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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第27話:第二王子の想いの形

夜の王都は、昼間の喧騒を忘れたように静まり返っていた。

 高台にそびえる王城のバルコニーからは、無数の灯りがまるで星の群れのように広がって見える。


 その光景を見下ろしながら、第二王子ユーグは手すりに片肘をつき、深く息を吐いた。

 遠く、王立学園の方角に目をやる。その先に、ひとりの少女の姿を思い浮かべる。


 アメリア。

 癒やしの編み物――かつて禁じられ、嘲笑されたその行いが、今や国の希望として語られている。

 議会は正式に禁止令を撤回し、王家はそれを“国の力”として認めた。

 民は喜び、街には笑顔が戻った。


 だが、その中心にいる彼女自身はどうだろう。


 ユーグは夜風に揺れるマントの裾を抑え、静かに瞳を細めた。


(君は笑っていた。――けれど、その笑顔が一番危うい)


 あの真っ直ぐな心、誰かを癒やしたいと願う優しさ。

 それは世界を変える力であると同時に、世界の矛盾に晒される光でもある。

 人は理解できぬものを恐れ、妬み、壊そうとする。

 奇跡を信じぬ者たちは、必ずまた動き出すだろう。


 ユーグは指先で冷たい欄干をなぞり、ふと小さく呟いた。


「……君は、強いようで、脆い」


 月光が彼の金の髪を照らし、夜の静寂の中にその横顔を浮かび上がらせる。

 憂いを帯びた瞳には、王族としての責務よりも、一人の人間としての祈りが宿っていた。


(あれほど純粋なものを、世界は放っておけない――)


 彼の胸中に灯るのは、まだ名もなき感情。

 守りたいという思いと、言葉にならない焦がれが交じり合う。


 やがて、遠くから鐘の音が響き、夜風が彼の頬を撫でた。

 ユーグは静かに目を閉じる。


(ならば、私は――あの笑顔を、もう二度と曇らせはしない)


 決意のような思念が、ひとつの光となって夜空に溶けていった。

 王都の灯りはまるで彼の胸の鼓動に呼応するように、柔らかく瞬いていた。



王都での議会が終わってから、数日後のことだった。

 学園の中庭に、突然、王家の紋章を掲げた馬車が到着した。


 瞬く間に生徒たちはざわめき、教師たちが慌ただしく整列する。

 王族の来訪――それも、あの“第二王子ユーグ殿下”が再び訪れるというのだ。


 夕刻の光が校舎の壁を橙に染める中、王子は静かに馬車を降りた。

 威厳を纏いながらも、その足取りにはどこか柔らかなものがあった。


 ――目的は、“感謝の挨拶”と“再調査”。

 形式上はそれだけだった。

 けれど、彼の視線は最初からひとりの少女を探していた。


 アメリア。


 手に毛糸を抱え、少し慌てたように駆けつけてきた少女が、彼の前で立ち止まる。

 胸の前で両手を揃え、深々と頭を下げた。


「王子殿下が……またお越しになるなんて……」


 その声は震えていたが、どこか嬉しそうでもあった。


 ユーグは微笑みを返し、ゆっくりと首を横に振った。


「君に、直接礼を言いたかった」


 その言葉に、アメリアの肩が小さく跳ねる。

 学園のあちこちから、息を呑むような音が聞こえた。


 だが、二人の間だけは不思議なほど静かだった。

 夕陽が窓から差し込み、アメリアの髪を金色に照らす。

 それはまるで、彼女自身が“光”を編んでいるかのようだった。


 ユーグはふと、息を忘れた。

 ――この光を、彼はもう何度見ただろう。

 それでも、見るたびに胸の奥が熱くなる。


 アメリアは顔を上げ、戸惑いながらも微笑む。


「そんな……私はただ、みんなと編み物をしていただけで……」


「“ただ”なんて言葉で片づけないでほしい」

 ユーグの声が、思わず強くなる。

 彼は一瞬、言い過ぎたと気づき、少し表情を和らげた。


「……君は、世界を変えた。学園を、そして――この国を」


 アメリアは目を瞬かせ、頬を赤らめた。

 窓の外、橙から紫へと変わる空の色が、ふたりの間に淡く溶けていく。


 沈黙。

 けれど、その静けさは気まずさではなく、言葉にできない“何か”を共有する温度だった。


 毛糸を抱えたアメリアの手が、光を受けて微かに輝く。

 ユーグはその光に目を細めながら、ゆっくりと息を吐いた。


(この温もりを、もう誰にも奪わせはしない)


