア軍)のど真ん中だった事だろう。
実際、地雷原だと知らずに道路を外れて砂漠を移動しようとしたイラク軍の数両の車両が対戦車地雷を踏んで吹き飛ばされ、それが原因で多数の犠牲を出した事が次の行動を決めかねている兵士達にも伝わると目に見えて混乱が拡大していった。しかし、本当の地獄と恐怖は直後に空から襲ってきた。
「こちら、バスター36(『B-52H』爆撃機編隊を率いる機のコールサイン)。たった今、爆撃ポイントに到達した。これより爆撃を開始する」
インド洋にあるディエゴガルシア空軍基地を出撃して3機で編隊を組んで侵入した『B-52Hストラトフォートレス』の先頭にいる1機の機内ではアメリカ空軍将兵達が自分達の任務を的確にこなし、機長がコクピットで計器を見ながら事前に設定された爆撃開始ポイントに到達したところで指揮管制を担当するオペレーターに対して攻撃開始の宣言をする。
すると、巨大な葉巻に翼やエンジンを取り付けたような外見をした機体の胴体に設けられた大型のウエポン・ベイ(爆弾倉)の扉が大きく左右に開き、そこに搭載されていた無数の爆弾の全てが一定の間隔で次々に投下されていった。
ちなみに、この時の『B-52H』のウエポン・ベイには『CBU-87/B』クラスター爆弾が24発搭載されており、主翼のパイロンに搭載された6発と合わせて1機当たり30発のクラスター爆弾を目標に投下した事になる。
当然、編隊を組む残り2機の『B-52H』爆撃機も編隊長機と同様に事前に設定された爆撃ポイントに到達した途端、機体の内外に搭載していたクラスター爆弾を目標へと全弾投下した。
つまり、道路上で立ち往生した第26戦車旅団の頭上には合計で90発ものクラスター爆弾(子弾で換算すると18180発)が降り注いだ計算である。
もっとも、高度20000ftからの高高度水平爆撃では投下したのがダム・ボム(無誘導爆弾を意味するスラング)だったのと風の影響もあったので、現実には広範囲を攻撃可能なクラスター爆弾と言えども投下された場所ごとに子弾の降り注ぐ密度には大きな差が生じ、司令部が想定していた以上に撃破できたターゲットが少ない時も多々あった。
ところが、今回は狭い範囲にターゲットであるイラク軍車両が密集して動けなかった事からクラスター爆弾が絶大な効果を発揮し、この3機の爆撃機による絨毯爆撃だけでも非常に多くのイラク軍車両が撃破され、それによって道路上には破壊されて炎と黒煙を激しく噴き上げる車両の無残な残骸が数kmに渡って連なっている。
だが、この程度でアメリカ軍による攻撃が終わる筈も無く、猛烈な絨毯爆撃から生き残ったイラク軍将兵には更なる地獄と絶望が待っていた。
◆
高度14000ftでゆっくりと旋回しながら空中待機していた私の眼前で繰り広げられた3機のBUFFによる絨毯爆撃は、どこか遠い世界の出来事で他人事のような感覚もあって暫くの間は現実感が湧いてこなかった。
しかし、それは紛れも無い現実で3機のBUFFがターゲットの上空を通過して空中に何かがばら撒かれたかと思うと、やや時間をおいてから地上では次々に爆発が起きて噴き上がる炎と黒煙が遠くからでも肉眼ではっきりと確認できた。
そして、またしても絶妙なタイミングで『E-8A J-STARS』に搭乗するオペレーターからの通信が入り、その瞬間に私の意識は完全に任務遂行モードへと切り替わる。
「スター03よりサンダー09、ならびにサンダー12。友軍による爆撃の完了を確認したので、直ちに破壊を免れた敵車両の掃討に移れ」
「サンダー09、了解」
「サンダー12、了解」
その通信に対する返答として私達2人が順番に短い通信を送り、それと同時に私は機体の状態を改めてチェックした後でウイングマンに後に続くよう告げる。
「よし、ネスト。私に続け!」
「ウィルコ」
こうして私は左手でスロットルを奥まで押し込んでエンジン推力をミリタリー推力にまで一気に上昇させると、右手で握る操縦桿を動かして機首を敵部隊がいる方向へと向けるのに続いて撃破すべきターゲットを探す為にも徐々に高度を落としていく。
すると、おびただしい数の敵車両が爆撃で破壊され、例外なく激しく炎上している光景が視界に入ってきた。どうやら、ここから見える範囲にいた敵車両には先程の爆撃の際に限りなく理想的な形で大量の爆弾が降り注いだらしい。
「ネスト、このままターゲットを捜索しつつ道路沿いに北へと向かうが、お前は道の中央より左側をメインに警戒しろ。私は右側を警戒する」
「了解です、大尉」
それぞれが担当する警戒範囲の区分についての確認も終えた私は操縦桿とスロットルを操作し、対気速度250kt・高度2200ftという低速・低空での飛行を開始する。
ちなみに、敵の反撃を確実に避けたいなら最低でも高度13000ft以上にまで上昇する必要があるのだが、そこまで上昇してしまうと肉眼での索敵と照準に頼る現状では色々と支障を来たす上に機関砲弾の威力も減衰するので肝心な任務遂行が困難になる。
そこで私は『A-10AサンダーボルトⅡ』の機首に装備された『GAU-8/A』での射撃を考慮した速度と高度を選び、この状態から操縦桿を奥に倒してピッチ角をマイナス30度にするだけで『A-10A』における対地射撃時の基本姿勢になるようにした。
ただし、こちらにとっての理想的な射撃態勢という事は、敵にとっても私が格好の目標になる事を意味しているので本来は地形などを巧みに使って接近する機体を可能な限り敵の目から隠すのだが、地平線の彼方まで平坦と言っても良い砂漠地帯には遮蔽物となるような地形は何処にも存在しない。
つまり、現状で我々が生き延びるには先制攻撃に徹し、ひたすら敵の反撃を受ける前に撃破していく事を繰り返すしかないのだ。
だからこそ私達は互いに援護できる態勢を維持しつつ周辺警戒も行い、SAMやAAAといった高脅威度目標を発見したら直ちに行動を起こせるようにした。すると、そんな風に慎重をきした対応策が早くも役に立つ状況が訪れる。
