キャベンディッシュの仲間たち
「シェアハウスというのも、なかなか悪くないもんだな」
仕事が一段落した芳田は、椅子の背もたれにもたれ、コーヒーをすすりながら、満ち足りた気分で自室を眺めまわした。
お洒落な洋館の二階の角部屋で、二面に窓があり、一方は張り出し窓で小さな鉢植えのポトスが置いてあり、もう一方はフランス窓で、半円形に外に突き出た小さなテラスに続いている。
重厚なデザインの絨毯が敷かれた落ち着いた雰囲気の十二畳のこの部屋は、芳田にとって城であり、隠れ家的場所でもある。
共用のリビングやダイニングは一階に降りていき、他の住人達と共同で使う事になるが、それも思ったほど気を遣うものでもない。
どちらかと言うと個人主義で、勝手気ままな生活を好む芳田としては、最初は他人と同居することに違和感があったのだが、いろんなメリット、デメリットを考え検討を重ねた結果、物は試しと、思い切ってこのシェアハウスに入居したのだ。
そこに住む住人達とは、意外と相性が良かったこともあり、今のところ何不自由なく暮らしている。
芳田がここに入居してからもう六年程が経った。ここは、芳田にとって(おそらく四人の住人全てにとって)、今ではすっかり「楽しいわが家」である。
同居人の一人に、神原という変わった男がいる。
その変人ぶりに関しては、これから語られる物語を通じて、そのエピソードの中から、おいおいご理解いただき、総合的に判断していただければ幸いである。
もしあなたが神原とスムーズに付き合いたいのなら、芳田はこうアドバイスするだろう。
「神原から引き出したい返事があるなら、その返事が予想される言葉の、反対の事を聞けばいい。」
例えば、今夜の夕飯にはオムライスを食べたいとする。
ならば神原には、「オムライスよりハンバーグの方がいいよな?」と聞くといい。
そうすれば神原は速攻、「いや。俺は断然オムライスがいいね」と答えるに違いない。
本当にオムライスの方が好きなのかどうか、それは関係ない。
例えば、公園に散歩に誘いたかったら、「まあ、神原さんは忙しいだろうから、今日は一人で散歩に行くとするか」と言ってみるといい。
すると、「俺だって、たまには息抜きも必要さ」と言ってついてくる可能性は低くない。
神原とは、そういう人物なのである。
おそらく神原が探偵業などという、一筋縄ではいかない職業に行き着いたのも、こうした性格の成せる業と思えば、納得もいくというものだ。
芳田も一応、作家を生業とする者の端くれとして、人間観察は怠りないつもりでいる。
いろんな人間への興味が尽きることは無い。
特に、神原は格好の観察対象だ。神原自身もなかなか興味深い人間だが、その仕事内容や、そこに関わる人間達の人柄や、生じる人間模様は、大変参考になる。
今回の事件も、おそらく芳田にとっては執筆の大きな参考になるであろう。
もちろん、神原がペラペラと依頼主の個人情報や仕事内容を芳田に教えるわけではない。
しかしそれでも、神原の日々の暮らしを眺めながら、小さな会話の一つ一つを注意深く思い返し、周辺で知り得る、テレビのニュースやご近所の噂話も含め、情報をかき集めて自分なりに分析、考察する事がまた、新たな発見となり作品に生かされるわけである。
やっと今日、長編の連載小説の脱稿を終えて、少しばかり暇が出来たので、神原という興味深い人間とその仕事ぶりを観察するのにはいい機会である。
夕飯時、芳田は食卓に着き、神原を待ったがやって来なかった。
「あれ? 神原は?」
「なんだか、夕方頃から外出していて、まだ帰ってこないのよ」
芳田は半面がっかりしながら、半面ちょっと嬉しい気持ちで多嘉恵さんと二人きりの夕飯をいただいた。
たまに訪れる、多嘉恵さんのようなチャーミングな女性と二人だけで食事する機会は、芳田としては大歓迎と言いたいところだ。
しかしながら…
多嘉恵さんは家事が得意で、有難い存在なのだが、時に料理で冒険をしすぎる問題がある。
今日の夕飯は、そうした冒険の成果なのだろうか。
かなり油っぽいトマトソースのかかった平打ち麺のパスタと、オレンジ色のラディッシュの薄切りの様なものがちらほら混じった、黄色の千切りキャベツが並んでいる。
「どう? ネットで調べて作ってみたんだけど」
「…美味しいよ。これなに?」
「こっちは、カプリチョーザ風ニンニクとトマトのパスタ、こっちは、生ウコンの酢漬けに浸けこんだ千切りキャベツで『ザワークラウト』風よ」
…どっちも、○○風というわけだ。
残念ながら、本物とは「似て非なるもの」と言わざるを得ない。
しかし、多嘉恵さんがシェアハウスの管理人という立場を超えて家事を全て切り盛りしてくれていて、お陰で日々居心地よく過ごさせてもらっている、という点を考えると、芳田を含めた男達三人は、誰一人として彼女の料理に批判を加えるべき立場ではないだろう。
「わからないけど、これはこれで、美味しいよ」
「ふ~ん…」
多嘉恵さんは、なにやら不満気であった。
食事が済み、二人でお茶を飲んでいると、神原が帰ってきた。
「あ~、腹が減った。多嘉恵さん、食事を頼む」
「はいはい」
「神原、随分遅かったじゃないか。どこ行ってたんだい?」
「ちょっとね」
…まあ、もし探偵の仕事だったのなら、守秘義務というものもあるだろう。
余計な事を聞いたかもしれない。
芳田は密かに反省した。
「ところでさっき見たら、バス通りの信号を渡った角にクリニックができてるね。あそこの医者は腕はいいのかな」
突如として神原が聞いてきた。
「いや、知らない」
「中村さんの事よね。女医さんでね、噂では良いドクターだって聞いてるわよ。でも、婦人科だから神原さんはお呼びじゃないわよ。それにね、最近できたわけじゃなくて、五年くらい前から開業してるわよ」
多嘉恵さんが料理を神原の前のテーブルに置きながら言った。
「! 多嘉恵さん、なにこれ。このパスタ、油っこすぎ、焦げてて苦い。それにキャベツの中に混じってるこれなに、なんか臭い! ウェーッ、マジぃ」
神原は、遠慮というものを知らなさすぎる。
しかし多嘉恵さんも長年の付き合いなので、神原の言葉くらいでは傷つかない。
「ニンニクとトマトのパスタとザワークラウト。ネットで見て、一番現物に近いレシピで再現したのよ。キャベツに混じってるのは生ウコンよ。すごく体にいいの。ニンニクをじっくり炒めてソースを作るのにすごく時間がかかったし、生ウコンを漬け込むのにも半日かかったのよ。頑張って作ったんだから残しちゃ駄目よ」
多嘉恵さんは澄ました顔で釘を刺した。
…願わくば、多嘉恵さんがもう二度と生ウコンを買ってきませんように…
芳田は、密かに祈った。