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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第15話:ミラベル、初めて泣く

翌日の学園は、いつもと同じように騒がしく、平和だった。

陽光差し込む食堂の廊下で、ミラベルは取り繕ったような静けさをまとい、ひとり歩いていた。


――何事もなかったような顔で。


だが、胸の奥は昨夜からずっとざわついている。


(偶然……?)


母の苦しみがふっと和らいだ瞬間を思い返す。

薬は変えていない。治療も増えてはいない。

それなのに、あの白い手編みのハンカチが置かれた途端――呼吸は整い、眉の皺すら消えた。


(偶然で、済ませられない)


そして何より。


アメリアは、自分が何をしたのか、わかっていない顔をしていた。


魔法を使ったつもりもない。

奇跡を起こしたつもりもない。


ただ、苦しむ人を見て、編んだだけ。


――その善意が、説明できないほど真っすぐで、残酷なほど温かい。


ミラベルは唇を噛む。


(どうして、そんなことが……できるの)


そのとき、廊下の向こうにアメリアの姿が見えた。

友人に笑いかけながら歩く、小柄な少女。

昨日と同じように、控えめで、目立たないはずなのに――今はなぜか、どんな令嬢より目を引いた。


足が止まる。


声をかければいい。

礼を言えばいい。

疑問をぶつければいい。


分かっているのに、喉が動かない。


――優しさを、直視するのが怖かった。


(わたしのために動いた理由が……わからない)


