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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第6話:保健医の娘、安眠の奇跡 (不眠症の少女がアメリアの寝帽子で眠れ、教師までも欲しがり始める回)

昼休みの鐘が鳴り、教室のざわめきが緩やかに廊下へ流れ出す。

アメリア・グランチェスタは、胸の前に小さなメモ帳を抱え、歩いていた。


今日だけで、依頼の整理は三十件。

「帽子」「マフラー」「肩掛け」「手袋」。

分類して、毛糸の色とサイズを決めて……ふふ、手が足りませんわ。


そんなふうに、心の中で静かに算段を重ねていたそのとき――


「アメリア様」


名を呼ぶ声が、柔らかく背中に届いた。

振り返ると、保健医の レイン・ヘスター先生 が立っていた。


栗色の髪をゆるく束ね、控えめに微笑む大人の女性。

だが、その目元にどこか、言葉にできない “思案” の影が揺れている。


「……はい、レイン先生。何かご用ですの?」


「少し、相談したいことがあるのです。

 よろしければ、保健室まで来ていただけますか?」


叱責の声ではない。

依頼のお願いという響きでもない。

ただ、静かに、とても意味深に。


アメリアが頷くと、周囲が微かにざわついた。


「え、保健医に呼ばれてる……?」

「また編み物の噂で何か問題?」

「いや、悪役令嬢だし……誰か泣かされたとか?」


好き勝手に囁く声が、背後で泡のように弾けていく。


アメリアは気にした様子もなく、スカートの裾をそっと整える。


「承知いたしましたわ。ご案内をお願いできます?」


「ええ。どうぞ、こちらへ。」


レイン先生は歩き出す。

学園の廊下は、昼休みの光がたっぷり差し込み、白く明るい。

その明るさの中、二人だけの空気だけが、ひどく静かに緊張めいていた。


――何かが、動き始める気配。


アメリアは、メモ帳を握りしめたまま、保健室の扉へと向かっていった。


保健室の扉が閉まると、外のざわめきは遠くなった。

薬草の香りと、洗い立てのシーツの匂いが静かに漂う。

アメリアは思わず歩みを緩める。ここは、怪我や不調を抱えた生徒が休む、学園のもっとも穏やかな部屋のひとつだ。


だが、その奥――

白いカーテンに仕切られたベッドの上で、ひとりの少女が横たわっていた。


小柄で、痩せて、肌はまるで雪のように薄い。

うっすら汗ばむ額を、レイン先生が柔らかい手でそっと拭っている。


「娘の カリン・ヘスター です」


その言葉に、アメリアはわずかに目を見開いた。


「……失礼いたします。ご挨拶できず申し訳ありませんわ」


少女は横向きのまま、まぶたを半分だけ開けた。

瞳は淡い青。宝石のように綺麗なのに、光が少し揺れている。


レイン先生は少し息を吸い込んだ。


「この子は昔から眠れなくて……。

 医師の薬も弱く、魔法医の治療も、もう何度も試したのですが……」


言葉の端がかすかに震えている。

母としての強さと、ひとりの人間としての限界が滲み出ていた。


アメリアは胸の奥が、ぎゅっと掴まれたような感覚に包まれた。

貴族の虚栄とも、処刑フラグとも違う――

これはただの、一人の少女の痛み。


「眠れない夜は、長いのです」

レイン先生は目を伏せる。

「苦しそうに呼吸をするのを見ていると、代わってあげたくなります。ですが、それすら叶いません」


カリンが、細く指を動かしながら、かすかに笑った。


「……お母さん、泣き虫なんです」


「泣き虫でいいのです。あなたが辛そうなのだから」


母と娘の会話は、優しいのに、胸を締め付ける。


アメリアはそっと近づき、カリンの視線に合わせて腰を落とす。


その瞬間、少女は弱々しい声でそっと囁いた。


「アメリア様……編み物、すごく上手だって……聞きました」


声はかすれているのに、期待だけは、かすかに震えていた。


アメリアの心に、静かに火が灯る。


――ああ。

この学園で、私の役目は、こんな場所にまで届くのだわ。


彼女は微笑んだ。

ただ優しく、押し付けない、慰めもしない微笑み。


「ええ。おかげさまで、少しは手際が良いほうかもしれませんわ」


カリンは息を整えながら、かすかに見上げる。


「ふわふわで……あったかい……眠れそうな……そういう帽子……つくれますか」


レイン先生が瞬きした。

アメリアは驚かなかった。

むしろ、当然のように思えた。


少女は眠りたいのだ。

薬ではなく、脅しでもなく、温もりで。


