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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第18話:第二王子の本心

編み物禁止令が貼り出されてから、数日が経った。

学園の空気は、ひどく冷たくなった。

笑い声は途切れ、廊下にはひそひそ声ばかりが漂う。


アメリアはいつも通り――そう見えた。

休み時間、机の上には毛糸はない。

代わりに、手の上で静かに指を絡め、笑顔だけを浮かべている。


「気にしてません、大丈夫ですよ」


そう言って微笑むその顔は、

前のような光を失っていた。


その様子を、ひとりの少年が何度も視線で追っていた。


第二王子、ユーグ。


教室の後方席、窓にもたれかかりながら本を読んでいるふりをして、

アメリアの表情を、何度も、何度も確かめていた。


――あの子は、もっと柔らかく笑っていた。


――落ち込んだ子を励ましていた。


――手を動かしているだけで、周りに温かさが生まれていた。


なのに今は。


ユーグ(心)

(あれほど楽しそうだったのに……

 なぜ、こんな顔をしなきゃいけない?)


彼は“庶民の少女”に興味を持ったわけじゃない。

奇抜な行動が面白かったのでもない。


彼の目に映ったのは――理不尽だった。

弱い者を狙い、笑みを奪い、何も悪くないものを潰す、冷たい力。


ユーグ(心)

(くだらない。

 どうして誰も止めないんだ)


本を閉じる音が、静かな教室で小さく響いた。

その目には、王族らしからぬ苛立ちと、どこか痛みの色。


アメリアの笑顔は、作りものだ。

本当に笑っている人間は、あんなふうに目が疲れない。


ユーグは初めて気づいた。


自分はもう、ただ眺めている気まぐれな傍観者ではない。


――この子の“笑顔の理由”が、奪われている。


そして、奪われるのを見ているだけの自分が、

ひどく冷たい人間になった気がした。


ユーグ(心)

(……許せないな)


