第11話:男子まで編み物を始める異常事態
昼休みの談話室は、いつもと少し違う空気に包まれていた。
ふわり、毛糸の香りと、柔らかな笑い声。
女子たちが机を囲み、真剣な顔で糸と向き合い、
「ほどけた!」
「大丈夫、ここを通すのよ!」
「できた! 見て、指のところ!」
そんな明るい声があちこちで弾けている。
廊下の端で、男子たちがじっとそれを観察していた。
「……なんであんなに楽しそうなんだ?」
「女子って、もっとピリピリしてなかったか?」
「最近、喧嘩も陰口も減ったよな?」
「いや待て、あれ、毛糸になんか仕込んであるんじゃ……魔力とか……?」
誰も冗談のつもりだった。
だが一人だけ、その言葉に反応する者がいた。
――エリオット。
生真面目で、武骨、言葉より剣を選ぶ少年。
最近は魔法剣の訓練が不調続きで、苛立ちを隠せていなかった。
そんな彼が、ふらりと女子のテーブルに近づいた。
「……それ、触ってもいいか?」
女子たちは目を丸くする。
「え、えっと……どうぞ?」
差し出された毛糸を、エリオットが恐る恐る掴む。
瞬間――
胸の奥で、重たかったものがふっと抜け落ちたような感覚。
肩の力が抜け、息が整う。
(……なんだ、これ)
無意識のうちに指先が動く。
見よう見まねで糸を通し、絡め、数目を編んでしまう。
自分がやったとは思えないほど自然に。
エリオット
「…………あれ?
なにこれ……気持ちいい……」
談話室にいた女子たちが硬直する。
「え? 今、編んだ……?」
「エリオットって剣以外できないんじゃ……」
「す、すご……!」
周囲がざわつき、廊下の男子たちまでも目を見開いた。
エリオットはもう一度糸を絡める。
指先が不器用に震えながらも、また一目、また一目と結びついていく。
その目はまるで、落ち着きを取り戻した戦士のようだった。
エリオット
「……なんか頭の中が静かになる。
これ、悪くないな」
騒然とした空気の中、女子たちは顔を見合わせる。
そして、静かに始まった。
男子の“編み物侵略”が。
エリオットが毛糸を編んだ翌日。
談話室の空気は、さらに不可解な進化を遂げていた。
「……俺にも、ちょっと貸してみろ」
「……いや、別に興味ねえけど? 落ち着くって噂聞いたからだぞ?」
口では強がりながら、数人の男子が糸と棒を受け取る。
最初はぎこちない。
大きな手が繊細な糸に不慣れで、何度も絡まり、指がもつれる。
「うわ、無理無理無理! こんな細かいの女子の仕事だろ!」
「だよな!」
……その数分後。
同じ男子たちが、真剣な顔で黙々と毛糸と格闘していた。
賛成派男子
「……あれ? なんかコツつかめてきた……」
「おい、見ろこれ。さっきより綺麗になってないか?」
「すげえ……頭がスッキリする。
これ、剣の訓練の前にやったら集中力上がるかも」
別の男子がニヤリと笑う。
「編み物って意外と戦略的だな!
目数を揃えるとか、リズムとか、これも訓練だろ!」
興奮気味に話す彼らを、遠くから見ていた“否定派”男子が噛みつく。
否定派男子
「おまえら何してんだよ!
毛糸なんて女のするもんだろ!」
「男子のイメージ守れよ! 恥ずかしいだろ!」
賛成派は糸を離さない。
「やってみりゃわかる。すげえ集中できるんだって」
「断る! 俺は絶対やらね――」
否定派男子、ふと視線を落とす。
エリオットが、無表情に編み続けている。
(あの鉄壁バカが……?)
悔しさと好奇心がごちゃ混ぜになり、
否定派男子はつい手を伸ばした。
「……貸せよ。
やるわけじゃねえけど、ちょっとだけ、な」
……一目。
……二目。
気づけば器用に指を動かしはじめ、
呼吸が落ち着き、眉が緩む。
「………………あれ?」
周囲の男子がニヤニヤしながら聞く。
「な? 気持ちいいだろ?」
否定派男子
「……いや、別に?
