第十二章 キラゴの騎士
ヨモツヘグイ
キラゴ・カシナラ編
第十二章 キラゴの騎士
ヴァトラスは着心地の悪い甲冑を着てよろよろと軍列に加わり、汗を垂らしながら列から遅れをとらないように必死に足を動かした。
「大変だぁ…大変だぁ」
ヴァトラスは先程からその言葉しか発しない。
軍列の中心には、アツァナの蛇デュウムが厳重な警備のもと籠に入れられ運ばれていた。
「ヴァトラスや、お前が遅れるとわしは誰とも話せぬぞ、ほれいそげやいそげ」
「お蛇様ぁ、ちょこっと休めねえもんかなあ…ひい」
ヴァトラスはへこたれそうになりながらも目に入りそうになる汗を拭い、健気に歩き続ける。他の兵士もそれを見て、励ましの言葉を掛けてやる程であった。
牙と翼の城の東にある底の塔に向かう海峡に辿り着くと一行は陣営の準備を始めた。ヴァトラスは目を開けることも出来ない程に疲れ果て、空に向かいながら荒い呼吸を寝そべりながらし続けた。
デュウムの護衛を務めるカーグ領導きの目直属正規軍のリゲリの騎士団隊長フテローマ・レピスは、ヴァトラスに肩を貸すとデュウムのもとにヴァトラスを運んだ。
「ヴァトラス、デュウム様に作戦の場所の確認をしてくれ」
「フテローマ騎士団長、か、かしこまりましただあ」
それを聞いたデュウムはヴァトラスに顔で合図しながら返答した。
「フテローマ騎士団長に伝えとけ、お主らの言葉は分かっとる、直接わしに問いかけろと」
「あい」
ヴァトラスはフテローマ騎士団長にデュウムに直接伝えるよう伝えた。
「失礼しました、デュウム様野営地はこちらで、作戦場所は近くの海岸になりますがここで間違いないでしょうか?」
「うむ、向かいの底の塔は目視出来る範囲なのであればまぁ何とかなるじゃろ」
ヴァトラスはデュウムの言葉をたどたどしく疲労を隠しきれないまま通訳した。
「畏まりました。作戦場所の北に索敵班を配置しておきます」
「必要あるかの?まぁいても良いかの…わしが海岸に張り付いていても良いぞ」
「カーグ領でもこの時期は海風は堪えますので」
「そんなことを気にしている余裕などないだろう、気遣いなどいらんぞ」
「か、畏まりました」
「おら寒いのやだなあ…」
デュウムはヴァトラスが思わず発した言葉に唖然とした。
「ど、どちらでしょうか?」
「今のはヴァトラスの言葉じゃ、ややこしい、お前は勝ってにしゃべるでない!」
フテローマ騎士団長は困惑しつつも理解した上で、海岸沿いに野営地を移す決断をすることで落ち着いた。
「また歩くだたかあ…大変だあ」
ヴァトラスはへろへろとまた歩くのであった。
***
キラゴの騎士大将兼カブリ島群大隊長のカウリオ・キノスはドラゴンの巣にあるジアブロス島中隊長の間で虚空を睨みつけ何かを考えていた。
「…俺のつがいも戦に出るか…暗闇でもわかる、共に戦え敵としてな」
カウリオ大隊長の左目には眼帯がされている。目が悪い訳では無い。フィディラー大陸では導きの目は勿論のこと、領の重役を担う人間は皆古き目を何かしらの方法で隠している。それは、人質等として契りの法によるつがいが領に損害を出さない為の処置である。解りやすく言えば、自分の命が他の領にあることを知られない為の処置である。
カウリオ大隊長の古き目には暗闇しか映らない、それが意味するのはつがいが他領の重役を担う者であると言うことであった。
すると静かに扉が開く。それに応じカウリオ大隊長は剣を抜いた。
「なるほどな…まずは俺からということか」
扉の向こうには黒い布を全身に纏ったロエオス・ルターが立っていた。
「そこの兵士はどうした?殺したのか?」
「…眠らせただけですよ、カウリオ隊長」
カウリオ大隊長はにやりと口角を上げると静かに目を閉じた。
「掴めなかった、お前は何者だ?俺に鍛えられている頃から裏切るつもりだったのか?」
「…私は覚悟が違う、全てが計画の内ですよ」
「なるほどな、俺の汚点と言うわけか…ならばやるしかないな」
ロエオスは剣を抜くとそれに応えた。
「あなたは、キラゴの騎士そのもの、この機を待っていましたよ…私はこの不幸な運命を何よりも楽しめている」
「笑わせる、お前はここで死ぬ運命だぞ」
カウリオ大隊長は剣を振るう、その軌道は独特で何かを探るような蛇のような剣筋であった。それに応じるロエオスは受けの一手で捌き続けるのみであった。
「お互い受けていては永遠に終わらんぞ、お前から仕掛けてみろ!」
カウリオ大隊長は剣を止めることなく挑発する。その剣筋すらもロエオスを誘うように変化していった。彼にとってはこの攻めも受けに過ぎないと言う。ロエオスの額にも汗が流れ余裕が無くなりつつあった。
「カウリオ大隊長、この剣は私も知りませんね、無理を仰る」
「当たり前だ、この大陸全土の流派が流れ着くキラゴの騎士、それを昇華させるのもキラゴの騎士、その長が扱う剣がこれだ」
ロエオスは一旦距離を置くと呼吸を整えた。
「カウリオ隊長、お言葉に甘えさせていただきます」
「そうだ、でなければ死ぬだけだ」
