死に戻り能力を持った魔法使いが「俺を愛していると言えば助けてやる」と脅す話
短編『「俺を愛していると言えば助けてやる」と死の間際に貴方が言った。』のヒーローsideです。こちらだけでも読めるように書きました。
死にゆく彼女に、俺は言った。
「俺を愛していると言えば助けてやる」
それを聞いた時の彼女の顔と言ったら。知人でしかない男に、突然何を言われたのかも分からぬようだった。
戸惑い揺れる瞳。
次に現れるのは嫌悪の感情だろうか。
「愛していると言ってくれ。これが、脅しだと分かっている」
時間を巻き戻す能力を持っているのは、恐らくこの世に俺だけ。彼女の死を止められるのは俺だけなのだ。だからこそ、穢れ切った魂を持った俺でも、今だけは、彼女の瞳に映ることを許してもらえるだろうか。
「愛していると言ってくれ」
なんて、浅ましく醜い、己の欲望にしか従えない男。
見開かれた瞳が俺を見つめた。
憎んでくれていい。顔を歪めてくれていい。嫌悪してくれても。それでも、それだけで、俺は自らの心臓を止めることが出来るのだから。
☆☆☆☆
俺は『贈り物』を持っていた。
時々、他の人にはない特別な力や魔法が使える人が生まれる。俺の『贈り物』は「死んで時間を巻き戻す」だ。そして『贈り物』には必ず代償がある。能力が強ければ強いほど、代償も大きくなる。時間を巻き戻す、そんな大きな力のある贈り物は類を見ない。恐らく、使えば使うほど命を削る。長く時間を巻き戻すならば、きっと、俺は命を失うのだろう。
魔法大国マリグート筆頭魔法使い、サイラス・シーウェルとは俺のことだ。
公爵家の生まれであり、次期当主を約束された生まれ。魔法使いたちの中でも群を抜いた魔法の才。恐ろしいほど整った顔立ち……それは本当に怖がられてしまうほどなのだが。
だからこそ、命を削るような贈り物の力を使うことはなかった。むしろ、使わぬようにと教育されて育った。代償の大きすぎる贈り物の力よりも、俺自身の存在価値の方が大きいのだ。実際、さほど命を削らず使えるとしたら、数分やそこら。人のためになど使わん。自らの失敗の為にやり直すことなどただの恥。そんな愚かな使い方はせぬ。
凡人とは違う、と自負している。俺ほどの能力を持ったやつはそうはいない。
何もかもに恵まれている……と思う。それでも、何一つ満たされていなかったのだと知るのは、彼女と出逢ってからだった。
彼女を初めて見た時の衝撃は忘れらない。
無色だった世界に色が着いていくように、世界が変わったのだから。
「私はリディア……、リディア・マリグートと申します。魔法の勉強をするのは初めてです。宜しくお願いします」
そこは帝宮内の一室、国の命令で魔法の教師を請け負うことになった俺の生徒となる少女は、大層美しかった。けれど貴族の子女は皆代り映えしないように美しい。だから一目見ただけで心を揺さぶられることなど本来ありえないのだが。
透き通るような海を思い浮かべる青い瞳。淡く輝く金色の髪は彼女を彩るように緩やかに背中に垂れている。胸が痛むような気持ちになり思わず目を細めた。まるで眩しい朝日を見つめたときのようだと思った。
確かに高貴な血を感じる容姿。平民の間から見つけられたという、先帝の落としだね。眉唾物だと思っていたその噂はどうやら本当のようだ。
「……先生?」
彼女は不思議そうに俺を見つめていた。
言葉が、出ない。今話したら、声が震えてしまう。
体が、心が震える。どうしようもない戦慄。これはなんだ。
邪気もなく俺を見上げる澄んだ瞳。それは吸い込まれそうに美しい。ああ、ずっと見つめていたい。彼女が世界の中心だ。彼女を軸に、世界に色が着いて行くのだから。無機質な世界に温かさが生まれるように。この世の全てが美しいと思えるように。
(……っ!)
