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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第2話:公爵家令嬢、まさかの編み物デビュー

 入学式が終わり、生徒たちはそれぞれ自由時間を満喫しはじめた。


「わたくしたち、ティールームへ行きましょう」

「新作のケーキが出ているそうよ」


 煌びやかなドレスをひらめかせ、令嬢たちは華やかに歩いていく。

 誰もが高級ティーセットや宝石の話に夢中だ。


 ――その中で、私だけは違った。


(ティールーム? そんなのより大事なことがありますわ)


「リリア、毛糸屋さんを探しましょう」


「……はい? 毛糸屋さん、ですか?」


「ええ。この学園の近くなら、必ず手芸店が一つはあるはずですわ。

 大きい街ほど、毛糸の種類も増えますもの」


 さらりと言った瞬間、護衛騎士の肩がびくりと揺れた。


「ア、アメリア様。公爵令嬢が、庶民の通りを歩かれるのは……」


「毛糸のためなら仕方ありませんわ」


「仕方ない……のですか……!」


 護衛騎士が頭を抱える一方で、私は上機嫌だった。

 破滅フラグ? 断罪? 知らない。

 いま欲しいものはただ一つ――毛糸。



 学園から少し離れた王都の石畳を歩くと、賑やかな通りの端に、小さな店が見えた。


 可愛い木の扉。小さな看板に「手芸工房 ひつじの庭」と書かれている。


「ここですわ!」


 扉を開ける瞬間、胸が高鳴ってしょうがない。



「いらっしゃいませー。……あれ、公爵様のご令嬢?」


 小さな店の奥から、優しそうな女性が顔を出した。

 庶民向けの店らしく、豪華さはないけれど、温かさが詰まっている。


 棚には色とりどりの毛糸玉。

 ふわふわ、つやつや、もこもこ。


 見た瞬間、胸が弾けた。


「まぁ……! なんて素敵なんでしょう!」


 私は気品を忘れて店にかけ寄り、毛糸を抱えた。

 白、ミント、薄紫、木苺みたいな赤まで並んでいる。


 触れた指先から、糸の柔らかさが心に染み込む。


(これなら、また誰かを笑顔にできるかもしれませんわ)


 自然と口角が上がり、気分が軽くなる。


 


 店の女性は目をぱちぱちさせた。


「公爵令嬢が……毛糸を買いに?」


「ええ。とても大事なものですの」


 堂々と答えると、女性はぱっと表情を柔らかくした。


「なら、こちらの新作なんてどうです? 軽くて、肌に優しくて、よく伸びますよ」


「まぁ! 最高ですわ!」


 侍女と護衛は困惑したまま、固まっていた。


「アメリア様……まさか本当に買われるのですか……」


「もちろんです」


「もちろん、なんですね……」


 何度もため息をつく侍女を横目に、私は幸せいっぱいで毛糸を抱えた。


 


(ふふ、これでまた編めますわ。人生に希望が戻ってきましたわ)


 誰も知らない。

 この小さなお店で、悪役令嬢の運命がまたひとつ、静かにズレ始めたことを。



購入した毛糸を抱えて、私は寮の自室に戻った。

 公爵家令嬢専用の広い部屋。大きな窓、白いレースのカーテン、柔らかな絨毯――けれど今の私が気になるのは、家具でも宝石でもなく。


(ここなら、ゆっくり編めますわね)


 そう考えただけで胸が温かくなる。


 椅子に腰を下ろし、毛糸を膝に乗せる。

 指先でふわりとつまむと、ミント色の糸は柔らかくて、春の風みたいに軽かった。


 針を持つ指が、自然と動き出す。


 ――カチャッ、カチャッ。


 滑らかな糸が、音を立てて形になっていく。

 魔法でも秘術でもない。ただの編み物なのに。


 糸をすくい、引き抜き、編んで、重ねて。


 次第に私の視界から、煩わしい考えが消えていく。


(断罪イベント、破滅フラグ、王子ルート……)


 気づいた時にはすべて遠くに追いやられていた。


(わたくし、転生してからずっと怯えてばかりでしたわね)


 でも――。


(こうして編んでいる時だけ、世界が静かになる)


 指先が踊る。糸は優しい弧を描く。

 ただそれだけで、胸の奥がゆるゆるとほどけていく気がした。


 


 侍女のリリアは、後ろでじっと見守っていた。


「アメリア様……やっぱり、すごく早いですわ。まるで糸が、自分から形になっていくみたい」


「ふふ。慣れですわよ」


「昨日いただいたシュシュも、つけた瞬間、体がふわっと軽くなったんですの。

 寝つきも良くて……朝起きたら頭痛まで消えていましたわ」


「それは、気のせいですわ。けれど、そう言ってくださると嬉しいです」


 軽く笑って返したものの――。


(……気のせい、かしら?)


