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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第5話:編んでもらったら涙が止まらなくなった日

放課後の柔らかな日差しが、教室前の廊下に伸びていた。

 机を丸く囲むように、数人の令嬢たちがアメリアのもとへ集まっている。


「アメリア様、あの……できれば、来週の舞踏会に合わせて……」

「この色で、ストールを編んでいただけませんでしょうか!」


 緊張した声で差し出される毛糸。

 アメリアは微笑み、丁寧に返す。


「嬉しいご依頼ですわ。順番になりますが、必ずお渡しいたします」


 ふわふわと、甘い雰囲気。

 ――しかし、その空気をざらりと乱す気配があった。


 廊下の壁にもたれ、腕を組んだひとりの男子生徒。

 鋭い目つき、乱れた制服、無愛想な表情。


 レオン・バルヌス。


 伯爵家の三男。

 教師の説教にも、眉ひとつ動かない不良生徒。

 気に入らない者を泣かせることで有名――そんな噂が、先に歩く。


 令嬢たちは気づいた瞬間、顔を引きつらせた。


「またレオンがいる……」

「授業も出ずに、廊下で人を睨んでいるんだもの」

「アメリア様、どうか狙われませんように……」


 ひそひそと小声が広がる。


 そのとき――レオンが動いた。


 無言のまま歩み寄り、アメリアの机の前へ立ちはだかる。

 影が差し、令嬢たちの背筋が一斉に震えた。


 だが、アメリアは動じない。

 椅子に腰かけたまま、淡く微笑んで毛糸を指に掛け続けている。


「…………編んでるのか?」


 低く、投げ捨てるような声。

 普通なら、この一言だけで泣き出す生徒もいる。


 アメリアは顔を上げ、穏やかに答えた。


「ええ。授業の準備が終わりましたので、少しばかり」


 そのあまりに自然な返答に――

 レオンは目を瞬かせた。


(……怯えない?)


 いつだって、相手は固まるか、そそくさと逃げるのに。

 この令嬢は、編み針を止めもしない。


 廊下の空気が、ぴたりと張り詰める。


 レオンの眉間に、僅かに戸惑いが走った。



 レオンは、組んでいた腕をゆっくり解いた。

 その仕草は、威圧ではなく――どこか、迷っているように見えた。


「……なあ」


 教室にいた全員の動きが止まる。


「こういうの、作れるか?」


 視線はアメリアではなく、彼女の手元にある毛糸へ向いていた。

 声は小さく、荒っぽい響きなのに、どこか震えている。


「妹が……寒がりなんだ」


 その一言で、教室の空気が一変した。


 ぎゅうっと静まり返る廊下。

 息を飲む音すら聞こえそうな沈黙。


(え…………)

(レオンが、誰かに何かを頼んだ……?)

(しかも編み物?)

(よりによってアメリア様に!?)


