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編み物好きの女子が悪役令嬢に転生したら、国を丸ごと癒やしてしまった話  作者: 南蛇井


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第1話 悪役令嬢に転生したけど、断罪なんてしませんわ!まずは毛糸ですの

――暗い。

 深い海の底に沈んでいるような、重たい暗闇。そこに、ぽたりと一滴、光が落ちた。


 まぶたの裏がじんわりと明るくなり、意識が浮かび上がる。


 ふわり、と柔らかい羽毛の感触。甘い花の香り。

 天井には、レースと金糸で縫われた豪奢な天蓋――。


(…………え? なにこれ)


 そこは、昨日までブラック企業で書類と数字に追われていた、六畳のアパートではなかった。


 重たいカーテン、広すぎる天蓋付きベッド。

 壁には金の装飾。窓には透明度の高いガラス。

 完全に、絵本かゲームの世界。


 呆然と固まっている私に、部屋の隅から声がした。


「アメリア様、もうお目覚めでございますか?」


 振り向けば、メイド服の少女。控えめに微笑む、絹のような銀髪。

 完璧なメイドの立ち振る舞いに、脳が追いつかない。


(アメリア……? 誰それ)


 自分を指したようなので、とりあえずゆっくり起き上がる。

 髪の毛が、さらりと肩を滑った。


 ――軽い。しかも、やたらと長い。


 慌てて視線を落とすと、寝間着はレースとリボンだらけ。胸元がふわりと膨らみ、布越しでもわかる女性らしい体つき。


 怖くなって、ベッド横に置かれた姿見へ向かう。


 そこには――

 絵画から抜け出したような金髪巻き髪の令嬢が立っていた。

 宝石のようにきらめく碧い瞳。肌は白く滑らかで、どこにもクマもシミもない。


(…………誰!?)


 鏡に映った美少女が、私の動きにぴたりと合わせて瞬きをする。


 震える声でメイドの少女が続ける。


「アメリア様、本日は王立学園の入学式でございます」


 その一言で、背筋が凍った。


 アメリア。

 王立学園。

 この豪華な部屋。


 頭の奥が、ぐらっ――と揺れ、痛みが走る。

 それと同時に、記憶が一気に溢れ出した。


 “聖女と黒の騎士団”

 前世で遊んでいた、人気乙女ゲーム。

 聖女ヒロインが王子や騎士に愛される、華やかなファンタジー恋愛ゲーム。


 そして、その物語の中で――

 ヒロインをいじめ抜く悪役令嬢。

 婚約破棄され、パーティーで公開断罪され、王子に見捨てられ、国を追われ……

 最悪、処刑ルートまである。


 その悪役令嬢の名前が――


(アメリア・アルフォード。え、え? ちょっと待て……私、それ!?)


 息が詰まる。

 体が冷える。

 心臓が嫌なリズムで跳ねる。


(よりによって、なんで一番バッドエンド濃厚の役なの!?

 主人公になりたいとか、攻略対象に愛されたいとか……そんな贅沢言わないから普通のモブにしてよ!?)


 けれど叫べない。メイドの少女は不思議そうに首を傾げているし、状況を理解していないフリをするしかない。


 混乱、恐怖、現実味のない美しすぎる身体。

 でも――一つ、鮮明な記憶が浮かんだ。


 前世の私。

 仕事に疲れ、ストレスで眠れない夜。

 唯一、心が落ち着いた時間。


 毛糸と編み針。

 大好きだった。

 編み目が整うたび、心がほどけていく感じがした。


(……そうだ。今も、編み物がしたい)


 なぜかその衝動だけは、はっきりしていた。

 恐怖よりも、困惑よりも、まず毛糸が欲しい。


(断罪?追放?知らない。そんなの後で考える!

 私、まずは毛糸と編み針を探します!)


 悪役令嬢の目覚めとして致命的に間違っているが、本人は大まじめだった。


 ここからすべてが、静かにずれていく。


 侍女――名をリリアと言うらしい少女が、緊張したように礼をした。


「アメリア様、入学式のお支度を急がねばなりません。遅れますと、殿下にもご迷惑が……」


(殿下。ああ、第一王子ね。

 この世界の攻略対象で、そして……私の婚約者。

 でもゲームだと、ヒロインに惚れて私を捨てる人!)


