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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第4話:ヒロイン登場、でも喧嘩しない悪役令嬢

昼下がりの中庭は、春の花々が風に揺れ、心地よい陽光に満ちていた。

 本来ならば、乙女ゲームファンなら誰もが知っている“悪役令嬢の初暴走イベント”が始まる舞台である。


「聞いた? 平民出身の転入生ですって」

「この学園で平民なんて、珍しいわ」

「悪役令嬢アメリア・アルフォードが、ほっとくはずないものね」


 木陰に集まった令嬢たちが、わざとらしく声を潜める。

 視線の先では、ひとりの少女が緊張した面持ちで歩いていた。


 栗色の髪をリボンで結んだ、素朴な雰囲気の少女。

 ――ゲームのヒロイン、エリーナ。


 その瞬間、わざとぶつかるように歩いてきた生徒が肩を押しつけ、

 エリーナはバランスを崩した。


「きゃっ……!」


 ばさり、と教科書が地面に散らばり、紙がひらひらと舞う。

 本来なら、ここでアメリアが冷笑し、つま先で本を踏みにじる。

 そして王子たちがヒロインを助け、悪役の評価は地に落ちる――


 しかし。


「まぁ、大変。大丈夫ですの?」


 誰より先に駆け寄ったのは、当の“悪役令嬢”だった。


 アメリアはしゃがみ込み、散らばった教科書を一冊ずつ丁寧に拾い集める。

 薄いレース手袋が土で汚れるのも構わず、すべて抱え終えると、

 にこりと微笑んだ。


「怪我はありませんわよね?」


 エリーナは、ぽかんと目を丸くした。


「あ、あの……ありがとうございます……えっと、その……」


 まさか“助けられる”側になるとは思っていなかったのだろう。

 声が震え、顔が真っ赤になる。


 そして、取り乱すエリーナより早く、アメリアの方が小さく頭を下げた。


「ごめんなさい、気づくのが遅れてしまって。

 荷物が重そうでしたから、手を貸すべきでしたわ」


「え、え? ええええっ……!?」


 周囲の令嬢たちが、ぽかんと口を開ける。


「アメリア様が……謝ってる?」

「いじめ、しないの? え、台本違わない?」

「踏まないの? 本、踏まないの!?」


 予定されていた“乙女ゲームの定番イベント”は、

 その瞬間、音もなく崩れ去った。


 中庭には、ただ花の香りと、静かなざわめきだけが残っていた。


立ち上がったエリーナは、拾ってもらった教科書を胸に抱きしめ、ぎゅっと唇をかみしめていた。


「あ、あの……本当に、ありがとうございました……」


 声は小さい。

 周囲の視線を気にしているのか、肩はすくみ、目は伏せられたままだ。


 ドレスは質素で、袖口にはほつれが見える。

 持っている鞄も、どこか使い古されている。

 この豪奢な学園では、浮いてしまうのも無理はなかった。


(この子……思っていたよりずっと、居場所がないのね)


 アメリアはふと、ゲームで見た“ヒロイン像”との違いを痛感した。

 画面越しに見ていた明るいヒロインではなく、怯えた小鳥のように縮こまった少女がここにいる。


「エリーナさんでしたわよね?」


「……はい」


 返事は蚊の鳴くように小さい。


「もしよろしければ、この後……お茶でもいかが?

 学園の中庭に、美味しい菓子店が出店していると聞きましたの。

 甘いものは、お好き?」


 誘うというより、そっと差し出すような声。


 エリーナの肩がびくりと震えた。

 信じられない、と言いたげに目を見開き、しばらく言葉が出てこない。


「わ、わたしと……ですか?」


「もちろん。ほかに友人がいらっしゃるならご一緒でも。

 でも、もしまだ……でしたら、わたくしでよければ」


 エリーナは唇を噛み、胸元の小さなブローチを握りしめた。

 しばし迷ったのち、か細い声で――けれど確かな意思で、頷いた。


「……行きたいです。

 こんな人だったんだ……アメリア様って、ゲームと全然違う……」


 その呟きは、風にさらわれて消えていったが、

 アメリアの耳には確かに届いた。


(そう。わたくしは、“もうあのゲームの悪役令嬢”じゃないわ)


