第3話:学園デビューは手編みバッグで
新学期の朝、寮の玄関前は華やかな衣装の令嬢たちで埋め尽くされていた。
宝石を散りばめたクラッチバッグ、魔力で自動開閉する高級魔具バッグ、貴金属がきらめくパーティ仕様――どれもこれも、眩しいほどだ。
その中で、ひとりだけ違う雰囲気の少女が歩いてくる。
アメリア・フォン・ディアライト。
名門公爵家の令嬢でありながら、手に提げているのは――
淡いラベンダー色の、ふわふわした手編みトートバッグ。
柔らかい毛糸で丁寧に編まれ、端には小さな花の刺繍。
ふっくりとしていて、見るからに「優しい」バッグだった。
その瞬間、周囲にひそひそ声が走る。
「見て……あれ、毛糸?」
「うそ、可愛いけど……学園デビューで手編み?」
「しかも公爵令嬢なのに、庶民の趣味?」
「ブランド物じゃないの?」
アメリアは気づいている。
気づいているが――聞こえないふりをして歩き続けた。
背筋を伸ばし、堂々と前へ。
(……想像以上に目立つわね。毛糸バッグ、罪深い)
内心で額に手を当てる。
本当はちょっと不安。笑われていることも分かる。
でも、アメリアの結論は揺らがない。
(でも――毛糸は可愛い。可愛いは正義。よって問題なし)
むしろ胸を張って、ふわふわの取っ手をぎゅっと握る。
(初日から気にしていたら、編み物令嬢の名が廃るわ)
自分に言い聞かせ、アメリアは寮を後にした。
教室に入った瞬間、アメリアは視線を浴びた。
机に置いた毛糸バッグを見つけた数人が、口元を押さえてクスクスと笑う。
「まだ持ってきてるの?」
「本当に編み物好きなんだ……」
露骨な声音。
けれどアメリアは、涼しい顔で自分の席に座った。
(大丈夫。毛糸は裏切らない)
バッグから整頓された毛糸と小さな道具入れを取り出し、静かに並べていく。
それだけで胸が落ち着く。
この時間だけは、どれほど世界がざわついていようと関係ない――
「……あのっ」
小さな声が机の横で震えた。
顔を上げると、昨日廊下で見かけた気の弱そうな令嬢が、両手で小包を抱えて立っていた。
「あなた、昨日……ストールを編んでいた方ですよね?」
「ええ、そうですが?」
少女はおそるおそる、小包を差し出す。
包み紙から漂う、ほんのり甘い香り。
「あ、あの……これ。お菓子です。
いつかで構いません。もしよろしければ……私にも、編んでいただけたら」
その瞬間、教室が静まり返った。
「え、依頼してるの?」
「あの手編みを? どうして?」
囁きが飛び交う中、依頼した少女はにこりと微笑む。
「昨日、友人が貸してくれたストールを巻いて寝たら……とてもよく眠れたんです。
いつもは途中で起きてしまうのに」
教室の空気が揺れる。
「……気のせい、よね?」
「そんな、毛糸で?」
「でも顔色、良くない?」
そのどよめきを背に、アメリアは静かに頷き、小包を受け取った。
「ありがとうございます。
順番になりますが、必ず編みますわ」
少女の顔がぱっと華やぐ。
「……! 楽しみにしています!」
嬉しそうに席へ戻っていく背中。
それを見つめながら、アメリアは小さく微笑んだ。
(――この世界、本当に“癒やせる”のかもしれない)
まだ誰も確信できない。
でも確かに、一人ずつ変わっていく。
冷笑に混じって、確かな「求める声」が育ち始めていた。
授業が終わり、教科書を抱えて廊下に出る。
アメリアは肩から、淡いラベンダー色の毛糸バッグをかけた。
ふわり――毛糸が揺れる。
その瞬間、すれ違った男子生徒が足を止めた。
「……あれ?」
彼は自分の胸に手を当て、ぼんやりと呟く。
「なんか……肩の力が抜けたような……?」
気のせいだ、と首を振りながらも、顔は穏やかになっていた。
さらに階段を上る途中、すれ違った女教師が眉をひそめる。
「……不思議ね。さっきまで頭が痛かったのに……」
アメリアは気づかない。
ただ、楽しげに毛糸の触り心地を楽しんでいるだけ。
(この編み目、可愛い……)
そのまま教室へ戻り、席につく。