 呼吸が止まりそうになる。


 頭の中に、ゲームで見た最悪のイベントが次々と蘇る。


 ――ヒロインをいじめる悪役令嬢、アメリア。

 ドレスに wine をこぼしたとか、パーティーで侮辱したとか、濡れ衣でも問答無用で悪役扱い。

 そして月光の差す大舞台で婚約破棄。


『恥を知れ、アメリア・アルフォード! 君との婚約は破棄する!』


 土下座。

 泣き崩れる姿を笑われ、ヒロインは王子に抱きしめられ――


(いやいやいや!無理無理無理!

 土下座なんて膝が粉砕しますわ!)


「……アメリア様? お顔色が……」


「だ、だいじょうぶですわ……ちょっと……現実が辛くて……」


 情緒がおかしい返答になったが、リリアは心配そうに眉を寄せるだけだった。


 私自身、もともと内向的で、人の視線に弱いタイプだった。

 前世でも職場での言い争いはできず、理不尽な要求も断れず、ストレスは胃に蓄積していた。


 そんな私が?

 ヒロインをいじめる悪役?

 王子に笑われ、公開断罪され、追放?


(ムリムリムリ。

 生まれ変わった途端、人生ハードモードすぎますわ)


 膝が震え、呼吸が浅くなる。


 ――そのとき。

 ぽつりと、別の記憶が浮かんだ。


 毛糸の感触。

 柔らかな手触り。

 ぬくもり。


 前世の私が、唯一心から落ち着けた時間。

 締め付ける仕事も、厳しい言葉も、編み針を動かしている間だけは忘れられた。


 夜中に一目一目を積み重ねて、朝になって、気づいたら心がふっと軽くなっていたあの感覚。


(……毛糸。編み物。)


 喉が渇くほど、その記憶にすがりつく。

 今、なにもかも怖い。未来も、王子も、断罪エンドも。


 けれど――


(毛糸さえあれば、生きていける気がする)


 胸の奥が、少しだけあたたかくなった。


「アメリア様、本当に大丈夫で――」


「毛糸、あります?」


「…………えっ」


 即答だった。

 リリアは目を瞬かせ、完全に思考停止して固まっている。


 でも私は真剣だった。


「毛糸と、編み針も。もしありますなら、すぐに欲しいのですわ!」


 叫ぶような、懇願するような声が出た。

 リリアは戸惑いながらも、小さく頷く。


「け、毛糸……探して参ります……」


 よかった。

 希望が見えた。


(破滅フラグ? 知らないわ。

 でも毛糸がないと死ぬ。)


 本気でそう思っていた。


 悪役令嬢として生まれ変わった少女の――

 最初の願いは、断罪回避でも婚約破棄阻止でもなく。


 ただ、編み物だった。


「――リリア。質問がございます」


 私はベッドから勢いよく立ち上がり、真剣な目で侍女を見据えた。


 リリアはびくりと肩を震わせ、きちんとお辞儀する。


「は、はい! なんでしょう、アメリア様」


「……このお屋敷に、毛糸はありますか?」


「………………はい?」


 聞き間違いかと、リリアの目が瞬く。

 けれど私は揺るがない。命がかかっているのだ。


「毛糸と、編み針が必要ですわ。すぐに」


「……あ、あの。入学式のお仕度が先では……?」


「ドレスより毛糸ですわ!」


 私は胸に手を当て、気品だけは死守しつつ断言した。

 リリアの脳から、きゅるきゅると音が聞こえる気がする。


「め、毛糸……ドレスより……?」


「ええ、毛糸ですわ! とても大事なんです!」


 しばらく沈黙してから、リリアは小さくうなずいた。


「……倉庫に、昔の手芸道具があったような……。と、とりあえず案内いたします」


「ありがとう、リリア! あなたは天使ですの?」


 喜びが溢れすぎて、気品が蒸発した。

 リリアは顔を真っ赤にしながら、私を先導して部屋を出る。



 屋敷の最奥の倉庫には、家具や古道具が丁寧に保管されていた。

 リリアがホコリを払い、中を探っていく。


「たしかこの辺りに――あ、こちら、箱があります!」


 リリアが引き出したのは、古い木箱。

 蓋を開けると、色とりどりの毛糸が詰まっていた。


 白、薄桃、深い青、葡萄色。

 どれも丁寧に巻かれ、美しく並んでいる。


 そして、その横には、銀の編み針と手芸用の小さなハサミ。


(……ああ。ある。ちゃんとある……)


