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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第19話:ミラベルの選択

朝の光が差し込む廊下は、いつもより騒がしい。

けれど、その声のほとんどは笑いでも挨拶でもなく――ひそひそと交わされる、刺すような噂話だった。


「聞いた? 第二王子が、あの子を庇ったらしいわよ」

「庶民のくせに、王族に取り入ろうとしてるんじゃない?」


まだ誰も、本人を見ていないのに。

事実はとっくに形を変え、都合のいい悪意へと塗り替えられていた。


やがてアメリアが教室に入ると、空気が目に見えて揺れた。

声量が少しだけ大きくなり、しかし、誰も目を合わせない。


「調子に乗ってるわよね」

「だって庶民だもの、上に媚びるしかないでしょう?」


アメリアは、笑おうとした。

いつものように、強くて明るいふりをして――けれど、今日は少し違った。


上手く笑えない。

口元が震え、目が伏せられる。

「大丈夫ですよ」の言葉は、もう喉までしか上がってこない。


ミラベルは席からそれを見ていた。

ただ、見ているだけ。

声も出なければ、立ち上がることもできない。


(――また、だ)


かつての自分がされていたことと、何も変わらない。

笑われ、否定され、誰も助けてくれなかった日々。


(苦しいって、あんな顔になるのね)


胸がきゅっと締めつけられる。

視線を逸らせば、気づかないふりができる。

それが一番楽で、安全で、波風も立たない。


――けれど、ミラベルは逸らさなかった。


黙ったまま、アメリアの背を見つめ続ける。

言葉にならない想いが、胸の奥でゆっくり膨らんでいく。


(どうして、あんな風に笑おうとするの?)


(どうして――泣かないの?)


その答えが分からないまま、朝は始まった。

静かで、けれど確かに何かが崩れ始めた朝だった。



休み時間。

教室の空気が、急にねっとりと重くなる。


アメリアの机の周りへ、数人の女子が音もなく集まった。

その中心には、いつものアデリーナ派の取り巻きたち。


「ねえ、聞いたわよ」

指先で机を軽く叩きながら、ひとりが笑う。


「第二王子の前で泣き真似したんだって? 同情でも買ったの?」


「“庶民は可哀想”って思ってもらえれば、優しくされるものね。便利な立場」


表情は笑っているのに、声は刃のように冷たかった。


アメリアは、震えそうな手を膝の下に隠し、小さく微笑もうとする。

いつもの、耐えるためだけの作り笑い。


「そ、そんなこと……わたしは……」


けれど、声はかすれ、すぐ掻き消えた。


「うんざりなのよ、あなたの“同情を引く庶民ごっこ”」


笑顔のまま、見下ろす瞳が突き刺さる。

アメリアは唇を噛み、俯いた。


反論したら――もっと家族が悪く言われる。

父も、母も、弱い立場なのに。

自分の一言で、また迷惑がかかる。


だから言えない。だから黙る。それしか選べない。


その沈黙は、いじめる側にとって都合のいい証拠になり、

アメリアを守るはずの笑顔は、もう誰の目にも届かない。


その様子を、教室の隅で見ていたミラベルは、息を呑んだ。


(どうして……何も言わないの?)


胸の奥に、じんじんとした痛みが広がっていく。

あの日、自分もこうして黙っていた。

気づかれないために、怒られないために、見ないふりをしていた。


でも――目の前のアメリアは、違う。


黙っているのに、泣かない。

震えているのに、笑おうとする。


(こんなに苦しいのに……どうして笑えるの?

 どうして、誰も止めないの?)


