第八章 飢餓
ヨモツヘグイ
一角獣の王編
第八章 飢餓
巡礼者の姉妹は霊峰セリニの麓に長旅の末辿り着いた。
「ここがメルナの里」
その女性の目には、想像していた賑わいとは相容れぬ村の光景が移っていた。
「お姉ちゃん、怖い」
「うん、しっかりしましょう」
姉は震える手で妹の頭を撫でると目に力を込めて辺りを再び見渡した。彼女達には死者の名残が見える。それは匂いに似た影だと例えていた、それが無数にその村には漂っていた。
その村を歩けばいたる所に無残な屍が転がっている、姉は妹の目を覆い参道への入り口を目指しつつ生きている人間を探した。
ある家屋の中から死臭と共に弱々しい生気が微かに感じられる。フィディラー大陸の数ある分派を束ねるセリニ聖典に準じている彼女達は、巡礼の旅で教誨師を目指す修道女である。この巡礼の目的は教誨師になる為の条件である呪詛アルフィアの目を使用出来るようになることであった。アルフィアの目とは大賢者アルフィア・アプロディが見出した隠夜と呼ばれるる死後の世界を除く為の呪詛である。
呪詛とはヒプロの石堀具とスカラベの藍墨で刻印を掘れば誰でも使用出来るものでは無く、一種の素質が必要とされる。その素質を彼女達は修行の末体得しつつあった。
***
彼女達は恐る恐る生きる人間の気配を探ろうと家屋の中へと足を進める。
「暗い、やめようよお姉ちゃん」
少女は姉の背後に隠れ顔を隠した。そんな妹を手で慰めつつ姉は人影が蹲る方へと声を掛けた。
「すみません、この村で何が起きたのでしょうか?」
彼女はそう尋ねると最悪の事態も想定し、いつでも逃げれるように退路を確認する。すると奥にいる人影がゆっくりと立ち上がった。
「きゃあ!」
妹は悲鳴を上げる、姉はその異形を見るなり腰の短刀を抜いた。
「月の目セリニ様と太陽の目リオス様、どうか呪われし我等に光を」
震える手で短刀をその異形に向けつつ左手で祈りの所作をする。彼女は腰が抜けるのを必死に抑え妹を助けることだけに集中していた。するとその大きな影は力尽きそうな足取りで二三歩よろめいたところで天を仰ぎ見て二人の目の前で倒れてしまった。
「ぎゃあ!」
妹は飛び跳ね建物から飛び出るが、姉はその場に留まり人型の巨大な狼の側に寄る。
「息が浅い、このままでは死んでしまう」
そう慌てた彼女はその狼を抱きかかえようとその狼の体を力強く握り締めた。
「…っ!」
彼女の掌に痛みが走り穢れの無い赤き血が溢れていた。その狼の毛は針の如く彼女を切り裂いたのである。慌てる彼女は血を辺りに撒き散らしながら血止め出来るものを探した。その降り注がれる血液は血だまりを作りその狼が握る斑馬の剣ロゴアを浸す。
「お姉ちゃん!」
妹は動転する姉の手を布で抑え込み血止めの処置をして姉を落ち着かせた。ロゴアが血を啜るとその狼の体から煙がにじみ出るように揺らめき始めた。
「…なんと言う美味、極上の馳走だ」
狼は目を覚ますと目の前の巡礼者を見つめた。
「頼む、生きている動物を連れてきてくれないか、礼は必ずする」
そう言うと再び狼は目を閉じてしまった。
***
妹は不満そうな表情を隠さずに姉の言う通りに馬留に繋がれる馬を一頭その家の前に連れて来た。その作業の最中彼女は、人は殺されているが家畜の類は傷一つ付けられていないことに違和感を感じていた。
「お姉ちゃん!連れて来たよ」
姉は死者を一人一人弔い一か所にその死体を集めている最中であった。
「そう、なら狼さんを起こさなきゃね」
汗を拭い前髪も濡れた彼女は妹と一緒にその狼が休む家屋へと戻る。薄暗い床に眠る狼を今度は外で見つけた鍬で揺り起こした。
「狼さあん、起きてえ!」
妹は大きな声をその狼の耳元で叫び、姉は不意に近寄る妹を手で抑えた。するとその狼は目をゆっくりと開けると無言のまま彼女達には目もくれず這いつくばりながら馬のもとへと進んだ。
「…手伝ってあげる」