 そう誓うように、彼の瞳には静かな決意が宿っていた。


中庭の片隅。

 木々の間を縫うようにして夕風が流れ、葉擦れの音が優しく響いていた。


 王族の随行員たちは遠巻きに控え、ふたりだけの空間がそこにあった。

 石造りのベンチに並んで座るアメリアとユーグ。

 言葉を交わす前に、短い沈黙が訪れる。


 アメリアは膝の上で毛糸をいじりながら、ちらりと王子を見上げた。

 その横顔は、どこか穏やかで、それでいて遠いものを見つめているようだった。


 やがて、ユーグが口を開いた。

 ゆっくりと、噛みしめるように。


「君は、世界を変えた」


 アメリアは目を瞬かせる。

 彼の声は静かだったが、その一言に込められた想いの重さに気づいて、息を呑んだ。


 ユーグは視線を逸らさず、まっすぐに彼女を見つめて続ける。


「誰かを救いたい――ただその想いだけで、国の法が動いたんだ。

 “癒やしの編み物”が認められたのは、君が信じ続けたからだ。

 ……そのことを、誇っていい」


 アメリアは小さく首を振った。

 夕陽の光が頬を染め、まるで彼女自身が灯りを宿しているかのように見えた。


「……私、ただ編んでいただけです。

 誰かが笑ってくれるなら、それで十分なんです。

 好きなことをして、助けられたなら……それ以上のことなんて、ないですよ」


 その言葉に、ユーグは一瞬、息を止めた。

 そして、堪えきれずに小さく笑う。


「君は……本当に不思議な人だ」


 アメリアはきょとんとした表情で首をかしげた。

 その素朴な仕草に、ユーグの胸がまた静かに揺れる。


(君は力を持っても、決して誇らない。

 誰かに褒められても、なお“普通でいよう”とする。

 ――だからこそ、誰よりも眩しい)


