第六章 アツァナの蛇
ヨモツヘグイ
キラゴ・カシナラ編
第六章 アツァナの蛇
カーグ領城下のいくつかの神殿の一つのリゲリ神殿には囲いで覆われた庭園が広がっている。
その庭園には一人の従者が主の世話をする為神殿に住み込みで仕えていた。彼の名はヴァトラス、一つ目蛙と揶揄されていた。
ヴァトラスは孤児で追放の子であった、彼は右目を潰されリゲリ神殿で保護されている。追放の子とは黒い瞳古き目と呼ばれるものを両目に持つ者であり、産まれながらに差別の対象となり、奴隷か戦奴として各地で扱われる。フィディラー大陸では主に青い瞳(月の目の子)と赤い瞳(太陽の目の子)が多く歴史を紡いできた。
古き目の子供達が産まれて来た歴史は浅く、フィディラー大陸の呪いの影響も受けていない為、月の目、太陽の目の子から疎まれ続けてきたのだ。
***
ヴァトラスは一年中庭園の世話をして囲いの中で暮らしていた、彼の友達は一匹の蛇で彼はこの蛇と会話をすることが出来る唯一人の人間であり、今日も彼は蛇と戯れるのであった。
「ヴァトラスや、ヴァトラス、お主は世界の裏側を知っておるか?」
蛇はくねくねと尾をくねらせながら語りかける。
「知らねえなぁ、おらが思うに裏側は丸いんじゃねえかなぁ…」
「おぉ、それはなんでじゃ?」
「お椀は裏側がちゃんとしてないとぐらぐらするだ、おらが生きている世界はぐらぐらしてるんだなぁ」
蛇は歯をむき出しに笑うと、
「お主は賢いのぉ、賢い賢い、お主との会話はこの囲いの生活を忘れさせてくれるわい」
「おらも楽しいだよ」
ヴァトラスもつられて笑うのであった。
***
リゲリ神殿はセリニ聖典の神話に登場する龍の騎士リゲリを奉る神殿であり、龍の騎士リゲリとはキラゴ・カシナラに打ち倒されたドラゴンである。
カーグ領では火山龍カドルよりも信仰心の対象として人気が高く、三戦神キラゴ・カシナラと並ぶ信仰対象である。フィディラー大陸では主にセリニ聖典を信仰するが、各地で崇める対象が主として違う為、法典として分派しているのである。カーグ領ではカドル法典が主に信仰されている。
このリゲリ神殿の庭園で保護されている一匹の蛇は、カーグ領に代々伝わる不死の蛇である。フィディラー大陸では不死の者をアツァナと呼ぶことが多いが、不死者にも異なる種があり、上位のエオニオテロスと呼ばれる、言わば精霊の類の者と、不完全ではあるが不死に近い存在のアツァナがいる。
アツァナとは、契りの法による呪いでつがいに選ばれる種族が極稀に異なる場合、本来の寿命が無に等しくなり、永い年月を生き続ける者達である。寿命が無くなるとは断言出来ないが、歴史の中で寿命で亡くなった者はヒプロの書に未だかつて記されていないのである。短時間で死に至る劇毒や、外傷でのみ死ぬことが叶う者達である。現存しているアツァナは少数で、フィディラー大陸では崇める対象から恐れられる対象と地域や信仰によって違いがある。
この庭園に住む蛇はアツァナであり、カーグ領が決して死なさぬよう大事に保護してきた蛇であった。蛇の名はアツァナの蛇デュウム、デュウムのつがいはカドル島群のドラゴンの母でありドラゴンを統率出来る龍の巫女である。現在、ジアブロス島で昏睡状態の巫女がこの蛇の契りの法のつがいなのである。
故に巫女のつがいであるデュウムはカーグ領で手厚く保護され続けて来たのである。デュウムも巫女も現状に不満も無く、キラゴ・カシナラの下にドラゴンを護る使命を受け入れている。
***
今宵の夜空はとても青く、年の終わりが近づいていることを告げていた。その夜空を眺めデュウムは溜息をついていた。
「どうかしただか?溜息なんてめずらしいだね」
ヴァトラスが眠そうな目で問いかけるとデュウムは苦笑いを浮かべ話し始めた。
「メムがどうも良くないらしいのじゃ、このところ真っ暗でな」
ヴァトラスは慌てたように手足をばたつかせた。
「メム様が死んじまうだか?おらやだなぁ!」
「お主はメムが好きだからのぉ、でも大丈夫じゃよ、わしらはそう易々と死んじまうようなやわな命じゃないからのぉ、心配するでないぞ」
