表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/40

第16話:学園に『編み物禁止令』

母の容態が落ち着いたと、今朝の侍女は静かに告げた。

ミラベルは大きく表情を変えたりはしない。けれど、長く張りつめていた糸が少し緩んだように、まぶたの影が軽くなっていた。


「よかった……」


誰にも聞かれないほど微かな声で呟き、席に着く。


昼休み。

中庭に、いつもの光景が戻っていた。

ベンチに座ったアメリアが、白い毛糸を取り出し、指先で静かに編み目を作っていく。


――それは、ほんとうに日常の一部だった。

お菓子を食べる子がいるように、本を読む子がいるように、アメリアは毛糸を編む。


しかし、周囲の空気は以前と変わっていなかった。


「またやってる」

「ほんとに下品……」

「庶民くささって、隠せないのね」


囁きは、風より小さいくせに耳に刺さる。


ミラベルは、いつなら聞こえないふりをしていた。

自分に向けられた悪意にも、他人に向けられた嘲笑にも。

そうして、ずっと目を伏せてきた。


けれど――今日は違った。


机の上で静かに手を組んだまま、声のした方へ顔を向ける。

視線だけで、笑っていた生徒たちを射抜く。


言葉はいらなかった。


ミラベルの目は、氷のように透き通っていて、同時に鋭かった。

視線が合った少女たちは、肩を震わせ、そっと視線を逸らす。


「……なに?」


声を出したわけではない。

問いかけもしない。

ただ見つめただけ。


それでも、誰も何も続けなかった。


アメリアは、そんなことに気づかないように、いつもの速さで編み続けていた。

けれど、ミラベルの指先はほんの少しだけ震えていた。


(……今度は、黙って見ていない)