なんだこれは……魅了か?いや違う。なにも……魔力など感じない。正気だというには、狂い過ぎている己の思考。
ぞっとし、小さく息を吐く。
捕らわれてしまう。心が、肉体が、彼女の存在に喜びを感じて、ただ震えてしまう。
(それなのに――俺は……)
歓喜、という表現が最適なのかもしれない。求めていたものに出逢えたように嬉しくて仕方がないのだ。
(なぜ、こんなにも泣きそうになるのだ)
良い大人が、小柄な少女に心を奪われているというのに。嬉しくて涙が出そうだなんて。
こんな感情を知らなかった。恥ずかしくてみっともない、なのに子供のようにはしゃぎたくなる。
これまでの自分が、いかにつまらない世界で生きて来たのか。
何も出来ぬくせに世の中を知った気になり驕っていたのだとか。
それらを知れたのは、全て彼女とのこの出逢いがあったからだった。
「サイラスくん?また部下から移動願い出てるんだけどー?」
魔法院の上司である叔父がやって来て言った。
日々魔法の研究をして過ごす魔法馬鹿。ボサボサの髪を掻き上げた彼は面倒臭そうに言った。
「この中から新しい部下を選んでおいてくれる?相性の良さそうな人。欲しい人材、いるでしょ?辞めてほしくないような人」
ばさりと身上書を渡された。それに視線を落とし、欲しい人材について考える。
「社交的なやつはいるか?」
「なに?君に合わせられる社交性のある人?」
「恋愛経験に長けた者だ」
「は?」
「だから色恋に詳しい奴だ」
「……一体どうしたのこの子?」
そうして叔父が連れて来た新しい部下はジェイドと言った。男爵家の三男。素行不良が問題視されているが魔法の才が見出され魔法院に入った。「どういうつもりなのか知らないけど引き取ってくれるなら有難い」そう叔父は言い残した。
ピアスをジャラジャラと着けたジェイドは確かに女好きしそうな色男だ。はだけたローブから色気が漂っている。ジェイドはヘラヘラと笑って言った。
「宜しくっす」
どの場所でも女性問題を起こしていたと聞く。たらい回しの末、人のいつかない俺の元にやって来たのだと本人は思っていることだろう。
だが真実は違う。
「いいか、俺の下で働くことを、他の部署と同じように思うなよ」
「はい」
「早速だが、質問だ」
「……はい」
「お前は恋愛に詳しいか」
「……はい?」
「一目見て、ある女性から目が離せなくなった。彼女が脳裏から消えない。あの日のことを思い返すだけで心に喜びが溢れる。これは、なんだ。絵物語の中にあるような、その、アレなのか。これは、あの、アレなのか」
上手い言葉が紡げない俺を見つめていたジェイドは、突然ぷはっと音を立てて笑った。
「なんですかそれ。恋話聞きますよ!楽しそうじゃないっすか」
本当に楽しそうに話を聞いていたジェイドは、最後に言った。
「それ、一目惚れ、っすよ。恋ですよ、恋。え、まさか初恋です?僕なんて3歳の時ですけど、え、今おいくつでしたっけ?はは、なんか羨ましいです。へぇー、いいじゃないですか。素敵ですよ。その外見で、なんかピュアで。応援したくなる」
ケラケラ笑いながらも、不快を感じさせず笑顔を向けてくるジェイドが女に受けるのはよく分かる。
ジェイドは、それから魔法院を出るまで、長く忠実な部下でいてくれた。
帝宮にて、彼女の魔法の教師として日々を過ごした。
彼女は出来の良い生徒だ。血筋のなせる業なのだろうか。彼女はどんな勉学も、勘が良く覚えてしまう。
「よく聞け。役に立たぬ知識も魔法も、ない。全てが自らの助けになる。教えたことを忘れるな」
「はい、先生」
彼女の贈り物は「治癒と浄化能力」。そのことは彼女が皇女として迎え入れられたこととともに国民にも知らされた。……それは嫌な予感を孕んでいることだった。代償の大きな贈り物ほど、秘匿されるはずのものなのに。
(この美しい少女を使いつぶす気ではないだろうな)
気が気ではない。生き残る術を学ばせておかねばならない。
「いいか、この程度出来て当たり前だ。」
「ふん、気を緩ませるな。お前は、知恵が足りなさすぎる」
「なぜ、出来なかったのだ。なぜ、失敗したのだ」
「そうだ、考えろ。答えが導き出されるまで」