ヴァトラスが動悸を抑えると冷や汗を拭いて笑顔を見せた。
「メム様はおらの命の恩人だで、メム様が死ぬならおらの命を捧げてもいいだよ」
その言葉を聞き、デュウムは表情を変え叱咤した。
「お主の命はわしらよりも重い。お主、勘違いするでないぞ、メムもそんなことは望んでおらん」
「…でもなぁ、でも」
「大丈夫じゃ、心配いらんと言っとろうが、わしらは死とは遠き運命に生まれておる。お主が心配することでは無いのじゃよ」
デュウムは笑顔を見せると、青く染まった月を眺めつぶやいた。
「月の神セリニ様も何を考えていらっしゃるのやら…、プラテイユ、彼奴も末期の様じゃな」
デュウムは神殿の入り口の方角に目をやりまた溜息をついた。
「ヴァトラスや、世話をかけることになる、先に謝らせてもらうぞ」
「あえ?」
「うむ、レビテラ閣下直々にお越しになるとはわしの予感も的中のようじゃ」
ヴァトラスは少し間を開けた後再度訊ねた。
「あえ?」
すると庭園の門が開き、リゲリ神殿の神官の声が響き渡りヴァトラスは飛び跳ねた。
「ヴァトラス!一つ目蛙ヴァトラス!何処にいる、今すぐ姿を現さぬか!」
ヴァトラスは大きな返事をして、デュウムのもとを離れていった。それを見送りデュウムは呟いた。
「…本当に世話しない、参ったものじゃよ」
しばらくするとヴァトラス達がデュウムのもとに現れ、兵士に囲まれたレビテラ領主が膝をつき挨拶をした。
「青き夜分に失礼を許して欲しいアツァナの賢者デュウム様、この度直々に頼みごとを申し付けに参じました」
ヴァトラスは慌てふためきながら、デュウムに膝をついた。それを見てデュウムは少し笑い、
「お主が膝をつくことはなかろう、こちらに来い」
デュウムはヴァトラスにそう伝えると、ヴァトラスはまた慌てふためきデュウムの横についた。
そして、ヴァトラスはデュウムの言葉を間違えないようにゆっくりと通訳し始める。
「わしの予見が正しければ、ジウラ領との戦が間近と言うことじゃな」
「はっ!デュウム様の御予見の通りで御座います。恐らく私めの御助力の願いも御予見いただけていると思われますが、私めの口からお伝えしたく馳せ参じました」
デュウムは溜息を漏らすとレビテラに顔を上げるように促した。
「肩がこるような言い回しはよしてくれ、…わしに肩は無いがな、要はかいつまむとメムの様態が良くないので、ドラゴンに寄るジウラ軍の迎撃に難があると考えるのじゃな?正しき判断じゃ、領土も兵力もあちらが上、まともに戦えばカーグの歴史に汚点が刻まれるのは必須、ならばわしの出番じゃな、しかしこれは賭けじゃぞ?アツァナのわしらは品祖な毒程度では時さへたてばたちまち回復する。しかしこの戦でわしが命を燃やす呪詛を使えばメムの回復を遅らせることになる、時を待ちドラゴンの兵団を使うか、わしの呪詛を使うか?采配の分かれ時じゃ」
レビテラは頭を上げデュウムの目を見るとこう伝えた。
「プラテイユも唯の狂人ではありません。奴は巫女様の回復を算段に入れ進軍して来るでしょう、そう考えればこそのデュウム様のお力が必要なのであります。」
デュウムは少し考えるとこう告げた。
「よかろう、わしも参戦はする。それがキラゴ・カシナラ様への忠誠であるからな、しかしこの戦、妙でならん、なにか足をすくう不穏な流れがわしには感じるのじゃ、敵はプラテイユだけではないかもしれぬ、心しておくのじゃぞ」
レビテラは深く頭を下げ、デュウムにお礼を伝えた。その後ヴァトラスはレビテラ一行を見送り、疲れ果てたようにデュウムのもとに帰って来た。
「おらぁきんちょうしただよ、レビテラ様が来るなんて感激したぁ」
「そうじゃな、疲れたろう?今宵はもう寝るとしよう、ゆっくり休むのじゃ。これから忙しくなるからの」
デュウムはヴァトラスを小屋に戻るように促し、自身もいつものお気に入りの木に体を縛りつけた。
「メムや、わしは寝るがお主はいつ起きるのじゃ…」
***
フィディラー大陸を取り巻くこの世界では、夜が主に三つに分かれる、冬の寒気を催す青い夜、春と秋は怪しく暗がる紫の夜、夏には滾るような赤い夜へと変貌を遂げる。今宵は青きよる真蒼の夜であった。