その気持ちはまだ形にならない。

言葉にもできない。

けれど、胸の奥で静かに燃える炎のように、確かにそこにあった。


日常は戻った。

だが――その中心は、以前とまったく違っていた。


放課後になると、学園の一室だけが異様に重い空気をまとっていた。

木製の長机を囲むのは、生徒会役員、教師、そして家柄ばかりを誇る上流令嬢たち。

形式上は「会議」──しかし、議題はただひとつ。


「……編み物、ですわ」


誰かが吐き捨てるように言った瞬間、空気がさらに冷えた。


「学園の品位にそぐわない」

「淑女としての嗜みを欠く行為です」

「みっともなくて見苦しい」


理由は、どれも“体裁”と“偏見”を飾り立てただけ。

それが、たった一人の少女の行為を裁くために使われる。


教壇に立った専門教師が、柔らかい声で宣告した。


「最近、学園内の空気が乱れています。

 生徒同士の無用な軋轢を生まぬよう、授業に関係のない行動は、控えていただきたいのです」


アメリアは連れて来られた椅子に座っていた。

俯かず、びくつかず、ただ静かに前を向く。

それでも、細い指が膝の上でぎゅっと握られている。


「……不要、ですか?」


声は小さく、震えてはいなかった。

けれど、その一言に、部屋の誰もが“疑問”ではなく“反抗”を読み取った。


ある令嬢が、鼻で笑いながら言う。


「慈善活動の真似事ですの? 見ていて滑稽なのよ。

 誰かの気を引きたいだけでしょう?」


「不快に思う生徒がいるのです。やめるべきですわ」


アメリアは黙って聞いていた。

反論も、言い訳もしない。

ただ――胸元のポケットに、白い毛糸の端が覗いている。


“人のために編む”だけの行為を、罪だと言われる。

それが、この学園の「品位」なのだと。


アメリアのまつげがわずかに揺れた。


誰も気づかないほどに、静かに。


翌朝。

登校した生徒たちは、玄関ホールの掲示板の前で立ち止まり、ざわめきは次第に波紋のように広がった。


そこには、真新しい紙が一枚。


 【校内での私的な編み物行為を禁止とする】

 理由:品位・秩序・学習環境の維持のため


整った文字で、誰の反論も許さないような言い回し。

それは、ひとりの少女の小さな善意を、まるで「犯罪」のように貼り付けていた。


「あら、当然じゃなくて?」

「見苦しかったものね」

「淑女のすることじゃないわ」


同意の声は、妙に晴れ晴れとしていた。

誰かを糾弾できることが、彼女たちにとっては娯楽なのだ。


一方で、ため息混じりに呟く者もいた。


「……悪いことじゃなかったのに」

「誰も怪我も迷惑もしてないのに……」


だが、賛同する声の方が大きい。

“正しい側”に立つほうが楽だから。


反論しようと見える少年が、周囲の視線に怯え、結局何も言わずに口を閉じた。

咎められるのは、いつだって弱いほう。

守られるのは、声の大きいほう。


廊下の空気は、また息苦しくなった。

笑い声は減り、視線は鋭く、誰もが誰かの様子を窺っている。


たった一枚の紙で、この学園は元の「ギスギスした場所」に戻ってしまった。


その貼り紙の前を、アメリアは静かに通り過ぎた。

小さく息を吸い、何も言わず、いつものように胸元のポケットに手を当てる。


毛糸は、そこにある。

しかし――編むことは、もう許されない。


それを見ていた生徒たちの表情は、嘲笑ではなく、どこかざわつく不安を含んでいた。


「……あの子、泣かないのね」


泣かないからこそ、余計に胸がざわつく。

優しさを禁じたのは、果たして“誰のため”なのか。


その答えに、まだ誰も気づかないまま――学園は静かに、冷たく軋みはじめていた。



昼休み。

人だかりがいったん途切れた頃、アメリアは掲示板の前に立った。


静かに視線を上げ、紙を読み取る。


 【校内での私的な編み物行為を禁止とする】


そこに書かれた文字を、何度も心の中でなぞる。


生徒たちは、彼女の横顔をこっそりうかがっていた。

泣くだろうか。落ち込むだろうか。怒るだろうか。


――でも。


アメリア

「そっか……」


ぽつりと、小さく呟いただけ。

眉ひとつ寄らない。

悔しさも、悲しさも、見せない。


ただ、ほんの少しだけ微笑んだ。


アメリア

「じゃあ……また別の形で、誰かの役に立てたらいいな」


その声は明るくて、優しくて――諦めの影すらない。


だからこそ、見ている側の胸がきゅっと締めつけられた。


少し離れた場所で、ミラベルが拳を握る。


(泣かないの……?

 怒らないの……?)


自分なら、泣いていた。

悔しくて、惨めで、誰かを恨んでいた。


けれど、アメリアは笑った。

傷つけられたのに、責めず、憎まず、許した。


ミラベル(心)

(どうして……そんな笑顔ができるの?

 どうして、あなたは折れないの?)


その“折れない優しさ”が、痛かった。

自分にはないものだった。


アメリアは掲示板に背を向け、明るい声で友達に挨拶しながら歩き出す。


まるで、たった今自分が否定されたことに、少しも気づいていないように。


だがミラベルだけは知っていた。

その笑顔の裏に――ほんの少しだけ、寂しさが滲んでいたことを。


掲示板の前がようやく静かになったころ。

中庭の花壇近くで、女子生徒たちがひそひそと集まっていた。


「……見た? あの禁止令」

「見苦しいって言い切るなんて、なかなか強気よね」


誰も名指しはしない。

けれど、声には確信があった。


「今回の件、通達には名前が書かれてないけど――」

「動いたのは、侯爵令嬢アデリーナ様らしいわ」


空気が一瞬、冷たくなる。


「やっぱり。アメリアが注目されるの、気に入らないのね」

「最近、男子にまで人気だから」

「それに……前からアメリアのこと、何かと噂してたもの」


伏せられた声が、さらに潜る。


「……『あの子は裏で媚びている』とか」

「『男を引き寄せる魔性の女』とか……」


根拠なんてない。

ただ、気に入らないという理由だけで作られた言葉。


噂は、真実より速く、毒より静かに広がる。


「でも……禁止令まで出すなんて、やりすぎなんじゃない?」

「アデリーナ様は、王家に近いのよ。教師も逆らえないんだって」


その一言で、周囲は沈黙した。


――つまり、これは“個人の嫉妬”でも

ただの“校則”でもない。


もっと根深く、もっとえぐい。

権力を使った排除。


花壇の影で、その会話を耳にした生徒は小さく震えた。


(アメリアさんは……何も悪くないのに)


けれど、誰も声を上げない。

声を上げれば標的になると知っているから。


静かで、卑怯な空気。


その中心に――暗い笑みを浮かべるアデリーナがいることを

本人はまだ知らない。


そして読者だけが気づく。


これは偶然でも、校則でもない。

誰かが意図的に、アメリアを潰そうとしている。


その「黒幕」の影が、静かに物語へと入り込む。

休み時間、廊下の窓際。

ミラベルは、掲示板に残る紙切れを遠くから見つめていた。


【校内での私的な編み物行為を禁止とする】


黒々とした文字が、まるで悪意そのものに見える。


(あの日、私……救われたのに)


震える指が、胸元を掴む。

初めて男子に嘲られ、女友達に距離を取られ、泣きそうになって――

それでも笑って、手を握ってくれた少女。


(アメリアがいなかったら、私はきっと、ここに立っていられない)


なのに。


どうして、あんな優しさが否定される?


どうして、「見苦しい」と切り捨てられる?


