表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/40

第33話:孤児院に届く一枚のマフラー

 王都の外れ、古い孤児院では、今年の厳しい寒さが小さな子供たちの体を容赦なく奪っていた――そんな知らせが、公爵家の玄関先にもたらされたのは、柔らかな陽が傾きはじめた午後のことだった。


 ミラベルの母の体調がようやく安定したと聞き、お祝いの菓子を手に訪れた孤児院の院長は、深々と礼をしてから、ふと力の抜けたように肩を落とす。


「今年は防寒具が足りなくて……。

 子供たちは強がっていますが、夜はさすがに震えてしまう子もいて」


 院長の声は、愚痴というより、押し込めていた苦しみが少し零れたような響きだった。


 ミラベルは思わず息を呑む。

 孤児院は民の寄付で成り立っている。景気や情勢が悪い年は、それが真っ先に響く。

 小さな子供たちが、寒さに耐えながら眠りにつく光景が、胸の中に重く落ちていく。


(……なんとかしたい。けれど……)


 脳裏に浮かんだのは、編み針を静かに動かすアメリアの姿だった。

 あの子の編み物は、ただの手仕事ではない。そっと触れただけで心が温かくなる、不思議な優しさを持っている。


(あの子の編み物なら、助けられるかもしれない……。

 でも、負担をかけてしまう? 十数人分なんて……)


 唇がかすかに揺れた。

 言い出そうとして、言葉が喉の奥で絡まる。


 院長も、折れたように微笑みながら続ける。


「無理は承知しています。ただ……子供たちの寝顔を見ると、どうにかしてあげたくて」


 ミラベルは胸に手を添え、小さく頷くしかなかった。

 助けになれる手段があるのに、踏み出せない自分がもどかしい。


 それでも――アメリアに頼むのは、やはり躊躇われた。


(……どうするべきかしら。彼女は、いつも静かに過ごしているだけなのに)


 寒風が窓を叩く音が、現実を急かすように響く。

 でもミラベルは、まだ言い出せなかった。


 静かな葛藤だけが、胸の奥でそっと揺れていた。


その日の夕刻、ミラベルはアメリアの部屋の前で小さく息を整えた。

 ドアの向こうからは、いつもの規則正しい編み針の音。

 その静けさを乱してしまうのではと胸が痛んだが——それでも、子供たちの震える肩が頭から離れない。


「アメリア、少し……話してもいいかしら?」


 扉を開けると、アメリアは窓際に座り、淡々と編み針を動かしていた。

 ミラベルの声に顔を上げると、ほんのりと柔らかい瞳を向ける。


「どうしたの、ミラベル?」


 ミラベルは、孤児院の現状を慎重に、言葉を選びながら伝えた。

 ひどい寒さに震える子供たち。寄付が追いつかず、夜は泣きながら眠りにつく子がいること。

 アメリアの編み物なら助けになれるかもしれないと思いながらも、負担をかけたくない気持ちで迷っていること——。


 話し終えるころには、ミラベルの手は胸元でぎゅっと握り締められていた。


「だから……無理にとは言えないの。あなたの時間を奪ってしまうし……十人以上も……」


 するとアメリアは、わずかな間も置かずに頷いた。


「……編める分だけですが、お渡ししたいです」


「え……?」


 ミラベルは思わず瞬きを繰り返す。

 予想以上に迷いのない返答だった。


「アメリア、本当に……? 無理は——」


「無理じゃないですよ」


 アメリアは静かに微笑んだ。

 その表情は、使命感でも義務感でもなく、ただ自然体の優しさに満ちている。


「夜のほうが静かで、手が進みますから。

 ……子供たちが少しでも楽になるなら、編みたいです」


 その一言に、ミラベルの胸がじんと熱くなる。


 アメリアはすでに編み針を取り直し、糸にそっと触れていた。

 まるで“もう始めている”と言わんばかりに。


 ミラベルは言葉を失ったまま、そっと微笑むしかなかった。


(この子は……どうしてこんなにも、まっすぐに優しいんだろう)


 その夜、窓の外で風が強く吹こうとも、アメリアの部屋からは一定のリズムが途切れることはなかった。


夜の寮は、しんと静まり返っていた。

 廊下の灯りも落ち、遠くで木々が揺れる音がかすかに響くだけ。


 そんな闇の中で、アメリアの部屋だけに小さなランプが灯っていた。

 淡い橙色の柔らかな光。その中で、彼女は机に向かい、黙々と編み針を動かしている。


 慌ただしさも焦りもない。

 ただ、毛糸が指を通っていくその感触を確かめるように、静かに、丁寧に編み続けていた。


 机の上には何種類もの毛糸玉が置かれている。

 くすみのないクリーム色、春の風のような淡い空色、子供の頬のようにやさしい桃色。

 どれも肌に触れれば安心するような温かい糸ばかりだった。


 アメリアはひとつひとつ手に取りながら、迷いなく選ぶ。


(この色は、小さな子に似合いそう……

 この糸は、冷え性の子にいいかも)