 柔らかく微笑むアメリアの姿に、

 ざわついていた周囲の令嬢たちは、ますます言葉を失った。


 こうして、予定されていた“いじめイベント”は、

 優しいティータイムへと、静かに書き換えられていく。


学園内のサロンは、もともと上流貴族が優雅な午後を過ごすための空間だ。

 磨かれた大理石の床、白いテーブルクロス、香り立つ紅茶。

 そこに――庶民出身の少女と、悪役令嬢と噂されるアメリアが並んで座っている。


 当然、周囲はざわついていた。


「アメリア様が……あの子と?」

「いじめじゃなくて? 本当に?」


 視線が刺さる。けれどアメリアは、涼しい顔で紅茶を口に運んだ。


「落ち着かない場所で、ごめんなさいね」


「い、いえ。こんな素敵な場所、初めてで……」


 エリーナの指は、緊張でカップを持つ手が小刻みに震えている。

 けれどアメリアの視線は、その手の“別のもの”に気づいてしまった。


 白い細い指先に、小さな傷とマメ。

 刺繍針でできたような、細かい痕。


「……裁縫をしてらしたのね」


 エリーナは、はっとして慌てて手を引っ込めた。


「す、すみません……! こんな手で紅茶なんて……」


「そんなこと、恥じる必要はありませんわ」


 アメリアはそっと微笑む。


「むしろ、誇るべきことですわ。

 わたくし、好きですのよ――手を使って、何かを生み出す人が」


 エリーナの目が、揺れた。

 誰かにそう言ってもらえたのは、初めてのようだった。


 少し迷ってから、彼女はぽつりと告げる。


「……実家が、小さな洋服店なんです。

 わたしはまだ修行中で。

 だから、手だけは、ちょっとだけ丈夫で」


「まあ、素敵ですわ!」


 アメリアの声が明るく跳ねた。

 周囲はまた空気を固める。


(あの公爵令嬢が、庶民を褒めた……?)


「じゃあ、編み物も好きですの?」


「へ、編み物……?」


 きょとんとしたエリーナに、アメリアは当然のようにバッグを開けた。


 ふわりと、淡い色の毛糸玉が覗く。

 サロン内が一瞬静まり返り、次にざわつく。


「あの毛糸バッグ……!」

「公爵令嬢が、また毛糸を……?」


 しかしアメリアは気にした様子もなく、にっこりと微笑んだ。


「よかったら、一緒に編みませんこと?

 ストールでも、リボンでも、あなたの好きなものを」


 エリーナは完全に固まった。


「え……あの……いじめ、じゃなくて?」


「いじめるくらいなら、可愛いものを編んでいる方が平和ですもの」


 きっぱりと。

 その一言に、周囲の空気がひび割れたように感じられた。


 ゲームの“悪役令嬢と庶民ヒロインの対立イベント”は、

 テーブルに広げられた毛糸と編み針で、あっさりと書き換えられる。


 エリーナは、震える声で――けれど嬉しそうに答えた。


「……編んでみたい、です」


 その笑顔を、アメリアはそっと編み込むように優しく受け止めた。


 アメリアがそっと差し出した毛糸は、淡い桃色。

 触れただけで優しく包むような、春の風みたいな色だった。


「まずは、こうやって糸を指にかけて……」


 エリーナは恐る恐る、その毛糸に触れた。

 その瞬間――ふわりと、温かい光が灯る。


「……え?」


 見間違いではない。

 確かに、淡く、やわらかく、毛糸が光った。


 そして、指先から広がっていく、じんわりとした温もり。

 冷たかった胸の奥まで、ゆっくりと染みわたるような感覚。


 ふと気づいたら、呼吸が深くなっていた。

 肩が軽い。視界が明るい。


「……なんだか、胸が……軽くなりました」


 エリーナは小さく呟いた。


「いつも、怖くて……

 泣き虫で……

 誰にも本音を言えなくて……

 あの……でも……」


 言葉がつっかえた。

 その代わりに、頬を涙がつ、と伝う。


「あ……ご、ごめんなさい……! 泣くつもりじゃ――」


 アメリアはそっと、刺繍入りの白いハンカチを差し出した。


「ええ、泣いてもいいのですわ。

 泣くのも、ほどけるということですもの」


 その声は、驚くほど優しかった。


「毛糸はね、優しいのです。

 編むと、心の固まったところまで、するりとほどけていきますの」


 エリーナはハンカチに顔を埋め、ぽろぽろと涙を零した。

 でもその涙は、痛みではなく、安堵の色だった。


 周囲で見ていた令嬢たちも、息を飲む。


(悪役令嬢のはずじゃなかった?)

(なのに、どうしてこんなに優しいの?)