ロエオスが構えを変化させ、カウリオ大隊長との間合いを詰めた。
「ジウラの間者には似つかわしくも無い、クレイス家に伝わっている西のアプロディ王家の構えか、ならば私は…これでどうだ」
カウリオ大隊長は楽しむ様に構えを変えると東の王家の剣技で応えた。ロエオスは少し圧される気持ちを消し去り、呼吸を相手に合わせ打ち込んだ。
「鍛錬は続けているようだな、昔の打ち込みと明らかに変化が見られるぞ!」
カウリオ大隊長はロエオスの剣を受けた後、間を作り足へと攻撃を向けた。ロエオスはカウリオ大隊長の大陸全土辺境に至るまでの武術の流派を、常に変化を加えて織り交ぜて来る攻撃に過去の鍛錬を思い出しつつあった。
「流石はフィディラー大陸の生きる武神と言われるだけはありますね、私もあなたの弟子の一人、これぐらいでは押されませんよ」
ロエオスは足への攻撃を軽く飛び越え、浮いた足でカウリオ大隊長の腹を蹴り押した。一瞬よろめくも素早い足さばきと腹筋による体感を駆使し構えを瞬時に立て直す、カウリオ大隊長は笑っていた。
「久しいなこの感じ、強者と命のやり取りなど何年振りか」
「有難きお言葉、初めて隊長に褒められましたよ、しかしこの程度と思わないでいただきたい」
ロエオスも笑みを浮かべると、剣での突きをカウリオ大隊長に向けた。しかし、カウリオ大隊長はロエオスに背を向けて後ろにいたロエオスの幻影の剣を捌き、その反動と共にロエオスの突きを紙一重でかわした。次の瞬間にはカウリオ大隊長はロエオスの背後に回り首筋に剣を突き立てていた。
「聖の影か、俺に呪詛はきかんぞましてや不意打ちには不向きだ、これで終わりだな」
「私には覚悟がある」
ロエオスの影が再度カウリオ大隊長に攻撃を加える、カウリオ大隊長は背後からもロエオスの影が攻撃を加えて来ることを察し、やむを得ずロエオスの背後から離れた。影同士はお互いに剣を食い込ませ実態が掻き消えてしまい、その後体制を整えたロエオスは苦い顔をすると鼻血を拭った。
「呪詛は体に刻んだ刻印を念じる際、少なからず周りの人間にも念を飛ばすとお前には教えたはずだぞ、俺はその念を捉え尚且つ刻印のイメージも掴む、俺にとっては呪詛は告知された後の攻撃に過ぎん対処など容易い物だ」
「まさかここまで綺麗に捌き切るとは、あなたに勝つ為に呪詛まで用意しましたが予定が狂いましたね」
「情けない、やはり汚点にすぎんなお前は」
ロエオスはその言葉に感情を揺さぶられてしまい、激情を抑えることが出来なかった。
「…汚点か、ならば汚点に相応しく形振り構わずいくしかありませんねえ!」
ロエオスはそう叫んだ後にカウリオ大隊長を睨みつけつつ口からも血を吐いた。ロエオスは再度呪詛を使用し自分の両脇に四体ずつの自身の分身を作り出したのだ。呪詛は使用者の生命力を糧にする、短時間で多く使用すれば即死することもある。
***
聖の影と呼ばれる呪詛は、大陸では最も使用者が多い呪詛の一つである。この呪詛はフィディラー王が作り出した呪詛とされ、自身の実態のある幻影を作り出すものである。神話によればフィディラー王は万の影を作り出し、雪原の影リュクノースを打ち倒したと言われる。
***
カウリオ大隊長は苦しむロエオスを見てこう呟いた。
「魂を売ったか、そこまでの覚悟ならば生かし捕らえるなどキラゴの騎士として恥でしか無い、今すぐ楽にしてやる」
両手を前に掲げ、静かにキラゴ・カシナラに祈った。
「キラゴ・カシナラの名誉の為に…」
ロエオスの影達は一斉にカウリオ大隊長に攻撃を仕掛けた。一人はボラドールの剣、一人はオモダルの剣、ジウラの剣、サノオーン…八体の幻影はそれぞれ違う導きの目に伝わる流派の剣技駆使した。
カウリオ大隊長は自分の間合いに敵が入るまで目を見開いたまま、鼓動を止めたかの様に静止していた。しかし敵が間合いに入るや否や殺意すら感じない綺麗な剣裁きで数秒の内に八体の幻影をかき消してしまった。
「ロエオスよ、この過ちを正す為また一から鍛え直してやりたかった、お前は剣技の才があったのだ、それを俺の代わりに後世に伝えてほしかった…来世では呪詛等使うで無い」
ロエオスは剣を握り直すと、静かに答えた。
「はい」
カウリオ大隊長は躊躇なくロエオスの心臓目掛け剣を突こうとした。しかし、その剣はロエオスを貫くことなく床に大きな音を立て落ちてしまった。それと同じにカウリオ大隊長の膝は落ちロエオスに覆いかぶさる様に倒れ込んだ。
ロエオスは何が起きたか分からず周りを見渡した。しかし部屋には他の者はおらず、静けさしかなかった。
「隊長…」
ロエオスはカウリオ大隊長の死因をやっと理解した。彼のつがいが今死んだのだ。ロエオスは直ぐ立ち去らなければいけないその部屋で呆然とカウリオ大隊長の亡骸を眺めていた。複雑な感情を整理する為にはどうしても時間が必要であったのだ。
***
フィディラー神話ではフィディラー王が使用した呪詛、聖の影は光輝き底の神の子供達の無き目にも光を感じさせたと言う。その光を浴びた底の神の子供達は涙を流したと言われる。