「ネスト、12時方向にターゲット! 『シルカ』だ!」
私がRWRの発する警告を手掛りに視線を動かして対象の姿を必死に探していると、それほど離れていない道路上に破壊を免れた1両の敵車両を発見した。しかも、それは厄介なロシア製の自走対空車両『ZSU-23-4』だった。
この『シルカ』のNATOコードで呼ばれる対空車両は口径が約1インチ(正しくは23mm)の対空砲を4門も装備しており、猛烈な弾幕を張って特に低空で飛来する航空機やヘリコプターに対して絶大な威力を発揮する事から私達の間では最も警戒すべき兵器の1つに挙げられている。
なので、私は大急ぎでウイングマンにも危険な敵の存在を警告した。そして、この対空車両への攻撃を開始する事も続いて告げる。
「今から正面の『シルカ』を片付ける! 援護してくれ!」
「ウィルコ!」
すると、指示内容を瞬時に理解した彼から直ぐに応答があった。そこで私は操縦桿を奥へと倒してHUDの表示からピッチ角がマイナス30度になるよう調整し、降下機動に入った事で増加した対気速度についてはスロットルに付いているノブを操作してスピードブレーキを作動させて対応する。
なお、ここでエンジン推力を下げずにスピードブレーキ(機体の一部を展開させる事で空気抵抗を大幅に増加させ、それによって空中で急ブレーキを掛けたみたいに減速させる装置)で速度を調節したのは攻撃後の離脱に備えてエンジン推力を高い状態で維持しておく必要があったからだ。
そして、私はHUDに表示された大きな円形のレティクル(照準円)の中心にある小さなピパー(計算上、この点の重なった箇所に機関砲の弾が命中する)をターゲットの中央に合わせようと操縦桿を僅かに右に傾けてから中央に戻す事で機首の向きを細かく調整し、そこから更に右のフットペダルも踏み込んでヨー(機体の垂直軸を中心とした左右の向き)による微調整も加えてペンで線を引くようにピパーがターゲットの上を通過したタイミングで操縦桿に付いているトリガーを右手人差し指で引く。
もっとも、トリガーを引くと言っても実際に操作していた時間は2秒にも満たず、指で弾くように一瞬だけトリガーを引いたに過ぎない。それどころか、この降下機動の開始から射撃完了までに要した時間でさえ、おそらくは5秒と掛かっていないだろう。
しかし、そんな短時間の中でも様々な出来事が起きるのが航空機の操縦という世界であり、そこに迷ったり逡巡したりしている時間的な余裕は微塵も無い。
なので、攻撃を終えた私は直ちに操縦桿を操作して右ロールからのピッチアップで緩やかな上昇を伴う右急旋回を行い、それによって針路が大きく変わったところで一気に加速しながら危険な敵より離脱する為の直線機動に入る。
幸い、いま私が攻撃をした際には『シルカ』による反撃を受けなかったので、もしかすると別々の方向から2機が同時に接近した事で射撃を担当する敵兵士に混乱を引き起こしたのかもしれない。
「フレア(エンジン排気と同じ赤外線を放出する囮の熱源)、射出!」
ただし、離脱機動に入った段階で既にRWRは静かになっているので『シルカ』の撃破には成功したとみて間違い無いが、それ以外にもRWRには反応しないIR(赤外線)誘導方式の携帯SAMを装備した敵兵士が周囲に潜んでいる可能性も捨て切れず、私は離脱のタイミングに合わせて念の為にフレアを放出しておいた。
すると、コクピット内のリアビュー・ミラーに小さな影が映り、それが迷走するみたいに明後日の方角へと飛び去っていくのを目撃して思わず緊張が走る。
なぜなら、その小さな影は敵の発射した対空ミサイルでフレアを放出していなければ被弾していたかもしれないからだ。だが、ミサイルが命中しなかった要因は他にもあったらしい。
「ネストよりコップ。SAMを構えた敵を発見したので始末しました」
事実、私の推測を裏付けるようにウイングマンから通信が入る。どうやら、彼が敵兵士を攻撃してくれたお陰でロックオンが不完全となり、こちらが放出したフレアと併せてミサイルの誘導システムに混乱をもたらしたようだ。
だから私は直ぐに感謝の言葉を述べたのだが、いかにも軍人らしく彼は自身の行為を誇るような真似はしなかった。
「的確な援護に感謝する」
「いえ、自分は義務を果たしただけです」
「そうか。なら、さっきと同じ態勢で残敵の掃討を続けるぞ。配置に就け」
「了解しました」
もっとも、その反応は私と彼の立場が逆でも全く同じだったので余計な事は言わず、そのまま事務的な口調で必要最低限の指示を出してから操縦桿を操って右旋回で再び道路の上空へと舞い戻ると2機で編隊を組み、私達は『GAU-8/A』での対地射撃を意識した対気速度250kt・高度2200ftという基本の機体姿勢を維持しての水平飛行で敵の捜索を再開するのだった。
すると、今度は彼の方から敵車両を発見したとの報告が入ってきたので、まずは報告のあった敵車両の姿を確認したという方向に視線を向けて状況を把握してから命令を下す。
「大尉、11時方向に敵車両を発見しました。おそらく、APCです」
「こちらでも確認した。今回はネスト、お前が攻撃を担当しろ。私が援護する」
「ウィルコ」
こうして素早く対応策を決めた私達は、その対応策を直ちに行動へと移す。そこで私は操縦桿を手前に引いてほんの少しだけ自機の高度を上げると、それから彼の操縦する機体の後方上空へと移動して周辺警戒に専念する。
すると、それと同時に彼の機体の機首が僅かに下方を向き、続いて機首に装備されたガトリングガンから灰色の硝煙が大量に吐き出され、敵のAPCらしき車両を目撃した付近で砂煙が舞い上がるのと共に小さな爆発も起きた。
しかし、その出来事は瞬時に頭の中から追い出して素早く周囲に視線を走らせ、先程と同様に敵の反撃を警戒しつつ右旋回でターゲットより離れる。当然、ウイングマンの方も一撃離脱を守ってフレアを放出しながらの左旋回でターゲットから離脱していくのが視界の隅に映る。