妹は馬の手綱を引くと家へと馬を入れる。その後ロゴアの間合いに入るや否やその狼は涎を飛び散らせながら勢いよくロゴアを馬の腹に突き立てた。
「ぎゃあ!」
妹は悲鳴を上げると再び外に飛び出す。姉は口を抑えつつもその光景を静かに眺めた。
「不味い…四の五のは言えないか」
狼の体から煙が立ち込め室内を霞め、その蒸気に包まれ姉は込みあがる嘔吐を抑えた。臭いでは無く死者の魂が喰われて行くのを感じたのだ。
「生き返る、これで一人分」
狼は立ち上がるとそこに佇む女性に対してカブリ・ジウラの弔いの所作をする。
「あ、ありがとう。助かった」
礼をするとその狼は背を向ける。
「何故助けられる…この俺を」
彼は自身の奥底から込み上げる殺戮衝動を必死に抑え頭を抑え蹲る。
「あなたの名は」
その言葉にロイは正気に戻り、そこに佇む女性の目を見つめてそのまま動けなくなってしまった。
「俺の名は…ロイ・キウス」
「そう、やはり人間なのね、呪詛カルディアの禁忌…呪われたリュクノースの盗み出した罪深き呪い。でも良かった、まだ生きられる」
ロイは目の前の光景に屈するように膝を着いた。彼には彼女が聖女のように感じられたのだ。
「私の名はフィアス・スコース、この子は妹のプシナ」
プシナは姉の影から挨拶をする。
「これが私達へのセリニ様からの勅命なのでしょう、あなたのその贖罪の手助けをさせて下さい」
フィアスはロイの体に優しく触れると目を閉じセリニに祈りを捧げた。そして彼を包み込むように抱擁すると彼女の鼓動をロイに聞かせつつ言葉を掛ける。
「この獣毛は敵意に値するものには反発をするけども、受け入れられる力には抗えない。そうでしょうロイ」
ロイは今まで封じ込めていた恐怖心が溢れ出て来るのを感じ、体の震えを抑えることが出来ずにいた。
「…恐い、恐ろしい…」
フィアスの抱擁はロイの震えが治まるまで続いた。
***
七人の足無しの狩り小屋の内部では激しい風切り音が鳴り響いていた。
「旦那あ!逃げてくだせい!」
エクリは鼠殺しが繰り出す呪詛を真剣な眼差しで読み切り躱し続けていた。
「確かに、この状況はいつまでも続けられんぞリントン!」
リントンは降り注ぐ隼の羽毛を体に突き刺しながら鼠殺しとの間合いを詰め続けた。
「何だこんなもの、唯の小針を飛ばしてるに過ぎない」
「おい!どうする気だ!」
リントンが突き進む先には鼠殺しが笑みを浮かべながら手招きをする。エクリはリントンの行動に動揺し彼もリントンの側に駆け寄った。
「生意気な坊やね、腕でも捥いでやろうかしら」
鼠殺しは呪詛カラーザの鎌を使いリントンの右腕目掛け解き放った。それは鋭いかまいたちを作り出す。
「リントン!」
エクリはリントンを後ろから突き飛ばすとその呪詛を胸に受けてしまう。
「旦那あ!」
グレフトは倒れ込むエクリに駆け寄る。それを横目で見たリントンは剣も抜かず鼠殺しに拳を振り抜いた。その一撃は鼠殺しの表情を一変させ歪む顔面を回転させると中央階段へと吹き飛ばした。
「ええ!?殴った!?」
グレフトは動揺しその光景を目を回転させるように眺めた。
「そう言うことか、良い仕事だリントン」
エクリは自分の胸の傷口を抑えながらリントンに声を掛ける。それを聞いたリントンは鼻息を荒げ腕を上げた。
***
語り継ぐのを禁じられた時代、ノスフェラトゥ・ウラネオス・リオラは暗天のヤワタリを作り出し。足無しの軍団を築きフィディラー大陸を手中に収めた。深き眠りより目覚めし巨石の師父ヒプロは剣の神オクトバスの作りし剣を集め選ばれし者達に託す。そしてヒプロと共に玉蟲の大賢者スカラベはアルフィア公の文献より隠夜に住まう者達への対抗を目的とした呪詛を編み出しその者達に授けたと言う。その呪詛の中には生命の根源である魂を扱うものもあった。それは寿命を犠牲にしない呪詛、はたしてそれは呪詛と言える代物なのであろうか?