 指先が震える。

 毛糸に触れた瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。


 柔らかくて、優しくて、懐かしい。


 前世で疲れ果てた夜、これに救われた日々を思い出す。


「アメリア様……? その、そんなに嬉しいものなのでしょうか……」


「嬉しいなんてものでありませんわ。これさえあれば……生きていけます」


 少し泣きそうな声になった。


 けれど同時に、なにか奇妙な感触もあった。

 毛糸から、ほのかな温かさが伝わってくる。


(……気のせい? でもこれ……なんだか不思議な……)


 ただの毛糸ではないような、微かな光の粒が揺れている気がする。

 手を離したくなかった。


「アメリア様、あの……貴族が編み物なんて、聞いたことありませんけれど……」


「いいのですわ。趣味は自由。貴族も自由ですわ!」


「そ、そういうものでしたか……!?」


 リリアが完全に混乱している。

 だが私は毛糸を抱きしめ、颯爽と部屋へ戻りはじめた。


(悪役令嬢? 破滅フラグ? 知らない。

 まずは心の平穏が大事ですわ)


 ふわふわの毛糸を抱えて歩く令嬢を見て、廊下を掃除していた使用人たちがぽかんと口を開けていた。


「よし……これでとりあえず生存ルートですわ」


 自信満々に頷く私に、リリアだけが小さくつぶやく。


「……どんな……生存計画なのでしょう……」


 その疑問はもっともだったが、私は聞こえないふりをして、毛糸の山とともに部屋へと戻るのだった。


部屋に戻ると、窓から差し込む陽光がふんわりと床を照らしていた。

 暖かい。その光の下で毛糸を抱えた私は、迷わず窓辺の椅子に腰掛けた。


「……編み物なんて、いつぶりでしょう」


 指に糸をかけ、銀の編み針を持つ。

 懐かしい感触。手の中で糸がしっとりと滑った。


 そして――。


 カチ、カチ、カチッ。


 編み針が軽やかに走り出す。


 昔の記憶に引っ張られるように、私の指は自然と動いた。

 考えるより先に、手が編み目を作っていく。


「……あら、手癖が残っていましたのね」


 自分で驚くほど、目が揃っている。

 迷いなく、滑らかに、美しく。


 糸を編むたび、胸に絡んでいた不安の糸がほどけていく。


(大丈夫。私は私のままで、ちゃんと呼吸できる)


 破滅イベント? 断罪?

 そんな黒い未来図が、白い毛糸に吸い込まれるように消えていった。


 しばらく見守っていたリリアが、そっと口を開く。


「あの……アメリア様」


「なぁに?」


「先ほどから、不思議な気分なのです。

 ずっと見ていると……なんだか心がすごく落ち着いて……」


 リリアは胸に手を当て、息を飲む。


「嫌な考えが、全部溶けてしまうようで……これが、編み物なのですか……?」


「ええ、そうですわ。編み物は、心に優しい魔法ですの」


 ――本当はただの趣味。


 でも、今のリリアの表情は、まるで魔法にかかったみたいだ。

 瞳が潤み、頬はほんのりと赤い。


 最後の糸を引き抜き、結び目を作る。


「できましたわ」


 私の掌には、小さなシュシュ。

 真っ白な糸を丁寧に編んだ、小さな輪――アーチシュシュ。


「もしよろしければ、リリアに」


「わ、わたくしに!? そんな、いただけません!」


「いいのです。……助けてくれたお礼も兼ねて」


 そっと渡すと、リリアは震えながら受け取った。

 髪に添えると、白い糸が光を受けて柔らかく揺れる。


 次の瞬間。


「……あ……」


 リリアの目からぽろりと涙がこぼれた。


「ど、どうしましたの!?」


「胸が……とても温かくなるんです……

 まるで、昔の幸せな気持ちを思い出すみたいで……」


 リリアは涙を拭い、何度も小さく首を振った。


「こんな気持ち……初めてです。

 編み物って、こんなに人の心を……」


 言葉を最後まで言わず、ただ静かに笑ってくれた。


 私の胸にも温かさが広がる。


(これだ。この感覚……前の世界と、同じ)