このままでは、彼女はこの階級社会で、押し潰されてしまう。知識が足りなさ過ぎる。教えることが尽きなくて歯痒い。自然としかめ面となり口調が厳しくなる。
とは言えこんなことではダメだと分かっている。心の中のジェイドが言っている。『女の子には優しくしないとダメっすよ!』優しくってなんだ。何がどうアレしたらいいのだ。
けれど彼女はいつも笑顔で。
「はい、先生」
不思議といつも素直な返事をした。
またそれも気に食わない。抗える精神が無ければ生き残れないだろうに。
「分かっているのか、今のままでは足りなさ過ぎると言っているのだ」
「分かっています……先生」
「いや、何も分かっていない。いいか、頼れる者がいると思うな。自分一人で、戦い生き残るんだ」
「……」
「魔法は自分を守る刃だ。知識は、自分を守る盾だ。甘言に惑わされるな。誰も信じるな。己を守ることだけを考えろ。ここは、そういう場所なのだから」
「……ありがとうございます。先生」
ふわり、と彼女が笑う。
嫌悪する人が多い俺の口調も、彼女は気にしていないように受け流してしまう。
本来の魔法院での執務の大半を他者に任せ、彼女の教育に時間を割くことが許された。そうして一年も経つ頃には、俺の教えも必要がないほど魔法を使いこなせるようになっていた。
時折ジェイドが揶揄うように言った。
「リディア様とは如何です?」
「如何も何も何一つない」
「僕思うんですが。持論なので参考にならないでしょうけど」
「……名言集と噂されるお前の持論か。聞こう」
「女の子って、言葉は絶対いるんですよ。安心させてくれる優しい言葉。そこはもう最低限のライン。そこで躓いたら心の中にいれてくれない」
「ぐぅ……っ」
「んで、次に、行動です。何をしてくれたか」
「なぜ、次なのだ」
「言葉の答え合わせなんですよ。言われた優しい甘いだけの言葉が、信頼に足る、本物の言葉だったのかどうか。男たちは、いつだって試されてるんですよ」
「……」
この男の持論は確かに賛否両論なのかもしれない。
「……本物だったらどうなるのだ」
俺の言葉に、ジェイドはヘラヘラと笑った。
「さあ?僕が本物にしたことあると思います?」
確かに実のある言葉を紡いでいたら、職場でキャットファイトを繰り広げさせる男にはなっていないのだろうか。
「なぜしたことがないのだ」
「僕にも分からないんですよね」
これだけ恋愛に長けた男でも分からないことがあるのなら、俺に分かる訳もないだろう。
「もうすぐ公務で旅立ちます。その後は、私は皇帝の元に仕えます」
彼女は別れの言葉をそう切り出した。
「今までありがとうございました」
頭を下げる彼女を前にして、言葉に詰まる。教育期間が終わったのだ。これでもう、彼女とは気軽に会えなくなるのだろう。
心の中のジェイドが言っている。『優しい言葉っすよ。まずはそこから』
優しいとはなんだ『思いやりっすよ』思いやりとはなんだ『大事にするってことっすよ』大事とは、大事とは……。
「厳しい学びに、よく、付いてきた」
「はい」
「お前ほどの才があれば、魔法院にでも勤められるほどだ。もう魔法使いの一人と自負していい。だが気を緩めるな。お前より上の者はいくらでもいる。油断していると足元を掬われるのだからな」
「はい」
喜ばせる言葉など出てこない。嫌なことを言って聞かせているはずなのに、彼女はいつものように笑う。
「魔法院に行きたかったです」
「……」
「出来るなら、魔法の力だけで、何かの役に立つ仕事に就きたかった……」
彼女は、帝国に縛られている。
一人前の魔法使いになってしまった今、これからは帝国の為に魔法を使い続ける日々が始まるのだろう。
「怖いことが何度もありました。逃げ出したくなって……ふふ、城下まで行ったんです。平民育ちですから、下働きに紛れて逃げる方法はいくらでも思いつきました。でも……簡単に連れ戻されちゃいました」
逃げていたのか。そこまでのことがあったのに、俺には言わなかったのか。
「私は逃げられません。だから、受け入れます。せめて、この国の民の為に生きましょう」
