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第三話 異界の還り火

この世界に、確かに“帰った”者がいたという。


記録官として多くの転移者を調査してきたが、帰還の事例はただの噂、あるいは詐欺師の戯言として扱われていた。

だが、唯一――村の東にある古い魔導塔で、私はそれを裏付ける痕跡を見つけた。


その少女の名は、ミオ。

灰のような髪と、透けるような瞳を持つ少女だったという。



「魔眼を持っていたんです」


そう語ったのは、魔導塔に住んでいた老魔導士・サリウス。

痩せた背にくすんだローブをまとい、過去を噛みしめるように口を開いた。


「彼女が現れたとき、空が割れた。まるで硝子が砕けるような音がして、塔の前に立っていた。

身にまとっていたのは、この地のどの文化にも属さない不思議な衣だった。

紺色の布で仕立てられた短い上衣と、ひだの入った膝丈の下衣。それらはひどく薄く、風に揺れるほど軽やかで、見るからに防寒性も防御力もなさそうだった。

胸元には飾り紐のようなものが結ばれていて、足元は柔らかな履き物。

後に彼女が口にした言葉によれば、それは“ガクセイ”と呼ばれる身分の者が着る特別な衣らしい。

わたしには、それが戦士でも貴族でもない者の衣だとは、とても思えなかった」


ミオは魔眼を持っていた。

未来を見る力。だがそれは、不完全で、制御もできず、視たものに飲まれてしまうほど危険な力だった。


サリウスは彼女を保護し、その力を封印する方法を教えた。

だがミオは繰り返し言ったという。


「わたし、帰らないといけないの。あの子に、また会いたいから」



手記が残っていた。

それはミオが魔導塔で暮らしていた半年間に記したものだ。


今日はまた夢を見た。机の引き出しの中の手紙。あの子の字。

でも、読む前に目が覚めた。


いつも思う。わたしがいなくなった世界で、時間はちゃんと進んでるのかな。

だとしたら、あの子は、もうわたしのこと、忘れてるかも。


それでもいい。帰りたい。笑って手を振って、もう一度、ちゃんとさよならを言いたい。


「帰還の術なんて、できるわけがないと思っていた」


サリウスはそう言った。

けれど、彼女は実行した。

彼の蔵書の中から魔術理論を読み解き、使われなくなった“時空の門”の装置を再起動させ、そして――


「消えたんだ。音もなく。光もなく。まるで、初めから存在していなかったみたいに」



ミオの痕跡は、魔導塔からすべて消えていた。

書きかけの本、使っていた寝台、日記……すべてが「そこに彼女がいた痕跡」だけを残して消失していた。


ただ一つだけ、残されていたものがあった。


それは――塔の石壁に刻まれていた、たどたどしい異世界文字。

指で書いたのか、子供の文字で、ゆがんだ筆跡。


「わたしは もどる だれにも わすれられても」



私の調査報告書に、この項目は存在しない。

書けば抹消されるだろう。帰還など“あってはならない”からだ。


だが私は知っている。

ミオという名の少女が、この世界から、そして記録から、完全に消えたことを。


灰のように消えてなお、誰かの心にだけ、残っていることを。


彼女は、帰った。

それだけで、この世界がほんの少し優しく見えるのだ。

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