 ――編むと、誰かが笑う。

 それが嬉しくて、また編んでしまう。


 窓から春の風が吹き込み、毛糸がそよそよと揺れた。


「よし。決めましたわ」


 私は小さく拳を握る。


「私は悪役令嬢なんて、いたしません。

 編んで、笑って、平穏に生きてみせますわ!」


 その瞬間、毛糸の中で、見えない光の粒がふっと揺れた。


 誰も気づかない、ほんの小さな魔法の芽。


 これが、世界を癒やし始めた最初の一目だった。



入学式当日の朝。

 私は豪奢な馬車のクッションに埋もれながら、手元の毛糸を撫でていた。


 真紅のベルベット、磨き上げられた金の装飾、宝石のようなランプ。

 いかにも「悪役令嬢の馬車」である。


(うん、豪華。とても豪華。けれど――)


「……この世界、毛糸のお店はどこにあるのかしら」


 隣に座るリリアが、頭を抱えた。


「アメリア様、もう少し入学式にお気持ちを……」


「大丈夫ですわ。入学式もきちんと行きます。

 ただその前後で、手芸店があれば寄るだけです」


「“ついで”なんですね……!」


 リリアの嘆きは聞こえないふりをする。

 首元には編みたてのシュシュと同じ糸で作った小さなリボンを結んでいた。

 見える所に毛糸があると安心するのだ。



 王立アルセリア学園の正門は、広く、美しく、華やかだった。

 庭には色とりどりの花が咲き、噴水が輝いている。


 本来なら胸が高鳴る光景――なのだろう。


(毛糸屋、どこ……)


 完全に視線が違う方向を向いている。


 そんな私を横目に、登校してきた令嬢たちがひそひそと声を潜める。


「あれが……アメリア・アルフォード公爵令嬢よ」


「性格が最悪らしいわよ。身勝手で傲慢で」


「王子殿下の婚約者で、ヒロインを苛めるって噂も」


(よくある、ゲーム通りの噂ですわね……)


 私が反応しないので、どんどん声が大きくなる。


「目を合わせちゃダメよ。なにされるか……」


 そんなこと言われましても、こちらは毛糸の事で頭がいっぱいなのだ。


(淡いミント色……春っぽくて素敵ですわ。

 あとでこの色、買えるかしら)


 視線は手の中の糸へ一直線。



 そのとき。


「……聞いた? 朝から毛糸抱えて歩いてたって」


 背後から侍女同士の声。


「嘘でしょ? あの悪役令嬢が?」


「わたし、見ましたの。

 毛糸を大切そうに抱えて、ふふって笑ってて……」


「なにそれ、怖……優雅な趣味……なの?」


「編み物なんて、庶民のすることでしょう?

 でも、なんか可愛くなかった?」


「いや、待って。悪役令嬢が編み物!?

 イメージが崩れるんだけど!!」


 令嬢たちの表情が、一斉に「怖い」「怖くない」「ちょっと可愛い」を行ったり来たりしていた。


 ざわざわ、ざわざわ。


 私が顔を上げた瞬間、周囲の視線が一斉に逸れた。


「……なんでしょう? 珍獣でも見るような目をされましたわ」


「アメリア様、それは……仕方がないかと……」


 リリアが苦笑しながら答える。


 私は気にしない。

 だって、優先順位ははっきりしている。


「とりあえず入学式を終えたら、毛糸屋を探しますわ。

 リリア、付き合ってくださる?」


「もちろんです! ……ですがまずは、教室へ行きましょう!」


「ええ。行きますわ」


 私は毛糸を大事に抱え、馬車から降りた。


 その様子を、何十人もの生徒が見ていた。


 


 ――その日。


「どうして悪役令嬢が編み物を?」


 その噂は、学園中に広まりはじめた。


 小さな毛糸の一巻きが、未来を静かに変え始めていた。

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