この籠の中の鳥のような儚げな少女は、言外に、皇帝の為に生きるのではないと言っているのだろう。
「先生と話せるのは、なぜだか安心出来たんです。だって先生、本当に魔法を教えるためだけに来ていましたでしょう?ふふ、それがおかしくて。他の人は全然違うんです。ある人は……皇帝の命を伸ばす生贄になるのだと言ってました」
朝日のように眩いのに、彼女は籠の中に閉じ込められていた。
どうにかして、彼女の助けになれる手段がないかと模索していた。
帝国に縛られるだけの生き方から解放されるべきだ。
なのに、俺の生まれや立場を以てしても、何も出来ない。何を変えようとしても、意見を言っても、周囲に疎まれるだけだった。皇女として生まれた彼女の権利を、休息を、安全を確立したいだけなのだが。
ならば彼女を降嫁出来ないだろうか。難しいだろうが、策を講じ断りにくい取引をすれば、俺の身分ならばあるいは。
しかし……降嫁?よ、よめ。
誰に?俺に?……嫁?いやいやいや。
いやいやいやいやいやいや。
顔を熱くさせ首を振る。それでは彼女が新しい檻に入るだけだろう。あの時のような悲しい瞳で言われてしまう「命を長らえさせるために嫁ぎました……」そんなことを言われたら泣く。無理だ。死ぬ。
未来のことは置いておいて、他国へ逃がす道が一番だろう。
けれど、彼女の身分ではそう簡単にはいかない。贈り物の保持者を手厚く保護する、東の国のカスハールの王子たちが彼女を見初めてくれないだろうか。虐げられた皇女が他国の王子に見初められて幸せになるなど、まるで巷で流行りの恋愛小説のようではないか。
外交で訪れたカスハールの第二王子に接触してみた。
「はじめまして、サイラスさん、お噂はお伺いしていました。話してみたいと思っていたんです!」
気さくに話しかけてくる、おおらかな若い王子は、凡庸な容姿であるが、嫌悪感を抱かせない。こいつでいいのではないか。そう思っていたら、めちゃくちゃ婚約者ののろけ話を聞かされた。
「帰国したら式を行うんです。世界で一番美しい花嫁になります。あ、絵姿見ます?可愛いでしょう?見た目だけじゃなくて、性格が可愛らしいんです。一日でも離れていられないって。一秒でも早く帰って来てって。ああ、早く帰りたい!ああ、すいません、こんなことを言って……」
幸せそうだった。恋愛脳のやつらめ!国民幸福度ナンバーワンと噂されるだけの国の王子だけある。お気楽だな、豊かで平和なお土地柄なんだろうさ!!ああ、羨ましい……ではなくて残念だ。他のどの王子も既婚者らしい。
久しぶりに彼女に会った。
帝宮に呼び出されたおり、廊下ですれ違う。会釈をしただけ。けれど彼女は、ふわりと懐かしい笑みを返した。ずいぶんと痩せていた。あれから一年も過ぎていないはずなのに。
心が躍った。瞳に映すだけで、喜びが溢れるなんて。
高鳴る心臓を思わず押さえる。
やはり、駄目だ。早く、なんとかせねば。
「告白しちゃえばいいじゃないっすか」
「ぐほっ、、、かはっ」
書類に向き合っていると、唐突に部下が言い出した。
「いい返事をもらえたら、逃避行です。サイラス様ならどこへでも逃げられるでしょう?」
「連れ去ることだけならな。だがこの先も長く生きていくのだ。好きでもない男に連れ去られ、なんの身分も保証されず、地獄のような人生を歩むことになるかも分からないではないか」
「そんな普通のこと言われてもつまらないっすよ……」
つまらないとはなんだと睨みつけると、ジェイドはふと真面目な顔つきになった。
「見てみたいんすよね、本物の、思い合った恋人たちを。命をかけてでも、自分のことより相手のことを想う姿を。自分でもよくわからないんですが」
「それは本当に分からないな。見てどうするんだ」
さあ?とジェイドはヘラヘラと笑った。
彼女の兄である現皇帝は、生まれ持って体が弱い。そのため、治癒と浄化の能力を持つ彼女の力を欲している。
皇帝暗殺……など現実的ではない。彼女が手元からいなくなれば、放って置いても死ぬだろう。
だから引き放す手段を作りたいのだが。