そして、旋回終了後も暫くは敵の反撃を警戒しながらの緊張した飛行を強いられたのだが、それも杞憂に終わって結局は1発のミサイルも対空砲弾も発射される事が無かった。なので、安全だと判断した私は捜索活動に戻るよう告げる。
「ネスト、捜索再開だ。配置に就け」
「了解」
こうして私達は砂漠に走る道路を基準に便宜上設定した飛行ルートに戻ったところで直ぐに編隊を組み直すと、また対気速度250kt・高度2200ftという態勢で大規模な絨毯爆撃から生き残った敵を掃討する為の捜索を開始した。
すると、そうやって捜索を始めてから5分と経たない内に前方の道路上に破壊を免れた敵車両(装甲車とトラック)が立ち往生しているのを発見する。しかも、今回は3~4両の車両が1箇所に固まっているらしく、黒煙を吹き上げて炎上する車両が大多数の中では逆に目立っていた。
「12時方向に複数の敵車両を確認。これより、攻撃に移る。援護は任せたぞ」
「ウィルコ」
ここでも攻撃と援護を交互に担当するというセオリーに従って今度は私が攻撃を担い、彼が援護に当たるという事を確認も兼ねて無線越しに話すとスロットルを押し込んで加速しながら操縦桿を手前に引いてピッチ角5度程度の上昇機動に入り、そこから対気速度320kt・高度3600ftになったところで水平飛行に戻してターゲットへと向かう。
そして、上昇を行っている間に私は『CBU-59』クラスター爆弾を使用兵装として選択し、HUD上に表示された爆撃用照準シンボルがターゲットである敵車両集団の中央付近と重なったタイミングで僅かに操縦桿を引いて機体にG(重力加速度)を掛けた状態で兵装発射ボタンを押す。
「サンダー09、ウエポン、リリース」
さらに兵装発射ボタンを押すのに合わせて爆弾投下時のコールも反射的に行うと、これまでと同様に右ロールで機体を90度近くまで傾けてから操縦桿を引いて右旋回で針路を変えてターゲットより離脱していく。勿論、ここでも反撃に備えて離脱時にフレアを放出しておく事を忘れない。
その後、未発見の敵による反撃を警戒しながらも後方を振り向いてターゲットの様子を窺うと、私の投下したクラスター爆弾によって全車が見事に破壊されたらしく、盛大に炎を上げて黒煙を激しく空に立ち上らせていた。
そして、ターゲットの完全な撃破と反撃の有無を慎重に見定めて残敵の捜索に戻っても問題が無いと判断した私は、ウイングマンに編隊を組み直すよう指示を出すのと同時に針路を変えて新たな敵を捜索する為の飛行ルートに機体を乗せる。
それから数分後、またしても私達は無傷で佇むターゲットを前方の道路上に発見したので、迷う事なく即座に攻撃態勢へと移行する。
「ネスト、12時方向に敵のトラックが2両だ。破壊しろ」
「ウィルコ」
さっきは私が攻撃を担当したので、順番から言えば今度はウイングマンがターゲットを撃破するのがセオリーである。なので、私は彼の機体の後方上空へ移動すると地上の様子を広い範囲で監視し、未確認の敵や反撃を試みようとする勇敢な敵の出現に備えた。
なぜなら、地上への機銃掃射は機首を下げての降下姿勢になる所為でパイロットは操縦と照準に集中しなければならず、どうしても視野が狭まって反撃を受ける危険性が増すからだ。
だが、今回も反撃に備えた対策は全てが杞憂に終わり、私は1発の弾も発射する事なく彼に続いて反対方向に大きく旋回した後はターゲットから離れるように真っ直ぐ飛行する。ちなみに、前後に連なっていた2両のトラックは『GAU-8/A』による1回の掃射で纏めて破壊されていた。
そして、ターゲットの撃破を終えた私達は再び編隊を組んで他に存在するかもしれない無傷の敵車両を探していたのだが、編隊飛行に戻ってから僅か数分で新たな車両集団の捕捉に成功する。
「大尉、1時方向に移動中の敵車両を複数発見しました」
「こちらでも確認した。まず、私が逃走を阻止するので、お前が止めを刺すんだ」
「了解しました」
私はウイングマンに手短に指示を出すのと同時に『AGM-65Bマベリック』ミサイルを使用兵装として選択すると、それからスロットルを奥へと押し込んでエンジン推力を上げながら操縦桿を手前に引いて機首上げ姿勢を取り、ミサイルの発射に備えて高度3400ftでターゲットに接近していく。
その後、RWRに反応が無いのを確かめてから正面コンソールの右上に嵌め込まれた小さなディスプレイに表示される粗い画像(ミサイルのシーカーが捉えた画像)と目視によるキャノピー越しの外の景色を交互に確認しつつ機体を操り、スロットルに付いているシーカーの捜索/追跡操作ノブで画面上に表示される照準線を動かして車列を組んでゆっくりとクウェート方面に移動中のターゲット集団の先頭を走るMBTをロックオンする。
「サンダー09、ターゲット・ロック。ウエポン、シュート」
こうして準備が整うと私は最後にミサイル発射のコールと共に兵装発射ボタンを押してミサイルを発射し、反撃を受けた場合を想定して直ぐにセオリー通りのフレアを放出しながらのロール、そこからのピッチアップによる上昇右旋回で後に続くウイングマンの爆撃コースを確保すると同時にターゲットよりも離脱していった。
すると、ロケット・モーターの燃焼による特徴的な白煙の尾を空中に残してミサイルが飛翔していくのを後方の眼下に確認でき、私の機体より発射されたミサイルはロックオンした敵のMBTへと吸い込まれるように突き進んで見事に命中する。
当然、ミサイルの直撃を受けたMBTは爆発を起こした直後に激しく黒煙を噴き上げて炎上し始め、こちらの思惑通りに残骸が道路の一部を塞いでしまう。
その為、車列を組んで走行していた他の車両も移動を停止せざるを得ず、それが一時的なものであっても密集した状態で動きを止めれば爆撃を行う側からは格好の標的となり、私に続いて上空へと侵入したウイングマンが投下した2発のクラスター爆弾による攻撃で一網打尽にされてしまった。