ミラベルは拳を握りしめた。

爪が手のひらに食い込み、じわりと痛む。


それでも、足は動かない。声も出ない。

喉の奥で、言葉にならない何かが渦巻くだけ。


アメリアの沈黙――その優しい諦めが、ミラベルには耐えられなかった。


アメリアの机を囲む笑い声が、教室の空気を汚していく。

誰も止めない。見て見ぬふり。

それが、この学園の「普通」。


だけど──その日だけは違った。


カタン、と椅子の脚が静かに鳴った。

ミラベルが立ち上がった。


誰もが驚いて振り向く。

彼女はいつも、人にも噂にも興味がない。

面倒ごとに関わるはずがない、そう思われていた。


ミラベルはゆっくりと歩き、アメリアと取り巻きたちの間に立つ。

視線は冷たいのに、いつもと違う。

それは相手を切るための刃ではなく、守るための盾だった。


「──それ以上、喋らないで」


声は低く、静か。

なのに、教室中の空気が一瞬で凍りつく。


アデリーナ派の女子たちは、鼻で笑った。


「まあ……驚いたわ。

 ミラベル様が庶民を庇うなんて。

 あなたまで噂に巻き込まれますわよ?」


ミラベルは瞬きもせず、ただ言った。


「構わないわ」


その一言が、異様なほど重く響く。

嘘じゃない。見栄でも、気まぐれでもない。


教室中が息を呑んだ。


ミラベル・エヴァンス。

氷の令嬢、誰にも近づかない天才。

そんな彼女が、誰かのために声を上げた──それは学園始まって以来の“事件”だった。


アメリアは目を丸くし、言葉を失う。

取り巻きたちは、苛立ちなのか、怯えなのか判断できず、顔を引きつらせる。


ミラベルは続けようと一歩踏み出した。

けれどその背中は、不思議なほど小さく見えた。


初めて誰かを守ろうと決めて、震えている。

けれど、逃げない。


「……アメリアに触れたら、許さない」


その声は、静かに、揺るがず、教室に突き刺さった。


アデリーナ派の女子たちは、あざけるような目でミラベルを見下ろした。

「言ってみなさいよ。庶民を庇う理由を」


ミラベルは言葉を探すように、唇を閉ざす。

いつもなら、感情を抑えて沈黙を選んだだろう。

うまく話せないと馬鹿にされるのが嫌で、言わない方が正しいと思っていた。


でも、今日は違う。


震える息を吸い、彼女は真正面から言った。


「アメリアは、誰も傷つけてない」


声は小さくても、揺るがない。


「誰かを笑ったことも、

 踏みにじったこともない」


アメリアの肩が、ぴくりと揺れる。

彼女はこんなふうに誰かに評価されたことがない。


ミラベルは続ける。


「優しくして……笑わせて……

 それのどこが罪になるの?」


それは貴族らしい理論でも、社会的な正義でもない。

ただの、胸からこぼれた真っ直ぐな言葉。


アデリーナ派は鼻で笑った。


「優しさで世界が変えられると?