その視線は、静かにアメリアから離れない。

すでに彼の中で、何かが動き始めていた。


その日の放課後、中庭には人気がなかった。

噴水の水音だけが静かに響き、夕日が校舎の影を長く伸ばしている。


アメリアは重い足取りで帰ろうとしていた。

笑顔を貼りつけたまま一日を過ごした後は、

いつもよりずっと疲れてしまう――そんな日々。


「アメリア」


不意に呼ばれた声に、びくりと肩が跳ねた。


振り向くと、立っていたのは――第二王子、ユーグ。


アメリア

「えっ……ゆ、ユーグ殿下……?」


彼に呼び止められる理由が思いつかない。

庶民の自分が、王族に呼ばれる時の理由なんて決まっている。


叱責か。

命令か。

注意か。


アメリア

「ご、ご用でしょうか……?」


自然と身体がこわばり、視線は足元へと落ちる。


ところが――彼の表情は、叱る人のものではなかった。


怒りでも、軽蔑でもない。

むしろ、困っているような顔。


まるで、言葉を探しているかのように。


しばらく沈黙のあと、ユーグは真っ直ぐアメリアを見つめた。


ユーグ

「君から、編み物を取り上げられた理由が、どうしても理解できない」


静かで、けれど力のある声だった。


叱責でも命令でもない。


ただ、理不尽に傷つけられた子の心情を、知ろうとする声。


アメリアは思わず顔を上げた。

その瞳には、庶民を見下す影がひとかけらもない。


――なぜ、この人は。


――どうして、わたしなんかに。


答えたくても言葉にならない。

喉がつまって、息だけが震える。


アメリア

「……禁止令ですから。仕方ないんです。わたしが悪いんじゃなくて、学園のためで――」


言いかけた瞬間、ユーグはゆっくり首を振る。


ユーグ

「仕方なくない。

 誰も傷つけていないのに、禁止する理由はどこにもない」


“庶民の少女を庇う”言葉ではない。

“正しさ”を語る、王族の言葉。


それに、アメリアは目を見開く。


ユーグ

「……君が嫌がっていないなら、君の楽しみを奪う権利なんて、誰にもない」


アメリアは何も言えなかった。


この学園に来てから、

そんなふうに言ってくれた人は、一人もいなかったから。


彼の声は、ただ優しかった。

ただ真っ直ぐだった。


そして、アメリアは初めて思う。


――この人は、見ていた。


――わたしの“楽しさ”も、“奪われた痛み”も。


中庭の空気は冷たかった。

放課後とは思えないほど静かで、風の音だけが石畳を撫でている。


アメリアは両手をスカートの前で重ね、小さく息を吸う。


「大丈夫です、殿下。気にされることでは……」


笑おうとした。

いつものように、傷ついても気にしていないふりをすればいい。

庶民は、そうやって生きるものだと教えられてきたから。


――しかし。


「アメリア」


ユーグの声は、驚くほど真っ直ぐだった。

甘さも、慰めもない。ただ、逃がさない力があった。


「本当に平気だと言っている顔じゃない」


アメリアの睫毛が震える。

言われた瞬間、胸の奥にしまっていた感情が、少しだけ揺れた。


「……慣れているんです」


自分でも驚くほど、声は弱かった。


「目立つと叩かれるのは普通で……家が弱いので、抵抗すると迷惑がかかるし」


言葉はそこで途切れる。

「だから仕方ない」と続けるつもりだったのに、喉に張り付いて出てこなかった。


ユーグの眉がわずかに動く。

怒りを押し殺すような、静かな表情だ。


「それは、本当に“普通”なのか?」


低い声だった。

叱るわけでもなく、慰めるわけでもない。

ただ、世界そのものを否定するような冷たさがあった。


アメリアは目を瞬かせる。


「庶民には、よくあることですから」


「“よくある”から、正しいのか?」


その問いは、アメリアの胸の奥に刺さった。

誰にも言われたことがない言葉だった。


――庶民だから仕方ない。

――身分が低いから我慢しろ。

――文句を言えば、家族が困る。


誰も否定してくれなかった “常識” を、

王子は迷いなく踏み潰した。


アメリアは息を呑み、声が震える。


「でも……我慢すれば、周りが安心するんです。

 争いにならないし、誰も傷つかないし。

 だから、私が黙っていれば――」


ユーグはゆっくり首を横に振った。


「黙ることで、“君だけが傷ついている”」


アメリアの呼吸が止まる。


その瞬間、胸の奥で、

誰にも気づかれなかった痛みが音を立てた気がした。


庶民の常識。

貴族の理屈。

自分の当たり前。


全部が少しだけ揺らぐ。


そして――


アメリアは、初めて、

誰かの前で、弱い自分を隠しきれなかった。


アメリアは俯いたまま、指先をきゅっと握っていた。

冷たい風より、ユーグの沈黙のほうが怖かった。


だが――沈黙は、すぐに崩れる。


「……君が編んだハンカチ」


突然、ユーグが口を開く。

声は低いのに、隠していた熱が滲んでいた。


「持っていた生徒たちは、皆、嬉しそうだった」


アメリアの肩が小さく震える。


「病気の母に贈られた子は、涙を流していたと聞いた」


アメリアが顔を上げる。

それは、彼女が一番知られたくなかった――けれど、本当は誇りに思っていた出来事。


ユーグは続ける。

普段の飄々とした王子とは違う。

言葉を選ぶ余裕もないほど真っ直ぐな声だった。


「君は、人を幸せにしていた」


怒ってはいない。

激しいわけでもない。

ただ、どうしようもなく悔しそうに。


「それを“無駄”だの、“品位がない”だのと言う方が――」


そこだけは、声が少しだけ低く落ちた。


「よほど醜い」


アメリアの目が大きく見開かれる。

誰も口にしなかった正しさを、王子は当たり前のように言ってのけた。


中庭の風が止む。

時間が、すっと静かになる。


ユーグは一歩、彼女に近づいた。


「君の編み物は――弱さではなく、強さだ」


静かな声だった。

でも、揺るがない力があった。


慰めじゃない。

同情でもない。


“価値を認める”という、最も重い言葉。


アメリアの胸の奥で、

何かが音もなくほどけていった。


自分の手で作ったものが、

誰かの心を救ったという事実を――

初めて肯定された気がした。


「……強さ?」


アメリアは、まるで異国の言葉を聞いたような顔で呟いた。


自分のしてきたことが

「弱さ」ではなく、「強さ」だと――

そんなふうに言われたことは、生まれて一度もなかった。


彼女の世界では、


泣かないこと。

逆らわないこと。

怒らせないこと。

縮こまって、波風を立てないこと。


それだけが“正しい生き方”だった。


編み物も、ただの趣味。

邪魔をしないための静かな行い。

褒められるようなものじゃないと思っていた。


なのに。


ユーグは、小さなため息を落とすように言う。


「そうだ」


短い言葉なのに、揺るがなかった。


「君には、誰かを癒す力がある。

 触れた人の心を、柔らかくする力が」


アメリアの睫毛が震える。


「誰が何と言おうと――私はそう思う」


その声には、いつもの軽口も、冗談もない。


気まぐれな王子の台詞ではなかった。


彼は本気で、心の底からそう言った。


だからこそ、アメリアは息を呑む。


こんなふうに言ってくれる人は、

今まで、誰一人としていなかった。


庶民だから。

立場が弱いから。

反論しても無駄だと、教え込まれてきた。


“笑って耐えていれば、全部過ぎる”