そして、彼も私と同様に爆弾の投下後はフレアを放出しながらの上昇左旋回でターゲットから離れるようなコースで飛行する。
「ネスト、捜索に戻るぞ。配置に就け」
「了解」
暫くして反撃が無いのを確認した私は敵の捜索に戻るようウイングマンに告げ、編隊を組む際の基準となるよう彼よりも先に右旋回を行って最初に針路を合わせると、仕上げみたいな感じで高度を少し下げて最終的な飛行ルートに機体を乗せた。
その後、私達は攻撃と援護を交互に担当する形で順調に残敵の掃討を続け、お互いに敵車両を数両ずつ撃破したところで『E-8A J-STARS』に搭乗するオペレーターから通信が入る。
「スター03よりサンダー09、ならびにサンダー12。たった今、こちらのセンサーで侵攻中の敵部隊が壊滅し、残存戦力がクウェート領内へと逃走したのを確認した。なので、これ以上の追撃は不要だ。基地へ帰還しろ」
「サンダー09、了解」
「サンダー12、了解」
命令に従うのは当然の事なのだが、今回の攻撃は完全な航空管制下で遂行しているので私達は即座に従う。もっとも、まだ多少は余裕があるとは言え燃料や弾薬も心許無くなってきており、それを理由に基地への帰還許可を貰おうと思っていたのも事実なので手間が省けた格好だ。
なお、こうしてオペレーターの指示に従って編隊を組んだまま針路を変えた私達は、その後も彼からの指示を受けて幾度か針路を変更して基地へと帰還し、最後に戦闘に関する報告を一通り行って本日の任務を完了した。
◆
この一連の戦闘の結果、増援部隊として『ハフジ』へと向かっていたイラク軍第5機械化師団第26戦車旅団は目的地に到着する前に人員の60%以上が戦死・捕虜・脱走などで失われ、車両などの大型装備に至っては80%以上を喪失して壊滅状態となり、その後も再編成や補充といった支援を受ける事なく地上戦が始まって間もない頃に残っていた全員が降伏している。
ちなみに、猛烈な爆撃によって破壊された第26戦車旅団所属の車両の無残な残骸が数kmに渡って道路上に数珠繋ぎになって放棄してある映像がマスコミによって世界中に配信された時、それを目にした一部の人々からは『残酷だ』とか『やり過ぎだ』とかの批判の声も上がったが、そんな批判は“下手に戦力を残しておくと結果的に交戦回数が増え、むしろ味方の犠牲や戦費の増加に繋がる”という戦争の現実を知らない者による感情的な意見に過ぎなかった。
ただし、そういった理屈で残酷な行為が正当化されるのも戦時で大義名分があった時に限定される事を全ての人々は忘れてはならない。
そして、後に『ハフジの戦い』と称される事になる戦闘でイラク軍は当初の目的を果たせずに大敗を喫したものの見事な情報操作で戦闘を神話化して宣伝活動に利用し、戦術面では多国籍軍の大規模な空爆から生き残る方策を前線部隊に徹底させた。
それに対して多国籍軍では勝利ばかりを強調し、“初動対応が遅れたのは西に展開する共和国防衛隊に気を取られ過ぎた司令部の判断ミスに最大の原因がある”といったような発言は誰からも最後まで発せられなかった。
ただ、何とも皮肉な話だが、両陣営とも『ハフジの戦い』を自分達にとって都合の良い形で利用した事だけは共通していた。
◆
湾岸戦争の開戦から約1ヶ月が経過した2月中旬、サウジアラビアのキング・ファハド航空基地を拠点に作戦を展開する23rdTFWに大きな変化が訪れた。
その理由は、これまで共和国防衛隊に対する空爆の主力となっていた『F-111Fアードバーク』戦闘爆撃機に加えて『A-10AサンダーボルトⅡ』攻撃機も投入する事が司令部の方針によって決定したからである。
もっとも、湾岸戦争の開戦以来、数多くの出撃を繰り返して充分な実戦経験を積んできた自負のある私ではあったが、この作戦方針の変更を聞かされた時ほど大きな不安を覚えた事も無い。
なぜなら、件の『F-111F』の方は夜間にイラク軍のほとんどのSAMが迎撃不可能な高高度から悠々と爆撃して超音速で離脱できたのに対し、我々の搭乗する『A-10A』が攻撃する為には昼間に低空・低速で敵部隊上空を飛行しなければならないからだ。
しかも、それ以上に問題なのは共和国防衛隊の保有する防空戦力は前線配備の陸軍部隊とは比較にならないほど充実している点である。はっきり言って、この作戦はリスクがあまりにも大き過ぎるのだが、司令部直々の決定とあっては私達に拒否権など無かった。
「ところで、マーフィー大尉は今回の作戦方針の変更に対する不安は無いんですか?」
「攻撃目標が何であれ、私は基本に忠実に行動する。それだけだ」
「きっと大尉なら、そう言うと思ってました……」
すると、それを反映してか出撃前のブリーフィング(事前説明)が終了してフライトスーツを着用するなどの必要な準備を整え、そのまま2人揃ってエプロン(駐機場)地区の機体に向かって足早に歩いている時にグリフィン中尉が普段よりも険しい表情を浮かべて訊いてくる。
だが、任務に関しては彼を導く立場でもある私は大事な出撃前に余計な不安を与えない為、あえて自身の感情を押し殺して平然とした態度を装って簡潔に答える。しかし、そうした涙ぐましい努力も思ったほどの効果は得られず、彼は苦笑しながら小さく呟いただけだった。
そんな事情もあって以降は私達の間に会話は無く、自分の搭乗する機体の所まで黙々と歩き続けた。そして、駐機してある機体の下へ辿り着くと早速、離陸に向けた準備に取り掛かる。
「曹長、離陸準備を始めてくれ」
「了解しました」
私は機体の傍らで待機していたクルーチーフ(機体ごとにいる整備責任者)に声を掛けると機体左側のコクピット付近に格納されているステップ付きラダー(簡易な梯子)を昇ってシートの上に持っていたヘルメットを置き、それから地面に戻って機体の周囲を歩きながら動翼や各種パネル部分を中心に自分の目と手を使って1つ1つの点検箇所を丁寧に確認していく。