「作れますわ」

アメリアは、迷わず答えた。

「寒くないように、耳まですっぽり隠れる帽子を。

 夜が怖くないように、優しい糸で」


その声は、保健室の静けさをそっと撫でた。


カリンのまつげが震え、乾いた目が少しだけ潤む。


「……うれしい……」


アメリアはほんの少しだけ、手を伸ばした。

少女の枕元に置かれた、小さな人形の毛布の端を、そっと整える。


「眠れるように編みますわ。

 だから安心して、少しだけ待っていてくださいね」


カリンは、目を閉じた。

まるで、すでに眠りが訪れたかのように。


その小さな寝息を確かめながら、アメリアは静かに立ち上がったのだった。



「夜に頭を冷やさないほうが、眠りやすくなることもありますのよ」


アメリアが穏やかにそう告げると、レイン先生ははっと目を瞬かせた。

カリンの寝具を何度も整えた母親であっても、そこまでは気づかなかったのだろう。


「冷えると、体が眠りを拒みますもの。

 耳まで覆える寝帽子を作れば、きっと、夜の寒さが追い出せますわ」


まるで淡い魔法を語るように。

だが、それは現実的で、小さく、優しい理屈。


アメリアはカバンから毛糸の束を取り出した。

色は、ミルクベージュ。

夜の闇を優しく薄める、あたたかな色。


「……ここで、編んでもいいですか?」


「むしろ、ぜひ」


レイン先生の声には、切実な期待がにじむ。


静かな保健室。

カーテンの影で眠る生徒たちの気配。

風で揺れる薬草の香り。


その中で、アメリアは椅子を引き寄せ、そっと腰を下ろした。


カチ、カチ……


編み針の音は小さく、一定で、まるで子守歌のようだった。

カリンはベッドの上で、半分閉じたまぶたをゆっくり動かす。


「……その音……すき……」


アメリアは目を細め、指先の動きをさらに柔らかくする。

糸がほどけ、重なり、形になる。

その流れは静かで、何一つ焦りがない。


「この糸は、肌が敏感な方でも痛くなりませんの。

 ちくちくしないよう、編み目もゆったりと」


説明というより、優しいおしゃべり。

聞く必要のない言葉なのに――聞きたい声。


カリンの呼吸は、少しずつ深くなる。

乾いた音だった胸の上下が、ゆっくりと、柔らかくほどけていく。


「……あたたかい……」


少女の頬が、すこしだけ色づいた。


作られているのは、ただの寝帽子。

魔法道具ではないし、治癒の呪文でもない。


けれどその場には、確かにあたたかなものがあった。


カチ、カチ……


やわらかく重なる音に包まれ、保健室はぬくもりの箱に変わっていく。

カリンは完全に目を閉じていない。

眠ってしまえば、この時間が終わると思っているかのように、ぎりぎりのところで意識を手放さない。


それでも――

呼吸は、眠りのリズムに近づいていた。


アメリアは、糸を引き締めず、優しく編み目を整えながら、そっと心の中で祈った。


――いい夢が見られますように。

――夜を怖がらずに済みますように。


そして、彼女の指先は、また静かに動き続けた。


小さな寝帽子が、アメリアの手の中で最後の一目を受け取った。


「――できましたわ」


毛糸は淡いミルクベージュ。

触れれば指先に沈むほど、柔らかい。

夜の冷たさを拒むためだけに編まれた、優しい形。


アメリアは立ち上がり、ベッドのそばへ歩み寄った。


「カリンさん、少し失礼しますね。

 きっと、少しは楽になりますわ」


少女がかすかに頷いたのを確認し、そっと寝帽子をかぶせる。

耳まで包み込むように、丁寧に。


その瞬間だった。


毛糸が、白い光を ふわり と吸い込むように揺らめいた。

柔らかく、気付かなければ見落とすほど淡く――

レイン先生でさえ、瞬きを忘れるくらいの小さな奇跡。


アメリアは、気づかない。

ただ優しい手つきで前髪を整えてやる。


カリンの呼吸が、一つ、深く落ちた。


そして。


すう……と音のしない静けさの中で、少女は眠りに沈んでいった。

苦しげな息遣いはもうない。

眉間の皺も、消えている。


レイン先生は、口元に手を当てる。

震える声が漏れた。


「……この子が、こんなにすぐ眠ったの……

 何年ぶりでしょう……」


涙が一粒、白いシーツに落ちた。


アメリアは小さく目を瞬かせ、驚き、そして――静かに微笑む。


「眠ることは、身体の魔法ですの。

 毛糸が、優しく包んでくれただけですわ」


本当に、それだけ。

その言葉を疑うように、少女はさらに深い呼吸をした。


まるで長い冬の夜を越えて、ようやく朝を手に入れた子どものように。


