第二十六章 大賢者
ヨモツヘグイ
一角獣の王編
第二十六章 大賢者
それは鎖に繋がれた死刑囚の行進のように思えた。彼はその無いはずの手首の鎖を見る。
「教授達はお見えにならないのですか?数百年に一度の機会でしょうに」
エウクスは両肩を挟み込む様に並ぶ武装した学術都市の学徒兵を薄目で睨みつける。その発した言葉には彼から彼等への嘲笑が滲み出ていた。
彼はこの底の塔にある幾つもの大学の生徒の中から選ばれる。各大学にはリアクが信仰した神を探求する学科が地下深くに存在するが、そのどれ等も陰鬱な集団なだけで代り映えも無く、唯成果の無い研究を続けている。それを後目に彼は独学で底の神の研究を続けたのだ。
その過程で彼は歴史上決して刻み込まれたことの無い呪詛。それらは百日紅のコキノ・クレイス、巨石の守り人ペトラ、そしてフィディラー王の妻である王妃アウロ・アプロディの三名。彼はその一人であるアウロの呪詛を刻み込み通ずることに成功した。それを学会で発表した際に今の彼の運命が決まったのだ。
「教授?貴方様の研究の成果の前で誰が教授を名乗れましょうか?貴方こそ教授を越える大賢者様です」
エウクスの左肩に並ぶ学徒兵がそう言うと彼等の視界に蠢きの塔が入って来る。そこはかつて底の呪詛使いリアクが構えたと言われる神話に謡われた塔である。
学術都市の人間は皆表向きはマギアを信仰するが、腹の底ではその探求心に負けリアクが編み続けた呪詛に心を奪われる。故にどの領でも恐れと共に軽蔑を向けられる。
しかし、古くからジウラが独占するユニコーンの角の製薬にこの地の製法が必須であり。ジウラは元より他の領も貿易を絶つことは無かった。
「大賢者ですか…、今から私が会う方こそ大賢者でしょうに。アルフィア公とスカラベ様以外その称号は名乗れませんよ」
「フィディラー王の愛妻が召喚せし召し呪詛を発見したのですよ。王記始まって以来の偉業。誰も文句は言えません」
「…それがこの仕打ちか」
エウクスは体を震わせる。彼の目の前には蠢きの塔の門が静かに佇む。その扉から漏れる異様なオドは全ての人間を退ける様であった。
「わ、私達はここまでです」
学徒兵の一人は腰が砕ける様に尻もちを突くと、その場を四つん這いで離れた。
「エウクス様、どうか成して下さい」
もう一人の学徒兵も足を震わせながらもエウクスへ言葉を掛けた。
「強がるなよ、君も達者でな」
エウクスはそのもう一人の学徒兵を見送ると、静かに目を閉じ深呼吸をした。
***
彼がここに居る理由。それはその呪詛を学会で発表したその時であった。その学会は都市の中枢の大学で行われ、そこは他の領で言えば城とも言える程の大きさを誇った。マギアが建てたと称される学術研究所である。彼が壇上で右腕をまくり儀式めいた講話を述べ、最後にこう言ったのだ。
「恩師のご厚意もあり、皆さまにこの偉業をお見せ出来るこの場を設けて下さったことに感謝致します。それでは御照覧下さい。我等が王フィディラーの妻、アウロ・アプロディの片鱗を」
その瞬間にそのホールは至る所から現れた無数の虫に覆われた。その虫達は人に危害は加えず、その場の人間にその呪詛を見せまいとするだけであった。エウクスも驚きのあまり呪詛も使えずその場に蹲ることしか出来なかった。
「何だ!?誰か呪詛を使ったのか?いや、刻印は感じられなかった」
エウクスはこの虫が呪詛では無いかと一瞬疑ったがそれは無いと判断する。何故ならば呪詛を扱えば必ずその刻印は周囲の者にも共有する。呪詛とはそう言う物であるからだ。ここの者達はその基礎的なことを誰もが知っていた。
その虫達は光沢の有る甲殻でホールの光を浴びると、藍黒い怪しげな光を周囲に反射する。そのまま散り散りであったそれらはエウクスの目の前に集まる。その蠢く黒い球体は形を少しずつ変えるとそれは巨大なスカラベへと形を成した。