 前世でも、こんなことがあった。

 私が渡した小物を身につけた友人が、不安が取れたように笑ってくれたこと。

 ただの偶然だと思っていた。


 けれど。


 編み物をしていると、胸の奥がじんわり熱くなる感覚がある。

 祈るような気持ちで、糸を結んでいるからだろうか。


 


「アメリア様。とても綺麗な色ですのね」


「ええ。春を身に纏うみたいでしょう?」


 窓から差し込む陽光が、ミント色にきらりと反射する。

 魔石の輝きより、ずっと優しくて、穏やかで。


 


 編み進めているうちに、部屋中の空気が柔らかくなっていく。


 リリアはうっとりと瞼を落とした。


「見ているだけで……胸が温かくなりますわ……。

 なんだか、今日一日の疲れすら溶けていくような」


(本当に、そんな効果があるのかしら)


 否定したいのに、糸を通すたびに、心まで落ち着いていくのを自分でも感じる。


 針の音が、静かな部屋に優しく響いた。


――カチャッ、カチャッ、カチャッ。


 やがて、膝にそっと広げたミント色の布が形を変えていく。

 柔らかく、丸く、包み込むような形に。


 


(こんな時間が、ずっと続けばいいのに)


 破滅フラグも、王子の婚約者としての重圧も。

 いまはただ、毛糸と向き合う穏やかな自分だけがいた。


夕方になる頃、小さなストールが編みあがった。

 ミント色の糸は、首元に寄り添うようにふわりと丸く形を整えている。


「リリア、寒くなってきましたし……よろしければ、どうぞ」


 そっと差し出すと、リリアはぱちぱちと瞬きをし、慌てて両手を振った。


「と、とんでもありません! そんな高貴なお品を、わたくしなんかがいただくなど……」


「お願い。使ってくださる方がいらっしゃると、編んだ甲斐がありますもの」


 言葉に嘘はなかった。

 誰かに喜んでもらえるなら、これほど嬉しいことはない。


 恐る恐るリリアが受け取る。

 指でそっと生地を撫で、ゆっくり首元に巻きつけた。


 ――その瞬間。


「……っ!」


 リリアの肩がぴくりと震え、目が驚きに丸くなる。


「リリア?」


 声をかけると、侍女はゆっくりと胸に手を当てた。


「……身体が、軽い……気がしますの……?

 さっきまで、背中がだるくて、頭が重かったのに……」


 言葉は消え入りそうなのに、その瞳ははっきりとした驚きで揺れていた。


「なんだか息がしやすいですわ。胸がつかえていたのが、すっと消えたような……」


 リリアは首元を押さえたまま、小さく息を吐く。


「……あたたかい……心まで、包まれていくような……」


 その様子に、私はくすりと笑ってしまった。


「まぁ、気のせいですわ。編みたてですもの。毛糸が柔らかくて、気持ちいいのでしょう」


「そ、そうかもしれませんわね……」


 けれど――そのとき、私は見た。


 リリアの胸元で揺れるミント色のストールが、ほんの一瞬だけ光ったことを。


 夕陽の反射にしては、あまりにも柔らかく、淡く、あたたかい光。


(……見間違い?)


 そう思いながらも、胸がざわついた。


 ストールは、編み目ひとつひとつが花のように膨らみ、まるで呼吸するみたいに優しく揺れている。


 リリアはうっとりと微笑んだ。


「アメリア様……こんな素敵なもの、いただけるなんて……とても幸せです」


「喜んでいただけたなら、それで充分ですわ」


 窓の外では、夕暮れが金色に染まり、鳥たちが帰り道を急いでいる。


 部屋には、まだほんのりと糸のぬくもりが残っていた。


(……魔法? いいえ、そんなはず……)


 否定しようとしたけれど、胸の高鳴りは止まらなかった。


 毛糸が紡ぐ小さな幸福は、まだ誰も知らない――


 でも確かに、ここから始まっていた。



 翌日。

 貴族科の廊下を歩いていたときだった。


 私は、陽当たりの良い窓際のソファに腰を下ろし、

購入したばかりのふわふわした糸を編んでいた。


 広い廊下の向こうで、ひそひそ声が聞こえる。


「……ねぇ、見て。あれ、公爵令嬢じゃない?」

「本当だわ。なんで編み物してるの?」


 気づかないふりで針を動かし続ける。

 編み目に光が通るたび、毛糸の色が小さく揺れる。


 やがて令嬢たちが、そろそろと近づいてきた。


「……本当に編んでる……」

「初めて見たわ。あんなに綺麗に編めるのね……」


 覗き込む瞳は、なぜか敵意ではなく、

小動物を見るときのような目だった。


(……悪役令嬢、どうしたのかしら?って顔ですわね)