レイン先生は声にならない礼を繰り返し、アメリアはただそっと首を振る。

騒ぎにもせず、誇りにもせず、静かな幸福だけを受け取るように。


保健室の空気は、どこまでも柔らかく澄んでいた。

それはまさしく――安眠の奇跡。



翌朝、アメリアはいつものように学園の廊下を歩いていた。

毛糸のバッグは、今日も柔らかく揺れている。

特に変わったことなど――ない、はずだった。


しかし。


教室に入るや否や、妙な空気を感じた。

授業開始の鐘が鳴る前から、教師たちの視線がちらちらとこちらへ向いてくる。


一時間目。

講義の途中、ふだん無表情な魔法史教師が、ノートをめくりながらふと口を止める。


「……公爵令嬢アメリア。授業後、職員室へ来なさい」


教室がざわつく。

「怒られるの?」「何かしたの?」と小声が飛び交う。


二時間目。

魔術解析の教師までもが、講義の合間に眼鏡を押し上げながら言った。


「君だな、アメリア。少し話がある。いや、深刻ではない。

 ただ……医務室のレイン先生から報告があってな」


ざわっ――と教室が揺れる。


三時間目。

錬金学の教師は授業の前に腕を組み、開口一番こう言った。


「噂は本当か? 眠れない子を、たった一晩で?」


アメリアは思わず姿勢を正す。


「……わたくしは、ただ寝帽子を編んだだけでして」


「薬でも魔術でもなく、寝帽子で……?」


教師は頭を抱え、呆然としたまま授業を始めてしまった。


その間、生徒たちの囁きは止まらない。


「薬より効くって聞いたんだけど」

「魔道具じゃないの? 付与魔法? いや、まさか……毛糸?」

「毛糸に魔力があるの? そんな話、初めて聞いた!」


「というか、どうして毛糸なんだ……?」


「逆に気になって眠れないんだけど」


「それは毛糸じゃなくて君の性格だろ」


教室全体が小さな騒ぎになり、教師が咳払いしてやっと静まる。


だが、全員の視線は――

教科書ではなく、アメリアのバッグに吸い寄せられていた。


その柔らかな編み目。

花模様の刺繍。

そして、触れなくても伝わる不思議な温かさ。


ひそひそ声が、もはや隠されることもなく飛び交う。


「これ……学園で流行るんじゃ……?」

「いや、もう流行ってるでしょ」

「むしろ、予約取れないって聞いた」


謎のブームの気配は、すでに静かに広がり始めていた。


そしてアメリアは、ほんの少しだけ肩をすくめる。


ただ編んでいるだけなのに――

世界の方が勝手にざわついていく。


授業が終わる頃には、アメリアの机の引き出しは小さなメモでいっぱいになっていた。


――寝帽子をお願いできますか

――不眠に悩む友人がいて……

――娘が夜泣きするのです、どうか…


文字の乱れた懇願の手紙まで混ざっている。


(こんなに必要としている人が多いなんて……)


アメリアはそっと微笑み、毛糸バッグを手に寮を出た。


今日向かうのは、いつもの街角の毛糸店。

夕暮れの石畳は静かで、柔らかい風が頬を撫でる。


店の扉を押すと、ベルがチリンと鳴った。


「いらっしゃ――ああっ、アメリア様!」


店主の婦人が、ほとんど飛びつくように駆け寄ってきた。


「助けてくださいまし! 毛糸が、毛糸が足りませんの!

 その……買う人が大勢で!

 しかも、貴族の先生方まで『寝帽子が欲しい』と要求してくるんです!

 いったい何があったんですか!?」


アメリアはぽかんと目を瞬き、次に小さく肩をすくめる。


「わたくし……編んだだけですのに」


店主は頭を抱え、けれど嬉しそうに笑った。


「編んだ“だけ”で、こんな騒ぎになるわけありません! 

 いったい何の魔法が……」


そのとき。

アメリアが選んだ毛糸の束が、店の灯りを受けて微かにきらめいた。


淡い光。

だれにも気づかれないほどの、小さな、小さな奇跡。


アメリアはそれに気づかず、やわらかい毛糸を抱えて店を後にする。


夕焼けに染まる街角で、毛糸はまたふわりと光った。


――ただ優しく編んだだけ。

けれど“奇跡”と呼ばれるものは、いつだって些細な糸口から始まる。




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― 新着の感想 ―
アメリアがあるフォード姓からグランチェスタの姓に変わってました。 この後、アメリアのことを庶民が〜といった話が多くなるから、この辺で主人公が変わったのかな〜?
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