なお、こうして離陸前に操縦する機体の各部を自分自身で一通り確かめるのは空軍のパイロットに限らず、全てのパイロットが行うべき最も基本的な行為の1つである。
そして当然の事だが、優秀な整備員達が時間を掛けて念入りに整備した機体には不具合など何処にも見当たらず、今回の任務に合わせて主翼下のハードポイントには『AGM-65Bマベリック』ミサイル2発と『CBU-59』クラスター爆弾4発が左右のバランスを崩さないよう均等に搭載され、さらに左主翼下にはECMポッド、右主翼下には『AIM-9Lサイドワインダー』AAM2発が自衛用の兵装として搭載されていた。
「機体に問題は無かったので、これよりエンジンを始動させる」
「分かりました」
こうして機体の確認を終えた私はクルーチーフに声を掛け、ステップ付きラダーを昇ってシートの上に置いておいたヘルメットを被るとコクピットへ潜り込んでシートに腰を下した。
そして、私より少し遅れてステップ付きラダーを昇ってきたクルーチーフの手を借りてハーネス(シートベルト)をしっかりと締め、それからヘルメットをきちんと被って酸素マスクのホースや通信機のコード、耐Gスーツ(機体の状態に合わせて空気圧で下半身を締め付け、Gで血液が下がって体に変調をきたすのを抑制する装備)のホースといった物をコクピット内の所定の箇所に接続していく。
それらの作業が終わって彼が機体を離れると、それを目視で確認した私がステップ付きラダーを格納してからチェックリストに従ってコンソールにあるスイッチ類を操作し、まずはAPU(補助動力装置)から供給される電力によって各種計器そのものに異常が無い事を順繰りに確かめてゆき、次の段階へ移行できる状態になっているのを航空基地特有の喧騒の中でも問題が無いようにハンドシグナルで正面へと移動したクルーチーフに伝える。
すると彼は、その場から離れずに周囲の安全を丁寧に確かめるとエンジン始動の指示を私と同じようにハンドシグナルを使って伝えてきた。実際、稼働時に大量の空気を吸い込むエンジン周辺などは特に危険性が高いので、事故を防ぐ為にも入念な安全確認は欠かせない。
ここまで徹底して初めて私はエンジン始動の許可が下りたのを了解した事を意味するハンドシグナルを彼へと送り、次に左手でスロットルに付いているエンジン始動ボタンを押して右エンジンの推力が10%になったところでスロットルを奥に押し込み、推力を一気にアイドリング状態(60%)にまで上昇させてから計器に表示される回転数・エンジン内温度・油圧といった各項目の数値に目を通して正常に稼動しているのを確認する。
引き続き同じ要領で左エンジンの始動ボタンを押してエンジンを少し回してからスロットルを所定の位置まで押し込み、先程と同様に左エンジンの推力もアイドリング状態にして計器に表示される数値を見て正常に稼動しているのを確かめると、再びクルーチーフにハンドシグナルを送ってエンジンが2基とも問題なく始動した事を伝える。
まさに心臓とも言えるエンジンを無事に始動させた私は、機体正面に立つ彼が出す様々な指示に従って操縦桿やフットペダルを操作してフラップ・エルロン・エレベーター・ラダーといった機体各部にある動翼を実際に動かし、死角となる機体後部は他の整備員達に見てもらう形で操縦系統に不具合が生じていない事を把握しておく。
こうして機体の準備が整った事で今度はHUD・無線・位置情報といった通信や航法に関わる装置にも問題が無いのを確認してゆき、それらが終わると右サイド・コンソールにあるスイッチを操作してキャノピーを閉じて燃料と兵装関連のチェックを行い、機体各部の燃料タンクに充分な量の燃料がバランス良く搭載されているのと機関砲弾(1174発)・ミサイル・爆弾が正しく搭載されているのを確かめてからヘルメットのバイザーを下ろし、離陸に備えたセッティングと機器の最終チェックを実行した。
なお、これで離陸準備は完了したも同然なので無線を使ってクルーチーフと連絡を取り合いながらランディング・ギア(降着装置)のブレーキの作動チェックを実施した後、最後に機体各部に差し込まれている大きなナイロン製のタグが付いた安全ピンを整備員達の力も借りて外してもらうと、それらを1本残らずクルーチーフが私からはっきりと見える位置で頭上高く掲げて外し忘れが無い事を示す。
こうして何時でも離陸できる状態になった事を受け、私は現状を維持したままブリーフィングで指示された作戦開始時刻が訪れるのをコクピット内で静かに待ち、その瞬間がやって来ると直ぐに無線で管制塔に連絡を入れる。
「サンダー09よりコントロール。タキシング(エプロンとランウェイ間の移動)の許可を求める」
「コントロールよりサンダー09。タキシングを許可する。ランウェイ11へ向かえ」
「サンダー09、了解」
こうしてタキシングの許可が下りた事を私はクルーチーフにもハンドシグナルで伝えるとエンジン推力を徐々に上げ、彼の誘導で機体をゆっくりとスタートさせて方向転換後は独力でランウェイ・エンド(滑走路端)へと向かう。
当然、こちらの機体の後方にはウイングマンも続き、こうして移動している間も様々な最終チェックを行って離陸後は操縦に集中できるよう万全の状態を整える。
そして、タキシーウェイ(誘導路)を通って指示された側のランウェイ・エンドに到達した所で機体を停止させて改めて自身の状態を確認すると、ウイングマンが所定の位置に就いて出撃時刻になっている事も確かめてから管制塔に通信を入れた。
「サンダー09、ならびに12よりコントロール。離陸の許可を求める」
「コントロールよりサンダー09、ならびに12。離陸を許可する。グッドラック」
「サンダー09、了解」
「サンダー12、了解」
「サンダー09よりサンダー12。私に続け」