彼女の現状は黙殺されている。公にされることはない。まさに贄にされているのだ。皇太子はまだ幼い。次代まで荒れることなく帝国を紡ぐこと。そのためには小さな犠牲に思われている。国内での正当な扱いを望むことは諦めた。ならばと、外交で彼女に国外の仕事を作ろうとしても潰される。国から出してしまえば、逃げ出せる手段もあるというのに。
本格的に降嫁について考えてみた。しかし考えると思考が止まる。
だが……俺には女は寄りつかない。嫌な記憶が蘇る。あれは魔法院に入った年のことだった。
☆☆
「サイラス様の部下がまた辞めたそうよ」
それは魔法院の裏庭で猫に餌をやっていたとき。廊下を歩く誰かの声が聞こえて来た。
俺は動物に好かれる。どれだけ邪険にしても纏わりつかれる。どうやら俺の魔力が小動物に好まれるようで、放っておいてもやってくる。段々と哀れに思えて来て腹を空かせたやつらには時折餌を分け与えていた。施しは大事なことだろう。
「え、また?」
「そう、何人目かしら」
「まあ……俺だってあんなところ行きたくないよ」
「うん。才能があって凄い方だとは思うけど……」
「あの言い方はね」
「厳しくて……キツイ、病む」
にゃあ。にゃあ。俺の足元の猫たちが餌を催促する。
なんの話だ。俺のことなのか。地位ある俺には、魔法院に入った当初から役職が与えられた。幾人かの部下が付けられていた。確かに部下の一人は病気になり辞めたばかりだが、何か誤解があるのではないか。
「笑顔が……」
「分かる、あれ」
「怖いのよね、歪んでるの」
「キモイ」
「そう」
「悲鳴あげそうになったことあるもの」
「あー……」
「婚約者も未だ決まっていないとか」
「女性と結婚出来るのかしら」
「顔合わせの相手は皆逃げたって噂あるな」
硬直する俺のローブに少しずつ猫が昇ってくる。
「どんな方とご婚約されるのかしらね」
「きっと俺たちとは違う、立派な政略結婚の相手がいらっしゃるだろ」
「そうね……」
話し声が遠くなり、聞こえなくなっていく。頭の上で、猫がにゃあ、と鳴く。
過去の記憶が蘇る。貴族の義務として、何度も何度も令嬢たちと婚約を前提とした顔合わせをしたことがある。「私には勿体ない」と言われてきたが。俺に釣り合う女などそうはいない。それはそうだろうと思いながらも言われてしまうと興ざめしてしまっていた。その全員が逃げていた……?
『私には勿体ない』
『私には勿体ない』
『私には勿体ない』
何もかも恵まれていたはずの、帝国魔法使いサイラス・シーウェル。薄々感じていたが、人間にだけは好かれないようであった。
☆☆
「先生、お久しぶりです」
「リディア……」
二年目。どうしたことか。帝宮の中庭で彼女と出逢った。
煌めくように美しく、そうしてまた細くなっていた。
「ひ、久しぶりだな」
「お元気でしたか?」
「俺はな。だがお前は……食べているのか。体作りはすべての基本だ。そんな体では一流の魔法使いにはなれない。今すぐ何か食べて休むといい」
きょとんとしてから、彼女は笑った。
「なぜ笑うのだ」
「ごめんなさい。だって……変わられていないのだもの」
「わ、笑うな」
「ごめんなさい。とても嬉しくて」
笑いが収まると、悲しそうに宮城を見上げる。
「私の体のことを考えてくれる人なんて、もういないと思っていたの」
彼女の扱いがどんなものなのか、その台詞だけで分かってしまった。
俺には分からない。この美しい少女が、なぜこんなにも、残酷に扱われなくてはならないのだ。
「サイラス様、もっと休息を取ってください」
「そんな暇はない」
三年目。
睡眠を削りながら、新たな魔法や魔道具の開発をした。特に治癒や治療についての分野は心血を注いだ。治癒魔法そのものの使い手がいなくても、魔道具で少しずつ代用できるようにしたのだ。抜き出た魔法の才能が生かされる。人付き合いで疎まれようが、誰ももう文句は言ってこない。すでに俺の存在が、この国の魔法の国家機密になっていた。
新たな魔道具があれば、彼女が降嫁しても、皇帝の生命は維持されるはずだ。少なくとも、帝宮に囚われている必要はない。
ある日、皇帝に呼び出された。
「褒美をそなたに。何がいい?望むものを与えよう」
