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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第21話:教師の娘の奇跡、再び

昼休みが終わり、校内はさっきまでの騒ぎが嘘のように静まっていた。

とはいえ、生徒たちはそわそわしている。

男子たちは満足げに胸を張り、女子たちは肩を寄せ合いながらヒソヒソと話していた。

教師たちは――というと、困ったように眉を寄せ、しかし強く咎めることもできず、結局「まぁ……危険じゃないなら……」と、曖昧な“黙認”に落ち着いていた。


正式に禁止が解かれたわけではない。

だが、空気が変わったことは誰の目にも明らかだった。


アメリアは、教室の隅で使い慣れた毛糸をそっと握っていた。

編んではいけないと言われても、手は勝手に形を覚えてしまっている。

それでも、今は堂々と机に置いておける。それだけで胸がふわりと軽くなっていた。


──そのとき。


廊下から、聞き覚えのある声がした。


「……あの、アメリアさんはいますか?」


振り向けば、以前アメリアのハンカチで怪我が治った教師の娘――可憐カレンが、母である女性教師と一緒に立っていた。


アメリアは思わず立ち上がる。


「カレンちゃん? どうして……?」


カレンの母は、いつも冷静で厳しい印象の教師だったが、その表情はどこか困惑していた。

しかし、困りながらも信じようとしている、そんな揺らぎが見える。


「……あなたに、見てほしくて。これを」


彼女はカレンの手をそっと取った。

包帯が巻かれている。

いや、巻かれていた――正確には、だ。


母親は包帯を少しずつ外す。

現れた皮膚には、ほんの数時間で塞がるはずがない小さな切り傷が、かすかな赤みだけを残してほとんど完治していた。


アメリアは息を飲む。


「……また、傷が治り始めています。前回と、同じように」


ミラベルが音もなく近づき、真剣な目で傷跡を見る。

隣にはユーグもいて、眉を寄せて小声でつぶやいた。


「これ……前と同じスピードじゃない?」


カレンは恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑う。


「お母さんが……また、アメリアさんのハンカチを当ててくれたの。そしたら、あのときみたいに、ちっとも痛くなくて……」


周りの空気が変わる。

ただの偶然、ただの噂、ただの庶民の布――。


そのどれでもない証拠が、目の前にあった。


アメリアは驚きで声が出なかった。

胸の奥が熱くなり、手が震えた。


(ほんとうに……?

 わたしの、編んだもので……?

 また誰かの役に立てたの……?)


