第31話:学園中が祝福ムード
翌朝、学園の空気はどこか浮き立っていた。
いつもと同じはずの廊下が、今日はやけに明るく感じられる。
その理由は、ミラベルが教室へ向かう途中、いやというほど思い知らされた。
「ミラベル様、おめでとうございます!」
「聞きましたわ、第二王子殿下からの正式なご求婚……! 本当に、本当に良かったです!」
「ローゼン嬢が選ばれたなんて、私たちまで嬉しくなりますわ!」
朝の廊下は祝福の海だった。
次から次へと声がかかり、ミラベルは足を踏み出すたびに立ち止まることになる。
以前なら、こうした視線に怯え、肩を縮めて逃げるように歩いていた。
だが今、胸の奥にあるのは──不安ではなく、温かな鼓動。
「……ありがとう、ございます」
頬にふわりと熱が差す。
自分でも驚くほど自然に、笑えていた。
祝われることが、こんなにも心をくすぐったように嬉しいだなんて。
“努力した完璧な令嬢”ではなく、
“ありのままの自分”が肯定されている──その実感が、彼女をそっと支えていた。
誰も彼女を恐れず、遠ざけず、妬みもせず、ただ祝福してくれる。
(……こんな朝が来るなんて、思ってもいなかったわ)
胸に手を当てれば、小さく震える。
けれどその震えは、もう“恐怖”ではない。
ミラベルは、またひとりに微笑みを返した。
その笑みは廊下に、春の光のような柔らかさを落としていった。
本来なら──こういう時は何かしら起きるはずだった。
嫉妬した令嬢たちが陰で噂を流したり、
王子を巡る対立があったり、
あるいは“氷の令嬢”と呼ばれていた頃の過去を引きずって、誰かが棘を投げてきたり。
けれど。
「ミラベル様、ほんっとうにおめでとうございます!」
「王子殿下があんな真剣な表情をするなんて……ふふ、素敵でしたわ~!」
「恋が実る場面を目撃した気分ですわ! ああ、青春ってこういうことなんですのね!」
女子生徒たちが、なぜか妙にテンションが高い。
「え、えっと……あの……ありがとう、ございます……」
ミラベルは困ったように微笑むが、誰の目にもその頬は嬉しそうに染まっている。
誰も彼女を妬まない。
誰も冷たい視線を向けない。
あるのは祝福と、恋にときめく年頃らしい無邪気な好奇心だけ。
むしろ──
「ミラベル様みたいに努力してる人が選ばれるなんて、夢がありますわよね!」
「そうですわ! やっぱり日々の姿はちゃんと見てるんですのよ! 私たちも頑張りましょう!」
女子たちが勝手に励まし合い始めている。
(……こんなにも温かい空気になるなんて、思わなかったわ)
胸の奥がじんわりと熱くなる。
かつて「近寄りがたい」と言われ、距離を置かれていた自分が、
今はこんなにも自然に輪の中に迎え入れられている。
いじめも嫌味も存在しない、驚くほど穏やかで幸せな学園の朝。
ミラベルは小さく息をつき、こっそりと微笑んだ。
――こんな日が続けばいい、と。
校庭の片隅。
ベンチの端で、アメリアは今日も変わらず膝の上に毛糸籠を置き、編み針を静かに動かしていた。
ぱちん、ぱちん──
一定のリズムで糸が編まれていく。
昨日ミラベルに渡したショールと同じ、柔らかな色合いの糸だ。
手袋か、あるいは小さなマフラーか。完成形はまだ分からないが、その動きに迷いはない。
「アメリアーっ! 聞いた? ミラベル様のこと!」
友人が駆け寄り、勢いそのままに隣へ腰を下ろす。
アメリアは針の手を止めるでもなく、いつもの穏やかな調子で返した。
「ん? ああ……聞いたわよ。良かったわね、ほんとに」
「なんか淡々としてるー! もっと驚かないの?」
「え? 王子は見る目があると思ってたし」
淡泊な返事のはずなのに、声の端がふわりと弾む。
針先もいつもより軽やかで、毛糸の動きがどこか浮き立っている。
友人はじーっとその様子を見つめて、にやりと笑った。
「……アメリア、バレてるよ」
「なにが?」
「嬉しくて仕方ないでしょ」
「……別に?」
口ではそっぽを向くが、編み針はまるで歌っているみたいに楽しげだ。
(ミラベルさま……ほんと、よかった)
胸の奥にふわりと灯る暖かさ。
それが編み目にそのまま乗り移ったように、アメリアの指先は幸せを編み込んでいく。
ベンチの端で静かに――だけど誰よりも嬉しそうに。
昼休みの中庭は、晴れた空の下でいつもより活気に満ちていた。
求婚の話題で盛り上がっているせいか、どこか祝宴の余韻すら漂う。
そこへ──
ふいに、凛とした空気が走った。
「……あれ、第二王子殿下じゃない?」
「えっ、なんで学園に……? 公式訪問とか聞いてないけど……」
ざわり、と周囲が色めき立つ。
しかしそのざわめきは、昨日までのような緊張ではなく、期待に満ちた柔らかなものだった。
ユーグは周囲の視線など意に介さず、静かで威厳ある足取りで歩く。
向かう先はただひとつ──ミラベル。
彼女の前にたどり着くと、ごく自然な動作で隣に立つ。