 光を宿した毛糸は、アメリアの膝の上で静かに揺れ、

 まるで――「この子を助けたい」と言うかのように輝き続けていた。


エリーナが目元を拭い、アメリアと並んで座っていたそのとき――

 中庭の空気が、ふっと張り詰めた。


 近づく足音。

 生徒たちが道をあける。


「――アメリア・アルフォード」


 低く、よく通る声。


 振り返れば、王子一行。

 第一王子レオンハルト、その護衛騎士、取り巻きの貴族たち。


 本来ならここで、レオンハルトがヒロインを庇い、

 アメリアを鋭く糾弾するイベントだ。


 ――だが。


「……いじめているわけでは、ないのだな?」


 レオンハルトは困惑気味に眉をひそめていた。

 周囲の生徒たちがぽかんと口を開ける。


 アメリアは、紅茶を一口。

 そしていつもの柔らかな微笑で答えた。


「まぁ、いじめ? わたくしが?

 そんな面倒なこと、いたしませんわ」


「め、面倒……?」


「だって、いじめる暇があるなら編み物をしますの。

 こちらの方が、ずっと有意義ですもの」


 さらりと言い切った。


 空気が止まった。


(編み物……? いじめより……?)

(価値観のレベルが違う……!)


 護衛騎士まで絶句している。


 そこへ、エリーナが勢いよく立ち上がった。


「あ、あの! アメリア様は……!」


 震えながら、けれど真っ直ぐな声。


「アメリア様は、とても優しい方です!

 わたしの荷物を拾ってくださって……

 それに、編み方も丁寧に教えてくださって……

 わたし、すごく救われました!」


 レオンハルトが目を見開く。


「……助けられた、だと?」


 アメリアは、まるで「そんな大袈裟な」と言うように肩をすくめる。


「わたくし、ただ毛糸を触りたかっただけですわ」


 だがその言葉とは裏腹に、

 エリーナの頬は明るく色づき、

 泣きはらした目さえ柔らかい光を宿していた。


 ――悪役令嬢がヒロインを救っている。


 イベントは、完全に崩壊した。


 そしてレオンハルトは気づく。

 アメリアとエリーナの膝に置かれた桃色の毛糸が、うっすら光を帯びていることに。


(……これは、ただの手芸ではないのか?)


 中庭中の視線が、アメリアへ集まる。

 しかし当の本人は、優雅に毛糸を巻き取りながら言った。


「さ、エリーナ。続きですわ。

 素敵な模様を編みましょう」


 悪役令嬢が笑顔でヒロインに寄り添っている。

 プレイヤーが知る“物語”が、ガラガラと音を立てて壊れた瞬間だった。




 中庭の騒ぎが落ち着き、授業前の静けさが戻り始めたころ。


 エリーナが、胸の前で両手をぎゅっと握りしめながら、アメリアを見上げた。


「その……っ、いつか……ストールを編むのを教えてください……!」


 頬を赤くし、瞳はきらきらしていて、

 まるで「ヒロインイベントが成功した」ような表情なのだが――

 相手は“悪役令嬢”である。


 周囲の生徒たちは息をのむ。


 アメリアは、ふんわり微笑んだ。


「もちろんですわ。次は、もっと綺麗な毛糸をご用意いたしますの。

 あなたに似合う、優しくて、柔らかい色を」


 エリーナは思わず涙ぐみ、何度も頭を下げた。


 その姿を、王子たちは複雑な表情で見つめていた。

 本来なら、庇われるのはヒロイン。

 本来なら、断罪されるのは悪役令嬢。


 しかし現実は――逆転している。


 生徒たちが廊下に散っていくと、いくつもの声がささやかれた。


「え、悪役令嬢が庶民出身の子を庇った?」

「優しくしてたよね?」

「仲良くお茶まで飲んでたよ?」

「こんな展開……あったっけ? ゲームに……?」


 困惑、動揺、好奇心。

 噂は一瞬で、学園中に広がっていく。


 けれど当のアメリアはというと――


 編みかけのストールを抱え、廊下を軽やかに歩いていた。

 心はどこまでも平和で、

 ただ次にどの毛糸を使うか、それだけを考えている。


(エリーナ、喜んでくれたかしら。

 ……ふふ、もっとふわふわに仕上げませんと)


 彼女の指先で揺れる毛糸は、光を帯びて小さく瞬いた。


 その日、“本来”あるはずのいじめイベントは静かに崩壊し、

 代わりに――編み針の音だけが、優しく学園に響いていた。



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