表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第一話 異界の剣士

その石碑には、名がなかった。

かろうじて読み取れるのは、雨風に削られた剣の刻印と、ひとつの祈りの言葉だけ。


――この魂が、彼方に還らんことを。


王都ザル=フィエルより南西、かつて“魔喰いの谷”と呼ばれた戦場跡に、私は偶然その墓標を見つけた。


荒れた地にぽつんと立つ無名の碑。誰が建てたのかも分からず、記録にも残っていない。

だが、私は直感した。ここに眠るのは、「彼方より来たりし者」――転移者だ。


私は王立史学会に所属する一介の調査員に過ぎない。

だが、この地で数人の古老に話を聞き、やがて彼の名を知った。


カズト。

あるいは、黒き剣の傭兵ブラックブレードと呼ばれた男。



「カズト? ああ、あのよそ者か……まだ覚えているよ。妙な言葉を話していたな。あれは、呪いか何かじゃないかって噂されてた」


そう言ったのは、村の鍛冶屋だった老人である。


彼は言葉を選びながら語った。カズトはこの村にしばらく滞在し、剣の腕を見込まれて傭兵隊に加わったのだという。

魔物に襲われた旅団を単身で救ったこともある。


そのとき使っていたのは、黒い鉄で鍛えられた奇妙な剣。

「異邦の刃」と呼ばれ、誰も同じ材質の剣を見たことがなかった。


「いつだったか、焚き火のそばで、ぽつりとこう呟いたんだよ。『どうして、あの朝、あのデンシャに乗ってしまったんだろう』ってな」


私はその言葉を何度も反芻した。

“デンシャ”とは、この世界に存在しない単語。おそらく彼の元いた世界の道具だろう。

そして、“あの朝”とは、転移の瞬間を意味している。


なぜ、彼はこの世界に呼ばれたのか。

なぜ、彼は帰れなかったのか。


私は更なる手がかりを求め、かつて傭兵団が使っていた古い宿舎を訪れた。

そこで、一冊の革の手帳が埃をかぶって残っていた。


カズトの手記を読み解く作業は容易ではなかった。

彼が書いた文字は彼の国の言葉そのものだが、私には馴染みのない単語が多い。

彼の世界の言葉を理解するには、私の長年の研究が欠かせなかった。


1月14日 晴れ

突然、目の前が白くなって気づいたら草原だった。

エキのホームにいたはずだ。夢じゃない。スマホも使えない。ふざけるな。


2月21日 雨

生きるために魔物の肉を喰った。最初は吐いたけど、今はもう慣れた。

この世界の奴らは、俺のことを「呪われた子」と呼ぶ。上等だ。


3月3日 晴れ

たまに夢を見る。家族の声が聞こえる。起きたら、胸が苦しい。

こんな世界で生きたくない。でも死ぬのは嫌だ。


4月29日 嵐

魔導士たちが言っていた。『帰還の魔術』というものがあるらしい。

それを見つけるまでは、絶対に死ねない。俺は帰る。


その手帳の最後のページは、破れていた。

おそらく、彼の最期の記録は、誰かの手によって奪われたのだろう。

しかし、彼が最後まで「帰還」を信じていたことだけは、確かだ。


石碑の前に戻った私は、そっと一輪の野花を手向けた。

帰ることは叶わなかった。だが彼は、諦めなかった。


その誇りと絶望の入り混じった人生は、確かにここにあった。


私は日誌に記す。

彼は確かに存在した。


彼の名は――カズト。

彼は「帰還者」ではなかった。だが、いつか誰かがその意志を継ぐだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