管制塔よりの離陸許可を受けた私はウイングマンに付いて来るよう無線で告げると、エンジン推力を一気にミリタリー推力まで上昇させてからブレーキを放し、ノーズ・ギア(前脚)を地面に着けて方向安定性を保ちながら加速していく。
そして、機体を目標である150ktまで加速させたら操縦桿を真っ直ぐ手前に引いてピッチ角10度の緩い上昇角を維持し、全てのランディング・ギアが地面から離れた瞬間に正面コンソール左下にあるレバーを操作して空中では空気抵抗にしかならないランディング・ギアを早々に機内に格納する。
もっとも、この機体は不時着した際に受けるダメージを最小限にする為に格納してもメイン・ギア(主脚)の下半分は露出したままだった。
その後、私は機体を高度15000ftまで上昇させながら方位310に向け、我々の攻撃目標である共和国防衛隊が布陣しているという陣地上空へと対気速度300ktで向かうのだった。
「ガード02よりサンダー09、ならびに12。方位350へ向かってターゲットを確認でき次第、そちらの判断で自由に攻撃しろ。現在、周辺空域はクリアだ」
「サンダー09、了解」
「サンダー12、了解」
機体の背面に搭載した円盤状の大型レーダーで広範囲に及ぶ作戦空域の索敵と、そこを飛行する友軍機の管制を同時に行うAWACS(早期警戒管制機)『E-3Aセントリー』に搭乗するオペレーターからの指示を受け、私達は編隊を組んだまま最後の針路修正をして攻撃目標へと至る飛行ルートの最終行程へと突入した。
すると、遠方に共和国防衛隊の布陣する巨大な陣地が視認できるようになり、それと同時にRWRが激しく反応を示す所為で捜索/射撃レーダーの存在も意識する羽目になって私の中では否が応でも緊張感が増してくる。
しかし、それで我々の任務が変更になる訳でも無いので私はウイングマンに無線で呼び掛けると操縦桿を奥へと倒して機首を下げ、使用兵装に『CBU-59』を選択してターゲットを識別し易くする為に危険を承知で機体の高度を7000ft以下にまで下げる。
「ネスト、行くぞ! 敵の防空兵器に注意して私に続け!」
「ウィルコ!」
ところが、こうして高度を下げて僅かに加速しつつターゲットへ接近すればする程、RWRの発する警告が複数存在する脅威度の高い敵との距離も着実に縮まっている事を報せてくる。なので、微かな不安を覚えた私は反射的に視線を動かしてECMポッドの作動状況を改めて確認してしまう。
当然、降下を始める前からECMは正常に実行されているのだが、一向に収まる気配の無い警告に伴う極度の緊張で口内はカラカラに乾き、シートに強く押し付けられた背中には嫌な汗が流れてコクピット内の温度とは関係なく悪寒が襲ってきた。
しかも、極度の緊張の所為か機体が攻撃可能な位置に達するまでの時間が普段よりも異様に長く感じられ、それに釣られて心臓の鼓動が急激に速くなって呼吸までもが荒くなる。
そんな中、ようやくHUDに表示された爆撃用照準シンボルがターゲットである砂堤に囲われたコンテナやトラックの密集する区画に重なり、それを見た瞬間に私は僅かに操縦桿を手前に引いて機体にGを掛けた状態で兵装発射ボタンを押してクラスター爆弾を投下する。
「サンダー09、ウエポン、リリース」
しかし、今の私には普段の一撃離脱時よりも心に余裕が無く、頭が状況を理解する前に身体が反応して最善と思われる行動を取っていた。
どういう事かと言うと、機体に何かが連続して当たるような金属音と衝撃が伝わってきたので咄嗟にフレアを放出し、次に命に係わる緊急事態だと直感して機体にも大きな負荷が掛かるのを承知で急旋回を行い、それに伴う強烈なGで視野が暗くなるのと体が重くなるのに歯を食いしばって必死に抗いながらの離脱を試みたのだ。
すると、低速の『A-10A』らしくゆっくりと加速しながら安全な空域へと離脱している途中でウイングマンから通信が入り、多少なりとも自分の身に降りかかった事態を把握する事が出来た。
「大尉、『シルカ』の攻撃を受けたように見えたんですが、大丈夫ですか?」
「どうやら、私も機体も無事なようだ。それで、その『シルカ』はどうなった?」
そうやって彼に現状を指摘されて初めて私はコンソールに素早く視線を走らせ、幸いにもRWRを除けば警告の類は出ていない状況から機体の何処にも異常が無かった事に安堵しつつ報告にあった敵車両の状況を尋ねた。
もっとも、本当に『ZSU-23-4』による対空射撃を浴びていれば頑丈な『A-10A』と言えども無傷で済む筈が無いので、実際に被弾したのは『シルカ』が装備する物よりも小口径の弾か空中で炸裂した砲弾の破片だったのだろう。
「自分が撃破しました」
「そうか。いつも通りの的確な援護に感謝する」
「いえ、それが自分の任務ですから」
結果的に多少は肝を冷やす場面があったものの、彼からの報告によって心の余裕を取り戻す事の出来た私はハーネスで身動きが取り辛い所為で苦労しながらも何とか後方を振り返り、いま自分が攻撃したばかりのターゲットの様子を窺う。
その途端、爆弾を投下した場所には燃料か弾薬が備蓄してあったらしく、それらが一斉に誘爆を起こして巨大な火の玉を作り出した直後に黒煙が空高くまで噴き上がった。
しかし、私の視線の先には散発的ではあっても対空砲火が撃ち上がっているのを確認でき、気を引き締めると同時に再攻撃に備えて態勢を立て直すようウイングマンに告げた。
「ネスト、もう1度、あの砲火の中に飛び込んで敵を攻撃するぞ。いま攻撃した区画の右隣の掩蔽壕に戦車があったから、それを攻撃するんだ」
「ウィルコ」
こうして編隊を組んだまま旋回した私達は激しく立ち上る黒煙を目印に針路を調整し、今度は私が攻撃を担当する彼を後方から援護する形で2機揃って高度5000ft近くまで降下して一撃離脱による攻撃を行った。
その結果、彼が発射したミサイルは掩蔽壕の中に潜んでいた敵戦車を見事に捉えて吹き飛ばし、代わりに彼の機体はミサイルを発射した直後にフレアを放出しながら反転してターゲットより離脱していく。
