第五話 異界の門
転移者の記録を残すようになって、私はどれほどの時をこの地で過ごしただろう。
誰に命じられたわけでもない。
ただ、ひとり、またひとりと、異郷に現れ、そして消えていった者たちのことを、
忘れてはならないと感じただけだった。
彼らの言葉はいつも断片だった。
「スマホ」「キュウリ」「デンシャ」「帰りたい」
どの言葉も、この世界では意味を持たず、理解されることもなかった。
けれど私には――響いたのだ。
◇
ある日、王都の外れにある古文書館で、私は“それ”を見つけた。
それは、石板であった。
他の文献に混じって眠るように置かれていたそれは、どの国家にも属さぬ言語で刻まれていた。
そして、その一節に、見覚えのある単語があった。
「転移ノ門」
その次に並ぶはずの記述――その部分だけ、削り取られていた。
私はその断片を手に、各地の古塔や遺跡を巡るようになった。
ミオが帰ったという魔導塔。
アヤカが耕した村の地中に埋もれていた金属板。
ヨシタカの手記に書かれた、歪んだ魔術理論の走り書き。
それらは確かに、ひとつの“構造”を示していた。
バラバラだったはずの人生が、
見えぬ糸で、ひとつの中心へと収束していくような、不気味な確かさ。
◇
そして私は、北限の山脈へと辿り着いた。
そこには、地図にも記されぬ廃都市があった。
誰も近づかず、誰も語らぬその場所。
だが、確かにそこには……門があった。
空間がわずかに歪み、色も音も、そこだけが異なる法則で存在しているような空間。
私には、なぜか既視感があった。
……まるで、かつて誰かが“ここから”旅立ったことがあるかのような。
私は震える指で、そこに足を踏み入れた。
何も起きなかった。
けれど、空気の中に「誰かがそこにいた痕跡」が、明確に残っていた。
泥の染み込んだ衣袋の金具。
黒ずんだ異国の筆記具。
「帰りたい」と記された、幼い筆跡。
そして、それらの中心に――まだ誰にも記録されていない、
“新しい転移者の痕跡” があった。
日付は今から、わずか十日前。
性別不明。年齢不明。その他の記録もない。
だが、その足跡は、門を“外から”ではなく――
“内から出てきた”ものであった。
◇
私は記録を閉じ、最後に静かに記す。
まだ、旅は終わっていない。
誰かが今も、世界の狭間を越えている。
その理由も、意味も、誰のためかも分からない。
だが私はこの記録を続ける。
彼らの人生が、風に消えることのないように。
いつか、彼方から来たその者が、再び現れるその時のために。
私は振り返る。
そこには、歪んだ門の入り口が、音もなく佇んでいる。
私は一歩、近づく。
そして――まだ、足を踏み入れはしない。