以前より少しだけ血色の良くなった皇帝は、俺の魔道具を手に持ちながら言った。
「これを持っていると、体調が安定する。さほど長い日にちは持たぬが、いくつか用意しておけばいいのだから」
やはり魔道具は皇帝の体に作用したのだ。俺はほっとし、彼女のことを思った。
「治癒魔法の研究と開発の為に、リディア様のお力をお借りしたい」
俺の言葉に、皇帝は即答した。
「駄目だ」
後ろで近衛が動く音がする。殺されるのだろうかと、思った瞬間。
「アレは私の命だ。研究の為などの理由で、私から離すことはない」
その日から国内で画策することを諦め、国外へ働きかけるようになった。
カスハールの隣国、サララク。
その王が今病に臥せっている。サララクは我が国マリグートへ貸しがあった。皇帝が幼い頃、治癒能力者を派遣してくれていたのだ。その王は、我が国に有能な治癒能力者がいるのを知っている。なぜなら、魔法使いの人脈を使い、詳細を俺が伝えていたのだから。
皇帝は初めて、断ることが出来ずに、リディアを派遣することになった。
一時とはいえ、それが可能になったのは、俺が魔道具を作っておいたおかげだ。
旅の途中で彼女を攫ってしまおう。地の底まで逃げよう。彼女に執着する皇帝の命も長くはないだろう。なにより……彼女自身の命も長くはないのだろう。体を酷使しすぎた。皇帝の死後、逃げた彼女のことは、死んだものとして扱われるはずだ。彼女の好きな場所に連れて行こう。何も、望まない。側にいさせてもらえるなら、出来るならば彼女の側で彼女を助けたいが。
きっと人に言ったら、どうしてそこまでと言われるのだろう。
だが俺にとっては……。
ただ唯一の。心を照らす光だったのだ。何年も、忘れられない。心を震わせる、ただ一つの美しい青。
あの美しいもののない世界など、必要ない。
「気持ち悪いよな……」
自分ですらそう思うのだから情けない。この想いを知られたら、きっと彼女からも侮蔑の表情を向けられるのだろう。だがもう、それでもいいのだ。
彼女が籠から解き放たれるのなら。朝日のように。自由な空で輝けるようになれるのなら。
サララクへ旅立つ直前のことだった。
突然の流行病が帝都を襲った。何かに感染し、全身を黒色に染めあげ、多くの民が亡くなった。
皇帝が流行病を恐れ、彼女の旅立ちを中止した。
そのことに、俺がどれだけ悔しく思い、絶望したか言葉に出来ない。
そして事件が起こった。
「城下へ行ってきます」
彼女の部屋に、そんな書置きが残してあったのだと後から聞いた。
彼女は、身分を隠すようにフードを被りながら、死体が積み重なる町を浄化して回ったのだそうだ。家族を亡くした者たちの泣き声を聞きながら、ゆっくりと歩き進み、まだ命あるものには手を繋いで治癒を施した。町中を回り、彼女が倒れるまでそれは続いたという。全ては聞いた話だ。
そうして今彼女は、死を目前としている。
☆☆☆☆
「……サイラス様」
彼女のいる離宮に向かう途中、ジェイドに引き止められた。
「なんだ」
「お使いになられるんです?」
ジェイドは俺の贈り物を知っている。
「そうだ」
「そうですか……」
ジェイドは一度俯き、そうして、顔を上げるとさっぱりしたように笑った。
「カッケーっす。本当に。僕が女なら惚れます。忘れてしまうかもしれないけど、でも僕は忘れません」
「何を言っているのか分からん」
とは言え。
「世話になった」
そう言うと、彼は初めて、貴族らしい礼をとった。
離宮の片隅の、彼女の豪華とも言えない部屋。
そこで、彼女はたった一人で死を迎えようとしている。見張りも、侍女すら付いていない。皇帝の怒りを買ったのだから当然なのだろう。
足を踏み入れた俺に、彼女が瞼を上げる。
海のように青い瞳が俺を見つめた。いつでも心を震わせる。けれど今は、その美しさで心の臓に棘が刺さるかのようだ。彼女は骸骨のようにやせ細り、もう間もなく死ぬ。
「俺を愛していると言えば助けてやる」
もうそれしかない。彼女の命を繋ぎ止められるのは、俺の命だけなのだ。俺が助けるしかない。
彼女は驚きに目を瞠り……ふわりと笑った。
「なぜ、笑うんだ」
訳が分からない。嫌悪を向ける場面だろう。