廊下を通りすぎる女子たちの声が聞こえる。


「禁止令、当然よね」

「庶民の趣味なんて、持ち込む場所じゃないわ」


その言葉の刃が、心に突き刺さった。


そしてミラベルは気づく。


自分は――何も言っていない側だ、と。


ただ見ているだけ。

ただ耐えているだけ。

ただ「空気の流れ」に従っているだけ。


それは、ずっと前の自分と同じ。


誰かの悪意を知りながら、声を出せなかったあの頃。

目をそらして、傷つく誰かを見捨てた自分。


(……嫌だ)


胸の奥で、小さな声が震えた。


(もう、あんな自分に戻りたくない)


アメリアの笑顔が浮かぶ。

あの日、「一緒にいよう」と差し伸べられた温かい手。


ミラベルは唇を強く噛みしめた。


(黙って見ているだけなんて――嫌だ)


その決意はまだ言葉にならない。

けれど、確かに芽を出した。


小さく、でも確実に。


誰かを守るための、勇気の芽が。

昼休みの中庭。

いつもなら、アメリアはベンチで毛糸を広げている時間。

けれど今日、彼女の膝の上は空っぽだった。


小さな弁当を食べながら、アメリアは穏やかに笑う。


「ねえ、ミラベルさま。編み物ができないと、時間が余りますね。

 なんだか、変な感じです」


明るく言うその声の裏に、失望も悲しみも隠して。


ミラベルは、表情ひとつ変えずにアメリアの手元を見る。


バッグの奥にしまわれた毛糸と編み針。

押し込められた、小さな自由。


その時――ガタン、と椅子が大きな音を立てた。


ミラベルが立ち上がっていた。


周囲の生徒たちが息を呑む。

「何事?」と視線が集まる。

ミラベルはまっすぐアメリアを見つめ、はっきりと言った。


「アメリア。針と毛糸を貸して」


アメリアの目が丸くなる。


「えっ、ミラベルさま……?

 で、でも……禁止令が――」


ミラベルは肩をすくめただけだった。


「なら、わたしが編む。文句があるなら、抗議でも罰でも受けるわ」


静寂。

鳥の声すら止まったような静けさ。


周りの女子たちがざわめく。


「ミラベルさまが……?」

「まさか、庇ってるの?」

「ありえない……あの氷の令嬢が、庶民の味方?」


アメリアは震える手で、そっと毛糸を差し出した。


「……ありがとうございます。でも、本当に――」


ミラベルは言葉を遮るように、椅子に座った。


そして、たどたどしく毛糸に針を通す。

ぎこちない。慣れていない。

それでも、彼女は決して手を止めなかった。


中庭に集まった生徒たちが、息をつめて見守る。


彼女は、誰にも媚びない顔で言う。


「これで学園が乱れるなら――

 その程度の“品位”なんて、壊れても構わないわ」


その言葉に、空気が揺れた。


静かだけど、鋭く美しい反逆。


まだ戦いじゃない。

まだ叫びでも、主張でもない。


これは――宣戦布告。


“理不尽に笑われる人を、見捨てない”


ミラベルはゆっくりと編み目を作りながら、確かに世界へ告げた。


その瞬間、学園の空気が変わり始めた。


午後の教室は、息を潜めたように静かだった。


黒板のチョークの粉さえ、音を立てずに落ちていくような沈黙。

机に並んだ教科書、揺れないカーテン、固まった視線。


その中心に――ミラベル。


彼女は背筋を伸ばし、堂々とした姿勢のまま、指先だけが小さく動いていた。

ぎこちない動きで毛糸をすくい、たどたどしく編み針をくぐらせる。


上手くない。美しくもない。

それでも、止めようとする者は誰もいない。


ただ見ている。


止められない。


ミラベルは静かに息を吸い、ひと目を編む。


――その瞬間。


ふわり、と。


ほんの一瞬だけ、淡い光が毛糸の間に揺れた。


まばたきすれば見逃すほどの、ごく微かな輝き。

暖炉の火のようでも、春の朝靄のようでもない。

けれど確かに、そこに“温かさ”が灯った。


アメリアは気づかず、ただ優しい目で見守っている。


だが――何人かの生徒は見てしまった。


おそろしく静かな教室の隅で、光を目にした生徒たちは息を呑む。


「……今、何か……」

「光った……?」

「まさか、そんな……」


確信はない。

言葉にできるものでもない。


ただ――悟る。


優しさは、禁止しても消えない。


押し込めれば押し込めるほど、火種は強く、熱を帯びていく。


そして今、その小さな火は確かに灯った。

誰にも消せない場所で。


学園の空気が、わずかに震えた。


“変化”が始まる前の、静かな予兆。


その中心にあるのは、氷の令嬢ミラベル。

誰より冷たく見えた少女が――


いま、誰より温かい火を抱いていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