ただ、指先の訓練にいいかなって……」
その言い訳は、エリオットのそれとまったく同じだった。
談話室は騒然としながらも、どこか愉快で穏やか。
女子たちは、呆れたように笑う。
「男子って単純よね」
「でも……なんか、いいわね」
こうして、誰も想像しなかった“男子編み物革命”が、学園に広がり始めた。
それは、誰の予想もしなかった光景だった。
休み時間。
いつもなら、廊下を走り回ったり、魔法訓練用の中庭が騒がしくなるはずの時間。
――なぜか、男子たちが談話室や中庭のベンチで、毛糸を広げている。
「おい、ここ一目落ちてるぞ」
「え……まじで? どこ?」
「貸せ。……ほら、こうやって拾うんだよ」
「おまえ、めっちゃ上手くなってね?」
「姉ちゃんの手伝いしてたからな! ふふん!」
女子に混じり、男子の輪が増えていく。
バラバラだった派閥も、性格の違う子たちも、なぜか同じ“編み目”を通して会話している。
ひときわガサツで、いじめっ子気味だった男子が、
不器用な子の手を掴んでぼそっと呟く。
「……違う。そこ逆だ。こっちだ」
不器用な子
「あ、ありがと……」
周囲の女子が目を丸くする。
(いじめっ子のレオンが、人に“教えてる”……?)
(なにこれ。平和……なの?)
図書室では、司書が悲鳴を上げていた。
「“編み物入門”が……すべて貸し出し中!?
返却予定日が二週間先!? まさか……男子が三十冊も!? 」
生徒たち
「先生、もっと増やせませんか!?」
「違う本でもいいです! 毛糸で作るぬいぐるみの本とか!」
司書は震える手でメモを書いた。
(図書委員会へ……緊急増冊要請……)
購買部では売店のおばちゃんが、レジの前で呆然としていた。
「毛糸……売り切れ……?
今日、入荷したばかりなのに……全部?」
男子たち
「追加入荷いつですか!?」
「剣より先に棒針が必要です!」
「アンタら、戦う気あるのかい!?」
「ある! あるけどこれは別!」
経済効果まで発生。学園は、なぜか好景気だった。
教師たちまでもざわつき始めた。
「……最近、授業中の私語が減っているな」
「しかも、提出物が丁寧になっている」
「休み時間の喧嘩もゼロ。怪我の報告もなし」
「いいことなのに……なんで不安なんだろう……?」
そして、生徒会長。
定例の「学園生活報告書」を作ろうと、机に向かったが――
白紙を前に、ペンが止まった。
生徒会長
「……書くことが、ない……」
副会長
「え?」
生徒会長
「事件なし。
喧嘩なし。
問題なし。
……全部“平和”」
副会長が震える声で呟く。
「……逆に怖いですね……?」
だが学生たちは、そんな大人の焦りなど知らない。
ただ、編んで、笑って、ほころんでいく。
毛糸の色が増え、表情が柔らかくなる。
――学園は、かつてない“平和革命”の真っ最中だった。
アメリアは、窓辺の席から談話室を見つめていた。
男子と女子が同じテーブルで笑いあい、ぎこちなく棒針を動かしている。
失敗すれば、誰かが助け、上手くいけば、みんなで喜ぶ。
その光景は、少し前まで想像できなかったものだ。
アメリア(心の声)
(……みんな、仲良くなったんですのね)
胸の奥がふっと温かくなる。
自分のせいだとか、功績だとか、そんなことは考えもしない。
(良かった……本当に)
にこりと笑って、アメリアは自分の荷物を抱えた毛糸にそっと触れる。
その柔らかさは、彼女の心にも静かに染みていた。
だが、彼女が知らない場所で、別の会話が生まれている。
生徒A
「なあ……知ってるか?」
生徒B
「何を?」
生徒A
「アメリアの毛糸、触ると……なんか落ち着くって」
生徒B
「は? 気のせいでしょ。毛糸だよ?」
生徒A