毛糸バッグを机にそっと置いた。
――途端に。
騒がしかった教室が、ふっと静まり返る。
ざわざわと喋っていた声が弱まり、やがて鉛筆の走る音だけが響き始めた。
「……なんか、この教室、落ち着かない?」
「逆じゃない? 落ち着く、っていうか……眠く、ならないけど……心地いい」
言葉にした生徒が、自分で首をかしげる。
「気のせいよ! ……でも、確かに……勉強が捗るわ」
ページをめくる音が、いつもより静かに、優しく続いていく。
アメリアはそんな周囲の変化に気づかず、バッグを撫でながら机に肘をついている。
(ふふ。今日も糸が柔らかい。
このバッグ、作ってよかった)
彼女の小さな幸福が、気づかぬうちに、教室全体を包み込んでいた。
だが、全員が穏やかだったわけではない。
窓際のソファ席。
取り巻きを従えた令嬢たちが、ひそひそと声を潜める。
「信じられないわ。公爵令嬢が手芸?」
「庶民の真似事ですわよねぇ。
そのうち学園中の笑い者になるのがオチですわ」
まるで毒の混じった紅茶のような言葉が、くすくすとこぼれる。
しかし。
「…………あの、アメリア様」
恐る恐る近づいてきた一年生の少女が、小さく袋を差し出した。
「こ、これ……昨日のお礼のクッキーで。
その、お願いがあって……」
少女は耳まで真っ赤にして、囁く。
「――安眠用のシュシュを、作っていただけませんか?」
アメリアは目を瞬かせ、そしてふわりと笑った。
「もちろんですわ。順番になるかもしれませんけれど、必ず」
少女の顔がぱっと明るくなる。
その様子を見ていた別の生徒が、そっと近づく。
「あの……わ、私も……!
手首が冷えると集中できなくて……リストウォーマーを……」
数分も経たないうちに、さらに2人、また1人。
「――勉強の時に心が静かになる気がして……」
「――寝る前につけると、すごく安心するの」
ひっそりとした依頼は、気づけば列のようになっていく。
窓際の令嬢たちは、わなわなと紅茶を震わせた。
「な、なによ……。どういうこと……?」
「どうして、あんな……毛糸なんかに……」
しかし当のアメリアは、
取り囲まれることにも気づかず、依頼メモを嬉しそうに書き留めている。
(……編むものが増えるって、こんなに嬉しいことなのね)
その頬は、春の日差しのように柔らかな笑みを帯びていた。
放課後の石畳は、春の風に花の香りを乗せていた。
アメリアは、ふわふわの手編みバッグを腕に掛け、のんびり寮へと帰っていたが――
途中でふと立ち止まった。
「……重い?」
軽いはずの毛糸バッグが、ずしりと腕に食い込んでいる。
不思議に思い、そっと口を開く。
「……え?」
中には、たくさんの小さな紙片がぎっしり詰まっていた。
丁寧に折られた依頼のメモ。
それから、角砂糖のように包まれた可愛らしいお菓子の数々。
アメリアは思わず息を飲む。
(こんなに……? これ、もはや……商売になるのでは?)
脳裏に、「毛糸店経営」の文字が浮かび――
その瞬間。
「――面白い噂を聞いたよ、公爵令嬢」
背後から響いた涼やかな声に、アメリアは肩を跳ねさせた。
振り返ると、夕暮れの光を背負った青年が立っていた。
白金の髪、薄紅の瞳。
気品と冷静さを兼ね備えた、第二王子・ユーグ・ルクセン。
学園でもっとも近寄りがたい美貌の青年が、こちらを静かに見下ろしている。
「――毛糸で、人を癒すんだって?」
風が一瞬止まったように、周囲の空気が張り詰める。
アメリアは、口を開きかけて――
言葉が喉の奥で止まった。
微笑とも、興味ともつかない表情で、ユーグは続ける。
「……君の“編み物”に、興味がある」
その一言を残して青年は歩き去り、
アメリアは呆然と立ち尽くす。
(な、なんで王子様まで……!?)
しかし、バッグの重さは確かに幸福だった。
そして、その夜。
学生たちの間でこんな噂が広まる。
「毛糸バッグは、いつの間にか――
学園で一番、予約の取れない品になりつつあった。」