 けれど、針を進めるたびに、彼女たちの表情が柔らかくなっていく。


「……なんだか、落ち着くわ」

「動きを見ているだけで、心が静かになるというか――」


 うっとりとした声まで聞こえてきて、思わず笑いそうになる。


 そこへ、ストールを巻いたリリアが通りかかった。


「あら、アメリア様。お茶をお持ちしましたわ」


「ありがとう、リリア」


 令嬢たちの視線が一斉にストールへ向く。


「……ちょっと待って。昨日、顔色悪かった侍女よね?」

「え、めちゃくちゃ元気そうじゃない?」

「むしろ……なんか綺麗になった?」


 リリアは困ったように笑った。


「アメリア様が編んでくださったストールなんですの。

 つけていると、心が温かくなるような気がいたしますのよ」


「えっ、魔法?」「回復の付与?」「高級品?」


「い、いえ! そんな大層なものでは!」


 リリアがあわてて手を振ったが、ざわざわは止まらない。


「公爵令嬢の趣味が……人助け?」

「いじめるどころか、癒やしてる……?」


 ひそひそ声に、私は静かにストールの毛先を摘み、笑った。


「気のせいですわ。ただの毛糸と編み針。どこにでもあるもの」


 けれど――令嬢たちは、それ以上を感じていたようだ。


「……なんだか、見ているだけで幸せになる」

「確かに、癒しの魔法みたい……」


 やがて彼女たちの視線は柔らかくなり、

敵意よりも、興味と好奇心に変わっていた。


 その小さな変化が、後に誰も予想しないほど大きな波になることを、

このときの私はまだ知らない。


 翌日の昼休み。

 学園のあちこちで、妙な噂が聞こえ始めていた。


「悪役令嬢なのに優しいらしいわよ」

「侍女にストールを編んであげたんですって」

「しかも、つけた人の体調が良くなるみたい」

「むしろ……天使じゃない?」


「いや、そんな……でも昨日見たわ。

 編んでいるだけなのに、見ているこっちが癒やされるの」


 私はそんな声を背に、いつものように毛糸を抱えて廊下を歩く。


(悪役令嬢が天使? どういう理論ですの……)


 ただ好きで編んでいるだけなのに、なぜか周りが勝手に盛り上がっている。

 しかし――噂は止まらない。


「聞いて、昨日泣いてた子にハンカチ編んで渡したんだって」

「泣き止んだらしいわよ!」

「だから天使なんだってば!」


(泣いていたから渡しただけですわ……)


 そんなふうに心の中でツッコミながら、廊下を曲がったそのとき。


「あ、あのっ!」


 突然、すれ違いざまに見知らぬ女子生徒が飛び出してきた。


「わた、わたくし……!」

 顔を真っ赤にし、ぎゅっと拳を握りしめている。


 なんでしょう?と微笑むと、彼女は震える声で言った。


「そ、その……いつか、わたくしにも……編んでいただけませんか?」


 私は思わず硬直した。


(……依頼? まさかの注文?)


 数秒の沈黙。

 彼女は今にも泣きそうに縮こまっている。


 仕方なく――私はふわりと微笑んだ。


「ええ、もちろん」


「ほ、本当ですの……!?」


「ただし、お代は……」


 生徒がごくりと息を呑む。


「お菓子一つで」


「ひっ……!!」


 なぜか叫びに近い声を上げ、彼女は顔を真っ赤にして走り去っていった。


 ぽかんと立ち尽くす私の後ろで、周囲の生徒たちが騒然とする。


「聞いた!? お菓子でいいんだって!」

「なんて良心的!」

「やっぱり天使だわ!!」


(どこで悪役要素を落としてきましたの、私)


 頭を押さえつつ、自室へ戻る。


 だがその日の夕方――


 部屋の扉の前には、そっと置かれた小箱。


 中身は色とりどりのお菓子。


 そして、添えられた一枚のメモ。


『いつか、編んでいただけたら嬉しいです』


 私は小さく息を漏らし、思わず笑ってしまった。


「……そんなに、ほしいのですの?」


 毛糸を手に取り、そっと糸を指にかける。


 その瞬間。


 今度は、編み針が淡くきらりと光った。


 気づかぬふりをして、私は糸を編み始めた。


 ――そして。


そうして、悪役令嬢アメリアの“編み物依頼”は、

ひっそりと予約で埋まり始めていった。



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