「……だよな。でも、騎士コースのエリオットも言ってたぞ。
“頭が冷える”って」
生徒C
「魔力が込められてるんじゃないかって噂、聞いた」
生徒D
「でも、あの人、魔法苦手なんじゃなかった?」
生徒C
「“普通に編んでるだけ”らしいぞ」
生徒B
「じゃあ……なんで?」
問いの答えは誰にも分からない。
確証も根拠もない。
ただ、妙に気持ちが軽くなる――そう言う子が増えていた。
笑顔が増え、争いが減る。
もしかしたら偶然。
もしかしたら、気のせい。
――けれど。
夕日が差し込む談話室で、編まれた毛糸の先だけが、ほんの一瞬、光を帯びた。
誰にも見えない、小さなきらめき。
本人ですら気づかぬ、“奇跡”の気配。
アメリア(心の声)
(明日も、みんなが笑っていますように)
その願いは、確かに糸へと宿り続けていた。
中庭に置かれた長椅子で、ミラベルは本を開いたまま、視線だけを上げていた。
目の前では、男子も女子も、輪になって編み棒を動かしている。
失敗して笑い、成功して笑う。
喧嘩の声ではなく、毛糸がこすれる優しい音が広がっていた。
ミラベルは、誰にも聞こえないほど静かに息を吐く。
ミラベル(心の声)
(荒れていたはずの学園が……ここまで柔らかくなるなんて)
ほんの数週間前まで、嘲笑と見下しが渦巻いていた場所だ。
それが今では、色とりどりの毛糸と笑顔で満ちている。
(“あの子”は、ただの令嬢ではないわね)
視線の先で、アメリアが不器用な後輩に声をかけていた。
決して目立とうとせず、自然な笑みで、そっと指を添えてやる。
ミラベルの瞳が細くなる。
――ふと。
アメリアの指先の毛糸が、夕陽とは違う微かな光を帯びた。
ミラベルの呼吸が、わずかに止まる。
(今の……)
光は一瞬。
誰も気づかず、誰も騒がない。
アメリア自身さえ気づいていないように見えた。
(見間違い? それとも――)
ミラベルは視線を伏せ、ページを閉じる。
その横顔に浮かぶのは、勝者の笑みでも、敵意でもない。
ただ、深い興味。
(……もう少し、観察が必要ね)
風が吹き、ミラベルの銀髪が揺れた。
その瞳は、誰よりも鋭く、誰よりも静かにアメリアを追い続ける。
――ミラベルだけが知っている。
この変化は、偶然だけではないと。
夕暮れのテラス。
高い位置からは、中庭の騒がしさがよく聞こえる。
男子も女子も、年齢も身分も関係なく、毛糸を広げて笑っていた。
喧嘩も怒鳴り声もなく、ただ柔らかい空気だけが流れる。
王子は肘を手すりに乗せ、頬杖をつく。
王子
「女子だけでは飽き足らず、ついに男子まで、か」
誰に聞かせるでもない、楽しげな声。
「編み物が戦場の話題になる学園なんて、聞いたことがないな」
風が吹き、王子の金髪が揺れる。
その瞳には、騒ぐ生徒たちよりも――
輪の外で、控えめに毛糸をまとめている少女の姿が映っていた。
王子(心の声)
(たった一人の行動で、ここまで空気が変わるなんて)
騒動に巻き込まれている生徒たちは、誰も気づいていない。
だが、王子は知っている。
これは偶然ではない。
(毛糸に触れた者の気持ちが軽くなる。
喧嘩が減る。
誰もが素直になっていく――)
そして、最初に動き出したのは、
自分を嘲笑っていた、ちいさな令嬢。
(魔力と感情が織り込まれた“魔法の現象”……
もし、そうだとしたら――)
王子はそこで言葉を止める。
答えはまだ確信できない。
だが、胸の奥で確かに微笑みが深くなる。
「さて、アメリア。君はどこまで学園を変える?」
静かな夜風が吹く。
王子の瞳は、誰よりも翡翠のように鋭く、そして楽しげだった。
――誰も知らない。
この変化は、ただのブームでは終わらないことを。




