第八章 斑馬の剣ロゴア
ヨモツヘグイ
キラゴ・カシナラ編
第八章 斑馬の剣ロゴア
ジウラ領導きの目プラテイユ・ジウラは、領主の部屋の隅にうずくまり笑みを浮かべながら、ユニコーンの万薬を啜っていた。
「苦しい、今日は右耳の奥が腐っておるのか?」
プラテイユは右耳に薬を押し込むと、その痛みを抑える為に薬を口に入れる。日々そのようなことを繰り返し人の生活とは思えないように生きながらえていた。その部屋には医者は無く、ユニコーンの万薬に頼り切ったプラテイユの異常な医療が止め処なく行われる。これが狂人プラテイユなのである。
かつてのプラテイユは勇敢な戦士であった。クレイス領との激しい領地争いを戦い抜き、それはユニコーンの王子が産まれるまで続いた。
彼はその戦の中で一度だけ戦神カブリ・ジウラが帯刀した大蛇オクトバスの八振りの剣の一つである、斑馬の剣ロゴアを手にしたことがあった。彼はこの剣に狂い精神を病み始めたと言う。
今その宝刀は所在不明となっており、クレイス領に奪われたとされているが確証も無く。クレイス領もそれは否定している。
剣の神大蛇オクトバスが作りし八振りの剣はブレジオス鉱石とセイショウ鉱石の合金から作られ、死と生の力を利用出来る伝説の剣である。現在では学術都市マギアにある神託の剣マディオスのみ所在が確認されている。残る七振りの剣は巨石のヒプロの書にも在処は記されていないのである。
プラテイユはロゴアを求めている、若かりし頃振るったあの生命力を再びこの手にする為に。
***
進軍準備で夜通し町の灯りが夜空を照らす、ジウラ領のカラーザ港では、カラーザ地方を収める辺境卿ピルタ・レース卿が特別に元傭兵を側近にしている。その側近は華族や導きの目同様片目を隠し自身の弱みをひた隠し、傭兵だった頃は墓標の剣士の異名をもっていた。彼は各地に墓を立て戦の度に自身を埋葬している風代わりな人間であった。
「愛する彼女の為、血が俺を生き返らせる」
彼はそう言うと戦で勝利を重ね続ける。生きる伝説の剣士の一人である。名前をアガス・フィルアと言い、戦に執着し狂気さへ感じる。戦が無い時は辻切を行うと言う噂もあり、カラーザ港の民からは恐れられている。
彼の剣は鞘から抜かれる時実に異質を際立たせ、布が巻き付く刃は血で黒ずみ、戦闘の際も布は取らず、叩き切る手法で鈍器のように扱うのである。異臭を放ち近づく者は皆鼻をすぼめるが、彼はそれを気にせず剣を肌身から離したことが無い。彼にとって命の次に大事な剣なのである。
その墓標の剣士アガスはピルタ卿に今回の戦の参戦を申し出ていた。
「あんたが許可を出さずとも俺はジアブロス島へ向かう、そういう契約だ、その間己の命は己で守れ」
「私が命を狙われる心配はいらないが、お前が持つ剣が問題なのだよ」
ピルタ卿はアガスの得物に指を向ける。
「その剣の所在が閣下の耳に入れば、お前だけでなく、このカラーザ港が火の海と化すのだよ」
「俺には関係無い話だ、契約内容はあんたの守衛であり、戦があれば傭兵として職務を放棄出来る。そうだったはずだぞ」
「…まさか閣下がここまで、ご判断に気狂いなさるとは思わなかった、しかた無い無粋なことはこれで終わりにする。間違っても戦場で死にその剣をキラゴの騎士に渡すでないぞ」
「閣下か、かつてのシュネイシス派の華族だったとは思えん言葉だな」
ピルタ卿は表情を強張らせ、唾を吐きかけるように叱咤した。
「二度とそのことは口走るな!次は殺すぞ!」
アガスは顔を拭うと、ピルタ卿を睨みつけた。
「俺を殺すということは、彼女を殺すということか?」
アガスの冷たい目を見たピルタ卿は正気に戻り今の言動をすぐに訂正し謝罪した。
「済まぬ、許してくれ」
「構わん、俺も支度がある、これでこの話は終わりだ」
アガスはピルタ卿の部屋を後にし、自室に戻ると剣の手入れをはじめる。鞘から取り出した剣の黒ずむ布をほどきあらわになる刃を舐めた。その刃は黒く、怪しく、かつて底の塔の巨人を切り殺したと言われるように、濁った命が滴り落ちるような質感をしていた。神話の神々が使用した剣とは名ばかりで実際は呪われた剣なのである。
***
青き夜もじきに明けるであろうその時、アガスは軍船の船倉に乗り込んでいた。200名程が乗り込んだ船のほとんどはジウラ領の正規軍の兵士である。その中に傭兵が乗り込むことは異例である。もちろん、ピルタ・レース卿の口伝もあるが、アガスはジウラ兵の間でも名は知れ渡り、正規軍の軍船に乗り込んでいたとしても誰も文句は言わない。彼は荷物の墓標であるセリニの法輪を静かに眺め、周りの兵士とは一切口を利くことは無かった。
外が騒がしくなると、やがて船は動き出した。カラーザ地方から出向すれば成り損ないのブダラの海流の影響もあり、約二日程でカーグ領の海域と入る、戦闘は三日後となるであろう。