ミラベルが、そっとアメリアの肩に触れる。


「偶然だったら、二度は起きないわ」


静かで、でも揺るぎない声。

アメリアの胸の奥に染みる。


教師の母は深く息をつく。


「……だから、確認しにきました。あなたの力を、否定しないために」


校舎は静かだった。

さっきまで響いていた男子たちの叫び声よりも、ずっと静かで、ずっと重い瞬間だった。


アメリアは、ゆっくり、ゆっくりとうなずいた。


「……ありがとう、ございます」


その一言は、震えていた。

だけれど、確かな自信が宿り始めていた。


偶然じゃない。

たまたまじゃない。

彼女の優しさは、確かに誰かを救った。


――その証拠が、ここにあった。


午後の授業は、一部の生徒にとって上の空だった。

教室の外では、教師たちが互いに囁き合い、保健室へ向かう足音が絶えない。


――その中心にいるのは、アメリアだった。


保健室には、普段ならありえないほど大勢が集まっていた。

保健医、数名の教師、そして生徒会役員たち。

もちろんカレンと、彼女の母もいる。


小さな部屋は、緊張で空気が重くなっていた。


保健医が慎重に、カレンの手の包帯を外す。

現れた傷跡を見て、部屋の空気がわずかに揺れた。


「……これは、明らかに普通じゃありませんね」


保健医が低くつぶやく。


「転んだと聞いてから、まだ四十時間も経っていない。

 本来なら、皮膚の再生だけでも数日は必要です。

 なのに……ほとんど塞がっている」


別の教師が、信じられないという声で続ける。


「前回のことは……偶然、と思っていましたが」


保健医は険しい顔のまま、しかしどこか期待するようにアメリアを見る。


「このハンカチを当てると、痛みが引いたと言われましたね。

 そして、治癒が進んだ。

 ……何か、特別な魔法を?」


アメリアは小さく首を振った。


「いいえ。

 わたしには……魔法は使えません」


視線が一斉に彼女へ向く。

その中で、アメリアはほんの少しだけ息を吸い、言葉を選んだ。


「これは、私の力じゃありません。

 たぶん、もっと、誰にでもできることで……」


自分でも不思議だと思っている。

でも、心だけは確かだった。


「カレンちゃんが痛くないようにって、そう願って……

 想いを込めて編んだから、だと思うんです」


誰も言葉を返せない。

魔法を使ったわけでも、特別な薬を使ったわけでもない。


科学でも魔法でも説明できない――でも、確かに“そこにあった優しさ”。


生徒会役員の一人が、小さな声でつぶやく。


「……もしそれが本当なら、誰にでもできる、ということですか?」


アメリアは、迷わず頷いた。


「はい。

 私だけじゃない。

 想いを込めて、誰かのために作れば……きっと、誰だって」


それは奇跡でも、才能でもない。

人が人を想う気持ち。

誰もが忘れかけていた、当たり前で、でも強い力。


その瞬間、保健室の空気が静かに変わった。


教師たちは顔を見合わせ、息を吸い込む。


――もう、「偶然」では済ませられない。


そして、その結論は、学園全体に波紋を広げることになる。



保健室の検証が終わったあと――

廊下の隅、誰もいないと思っていた場所で、教師たちの低い声が重なった。


「……危険性は、無いのか?」

「むしろ逆でしょう。早期治癒が起きているんですよ」

「いや、しかし……魔法のような現象は管理が……」


呆れたように別の教師がため息をつく。


「魔法じゃないと言っていたでしょう。あの子は」


沈黙。

そして、誰ともなく呟いた。


「……禁止にした根拠は何だった?

 “貴族らしくない”という、曖昧な理由だけで?」


ほんの一週間前、誰も口にできなかった疑問。

だが今は、目の前の事実が覆してしまった。


教師の一人が、保健室に残されたハンカチを見つめながら言う。


「私は、教育とは『正しく育つ道』を示すものだと思っていた。

 でも……優しさを止める理由が見当たらない」


その言葉に、周囲の教師がうなずく。


「むしろ、情操教育として有益では?」

「生徒の協調性も育っているように見える」

「……禁止のままでは、説明がつかないな」


――静かに、“建前”が崩れ始めていた。


一方、生徒会室の前では。


強硬派だった役員たちが、額を寄せ合い、声を潜めている。


「……ただの噂で禁止してたのか? 本当に……?」

「証拠も無いのに、身分で判断したってこと?」

「教師まで動いてきたら、もう庇いきれないぞ」


そして、アデリーナ派に属していた女子が、ぽつりとつぶやいた。


「……だって、あの子は誰も傷つけていないのよ。ただ、優しかっただけ」


誰も返さない。

否定できる者は、もういなかった。


その頃、廊下を歩く生徒たちの会話も変わっている。


「禁止の理由、なんだっけ?」

「『貴族らしくない』って……今の方がよっぽど恥ずかしくない?」

「だよな。誰かを助けることが悪いなんて、おかしい」


――大人の前で、事実が明らかになった。


“笑いから始まった小さな革命”は、

今、理性と証拠をもって、学園全体を揺さぶり始めている。


生徒たちは気づいた。


優しさは、感情だけのものじゃない。

理屈さえも、覆してしまう力を持っているのだと。


保健室の静けさが戻った頃。

包帯を巻き直したカレンは、ぎゅっと手を握ってアメリアの前に立った。


小さな肩が震えていた。

唇も、声も。


「……また、お母さんを、助けてくれて……ありがとう……!」


その言葉は、泣き声にかき消されるほど弱いのに、

誰より強く、まっすぐだった。


アメリアは瞬きを繰り返す。

笑おうとして――できなかった。


胸の奥が、熱くて、痛くて、どうにもできなくて。


ぽたり、と涙が落ちる。


「わたし……なにも、大したこと……」


声にならない。

止めようとするのに、涙だけがあふれていく。


その時、そっと背中に温かい手が触れた。


ミラベルだった。


横顔はいつもの無表情なのに、声は優しかった。


「だから言ったでしょう。

 あなたの優しさは、誰かに届くって」


アメリアの肩が、揺れた。

嗚咽ではなく、息を吸い込み、吐くために。


カレンは両手で、涙の跡が残るハンカチを握りしめている。


「おかあさん、また笑ったの……!