その姿を見たエウクスとその場に居る学者達は驚愕する。その姿から想像するは唯一つしかないからであった。
「偉大なるエオニオテロス、玉蟲の大賢者スカラベ…」
エウクスはその姿の前にたじろぎ、見開いた瞼を痙攣させそう呟いた。
「いえいえいえ!ちゃいますよ!わてはスカラベ様に仕える者、言わば使い走りですわ!名をカタルダと申します。以後お見知りおきを!」
その虫は体を起こし右にある手を横に振りながらエウクスの言葉を否定した。その所作は実に慌ただしく額に汗などかくはずも無いのにも関わらず、その虫は一切れの布で額を拭う。
カタルダは着ても居ない衣服の襟を緩める動作をしてから、少し落ち着きを見せると再び口を開いた。
「いきなりの御無礼大変申し訳ありまへん!スカラベ様から直々の令なんですわ!ここであんさんが見出したアウロ様の片鱗を他者に見せれば、少し不味いことになることを予見しましてな。ここは急ぎで登場した迄ですわ!ほんますんまへんな!」
他大陸から渡って来た人間に見られる所作でカタルダは何度も頭をペコペコと下げながら伝えた。
「どうせあれでしょうに、今年もスカラベ様に対峙する人間は…」
カタルダはエウクスに近づくと小声でこう告げる。
「あんさんみたいな天才とちゃいますやん。ここの連中何か勘違いしとるんですわ!生贄みたいなん寄越すんですわ!そりゃ発狂させられますわ!どれもちゃうねん!」
小声でもうるさい口調のカタルダの言葉に顔を引きつらせるエウクスは何も返せずにいた。
カタルダが言う通りであり、年に一人蠢きの塔を登る資格を得る者はこの学術都市でその年の成績が優秀であった学生から選ばれる。しかしそれは方便であり、賄賂、親族、その者の研究により大きく選定を歪まされていたのである。
「ほな、スカラベ様からの勅令ですわ。今年は彼を蠢きの塔へ、スカラベ様は彼以外とはお会いしませんのでな!念押しますよ、これは勅令!守らねばおまはんらタダで済まへんよ」
カタルダは議場に腰を据える連中に釘を刺した。
「返事がないやん、わかっとんのか?こいつら」
カタルダは甲殻の一つの呪詛を使う。目の前数人にその呪詛が向けられた。その刻印が彼等の脳裏に映し出された時、彼等の中で一人だけが危機を感じ取り、咄嗟に呪詛返しを行った。
呪詛返しとは神話の時代に、月の聖詛使いのマギアが師である底の呪詛使いリアクの強大な呪詛に対抗する為に編み出した強大な呪詛である。強大であるが故現在ではマギアと深く通ずる者のみが扱える。その呪詛は名のままに相手の呪詛をそのまま相手に返すものであり向けられた相手の呪詛の効力は消える。どんな力のある呪詛ですら例外は無い。それと同時に呪詛返しを行った者は相手の呪詛の命の対価を支払うことになる。
呪詛返しで返された呪詛は串刺しの黒紅と言われ、剣技をものにしたものならば、見切ること等容易い速さで繰り出される剣の突きである。しかしそれを避けられなけらば命を吸われてしまう。
その突きは呪詛返しで見事に返されカタルダの胸目掛け貫いた。
「ほなさいなら」
カタルダの体は無数の虫に分かれるとそのエカトの剣の幻影を置き去りにし、対峙した学者数名の目と口、鼻耳の穴から入り貪り喰った。その瞬間、人間のものとは思えない叫び声がそのホールに響き渡る。
「もう一度言うさかい、よー聞きなはれ。これはスカラベ様の勅命!守らなおまはんら皆殺しやで!」
そう言い残すとカタルダの気配は跡形も無く消え去った。
***
エウクスは右手に刻む刻印を衣服の上から強く握り締めた。その後目の前の扉は開かれ中からカタルダがひょっこり顔を覗かせる。
「良かったー!あんだけ脅して、違うもんがやって来たらどないしよおもてまんねん。ささ、エウクス様中へ、どぞどぞ!」
「エウクス…様?何故貴方の様な高名なお方が私如きを」