そう思い込んでいた。


でも。


ユーグの言葉は、アメリアの胸の奥で

ぎゅっと固まっていた何かを解かしていく。


怖いほど優しく、

救いのように、まっすぐで――

温かかった。


アメリアは気づく。


この人は、立場でも噂でもなく、

“自分自身”を見てくれている、と。


その事実が、信じられないほど嬉しくて、

そして――どうしようもなく、胸が苦しい。



アメリアが呆然と立ち尽くす中、

ユーグはふと視線を遠くへ向けた。


「……編み物禁止令は、ただの権力の暴走だ」


その声は驚くほど静かで、けれど揺らがなかった。


「楽しみを奪い、人を傷つけ、理由も示さない。

 そんな規則は“教育”じゃない」


ユーグがそう言うとき、いつもの気楽な笑みはない。

ただ真っ直ぐで、王族の顔をしていた。


「必要なら、私が学園長に話す」


アメリアは思わず、かすれた声で止めようとする。


「で、殿下……それは、ご迷惑に……

 庶民のことで、そんな――」


ユーグは首を横に振った。


「迷惑ではない」


短い言葉なのに、なぜか胸の奥に響く。


「不正を正すことが、王族の務めだ。

 見て見ぬふりをするなら、私たちに存在する意味がない」


アメリアは息を呑んだ。


王族は、遠い存在。

笑って近づいてくれても、どこか“上の世界の人”だと思っていた。


けれど今のユーグは違った。


誰かの痛みを知らないふりをしない。

理不尽を“仕方ない”と放り出さない。


すぐ隣で、自分のために怒ってくれている。


(この人は……笑っているけれど、本気で正しいことを選ぶ人なんだ)


その瞬間、アメリアの胸の奥で、

ずっと押しつぶされていた小さな希望が、

かすかに、息を吹き返した。




中庭の奥。

大きな木の陰に、ひとりの少女が気配を潜めて立っていた。


ミラベル。


偶然通りかかっただけ――のつもりだった。

けれど耳に入った言葉が、足を止めさせた。


『君の編み物は、弱さではなく、強さだ』


ユーグの声。

いつもより、ずっと低く、遠慮がなかった。


ミラベルはそっと身を寄せ、二人の姿を見つめる。


アメリアは困惑したまま、涙をこらえるように笑っている。

対してユーグは、優しい言葉ではなく、“守る”と告げる人の顔をしていた。


(殿下が……真剣に)


ミラベルの胸が、少しだけ熱くなる。


ユーグの声が、風に乗って届く。


『不正を正すことが、王族の務めだ』


その言葉には、飾りも、嘘もない。

権力を振りかざすのではなく、正しいことを選ぼうとする意志だけ。

あの孤高の王子が、ひとりの庶民少女のために。


ミラベルは息を呑んだ。


(あの人……あんな顔、できるのね)


いつもの余裕も、からかいもない。

そこにあるのはただ、アメリアを肯定する強さ。


ミラベルは気づいてしまった。


――アメリアは、もう一人じゃない。


自分が守るだけじゃない。

自分しか、味方じゃないわけでもない。


気づいた瞬間、胸の奥の重たい不安が、すっとほどけた。


ミラベルは静かに、そっと微笑む。


(よかった……)


彼女は振り返らず、その場を離れる。

足取りは軽い。

戦いはこれからだ。それでも――


アメリアの隣に立つ人は、もう自分だけじゃない。


それが、どれほど心強いことか。


アメリアは、胸の前でぎゅっと指を握りしめたまま、少しうつむいていた。


「……殿下」


震える声は、泣きそうなのか、笑いそうなのか自分でも分からない。


「ありがとうございます」


いつものように明るく振る舞おうとしたわけではない。

強がりでも、遠慮でもない。

ただ、素直な気持ちがこぼれ落ちた。


ユーグは首を横に振る。


「礼はいらない」


表情は柔らかいのに、言葉はまっすぐだった。


「君は、笑っていればいい」


その一言が、胸の奥にすっと沁みこんでいく。


誰かが、そう言ってくれるなんて――

ずっと、想像すらできなかった。


アメリアの唇に、ゆっくりと微笑みが浮かぶ。


作り物じゃない。

傷を隠すためでもない。


心からの笑顔。


その瞬間、風がふわりと吹いた。


アメリアの髪が揺れ、光がこぼれるように柔らかく広がる。

淡いきらめきが、空気の中で一瞬だけ舞った。


だが、気づく者はほとんどいない。

ユーグですら、その奇跡に触れられなかった。


中庭は静かで、世界は何も変わっていないように見えた。


――けれど、本当は違う。


優しさは、確かに力だった。

誰にも届かなかったはずの温もりが、少しずつ世界を動かしていた。


この日、少女は笑った。

その笑顔ひとつで、未来の形がほんのわずかに変わっていく。


誰にも気づかれないまま、静かに。


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― 新着の感想 ―
途中から違和感が... アメリアは貴族令嬢でしょう? ヒロインと間違えてませんか?
完結しているので修整は無いのかもしれませんが、主人公アメリアは公爵令嬢では? なぜ庶民の子になる??
あれアメリアは公爵令嬢じゃなくて、庶民なの?
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