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第四話 異界の亡霊

その男の名は、記録にはほとんど残っていなかった。


ヨシタカ――そう名乗った者。

この世界に現れたとき、彼は剣も魔法も持たず、ただ一冊の手帳と、ボロボロのリュックだけを抱えていたという。


彼が最初に現れた場所は、ハウ=ラニ湿原。

そこは魔物の通り道として恐れられ、人間の居住など到底不可能な場所だった。



私がその名を耳にしたのは、屍者使い《ネクロマンサー》の一団に関する記録を調査していたときだった。

“死人の山”――かつて千人規模の戦闘があったとされる戦場跡で、奇妙な遺物が出土した。


それは、私たちの世界には存在しない文字で綴られた手帳。

手帳の表紙には、油で滲んだ文字でこうあった。


「帰る方法」


ページの一部は失われていたが、辛うじて読み取れた内容は、魔法陣の模写、謎の機械の設計図、そして断片的な異界の言葉。


反転式の座標理論は可能性あり。

規則が整えば座標のずれを逆算できる。


問題は、エネルギーの供給源……魔核?

手に入らない。誰も教えてくれない。


奪うしかない。


私は確信した。

これは、「帰るため」に異世界の技術と魔力を奪った転移者――ヨシタカの遺品だ。



かつてヨシタカは、ある小国の魔導師団に所属していたという記録が残っていた。

戦闘経験もない彼が、いかにしてその地位を得たのか。

その答えは、“異世界の知識”だった。


火薬の配合。

熱力学の応用。

魔法装置の設計理論。

そしてなにより、人を説得し、騙し、利用するための論理と心理。


彼はそれらを駆使して、地位を得、信頼を得、そして……裏切った。


魔導士団の魔核貯蔵庫を襲い、すべてを持ち逃げしたのだ。



だがその“逃亡”も長くは続かなかった。

各国から賞金がかけられ、ヨシタカの名は「世界を欺いた偽神」として広まった。

彼の逃走経路には、数十の死体と破壊された施設、そして、誰かが泣きながら握りしめていたという手紙が残されていた。


ただひとつだけ、彼を知っていた少女がいた。

山岳集落で薬草を売っていたというその娘が語った。


「……彼は、悪い人じゃなかった。夜中、よく独り言を言っていた。

“まだ帰れる、まだ帰れる”って……“あの子が待ってる”って」



ヨシタカの死体は見つかっていない。

ただ、屍者使いの拠点で焼け落ちた石室の壁に、奇妙な円形の焼き痕があったという。


そして、その中心にだけ、焦げ跡が一切残っていない空白の「人型」があった。

魔力の収束、爆縮、そして……消失。


彼が「帰った」のか、それとも「消えた」のか。

誰にも分からない。


ただ私は思う。

彼は確かに“必死”だった。

裏切りも、盗みも、殺しも、それらすべてが――


帰るためだったのだ。



私は記録する。

ヨシタカという名の、黒衣の転移者がいた。

彼の人生は、他者を踏みにじり、信義を裏切り、死体の山を越えて積み上げたものだった。


だが、だからといって、その祈りが否定されるわけではない。

彼の祈りはひとつだけだった。

「帰らせてくれ」――それだけだった。


その声が、今もどこかの次元に届いていることを、私は願ってやまない。

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