 誰もが信じられないものを見るように、二人を凝視している。


 しかしアメリアは、何事もなかったかのように微笑んだ。


「もちろん。どんな色がよろしい?」


 当たり前の日常を続けるような声。

 レオンは、ほんの一瞬――目を見張った。


 ごくりと喉が動く。

 声を出すのが苦しそうだった。


「……優しい色」


 短く、それでも確かに。


「母が……好きだった色だ」


 それは、説明ではなく“お願い”だった。


 母がもういないのだ、ということを告げなくても、

 その言葉だけで十分だった。


 アメリアは、問い返さない。

 深く探らない。


 ただ、そっと頷く。


「かしこまりました。

 妹さんが、あたたかく過ごせますように」


 その瞬間、レオンの肩から力が抜けた。

 誰にも悟られないように俯くが――

 指先が、かすかに震えていた。


放課後の教室には、夕陽が差し込んでいた。

 アメリアの膝の上で、淡いクリーム色の毛糸が最後の一目を結ぶ。


「……できましたわ」


 手のひらに収まる、小さな手袋。

 柔らかな毛糸が、まるで子どもの体温を抱きしめるような優しい仕上がりだった。


 廊下で待っていたレオンの前に、アメリアはそっと差し出す。


「君の妹さん、小さな手だと思いましたので」


 レオンは、無言でそれを受け取った。

 ごつい指先が、毛糸をつまむ――まるで触れたら壊れてしまうもののように。


「…………」


 そのまま背を向けて歩き出す。

 誰もが、そのまま去ると思った。


 だがレオンの足は、数歩で止まった。

 手袋を胸に押し当てた瞬間――


 ふわり、と光が吸い込まれた。


 レオンの肩が、びくりと震える。


「……っ……なんだよ、これ……」


 顔を伏せる。

 足元に、透明な雫が一粒落ちた。


 ぽたり。


「泣くつもりなんか……なかったのに……

 誰にも、弱いとこなんか見せたくなかったのに……!」


 言葉は震え、喉は詰まり、呼吸が乱れる。

 でも止まらない。


 アメリアは、一歩だけ近づいた。

 無理に覗き込まず、ただ穏やかに。


「泣くのは、恥ずかしいことではありませんわ」


 落ち着いた、柔らかな声。


「ほどけるだけですもの。

 冷たい夜でも、毛糸はゆっくり心をあたためてくれます」


 レオンは唇をかみしめ――

 それでも、泣きながら笑った。


「……ありがとな」


 涙で濡れた声は、不器用なままなのに

 どこか幼い子どものように、優しかった。


翌朝の廊下は、少しざわついていた。


「ねえ……レオンが怒鳴ってないんだけど」

「え、嘘でしょ……もう誰か泣かされた?」


 いつもなら険しい目つきで後輩を睨みつけ、

 気に入らなければ廊下の空気まで荒れさせる男。


 ――なのに、今日は違う。


「そこ、違ぇよ。こうやって書くんだよ」


 教室前で、レオンはノートを覗き込みながら後輩に教えていた。

 声も荒くない。どころか……妙に丁寧だ。


「ひぃ、ごめんなさいっ!」

「謝んな、分からねぇのは普通だろ。……次」


 後輩の手元に落ちた教科書を、無言で拾って渡す姿に、

 周囲の女子生徒はぽかんと固まる。


「……今日のレオン、怖くない……」

「むしろ優しくない……?」


 その視線の先、レオンはまたアメリアの前に立っていた。


 昨日と違い、目をそらさずに。


「……昨日の手袋、妹が泣いて喜んだ」


 言葉は短い。

 だが、声には照れと真っ直ぐさが滲んでいた。


「……だから、お礼言いに来ただけだ」


 それだけ言うと、そっぽを向いて立ち去る。

 耳まで赤いのが、誰の目にも丸わかりだった。


 残された女子たちの心は、ざわつく。


「……アメリア様、すご……」

「いじめっ子が改心……?」

「悪役どころか、救世主では……」


 アメリアは肩をすくめ、くすりと笑う。


「わたくし、ただ編んだだけですわ」


 でも――

 その“ただ”が、確かに誰かの心をほどいた。



その変化に、最初に気づいたのは教師だった。


「……奇妙だな」


 講義中、教室を見渡しながら老教師が呟いた。


「最近は、生徒同士の喧嘩が減っている。

 呼び出しも、叱責も、ほとんど出ていない……なぜだろうか……」


 いじめっ子のレオンが穏やかにノートを取り、

 隣の生徒が集中して筆を走らせている。


 教室の片隅には、淡いラベンダー色の毛糸バッグ。

 静かに置かれているだけなのに、空気は柔らかかった。


 教師は首をかしげながらも、深く考えずに黒板へ戻った。

 だが――その違和感は、確実に学園全体へ広がっていく。


 昼休み、別の場所では。


「……奇妙だ、まるで空気が変わっている」


 王子の側近、冷静で鋭い視線を持つ青年が、窓越しにアメリアを見つめていた。

 机に肘をつきながら、短く指示を落とす。


「誰か、あの公爵令嬢のことを調べておけ。

 最近、妙な噂が多すぎる」


「妙な噂、でございますか?」


「いじめが消えた、落ち込んでいた生徒が元気になった、

 眠れない子がぐっすり眠れる……。

 そして――悪役令嬢が毛糸を編んで歩いていると」


 声に皮肉はない。

 ただ、真剣な興味と、わずかな警戒。


「……何が起きている?」


 その問いと同時に、アメリアはいつものように毛糸針を動かしていた。

 ふわり、ふわり。

 明るい糸の色が光を受けて揺れる。


 世界は、知らぬうちに編み目のように繋がり、

 静かに、しかし確実に――変わり始めていた。


放課後の中庭は、春の風が心地よかった。

 アメリアは石造りのベンチに腰を下ろし、膝の上で毛糸の整理をしていた。


 色とりどりの毛糸、ふわりと柔らかい糸束、刺繍用の細い針。

 その脇には、気づけば増えていた“依頼の手紙”が山のように積まれている。


「……あら?」


 束を数えてみて、アメリアは瞬きをした。


(いつのまに、こんなに……?)


 小さな封筒には、ぎこちない文字で

「助けてほしい」「眠れるようになりたい」「友達にプレゼントしたい」

そんな願いがつづられている。


 手紙に添えられたクッキーの包み。

 押し花のしおり。

 「ありがとう」のメモ。


 どれも、誰かが必死に勇気を振り絞った跡だった。


 アメリアはそっと胸に手を当て、微笑む。


「喜んでもらえるなら、嬉しいですわ……」


 優しい日の光。

 柔らかい風。

 その中で、毛糸箱の奥にある一本の糸が――ほんの一瞬、かすかに光を宿した。


 本人は気づかない。

 けれど、読者には分かる。


 これは、ただの手芸ではない。




「ただ編んでいるだけ――そのはずなのに。

 毛糸は静かに、学園の心を変え始めていた。」



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