「何言うてまんねん!高名って、あんさん達はわてのことなんか知りもせんくせに。ええんですよ、あんさんは本日はスカラベ様の客人、わては客人を持て成す従者ですがな、当然様をつけさせてもらいます!」
陽気なカタルダの口調に警戒が徐々に崩れるエウクスは、その言葉に少し笑みをこぼした。
カタルダはエウクスを中に入れると意外と明るい蠢きの塔の内部を案内する。そこは質素な造りではあるがとても清潔感があり快適な空間に思えた。
「カタルダ様、スカラベ様はこの階段の上の最上階にいらっしゃるのですね?」
「…おもろいですわ~。普通はそう思いますやん?それがちゃうねんな~」
カタルダは虫の表情で笑って見せるが、エウクスにはとても理解が出来ずにいた。彼が語るには上には外れを運ぶとのこと。そこには勿論スカラベは居ない。そこに仕掛けられた呪詛により大抵の人間は発狂するのだと言う。しかし、例外もあると。
「随分昔ですわな、いたんですわ、発狂せん人間が。わてはそん時度肝を抜かしましたわ。発狂云々ちゃいますねん、その方はそれをきっかけに開いちまったんですわ」
「開いた?その方は…キトロン・プロスヴァシ様では?」
「随分前で名前迄はわて憶えてまへん、記録は残してますんでそちらを確認しましょか?」
「いえ、恐らくキトロン様でしょう。あの方はこの都市では伝説の偉人です。契りの法を解呪した唯一の方ですので」
「なんと!そりゃスカラベ様も気にされるわな」
そしてカタルダは壁にある仕掛けを押して見せる。
「ほな行きましょか?上ではありまへん、地下です。それとも試しに上へ行きはりますか?」
「…御断りします」
その言葉を聞き終えたカタルダは肩を小刻みに震わせ、へらへらと笑って見せた。
(この虫野郎、さっきから調子に乗りやがって…こっちが死を覚悟でここにいるのが解らん訳でもあるまい。…殺すぞ)
エウクスはその思いを覆い隠す様に、カタルダの笑顔に愛想笑いを返した。その互いに笑顔の二人の足元の床がゆっくりと動き出す。そして隠された階段が口を開かれた。
***
アスプロとリトースが去った後の腐龍の森、そこに置き去りにされたヤワタリの残骸の喉元に彼女は居た。
「…?ここは何処?」
ギアは四肢を血肉から抜け出すように力を入れ、纏わりつく筋を引きちぎる。それは一刻程続き辺りは青暗く成り夜に覆われていた。息を切らす素振りを見せたギアは少し自身の身を見渡す。
「息など必要のない体だったわね…この忌々しい人形の体は」
ヤワタリの体から抜け出したギアは、目の前の黒き羽毛に覆われる龍を眺める。それは夜の暗がりすらも退ける程の漆黒の塊であった。
「これが、エオニオテロスのヤワタリ様…何故死んでいるの?」
エオニオテロスは不死身である。彼女もそれは百も承知であったが、目の前の肉塊を目にしてはそう考えるのも不思議ではない。事実、ギアが抜け出すまでに微かに打っていた鼓動は今は聞こえはしない。
「どうであれ、ここを離れた方が良さそうね」
ここが何処で、行く当ても見当もつきはしない状況であるが、悩む必要は皆無であった。目の前の不吉からは逃げるしかない、彼女はおぼつかない足取りでその場から走り去った。
***
キトロン・プロスヴァシはかつて東の王が治めた現在のアデュラス共和国に位置する場所で産まれ、後に現在のフェガリ領の最初の王の城に仕える宮廷画家となった。彼が描くフィディラー神話の数々は今もフェガリ領の宝物として門外不出とされる。
彼が描く絵画からは微かに呪詛の刻印を感じると言う者もいる。何故なら彼の絵画には藍墨が使われているからである。だからと言って何かウティパデラの力が秘められていると言う訳では無い。
絵そのものに何かあるのでは無いのである、彼は学術都市に向かう前から独学で呪詛の研究をしていた。その目的は玉蟲の大賢者へ謁見をする為であった。そして彼はそれを成し遂げた。彼が筆を握る腕には誰も見たことの無い刻印が刻まれていたと言われる。




