ある夕暮れ
中村美咲は、夕暮れの街角で一つため息をついた。
もう一時間半もここにこうして立っている。
閑静な住宅街の一角、狭い横道に入る角から五メートルほど奥の電信柱の陰だ。
夕闇に紛れてはいるが、もし彼女の存在に近隣の住民が気付いたなら、不審に思われても仕方ないだろう。
だが、身長一七四センチ、体重六十四キロの大柄な体型ながら、彼女は上手に路地の片隅に溶け込んでいた。
まるで、もとからそこに生えている木のように…
髪型、顔立ちから服装、立ち姿まで、全てにおいて地味で目立たない事も一因ではあるだろう。
ジッと立っているだけの暇な時間に飽かして、美咲は過去を振り返った。
幼稚園の頃から体が大きく、力持ちで、正義感が強かった。
だから、弱い者いじめをする奴が大嫌いで、誰かの代わりに仕返しをする事が多かった。
根に持った悪ガキ複数に取り囲まれて、やり返された事も何度かあったが、それでも美咲の正義感が揺らぐことは無かった。
挫けそうになっても、周りの人達(主に女性)に励まされ助けてもらいながら、いつも立ち直ってきた。
もともと精神的にも強かったし、こうした経験が、より自身を強くしてくれた。
男の子にモテはしなかったが、女の子にはいつも頼りにされて、人気があった。
ずっとずっと、大学を卒業して社会人になってからも、状況は変わらなかった。
だから、未だに独身でこんな人間になったんだろうな…
美咲はちょっとため息をついた。
最近も毎週のようにこうして、自分なりの正義というか、信念を貫くためにある事を続けているのだが、時々波のように押し寄せる自己否定的な気分が、またひたひたと心に浸透してきた。
こうして無為な時間を息をひそめて潰している際に、よく押し寄せてくる感覚だった…
一体、こんな事を続けてなんになるのか?
確かに、ある意味人助けとも言えるだろうし、人によっては感謝してくれるだろうが、人によっては否定的な目で見るだろう。
そもそも一つの悪を倒しても、次から次へと際限なく新たな悪が湧いてくるのできりがない。
イタチごっことはこの事だ。
人間の愚かさには際限がない…
もう、こんな事は止めにして、本業に勤しみながらボランティアでやっている、女性専用の護身術としての柔道教室により力を入れていけば十分ではないか?
お腹も空いてきたし、足も疲れてきた。
虫でもいるのか、なんとなく足首が痒い気もする。でも、足を掻く一瞬、気が逸れた一瞬にチャンスを逃すかもしれないから、今は掻けない。
だけど、あんまり長くここに立っていると、誰かが見つけて不審者と思うかもしれないから、適当に切り上げるべきかもしれない。
それに、これ以上待っていても、今夜ターゲットが現れるとも限らない。
ここまで時間をかけても現れなかったんだから、もう来ない確率が高い。
今日はもう充分だろう…
美咲は半ば諦めて引き返そうとした。
そんな時、約五メートル先の細い横道と広めの表通りとの角に、目的の男がひそかに隠れて立っているのを見た…
美咲には、気配を消して誰にも気づかれずに背後に回ることが出来るという、特殊な才能がある。
今回もその才能を発揮して、男の背後に近づいた。
男は身長百七十センチ前後、瘦せ型だ。
美咲の方が一回り大きく見える。
表通りを柔道教室の教え子の女子高生が、部活帰りの疲れた顔で歩いてくる。
男の息が荒くなってきた。
男が女子高生の背後を狙って近寄ろうと動き出す一瞬前、美咲が取り出したスタンガンが男の首の後ろに当たった。
男がスタンガンの痛みとショックで動けない隙に、美咲は慣れた手つきで、すぐさま男の両手を後ろに回して玩具の手錠をはめ、ヘアバンドのような布で目隠しをし、猿ぐつわを噛ませた。
男はなにやら訳も分からないうちに、近くに止めてあったステーションワゴンに載せられ、麻酔薬を打たれて連れ去られた。