フィディラー大陸の外域の海流は激しく、他の大陸との交流は難しい。その理由が完全な不死の存在、精霊エオニオテロスである成り損ないのブダラが、フィディラー大陸の外周を休むことなく半時計周りで泳いでいるからである。ブダラの体は島と見間違える程でかく、泳ぐ速さもとてつもない速さであり、常に正確な速さで泳ぎ続ける。それ故、ブダラは月日や暦の目安としても利用され、フィディラー大陸の人々は神に近い存在として崇めている。
「アガス・フィルアも乗り込んでやがる、兵力もざっと千ってところか?ブダラが通り過ぎて間もないから、えーとだいたい二日三日で開戦ってところかな、…相棒、気づけよ気づけよぉ…」
キラゴの騎士であるテレス・アエトの契りの法のつがいはカーグ領兼キラゴの騎士の諜報員として動いている。とても頭がきれ、テレスとは真逆の知性を持っている。
彼の名前は二ディア・ダシス、テレスと二ディアは通じることが出来る、通じるとは視界の共有をある程度意識して行えるということである。契りの法によるつがいの者は無意識で黒い古き目と呼ばれる目での視界を共有することがある。殆どの動物は無意識下でしか共有することは無い、しかし、二ディアとテレスは生まれも育ちも冬の厳しいスコース領で育った。彼らは幼少期から友として育ち、いつしか視界の共有を意識して行えるようになった稀な人間達であった。
睡魔に襲われ、半分寝ていたテレスは自分の目を炎で焼く夢を見る。
「わあああぁぁぁぁ!!」
飛び起きたテレスは周りを確認した。視界が混沌とする中何が起きたのか理解するのに数十秒かかった。
「…!?あ、あぁ…二ディアの奴か、起きたから…もうやめてくれ!松明を目ん玉の前に置くな!!」
テレスは周りの兵に変な目で見られながら、一人で会話をしていた。契りの法での視界の共有はあくまで視界しか共有出来ない。音声や触覚等は共有されることは無いのである。それでも、テレスはよく相方に話しかけてしまう。これは二ディアも一緒であった。彼らは離れていようと常に側にいる友なのである。
「何だって?相変わらず汚ねぇ文字だな、暗くて読めねぇよ。…ジウラ軍五隻の軍艦で出向、指揮官は不明、注意点はアガス・フィルアも搭乗している、セリニの法輪担ぐ者確認。…か、糞が、本当にルター隊長のおっしゃる通り戦が始まるじゃねぇかよ」
テレスは近くの兵に事情を説明すると、ロエオスを探しに行く。しかし、ロエオスは何処にもいなかった。
ふと、テレスはイシスがいる牢が気になり洞窟の中に入っていくのであった。
***
イシスは暗闇の洞窟の入り口より誰かが近づいて来る気配を感じた。夜目を利かせイシスは近づく人物を見た。
(ヒュエイでは無い、先程出て行ったばかりだしな。…また、あいつか?)
「誰だ!」
イシスはそう尋ねると、暗闇の男はこう返答した。
「亡骸に出会った者です、アリアス・ジウラ様」
アリアス・ジウラと言う名前を聞いたイシスは混乱した。
「…!?父の部下か?シュネイシス派に生き残りがいたのか?」
「私はあなた様をお迎えに来た者です。この日を何十年と待ちました、あなた様の御父上の先見性は流石としか思えません、全て計画通りことは進みつつあります」
イシスは頭を整理しこう尋ねた。
「父の計画を聞きたい」
「全貌は明かせませんが、これより先あなた様はこのジアブロス島を去ってもらいます。船はあなた様がドラゴンと戦った場所に準備して御座います。その後、セリニ川上流のカドルの森にて落ち合いましょう。狩り小屋がございますのでそこでお待ち下さい」
イシスはヒュエイとの約束を考え、謎の人物の申し入れを断ろうとした。しかし、今まで過酷な人生を生き抜いてきたイシス独特な感覚がそれを拒んだ。
「相容れた、しかし今すぐ島は出ない。鍵を持っているのだろう?俺に渡せ、島を出る時は俺自身で決める」
暗闇のロエオスはイシスの言葉からあふれ出る、領主への器の成長を感じ入ることに幸福感を覚えていた。そんな彼はイシスの言う通り鍵を渡すことに何も疑問を持たなかった。そう、鍵はもう開いているのである、イシスは協力者が他にもいることを隠すことが出来た。そして、イシスの本当の願いも同時に。
「名は言えないのか?」
「申し訳ございません、今しばらくは」
イシスはロエオスを眺めながら、こう言う。
「アダナス・ラビナ卿、処刑されたはずだがな…あんたの処刑の警備は俺も参加していた、あれは影武者だったか、むごいことをする」
ロエオスは驚き、諦めたように一言だけ伝えその場を去った。
「あれは私の弟でした」
***
アガスが船倉で眺める墓標は月の目セリニを象った物である。月の目セリニは法の神でありセリニ信仰において最高神にあたる。月が眺めるのはいつも天界では無く地上である、憐みに満ちた地上を眺めるのである。