当然、援護を担当する私は周辺警戒に神経を集中させ、撃ち上げられる対空砲火の様子から最も危険だと判断した敵を『GAU-8/A』で攻撃する。
「やらせるか!」
なので、私は反射的に叫ぶと操縦桿を奥へと倒して機首を下げてピッチ角がマイナス30度になるようにし、HUDに表示されるピパーがターゲットの中央と重なるよう射撃を行う直前に左フットペダルを踏み込んで僅かに機首方位を修正しつつトリガーを引いた。
そして、今回も2秒に満たないぐらいの短い時間でガトリングガンによる射撃を終えると上昇を伴う急旋回で針路を180度近く変え、そのままウイングマンと同様にフレアを放出して危険な空域より全速で離脱する。
すると、地上の一画で白い煙が上がるのが偶然にも横を振り向いた際に視界の片隅に入り、それに続いて何かが高速で私の方に接近してくるのに気付いた。
「くそっ、ミサイルだ!」
RWRに反応しなかった事からIR誘導方式のSAMによる攻撃だと直感した私は悪態を吐きつつも追加のフレアを放出すると、強烈なGに襲われて体が重くなって視野も暗くなるのを気迫と体力で抗って右へのブレイク・ターンを行い、この機動によって機体の針路を急に90度近く変えて追尾してくるミサイルからの回避を試みる。
その結果、敵の発射したミサイルは追尾している途中で私の機体を見失ったらしく、フラフラと見当違いの方向へ飛び去っていった。だが、これで次のターゲットは危険なSAM発射機に確定した。
幸い、今の攻撃でSAMの大まかな隠蔽場所も露見したので、ここは次弾を撃たれる前に撃破するべきだと考えてウイングマンにも直ぐに指示を伝える。
「ネスト、次のターゲットは敵のSAMだ! 援護してくれ!」
「ウィルコ」
こうしてターゲットからは離れた安全な空域で編隊を組み直した私は先程の白煙を目撃した方角へと機首を向け、攻撃予定のSAM発射機からの反撃を最大限に警戒しながらも対気速度280kt・高度4000ftで接近を続けるのだった。
そして、幸運にも敵がミサイルを発射するよりも早く捕捉する事に成功した私はセオリー通りに操縦桿を奥へと倒してピッチ角をマイナス30度にすると、直後にスピードブレーキを瞬間的に作動させて対気速度を250ktにまで落として微調整も加えつつHUD上のピパーがターゲットと重なったのと同時に操縦桿に付いているトリガーを引く。
その結果、狙い通りに敵のSAM発射機の撃破には成功するのだが、あまりにも攻撃が上手くいった為に僅かな油断が生じて離脱行動が普段よりも遅れてしまったのだ。しかも、そんな風にミスを犯した時に限って最悪の事態に見舞われる。
「大尉、ミサイルが接近中です! 回避して下さい!」
「分かった!」
無線から聞こえてくるウイングマンの切羽詰った大声に反応した私は、RWRよりの警告が無かった事から直感でIR誘導方式のミサイルだと判断してフレアを放出すると右ロールで機体を90度近く傾けてから急激なピッチアップ操作で急旋回を行い、ブレイク・ターンでのミサイル回避を試みると共に視線をあちこちに走らせて迫り来るミサイルの姿を必死に探そうとする。
しかし、生命の危機に直面している状況下で小さなミサイルを目視で捕捉しようとするのは、あまりにも非現実的な行為だった。だが、彼からの通信が入ってきたお陰で自分の置かれている状況を多少なりとも把握する事だけは出来た。
「まだ追尾しています!」
「そのまま報告を続けろ!」
「了解!」
そんな訳で私は彼からの報告を全面的に信じるという覚悟を決め、とにかくミサイルを回避する事だけに意識を集中する。
そこで今度は中央に戻していた操縦桿を逆方向の左へと倒し、機体を180度近くロールさせて先程とは左右が逆の主翼が地面に対して垂直になるような姿勢でピッチアップ操作を行い、同時に空中へフレアを放出して左急旋回という形のブレイク・ターンでミサイルから逃れようとした。
しかし、急旋回とフレアの放出を組み合わせた必死の回避機動を続ける私の耳に最後に聞こえてきたのはウイングマンの絶叫であった。
「背後にミサイル!」
その直後、強い衝撃と爆発音が後方から襲ってきて機体が激しく揺さ振られ、コンソールに複数の警告灯が一斉に点灯して耳障りな警告音も鳴り響く。その為、私は計器が示す数値に視線を走らせ、大急ぎで機体の状態を把握する事に努めるのだった。
幸いと言うべきか、ミサイルの直撃による撃墜だけは避けられたようだが、左エンジンから出火していたので直ぐに消火ハンドルを動かして火を消し、安全の為に燃料の供給を遮断して左エンジンを完全に停止させる格好でエンジン1基での飛行に切り替えた。
そして、敵からの追撃を警戒しつつ残った右エンジン・燃料タンク・操縦系統などの重要な箇所に墜落に直結する致命的な損傷を受けていない事を1つ1つ確認してゆき、なんとかFOL(前進作戦拠点:イラクとの国境に近いキング・ハリド軍事都市)へと戻る事ぐらいは可能だろうと判断したところで軽く息を吐いて昂ぶっていた気持ちを落ち着かせる。
すると、そんな私の動きを見計らったかのような絶妙なタイミングでウイングマンから現状を確かめる通信が入ってきた。
「大尉、大丈夫ですか? こちらから見る限り、左エンジンや左の垂直安定板(垂直尾翼)を中心に機体に激しい損傷が見受けられますが……」
「とりあえず、今のところ飛行そのものに支障は無いが、この有様では流石に任務の続行は不可能だからFOLへと帰還するぞ」
「了解しました」
こうしてウイングマンとの短い通信を終えると、私はAWACSに搭乗するオペレーターに無線を繋いで任務中止の許可を求めると共にFOLまでの誘導を要請する。
「サンダー09よりガード02。被弾による機体の損傷が激しいので、このまま任務を中止してFOLに帰還する。ただし、いま言ったように無理は出来ないので、安全なルートによるFOLまでの誘導を頼みたい」