 子どもの幻想ね」


教室がざわつく。

たしかに、それがこの学園の常識。

力と地位と家柄がすべてで、優しさなんて見下す価値観。


普通ならミラベルも引いたはずだった。

けれど、彼女はゆっくりと首を横に振った。


「変わるわ」


その声は震えていたけれど──強かった。


「わたしは……もう変わったもの」


一言一言、胸の奥から引き絞るように。


「アメリアに出会って……

 初めて、友達を欲しいと思った」


「それだけで、世界は変わったのよ」


誰も笑えなかった。

誰も反論できなかった。


ミラベルの言葉は、不器用で、拙くて、だけど誰よりも強かった。


アデリーナ派の一人が、わざとらしくため息をついた。


「ほんと反吐が出るわ。庶民の癖に王族に近づいて、哀れね」


その言葉に、アメリアは小さく肩をすくめる。

いつものように、笑って誤魔化すつもりだった。

「大丈夫です」「気にしてません」と口に出しかけたところで──


「やめて」


ミラベルの声が落ちた。


低く、静かに。

怒りで煮えたぎった叫びじゃない。

だからこそ、教室の空気が止まる。


「“庶民の癖に”って……そんな言い方、もうやめて」


アデリーナ派がふてぶてしく睨み返す。


「何? あなたまで庶民側の味方?」


ミラベルは、逃げなかった。

睨み返しもしない。

ただ真っすぐ、アメリアを守るためだけに言葉を紡ぐ。


「庶民だから、貴族だから……関係ない」


その一言は、この学園の価値観そのものを否定する強烈な破壊音だった。


「アメリアは“わたしを助けた人”よ」


アメリアが息をのみ、目を見開いた。

その名前を、ミラベルの口から、こんなに堂々と呼ばれる日が来るなんて。


ミラベルは一歩、前に出る。


「それで十分」


それは宣言。

庶民を庇ったとか、噂に巻き込まれるとか、どうでもいい。

彼女は、彼女自身の意志で選んだのだ。


“誰よりも遠くにいた少女”が──

とうとう、一歩踏み出した。


その一歩は、アメリアの人生を変える一歩であり、

同時にミラベル自身の世界を変える、取り返しのつかない一歩でもあった。


「……え、ミラベル様が?」

「アメリアを庇ってる……?」

「嘘でしょ……?」


教室中に、さざ波のようにざわめきが広がった。

囁き声は一瞬で膨れあがり、誰もが信じられないという顔で二人を見つめる。


教師でさえ、止めに入れない。

下手に口を挟めば、自分まで派閥に巻き込まれる――

そう理解しているから、動けない。


アデリーナ派の女子たちは、先ほどまでの威圧感を失っていた。

第二王子が庇っている。

ミラベルまで立った。

もう、簡単には潰せない。


「……後悔なさらないように、ミラベル様」


震えた声で、アデリーナ派の一人が吐き捨てる。


ミラベルは、微笑まなかった。

冷たい表情でもなかった。


ただ、迷いのない目で言った。


「後悔? しないわ」


その言葉は、静かに、強く。


「黙って、見て見ぬふりをする方が――よっぽど後悔する」


アメリアが震える指先で口元を押さえる。

ミラベルは、誰に言っているのでもない。

相手を責めるでも、誇るでもない。


それは、かつての自分への、決別だった。


沈黙の重さは、誰の言葉より雄弁だった。

貴族の教室で、最も“高い場所にいた少女”が、

庶民の少女の隣に、はっきりと立った瞬間――


学園の空気が変わり始めた。


嫌味も、嘲笑も、全てが引いていく。

教室は、嵐が過ぎ去った後のように静まり返った。


ミラベルは席に戻らない。

アメリアの前に立ったまま、ただ息を整えている。

胸の奥がどくどくと脈打ち、指先が熱い。


ゆっくりと、アメリアが顔を上げた。


「……ミラベルさま」


か細い声。

けれど、震えながらも、ちゃんと届く声。


「どうして……そんなこと……」


今まで、アメリアにとって「助けられる」は特別な言葉だった。

そこには恩も、恐れも、負担もついてくる。

だから、簡単には受け取れない。


ミラベルはほんの一瞬だけ視線を落とす。

言葉は、苦手。

でも、逃げないと決めた。


「だって――わたしが助けてもらったから」


短い。

飾っていない。

それでも、誰より重い言葉。


アメリアの目に、涙がにじむ。

けれど、零れない。


泣いたら、「弱い庶民」だと笑われる世界で生きてきた。

泣く代わりに、彼女は――胸を張った。


「……ありがとうございます。ミラベルさま」


その微笑みは、震えていて、ぎこちなくて、

でも、誰より誇らしげだった。


守られることに慣れていない少女が、

初めて“守られる側である自分”を認めた瞬間。


ミラベルは、その笑顔を見て小さく息を吸う。


(ああ……あの日と同じだ)


踏みにじられた自分に、

アメリアが差し出してくれたあの優しさと――同じ笑顔。


今、ようやく並んだ。


優しさを受け取り、

優しさを返す。


庶民と貴族ではない。

施しでも、借りでもない。


ここに立つのは――


初めて、対等な友達になれた二人だった。

放課後の校庭は、夕日の色に染まっていた。

昼間の喧騒はすっかり消え、風の音だけが枯れた枝を揺らす。


アメリアは、人の少ない中庭へと歩く。

手には小さな毛糸の束と、編み針。


禁止令はまだ有効。

見つかればまた噂の種になる。

それでも――指先がどうしても、静かに動きたがった。


(誰も見ていないから、大丈夫)


石段の影に腰を下ろし、そっと毛糸を広げる。

編み目を一つ作ったところで――


「何をしているの?」


聞き慣れた声。


アメリアは慌てて毛糸を隠そうとする。

だが、横から伸びた手が、その手を止めた。


「……貸して。教えて」


ミラベルが、隣に座っていた。


アメリアの目がまん丸になる。


「ミ、ミラベルさま……!」


「禁止令? 知らないわ」

ミラベルは淡々と、しかし揺るぎなく言う。


「わたしは、したいことをするだけ」


その言葉は、小さな反逆。

でも、誰より強い意志だった。


アメリアの手の中から、ミラベルはそっと糸を受け取った。

慣れない指が毛糸をすくい、ひと目を作ろうとする。


ふいに――


ふわりと、淡い光が揺れた。


薄い蝶の羽ばたきのような光。

糸と糸の間から、淡い暖かさが滲み出る。

今度は、アメリアも気づいた。


「……ミラベルさま、これ……」


ミラベルは小さく笑った。

気づいていない振りをするような、でも確かに知っているような笑み。


「大丈夫。優しさは罪じゃない」


指先が縫い続ける。

夕暮れの中、二人の影が並ぶ。


貴族でも庶民でもない。

勝者でも敗者でもない。


ただ――

優しさを編む、二人の少女だった。


そして、その夜。

禁止令が張り出された学園に、

小さな反逆の火が灯ったことを、まだ誰も知らない。


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