アメリアがこちらに気づきかける。

ミラベルは反射的に視線を逸らし、踵を返した。


静かに、しかし逃げるように。

胸の奥のざわめきは、昨夜よりずっと大きくなっていた。



気づいたときには、ミラベルの足は勝手に動いていた。

廊下で背を向けたはずなのに――なぜか、追いかけている。

自分でも理由がわからない。


中庭へ続く扉を開けると、ひと気のない風が草を揺らしていた。

その先で、アメリアが鳥にパンくずを分けている。


「……アメリア」


静かな呼びかけだったが、声は思った以上に強かった。

アメリアが驚いて振り返る。


「ミラベルさま? どうか、されましたか?」


ミラベルは歩み寄る。

視線は真っ直ぐで、逃げ場がない。


「――昨日のこと。あなた、何をしたの?」


アメリアはきょとんと瞬きをする。


「何って……苦しそうだったから、少しでも楽になればと思って……」


まるで当然のように言う。

功績も誇らず、見返りも求めず、ただ事実だけを。


その答えが、ミラベルには何より理解できなかった。


「……どうして?」


アメリアは首を傾げる。


ミラベルは息を吸い、感情を押し殺すように言葉を紡いだ。


「どうしてそんなことができるの。

 わたしたちは、友達でもないのに」


その声は冷たく響いた。けれど、震えていた。


まるで――怒っているのではなく、怯えているように。



ミラベルの声は、氷のように冷ややかだった。

だが、その奥にある震えは隠せない。


「わたしに、何の得もないでしょう?」


アメリアは目を瞬かせ、小さく首を傾げる。


「……得?」


ミラベルは続ける。言葉が止まらない。


「噂で笑われている。

 社交界でも浮いている。

 わたしに関わったところで、あなたが得することなんてないわ」


声は淡々としているのに、呼吸だけが少し荒い。


「どうして……そんな私なんかに――」


アメリアは、困った顔をしなかった。


哀れみもしない。

同情も、憐れみもない。


ただ、いつものようにふんわり笑った。


「だって、苦しそうだったんだもの」


その言い方は、まるで “理由を聞かれたこと自体が不思議” とでも言うようだった。


計算も打算もなく。

見返りを求める気配もなく。


ミラベルの胸が、ぎくりと軋む。


――そんな理由、理解できない。

――そんな“当たり前”が、彼女には存在しない。


ミラベルは目を揺らし、絞り出すように口を開いた。


「……意味が、分からない」


声は冷たいのに、震えはもう隠せなかった。


「やめて……優しくしないで……!」


ミラベルの声が、中庭に鋭く響いた。

しかしその響きには、怒りの色はなかった。


震えていたのは――怯え。

揺れていたのは――悲しみ。


アメリアは驚いた顔で立ち尽くす。


ミラベルは、もう止まれなかった。


「わたしは、ずっと……

 泣いたら弱い子だって言われて……

 泣くたびに、みっともないって言われて……

 泣くことすら許されなくて……」


言葉が掠れ、声が震え、胸が上下する。


「ずっと……ずっと、一人で……!」


その瞬間だった。


ぽたり、と。


白い頬に、透明な雫が落ちた。


ミラベルは驚いたように目を見開く。

泣くなんて自分はしない。

そう信じてきたのに。


ぽたり、ぽたり。


涙は、止まらなかった。


泣き方もわからない。

声も出せない。

ただ、涙だけが静かに零れ続ける。


それは――初めて “泣くことを許された” 子供の涙だった。


ミラベルの涙が、地面に静かに落ち続ける。

アメリアは、驚きも困惑も見せなかった。

ただそっと、そばへ歩み寄る。


そして――優しい声で、でも曖昧さのない口調で言った。


「泣くのは弱いことじゃないです。」


ミラベルの肩がびくりと揺れる。


「泣けるのは……頑張った証ですよ。」


風が止まったような気がした。


「ミラベルさまは、いつも強かったと思います。

 誰にも言わなくて、誰にも頼らなくて、

 泣くことさえ自分に許さなかった。」


アメリアの声は、慰めではない。

同情でもない。

ただ、まっすぐな事実として。


「そんなの……大人でもできません。

 だから、泣いていいんです。

 頑張ってきた証なんですから。」


ミラベルは息を呑む。


泣いたら笑われる世界で生きてきたのに、

泣いたら弱いと言われ続けたのに、

この子は――違った。


泣いても誰も責めない。

泣いても否定されない。

泣くことを“間違いじゃない”と言ってくれる。


そんな場所、今まで一度もなかった。


涙は止まらなかった。

けれど、それはもう痛みの涙ではない。


ミラベルは、小さく口を開いた。


「……やめてよ。

 優しくされたら……崩れてしまう……」


アメリアは首を横に振る。


「崩れていいんです。

 崩れたら、ちゃんと支えます。」


その瞬間、

ミラベルの中で何かが決定的に変わった。


アメリアは、カバンの中から真っ白なハンカチを取り出した。

編み目は少し不揃いで、ところどころ歪んでいる。

でもそれは、彼女が“誰かのために”一生懸命編んだ証。


アメリア

「よかったら……使ってください。」


差し出されたハンカチに、ミラベルの指先が触れる。

その瞬間、ほんのわずかに震えが走る。


受け取ることすら、怖かった。


弱さを見せることが、どれほど恐ろしいか。

どれほど長い間、許されなかったか。


――それでも、ミラベルは受け取った。


ゆっくりと、掴むように握りしめる。

涙で濡れた頬に、ぎこちなく押し当てる。


アメリアは一歩近づき、そっと腕を広げた。


「……大丈夫です。」


言葉よりも早く、優しい抱擁がミラベルを包む。


驚きで肩が震える。

抵抗しようとした瞬間――

自分の力が、抜けた。


アメリアは強くも弱くもない。

ただ、あたたかかった。


体温が伝わる。

息遣いが聞こえる。

“ひとりじゃない”と教えるように。


ミラベル(心)

(どうして……こんなに温かいの……

 ただ抱きしめられているだけなのに……

 生きていても、いいって言われてるみたい……)


その胸の中で、ミラベルは声も出せず、ただ泣き続けた。


涙が服に染みても、アメリアは離れない。

何も言わず、責めず、笑わず――

ただ寄り添う。


この瞬間が、ミラベルにとっての「救い」になった。

誰にも触れられなかった心が、初めて溶けていく。


そしてミラベルは、抱きしめられながら微かに思った。


(……この子を、嫌えない。)


それが、決定的な始まりだった。


泣き疲れ、ようやく呼吸が落ち着いた頃。

ミラベルはアメリアの胸元からそっと顔を上げた。


いつも通りの整った表情――ではなかった。


気丈さも、虚勢も、作り物の自尊心もない。

ただ涙で濡れた、年相応の少女の顔。


目元は赤く腫れて、声だってかすれている。

それでも、そこには確かに“心”があった。


沈黙の中、ミラベルが小さく唇を動かす。


ミラベル

「……ありがとう。」


それは、息のように弱い声。

けれど、はっきりと感情が乗っていた。


誰かの前で泣いたのも、

誰かに感謝を伝えたのも、生まれて初めて。


アメリアは驚いたように瞬き、

すぐに、ふわりと笑った。


アメリア

「うん。また困ったら、言ってくださいね。」


“当然”のように返ってくる言葉。

条件も取引も優越もない。


ただ、助けたいと思ったから。


そんなの、ミラベルは知らなかった。


思わず、口元に手を当てる。

笑うつもりなんてなかったのに――

頬が、ほんの少し緩んでしまった。


自分でも驚くほど、自然に。


ミラベル

「……ふふっ……」


その微笑みは、ほんの一瞬。

けれど、彼女にとっては大きすぎる一歩。


閉ざされた扉の鍵が、ようやく音を立てて外れる。


アメリアはその笑みを見て、嬉しそうに目を細めた。

ミラベルは視線をそらしながら、だけどもう否定しない。


涙を流し、ありがとうと言い、微笑むミラベルは――

もはやあの“氷の人形”ではなかった。


決定的な変化は、静かに、確かに訪れた。

涙の跡が乾かぬまま、

ミラベルはふと、空を見上げた。


雲一つない青。

昨日までと同じはずなのに、どこか違って見える。


頬を伝った涙の感触が、まだ残っている。

でも、それを恥ずかしいとは思わなかった。


ミラベル(心)

(……泣いても、いいんだ。)


胸の奥で、そっと言葉が生まれる。

初めて自分自身に許した、たった一つの真実。


(わたしは、弱くなんかない……

 やっと、そう思える。)


泣くことは敗北でも、無力でもなかった。

それは、ずっと頑張り続けた証。


いつからか置き去りにしていた“少女”の心が、

ようやく戻ってきた。


ミラベルは、静かに目を閉じる。


孤独を誇りにする必要も、

涙を隠す必要もない。


そう気づいた彼女はもう――

“泣けない子供”ではない。


ただ泣き、笑い、傷つき、救われる。

そんな当たり前の感情を持つ、ひとりの少女。


ミラベルは、そっと息を吐いた。


それは、氷が解けるような、微かな音だった。






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