「初めて……冗談を聞いたわ」
「冗談など言っていない」
「そ、う……?」
信じていないようだ。どう言ったら伝わるのだ。だがもう……伝えられると思える時間すら残されていない。
「……逃げられなかったのか?」
「逃げる場所なんて、なかったもの」
「ならば教えてやろう。お前が逃げる先は、東の国カスハールだ。あの国は、『贈り物』のある人間を厳重に守っている。使用することでのリスクを教え込み、命を守ることを最優先にさせる。それは、歴史の中で幾たびも悲劇に見舞われたからだ。悲劇を悲劇と認識出来たからだ。愚かなこの国と違う。……逃す機会を狙っていたのだ。本当は」
俺の命と引き換えに彼女を過去に戻す。その世界に、きっと俺は居ないのだろう。居ても彼女のことを知らないだろう。だからどうか一人で逃げてくれ。二度と、この場所に帰ってくるな。
「……ふふ……もう一度やりなおせたら、カスハールに逃げ込むわ」
「忘れるな。何が何でも逃げろ。カスハールの教会ならどこでも保護してくれるはずだ」
「……」
ベッドの脇に跪き、俺は彼女の命を繋ぎとめるように片手を握る。
「逝くな。俺が助ける。ああそうだ……助ける。お前を失うことなど耐えられない。必ず助ける。だが俺は恐ろしいんだ。俺は、全てを失う。力も命も権威も愛も。俺が俺であったものを失う」
そうだ、これが本音だ。
俺は、これから自らの魔法で自身の心臓を潰す。恐らく、本物の死だ。死を想像することは難しく、恐ろしい。
「全てを投げ出す覚悟を俺にくれないか。嘘でいい。愛していると言ってくれ。それだけで俺は終わらせられる。これが、脅しだと分かっている。それでも。どうかお願いだ」
彼女を愛した男は、これでこの世から消える。
巻き戻った世界で俺は生きているのか死んでいるのか。
愛している。きっと、これが愛なのだろう。
一方通行の恋情。彼女からしたら気持ちの悪い男の告白。身勝手な想いをぶつけられ、無理やりに受け入れさせられようとしている。
だがそれでいい。
何より俺らしい。
どんなに屈辱だろうとも、生きる為に俺を愛しているというはずだ。偽りの愛の言葉でも貰えるのなら、俺自身の慰めになる。嫌われ者の俺にはそれが丁度いいのだろう。
だから。どうか……。
最期に、言ってくれ。
「あなた、私のことが好きだったの?」
今更のように彼女が言った。
時間がないのに、俺は何も伝わっていなかったことを知る。
「……初めて会ったときから」
そうだ想いを伝えたことなどない。
言えない言葉を沢山飲み込んで来た。悪態しか吐かなかった。
せめて言えば良かった。美しいと。愛していると。どうしても伝えられなかった。なのに今ならこんなにも容易く言える。
「俺が一番美しいと思う景色は、夜明けの空を昇りゆく朝日だ。領地の屋敷から海を昇る太陽をいつも眺めていた。海の青を思わせる澄んだ瞳。朝日のような淡い金色の髪。……美しいと思った。人間を美しいと思ったのはお前だけだ。そうして生き方も……美しいと思った」
俺の命が、その美しさの一部になれるのなら、こんなに嬉しいことはないだろう。
「嫌いじゃないわ」
俺をまっすぐに見つめて彼女が言った。
「……好きだったのかも?分からないわ、考えないようにしていたのかしら。そう言われると好きな気もしてくるわ」
な、な、な、な、な……っ。
「な……っ適当なことをぬかすな!!」
思わず手を離し立ち上がる。
な、な、な、なんだと!!!!!す、好き、だったのかも?だと?かも?好きなんじゃないのか?かもってなんだ?なぜ疑問を?
「分からないけど……立場もなにもなくて告白されたら付き合ってたと思うの……」
付き合ってた、だと。
付き合って……いた?
付き合うってなんだ?!?!
「お前……悪女なのか!いくら脅したとはいえ、そこまで言えとは言っていない!」
男と女が付き合うということは、そういうことだ。俺は結婚もしない女と付き合ったりはしない。つまり俺たちにとっては結婚を前提にしたお付き合いということだ。
なぜそんなことをいうのだ。俺が脅したからか。仕方なく言わされているのか。
心の内では嫌で嫌で仕方がないのか?