 前みたいに、元気になってきて……!」


その言葉が、アメリアの胸に深く落ちていく。


――偶然じゃない。


――優しさが、奇跡を呼んだわけじゃない。


ゆっくりと、アメリアは自分の手を見つめた。


(優しさは……届く。

 わたしの手でも、誰かを救える)


涙はもう、悲しみの涙じゃなかった。


笑って泣くアメリアを囲むように、

ミラベルとユーグ、そして周りの生徒たちが静かに見守っていた。


彼女はようやく信じ始めた。


“優しさは、弱さじゃない”――

それは、人を救う力になるのだ、と。


夕方。

授業が終わり、校舎に人がまばらになった頃――

廊下にひっそりと張り紙が増えていた。


誰が最初に気づいたのか、分からない。

しかし、数分後には、生徒が群れになって掲示板を囲んでいた。


 『裁縫・編み物に関する禁止措置は、一時解除とする』

 ――学園職員一同


それは、小さな紙切れに過ぎない。

華やかな印も、王族の署名もない。

けれど、はっきりと“教師たちの責任ある言葉”だった。


最初に声を上げたのは、男子だった。


「…………ってことは、編んでいいのか!?」

「うおおおおーー!!! 返ってきたぁ!!」


歓声と、意味の分からない勝ちどきが響き渡る。


女子たちは、胸に手を当てて笑みをこぼした。


「よかった……」

「もう奪われないんだね」


アメリアはひとり、掲示を見つめたまま立ち尽くしていた。


指先が震える。


“誰かの優しさ”が笑われて、奪われて、否定されて。

それが、今こうして――大人の言葉で裏返った。


後ろから、ぽんと肩を叩かれる。


「ほら、笑いなさいよ」


ミラベルの声に振り返ろうとした瞬間、

男子たちの歓喜の渦に巻き込まれる。


「アメリアー! 次は俺にも教えてくれ!」

「俺、ハンカチじゃなくてマフラー作りたい!」

「漢の裁縫部、正式始動だぁあ!!」


アメリアは――泣き笑いしてしまった。


もう誰も、奪わない。


その小さな紙切れは、宣言していた。


“優しさが許される世界に戻る”と。



放課後の保健室は、夕陽の色が差し込み、やさしい橙が床を染めていた。


包帯の置かれた机の上には、先ほどカレンが使っていた

アメリアの編んだ小さな布切れが置かれている。

その糸が光を受け、淡く輝いたように見えた。


保健医は、そっとそれを指先で撫でながら、ぽつりと漏らす。


「……彼女は、本当に“ただの子”なのでしょうか」


その問いに、近くの椅子で静かに座っていたミラベルが目を伏せる。


窓の外では、男子たちの騒ぎ声が遠くで響いている。

編み物を取り返した、と叫ぶ声。

笑い声。

未来を取り戻した、無邪気な声。


ミラベルは、ゆっくりと答えた。


「ええ。ただの子です」


少しだけ言葉を噛みしめて、続ける。


「――優しさで奇跡を起こせる、普通の子」


保健医は息をのむ。

“優しさで奇跡を起こす普通の子”――

そんな矛盾のような言葉なのに、なぜか納得してしまう。


ミラベルは立ち上がり、窓から廊下を見下ろす。

そこには、笑って走るアメリアの姿がある。


どこにでもいるような、小さな少女。

でも、誰かを癒し、世界を変え始めた少女。


ミラベル(心)

(この国は、きっと変わる)


彼女の優しさが――

いずれ、貴族社会も、王宮も、動かす力になる。


夕陽が沈み、夜がゆっくりと始まった。


小さな奇跡は、まだ序章にすぎない。



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