まるでそれが“最初からの定位置”かのように。
ミラベルは驚いてほんの少し目を見開く。
だが次の瞬間には、控えめな微笑みを浮かべていた。
そんな二人を見て、周囲はまた小さく沸き立つ。
「お似合いって、こういうことを言うのね……」
「昨日の求婚、本当だったんだ……」
そして、ユーグは静かに皆へ向き直り、感謝の言葉を告げた。
ユーグ
「皆、彼女に優しくしてくれてありがとう」
その一言で、中庭の空気がふわりと変わる。
緊張が解け、誇らしげな空気が広がる。
“王子が認めた人を支えた”というだけで、生徒たちの胸に小さな誇りが灯る。
「もちろんです、殿下!」
「ミラベル様は、学園の大事な仲間ですから!」
祝福の輪がさらに広がっていく。
ミラベルは頬を染めつつ、小さく息を吐いた。
その表情は、昨日の涙よりもずっと穏やかで──
隣に立つ彼と共に歩む未来を、ほんの少しだけ実感していた。
学園中が祝福の空気に包まれる中、ミラベルはふと振り返った。
中庭の端──いつものベンチに、アメリアが座っている。
手元で毛糸がさらさらと揺れ、編み針が心地よいリズムを刻んでいた。
「アメリア……」
ミラベルが呼びかけると、アメリアは顔だけをそっと上げる。
ミラベルは彼女をユーグへ紹介しようと前に出たが──
アメリアは編み針の動きを止めることなく、軽い会釈だけを返した。
アメリア
「第二王子殿下。
……ミラベルをよろしくお願いしますね」
その言い方は、まるで大切な友人を預ける姉のようで、
けれど肩の力が抜けた、いつもの穏やかな調子だった。
ユーグは真剣に頷き、胸に手を当てる。
ユーグ
「ええ。
……彼女を守るためなら、何だってします」
その誠意に、ミラベルは顔を赤く染め、アメリアはほんの少しだけ目を細めた。
そして、なにごともなかったように毛糸へ視線を戻し、
さらりと編み針を動かし始める。
アメリア
「ふふ……それなら、安心だわ」
彼女のさりげない笑みと軽やかな手つきが、
周囲にいた生徒たちの心をふわりと和ませる。
「ああ、アメリアさんってこういう人なんだな」
「なんか……見てるだけで安心するよね」
小さな輪の中心で、
ミラベルもユーグも──
そしてアメリアも、確かに“同じ世界”で微笑んでいた。
学園中が祝福の空気に包まれる中、ミラベルはふと振り返った。
中庭の端──いつものベンチに、アメリアが座っている。
手元で毛糸がさらさらと揺れ、編み針が心地よいリズムを刻んでいた。
「アメリア……」
ミラベルが呼びかけると、アメリアは顔だけをそっと上げる。
ミラベルは彼女をユーグへ紹介しようと前に出たが──
アメリアは編み針の動きを止めることなく、軽い会釈だけを返した。
アメリア
「第二王子殿下。
……ミラベルをよろしくお願いしますね」
その言い方は、まるで大切な友人を預ける姉のようで、
けれど肩の力が抜けた、いつもの穏やかな調子だった。
ユーグは真剣に頷き、胸に手を当てる。
ユーグ
「ええ。
……彼女を守るためなら、何だってします」
その誠意に、ミラベルは顔を赤く染め、アメリアはほんの少しだけ目を細めた。
そして、なにごともなかったように毛糸へ視線を戻し、
さらりと編み針を動かし始める。
アメリア
「ふふ……それなら、安心だわ」
彼女のさりげない笑みと軽やかな手つきが、
周囲にいた生徒たちの心をふわりと和ませる。
「ああ、アメリアさんってこういう人なんだな」
「なんか……見てるだけで安心するよね」
小さな輪の中心で、
ミラベルもユーグも──
そしてアメリアも、確かに“同じ世界”で微笑んでいた。
祝福の言葉が飛び交い、笑い声が絶えない学園の一日。
ミラベルにとって、それは生まれて初めて“心から安心して過ごせた日”だった。
昼下がりの陽光が中庭を金色に染め、
生徒たちは皆、楽しげに談笑し、明るい未来の話をする。
アメリアはベンチの端で編み針を動かし、
ユーグはそんなふたりを穏やかに見守る。
――どこを切り取っても、温かさに満ちていた。
けれどその一方で、学園から離れた王都の中心では、
公爵家と王家の間で“正式な調整”が静かに動き始めていた。
婚約、家格、国政への影響、そして王族としての将来像。
大人たちが動かす大きな歯車は、
ミラベルたちの知らぬところで、ゆっくりと回り始めている。
しかし、その影はまだ遠い。
今日だけは、誰の胸にも不安の色は落ちてこなかった。
ミラベルが見上げた空は、どこまでも澄み渡っている。
アメリアの編む糸は光を受けて優しくきらめき、
ユーグはそっと彼女たちの輪を守るように佇む。
幸福の余韻が、風と共にふわりと広がる。
ミラベル(心)
(……こんな日が、ずっと続くといいな)
その静かな願いを知らぬまま、
世界は次の章――“王家と公爵家の正式交渉”へと歩み出す。
だが今はまだ、誰もその気配に気づかない。
今日という日は、“完全ハッピー回”として穏やかに幕を閉じるのだった。