 理由を言葉にしなくても、手が自然に動く。

 まるで糸が子供たちの姿を思い浮かばせ、アメリアの指を導いているかのようだった。


 そのころ、ミラベルは廊下をそっと歩き、アメリアの様子を覗きに来ていた。

 夜更けまで編み続けていると知り、心配が先に立ったのだ。


「アメリア……?」


 控えめに扉を開けると、オレンジの光の下で編み針がやわらかく響いていた。

 アメリアは振り返り、けれど手は止めずに、穏やかな笑みを浮かべる。


「ミラベル、こんばんは。……眠れませんか?」


「あなたこそ、無理してないでしょうね……?」


 アメリアは軽く首を横に振る。


「子供たち、寒いのは嫌だと思うんです。

 ……きっと、誰でも」


 その横顔は、波ひとつない凪の海のように静かで、けれど温かい。

 ミラベルの胸がじんわりと熱くなる。


(こんな優しさに、世界はどれだけ救われるんだろう)


 ミラベルは、呼吸が胸の奥で柔らかくひろがるのを感じながら、

 アメリアの背中にそっと目を細めた。


 そして数日後——。


 アメリアの机には、色とりどりのマフラーが山になって積まれていた。

 桃色、空色、若草色、きなり色……

 どれも編み目に個性があり、長さも幅も全部ちがう。


 ひとつとして“同じ子”などいないように、

 アメリアは最初から“同じもの”を作る気などなかったのだ。


 そこに並ぶのは、十枚以上の、小さな命を包むための温もり。

 アメリアの夜と優しさが編み込まれた、世界で一つだけの贈り物だった。


孤児院に着くと、冬の冷たい風が頬を刺した。

 古い建物の前で、子供たちが遊ぶでもなく、ただこちらをじっと見つめている。

 “お客様”に慣れていない——そんな距離のある空気が、淡い曇り空の下で揺れていた。


 ミラベルがそっと微笑みかけると、子供たちは小動物のように一歩だけ後ろへ下がる。

 けれど逃げようとはしない。ただ、どうしていいかわからないだけだ。


 院長が駆け寄ってきて、深々と頭を下げる。


「まあまあ、わざわざ……ありがとうございます。子供たち、こっちへいらっしゃい」


 その声に誘われ、子供たちが少しずつ寄ってくる。

 アメリアは抱えていた布袋をぎゅっと握りしめ、照れくさそうに口を開いた。


「……あの。よかったら、使ってください」


 布袋の口を開くと、色とりどりのマフラーがふわりとこぼれ出る。

 子供たちの視線が、一斉に釘付けになった。


 けれど誰も手を伸ばさない。

 「触ってもいいものか」

 「自分なんかが持っていいのか」

 そんな迷いが、小さな瞳に影のように揺れていた。


 その中で、一人——五歳くらいの、痩せた男の子が前に出た。

 ためらう指が、そっと淡い水色のマフラーに触れる。


「……これ、ぼくがつけていいの?」


 どこか壊れそうな声。

 アメリアは少し驚いたように瞬きをし、すぐにやわらかく笑って頷いた。


「ええ。あなたに、です」


 男の子はゆっくりとマフラーを持ち上げ、ぎこちなく首に巻いた。

 その瞬間——

 肩がふわっと緩む。


 そして次の瞬間、彼はマフラーの端を、両手でぎゅっと握りしめた。


「……あったかい。

 これ……ぼくのために、つくってくれたの……?」


 声が震え、喉の奥で泣き声がつかえている。

 涙は落ちまいと必死に堪えているのに、瞳だけが潤んでいた。


 院長が口元を覆い、ハンカチで涙を拭う。


「この子……“自分のもの”なんて、ほとんど持ったことがなくて……」


 その言葉に、ミラベルの胸が痛む。

 アメリアはそっと子供の前にしゃがみ、頭を優しく撫でた。


「うん。あなたのだよ。

 だから、大事にしていいの」


 男の子の表情が、ゆっくりゆっくりとほころぶ。

 その笑みは、寒い冬の孤児院に灯った小さなストーブみたいに温かかった。


その日、孤児院には久しく聞こえなかった種類の笑い声が満ちていた。

 庭の木の下で、子供たちが首に巻いたばかりのマフラーを誇らしげに見せ合い、風の中を駆け回っている。

 色とりどりの布が揺れ、そのたびに冬の曇り空が少しだけ明るくなったように見えた。


 ミラベルはその光景を、建物の縁に寄りかかりながら眺めていた。

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 それは焚き火に手をかざしたときの温もりではなく、もっと深くて、心そのものに沁みてくるような温度だった。


(……こんな世界を守りたい)

(アメリアが生み出す優しさを——)

(踏みにじられたり、奪われたりなんて……絶対にさせない)


 心の中で静かに、けれど強く刻まれる決意。

 ミラベルの視線は、自然とアメリアへと向かう。


 アメリアは少し離れたところで、子供たちが笑い声をあげるのを見つめていた。

 控えめで、どこか照れたような微笑み。

 けれどそれは、どんな宝石よりも温かく輝いている。


 風が吹き抜け、庭の木々がさわさわと揺れる。

 子供たちのマフラーがふわりと浮き上がり、淡い春の気配を運んでくる。


 まだ冬は終わらない。

 けれど、この瞬間に確かに“春の予感”があった。


 ミラベルはそっと目を閉じ、もう一度強く思う。

 必ず守る。

 この世界を——そして、彼女の優しさを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