「ガード02よりサンダー09。そちらの状況は理解した。では、こちらの指示に従って飛行してくれ」
「サンダー09、了解」
被弾による機体の損傷というやむを得ない理由によって任務中止の許可を貰った私は、再び無線をウイングマンの方に繋いで簡単に指示を伝える。
「ネスト、FOLへ向かうぞ。このまま私に付いて来い」
「了解です」
この後、私達はAWACSのオペレーターによる的確な指示もあって敵からの更なる攻撃を受けて窮地に陥る事も無ければ、敵の接近を許して肝を冷やすような事態になる事もなく至って順調な飛行でFOLへと帰還できた。
そして、私は損傷を受けて片方のエンジンだけで飛行する機体での着陸だった為に若干の緊張を強いられはしたものの、機体の制御を司るフラップ・エルロン・エレベーター・ラダーといった各動翼は多少バランスが悪くなって扱い難くなっていたが操縦不能という程でも無く、ランディング・ギアも1回目の操作で確実に作動して固定できたのでピッチアップによる空気抵抗の増大で速度と高度を徐々に落としながらランウェイを目指した。
なお、着陸時の対気速度の目安は135~140ktであるが、ここでの減速ではスロットルを動かしてエンジン推力を無闇に下げるような方法は使わない。特に片方のエンジンだけで飛行しているような状態では尚更である。
なぜなら、何らかの理由で着陸をやり直す際にはエンジン推力を最大まで上げて加速し、安全な高度へと上昇する必要があるからだ。
そんな訳で私はエンジン推力を90%未満には決して落とさず、ピッチ角の調整とスピードブレーキを併用する事で速度をコントロールすると共に高度を下げ、ベロシティ・ベクター(HUDに表示されるシンボル:機体の未来位置を示す基準となる)をランウェイの端に合わせるよう操縦桿とフットペダルで針路を細かく修正する。
「タッチダウン」
機体に損傷を受けているので左右の傾きにも充分に注意を払いつつピッチ角5度で機首を上げた姿勢を保ち、ほぼ狙い通りの場所へメイン・ギアを降ろす事に成功するとスロットルを手前に引いてエンジン推力を一気に60%まで落とすのと同時にスピードブレーキも併用して減速に入る。
そして、そのまま少しだけ機首上げ姿勢を維持した状態で空気抵抗による減速で自然に機首が下がってノーズ・ギアが接地するのを待ち、それからフットペダルによるラダー操作で機体の針路がランウェイの中心線から大きく逸れないようにしてギア・ブレーキによる最終減速を行った。
「サンダー09よりコントロール。エプロンへのタキシングを求める」
「コントロールよりサンダー09。タキシングを許可する」
そうやって充分に減速して直ぐにでも完全停止できる状態になったところで私は無線で管制塔にエプロン地区へのタキシング許可を求め、ほとんど間を置かずにタキシングの許可が下りると最も近いタキシーウェイへと進入してランウェイから離れて目的の区域に向かう。
ちなみに、ウイングマンも私に続いて問題なくランウェイへと着陸し、今は同じように後方でタキシーウェイをゆっくりと移動していた。
そして、最後に地上クルーの誘導に従って機体を所定の位置で停止させるとキャノピーを開けてステップ付きラダーを出してからエンジンを切り、ハーネスや酸素マスクなどの装備を外して機外へと出て自分の足で地面に降り立つ。
その後、私は整備が必要な箇所を整備員に報告する為にも機体の状態を自分の目で確認したのだが、損傷の大きさに衝撃を受けて思わず息を呑んで立ち尽くしてしまう。
なぜなら、至近距離で炸裂したミサイルの影響で左エンジンのカウリングは半分以上が吹き飛んで周囲も焼け焦げており、そのエンジンと機体後部を中心に至る所に大小さまざまなサイズの穴が開いて見るからにボロボロの状態になっていたからだ。
はっきり言って、よくこれで操縦に関わる重要な部分には最後まで問題が出ず、無事に地上へ戻って来られたものだと思わず感心してしまう程である。
なお、後の調査で判明した情報によると私達が攻撃した陣地に展開していた共和国防衛隊は『メディナ戦車師団』と呼ばれる部隊であり、最初にミサイルを発射してきたのが『SA-9ガスキン』自走SAMで私の操縦する機体に大きな損傷を与えたのが『SA-13ゴーファー』自走SAM(共にNATOコード)だった。
しかし、こうして更なる戦果拡大を狙って始めたばかりの『A-10AサンダーボルトⅡ』による共和国防衛隊への攻撃は初日に実施した数回の攻撃だけで打ち切られてしまう。
そうなった理由は、私達に続いて同陣地を攻撃した2個の『A-10A』編隊(どちらも2機編成)は共和国防衛隊の保有する強力な防空兵器の反撃を受けて2機が撃墜・1機が墜落寸前の大破となり、それによってパイロットも戦死と捕虜が1名ずつ発生するという大きな被害を出したからだ。
なので、この一連の出来事が発端となって多国籍軍司令部は『A-10AサンダーボルトⅡ』による共和国防衛隊への攻撃からは完全に手を引き、以降は防空態勢の整っていない前線配備の敵部隊に対する攻撃やスカッドミサイル狩りに専念するよう命じたのだった。
見事に作者の趣味全開で書かれた物語を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。それどころか、明らかに偏ったジャンルで長文という作品を読んで下さった読者の皆様には、いくら感謝しても足りないぐらいです。
今回は航空機(戦術作戦機)ならではの操縦方法や運用の仕方、特徴的なシステムといったものを可能な限りリアルに描写する事に拘ったんですが、案の定、複雑&長文という結果に終わってしまいました。
前回同様、現代兵器という事で妥協は出来なかったのですが、やっぱり自己満足なんでしょうか……。
とは言え、こんな作品でも読者の皆さんが少しでも楽しんでいただけたのなら、それだけで自分は充分に満足です。贅沢は言いません。
それでは、また何処かで。