 王族としての重責に生きる自分とは、あまりにも違う。

 権力ではなく、心で世界を動かす少女。


 ユーグはそっと息を吐き、穏やかに言葉を継いだ。


「その“好き”という気持ちが、この国を救ったんだよ」


 アメリアは驚いたように彼を見つめ、次の瞬間、照れくさそうに微笑んだ。


 オレンジの空がゆっくりと群青に変わっていく。

 ふたりの間に落ちる影は、どこか温かく――

 まるでその時間そのものが、王国の“静かな奇跡”のようだった。


 夕陽が沈みかけた中庭に、静寂が落ちていた。

 さっきまでの穏やかな会話の余韻が、風とともにゆるやかに流れていく。

 アメリアの膝の上では、小さな毛糸玉が揺れていた。

 金糸のような夕光を受けて、それはまるで彼女の心の鼓動を映しているようだった。


 沈黙ののち、ユーグが口を開く。

 声は低く、けれどどこか優しい響きを帯びていた。


「……前に、言ったことを覚えているかい」


 アメリアは少し驚いたように顔を上げる。

「え?」


 ユーグは視線を逸らさず、まっすぐに彼女を見つめていた。

「“君が望むなら、私が守る”――あの言葉を」


 アメリアの胸の奥に、あの夜の記憶が蘇る。

 毒の煙に倒れかけた自分を抱きかかえ、彼が真剣な瞳で告げたその言葉。

 心のどこかにずっと残っていた。


「……はい。でも、あれは……」


 そう言いかけた瞬間、ユーグが少しだけ笑った。

 寂しさと、何かの決意を含んだ微笑だった。


「もう一度、聞いていい?」


 アメリアは息を呑む。

 夕風が吹き抜け、金の糸がひらりと揺れた。


 そして、ユーグはゆっくりと告げる。


「――君は、私に傍にいてほしいと思うか?」


 その一言が、アメリアの心に深く染み込む。

 言葉の意味を理解するまでに、少しの時間が必要だった。


 頬が熱くなり、視線を逸らす。

 胸の鼓動が早まり、うまく言葉が出てこない。


「わ、私は……」


 それ以上、続かなかった。

 けれど――その手がすべてを語っていた。


 アメリアの指先が、膝の上で小さく震えている。

 逃げるでもなく、拒むでもない。

 ただ、触れたら壊れてしまいそうなほどの小さな、正直な反応。


 ユーグはそれを見て、静かに微笑んだ。

 その表情には、王子としての威厳も、貴族の仮面もない。

 ただ一人の青年として、彼女の心の答えを受け止めていた。


(――十分だよ)


 言葉にはしない。

 けれど、彼の瞳には確かな温もりが宿っていた。


 日が沈み、空の色が群青へと変わる。

 二人の影が長く伸び、まるでひとつに重なっていくように――。


風が、静かに夜を運んできた。

 校舎の灯りがひとつ、またひとつと消えていく。

 残されたのは、星明かりと、二人の影だけ。


 中庭の空気はすっかり冷えていたが、不思議と心は穏やかだった。

 アメリアの膝の上には、編みかけの毛糸。

 淡く金色に揺れる糸が、まだほんのりと温もりを残している。


 ユーグはゆっくりと立ち上がり、彼女を見下ろした。

 その瞳には、名残惜しさよりも――確かな決意があった。


「いつか、またこの場所で聞こう」


 その声は、夜風に溶けるように柔らかく響いた。

「そのとき、君が笑っていられるなら――それでいい」


 アメリアは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。

 嬉しくて、寂しくて、でもどこか救われるような感情。


 唇を噛みしめて、それでも笑おうとする。

「……そのときまで、私、編み続けます」


 ユーグの瞳が一瞬だけ揺れた。

 そして、穏やかに微笑むと、彼は背を向ける。


 風が彼のマントを揺らし、夜の闇へと溶けていった。

 残されたアメリアは、しばらくその背中を見つめていた。

 何かを言いたい気持ちが喉まで込み上げたが、言葉にはならなかった。


 静寂の中、彼女の膝の上に置かれた毛糸がふわりと光を放つ。

 淡い光は、涙の粒に反射して、小さな虹を描いた。


 それは恋のはじまりというには、まだあまりに静かで、

 でも確かに“想いの芽生え”を告げる光だった。


 アメリアはその光を胸に抱きながら、

 夜空を見上げ、そっと呟く。


「……ありがとう、殿下」


 月が雲間から顔を出し、糸の光と重なった。

 それはまるで、遠く離れてもなお、心がひとつである証のように――。


王都の夜は静かだった。

 遠くで鐘の音がひとつ鳴り、風が街路樹を揺らす。

 高い塔の上――その頂に立つ青年の影が、月光を背に浮かび上がる。


 第二王子ユーグは、ひとり夜空を見上げていた。

 銀の光が髪に降りかかり、瞳の奥で揺らめく。

 その目に映るのは、月でも星でもない。

 ――あの少女の笑顔。


(君の優しさが、世界を変えた)


 心の中で、静かに言葉が零れる。

 それは誰にも聞こえない祈りのようで、

 しかし、確かに熱を帯びていた。


(なら、私はその世界ごと、君を守りたい)


 彼の胸に宿る想いは、まだ名前を持たない。

 けれど、確かに燃えている。

 義務でも使命でもなく、

 ただひとりの少女を想う、まっすぐな光として。


 風がマントを翻し、夜が静かに流れていく。

 ユーグは目を閉じ、ひとつ息を吐いた。


 その決意は、まだ言葉にはならない。

 だが、胸の奥で灯った“恋という名の光”は、

 これから訪れる嵐の中で、決して消えることはない。


 月が彼の肩を照らし、

 その姿はまるで――王国の未来を見守る“灯”そのもののようだった。






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