「……手を握って……」
か弱い指が俺に向かって伸ばされてくる。
それは嫌悪している人に向けるものじゃなかった。温かさを求めているものだ。
「会いに来てくれて……嬉しかった」
握り返すと、ほっとしたように彼女が言った。
「大丈夫だ。助ける」
涙が溢れる。俺の心を温かくさせる彼女の体は、もう、とても冷たい。
「結構……好きだったの。本当よ」
「ああ、もう分かったよ……俺も結構好きだったよ」
信じない俺はどうかしている。彼女は俺に嘘を言ったことなど一度もなかったのだから。
彼女がそう言うのなら、きっと本当にそうだったのだ。
伝えられなかったのは、恐ろしかったからだ。まっすぐな彼女の視線を受け、赤裸々な想いを伝え、傷付くことに、俺はとても耐えられなかった。愚かだ。憎まれ者だと分かっていたのに、そんなみっともない自分を、自分自身で直視出来なかったのだから。ただ自分の未熟さに向き合うことが出来なかった。
何もかも遅い。俺にはもう、彼女の幸福を願うことしか出来ない。
だから、せめて、幸せに。
「さようなら。どうか幸せに。愛した人」
俺は、俺の心臓を潰した。
☆☆☆☆☆☆
今日はショックなことがあった。
なんでも、女性との顔合わせで「私には勿体ない」というのはお断りの言葉なのだそうだ。
「にゃあ~」
猫の泣き声にはっとして後ろを振り返ると、ローブのフードに子猫が入り込んでいた。
放心状態で馬車に乗り込んだのだが、子猫を連れて帰ってしまっていたようだ。
ため息を吐く。
「付いてきたら駄目だろう。親猫が心配しているぞ」
「にゃあ」
分かっていないように子猫は窓の外を覗いている。ふと視線を向けると、何かとても美しいものが輝いた。……なんだ?どうしても後ろ髪が引かれる。猫が引っ張っているからじゃない。
「馬車を止めてくれ」
扉を開けると、夕暮れの中で輝く星のような存在が、地上に落ちていた。
美しい少女だった。俺よりいくつか若そうだ。オレンジ色の日差しを浴びて、淡い金髪が煌めいている。海の色のような青い瞳。見つめられると吸い込まれてしまいそうだ。
「君はなんだ?こんなところで何をしている?」
まるで俺を待ち構えていたかのように、彼女は俺を見据えていた。どうもおかしい。心臓が音を立てるように煩い。
「私はただのリディア。あなたに会いに。帝国魔法使い、サイラス・シーウェル様」
なんだ。罠か。俺は心底がっかりした。……がっかり?何を期待していたんだ。
彼女は、質素な服を着ている。平民なのだろう。誰かに脅されてこんな役回りをしているのだろうか。
『俺と彼女の空間に結界を』
外からは俺たちの会話も、姿も見えない。話せばいい、力弱き少女に色仕掛けをやらせようとしたやつらを根絶やしにしてやろう。俺にも分からない、俺の好みの女がどうやって分かったのかも吐かせよう。
「結界を張った。何用だ」
彼女は少しだけ目を見開き、きょろきょろとあたりを見回してから、俺を見つめた。
「あなたに一目惚れをしました。そうして『贈り物』を持っています。どうか一緒に、カスハールに逃げませんか?」
頬を上気させながら、懸命に言いつのる様子に嘘は感じない。
が、一目惚れ?嘘だろう。会ったことなどない。だが……贈り物だと。
カスハールに『逃げる』?逃げなくてはいけないほどの贈り物?
そうだ、先日、体を謎の消失感が襲った。疲れかと思っていたが、まさか……。
まさか俺は贈り物を使ったのではないのか?使ったのなら贈り物を失っていてもおかしくはない。
使ったのだとしたら、まさに、目の前の彼女の為ではないのか。
何が正解か、何が嘘か、真実か。逡巡していると、彼女が笑った。
嬉しそうに頬を染めて、まるで恋する男を見つめるように俺を瞳に映している。
――――っ。
胸が、むず痒い。
これは一体なんなのだ。
彼女を視界に入れたときから、俺はずっとおかしい。心と体が喜び、彼女をずっと見ていたいと思ってしまう。なのに、彼女の方が俺をずっと見つめ続けている。まるで同じ気持ちを持っているかのように。
「……来い」
全ては話を聞いてからだ。贈り物を失っているかなど、調べればすぐに分かる。
屋敷に招き入れ、丁重にもてなすように指示をする。
そうしてカスハールの動向調査と、旅支度も用意させる。何があるか分からないからな。
もしも。
彼女が言っていることが間違いなくて。
俺が贈り物を失っていて。
彼女が俺に一目惚れしたのも、本当、なのだとしたら……。
その先には、俺は、彼女に。
一目ぼれしたのは俺の方なのだ。
そんなことを伝えられることもあるのだろうか。
未来のことを考えながら、にゃあと鳴きながら頭をよじ登ってくる猫をメイドに預け、俺はもうすっかり昼間魔法院であった落ち込む出来事など忘れて、彼女の居る客間へと向かった。
Fin
リディア編の3倍の文量になってしまいました。