第十一章 ギア・ジウラ
ヨモツヘグイ
キラゴ・カシナラ編
第十一章 ギア・ジウラ
青い夜空の下、白き蹄の城の一室にて人形の姿をしたギア・ジウラは遠眼鏡を覗きリオス神殿を眺めていた。暗い夜空の下では遠眼鏡の筒の中には闇が蠢くだけで当たり前のように何も見える訳は無い。
ギアはこの暗い夜だからこそ、太陽の目リオスの啓示を授けられる、そんな気がしていた。
「何かあるはず、このジウラ領を取り巻く狂気の流れ、必ずあの狂人を止める役目が私にはあるはずなのに…」
ギアはあの日見た夢に取りつかれ、クリノが部屋を訪れる時以外は遠眼鏡で城下にあるリオス神殿を眺め続ける、眠ることの無い人形の体故、夜通し眺め続けるのである。
***
太陽の目リオスとは豊穣の女神であり、月の目セリニと共にセリニ信仰において最高神とされる神である。月の目セリニは法の神であり、時には人に裁きを下す厳格な神であるが、対である太陽の目リオスは生命を育む優しき女神であり慈愛に満ちているとされている。
そのリオスを祭るリオス神殿はフィディラー大陸においてほぼどの領にも存在する。特にジウラ領白き蹄の城城下にあるリオス神殿はプラテイユの寄付により大陸で最も優美で威厳ある作りをしている。
それはプラテイユの生への執着がそうさせるのであって、純真な信仰心は皆無であった。
***
クリノがノックをする、その日は何故か返事が無かった。
「姫様?」
クリノはドア越しにギアを呼ぶがそれでもギアの返事は無かった。クリノは嫌な予感がして再度問いかける。
「姫様、申し訳ございません、お返事が無くとも入らせていただきます」
クリノはそう言うと、鍵を一つずつ慌てながら開け、扉を開ける頃には額に汗をかいていた。
ギアがまたも自殺を試みているのではと考えたクリノは必死の形相で部屋を見渡した。そこにいたギアはこと切れたように床に崩れていた。
クリノは悲鳴を上げ、ギアのもとに駆け寄った。当然ギアは息をすることなく倒れたままである。しかし、人形であるギアが息をするなど無いことは動転している今のクリノでもわかっていた。それ故クリノはギアをゆすりながらギアを呼び続けた。
「姫様!姫様!お気を確かに!」
***
ある夜ギアは遠眼鏡の端に青白いぼやけた光が見えたような気がした。もちろん、夜の遠眼鏡にはかすかな街灯りしか映るものは無く、ましてや、青白い光等は月の明かりしか無い、しかしそれはリオス神殿を眺めている時に視界に入ったのであった。
「…?何かしら?」
ギアは遠眼鏡を動かし、リオス神殿の周りを見渡した。すると城下の端の方に青白く光る物を確認することが出来た。
「あれは?…確かあれも神殿だったような、地図で確かめてみますか」
ギアは壁に掛けてある地図を燭台で照らすと、リオス神殿の奥北東にある城下の端の神殿を確かめた。そこに記されていたのは、セリニ神殿であった。
ギアは驚き、すぐさま窓辺に移ると再び遠眼鏡を覗いた。セリニ神殿の方角にある青白い光は徐々に大きさを変えてゆく。いずれそれは目の形のようになり、そしてそれはギアの魂を誘うように見つめ続けた。
「月の目セリニ様…そうか、私は一つにならなければならないのですね」
ギアは何かを悟ると再びリオス神殿へと目を向けた、そこにも目があり、ギアはその目を見つめることで左目がうずき出すのを感じた。
「私の赤い目、これでは駄目なのね」
そう呟くとギアは目を覚ました。
「クリノ?どうしたのですか?まるで、取り乱したように…」
ギアはクリノの泣きじゃくった後のしわくちゃの顔を見て、瞬きをカシャリと繰り返して見せた。
「ひめさまぁ、良かったでずぅいぎでだぁ!」
クリノは動く人形を見て、ギアが死んでいなかったことに安堵した。
「…?…!また、寝てたの私?」
ギアは自分の状況を理解しようと周りを見渡した。床に膝をつけ、クリノに抱えられている様から自分は夢を見ていたのだと悟った。
「ごめんなさい、心配を掛けたみたいですね」
ギアがそう言うとクリノは頷きながら涙を拭った。そんな姿を愛おしく感じつつギアはクリノの頭を撫で、先程見た夢を語り始めた。
「リオス様とセリニ様に出会ったの、私は不完全な魂、お二方の御霊の一部になることが今のままでは出来ないと分かったわ、このままでは駄目、終わらせなきゃいけない協力してくれる?」
クリノは訳も分からないまま、大きく首を縦に振って見せた。
「はい!」
ギアは笑顔でその返事を受け取ると、クリノと一緒に立ち上がった。
「クリノ…私の兄妹に合わせて」
***
五柱の岬とカドル島砦の間の海域をカーグ領の軍船が封鎖を終えている。その様をヒュエイはドラゴンの巣から静かに眺めていた。
「一個二個三個…全部で12隻か?凄い数だな」
カーグ領の牙と翼の城の出航出来る軍船は全て出揃っていた。ヒュエイは腕を組みながら首を大きく回し首を鳴らした。
「…ここまで来れんのか?敵さんは?…つまんない感じにならんよな?」
この状況で一人違う心配をするヒュエイは、少し焦りながら周りとは違う期待をするのだった。そんなヒュエイの後ろから、テレスがぶつぶつ言いながらぶつかって来た。
「…あ?なんだ、テレス?」
「すまね、今相方と話しててな…あいや、話せねんだけど、色々とな」
ヒュエイは分かったような素振りで軽く返事をした。
「古き目にゃ分からんか、目で筆読てのしてんのさ」
ヒュエイは実際には古き目と言う訳では無い、彼女はフィディラー大陸の呪いである契りの法には犯されない大陸出身者であるからだ。しかし、東の大陸の極東で産まれた彼女の両目は黒い色をしている。事情を知らない者からは古き目の子供と思われることは至極当然と言える。何故なら、他の大陸との交易はアデュラス共和国と言うフィディラー大陸最東端の国しか行っていないからだ、理由は多くあるが、大きな理由は成り損ないのブダラの影響と、フィディラー大陸の呪いの伝染を恐れ他の大陸の者が寄り付かない為である。
「何だお前?馬鹿にしてんのか?」
ヒュエイはテレスを威圧すると、テレスは両手を上げた。
「し、してません」
テレスはそう言うと腕を下ろし、真顔になりやれやれと呆れた素振りを示しこう言った。
「もういいよ、何回やるんだよこの下り…」
「お前が始めたんだよ」
「てか、聞けよ…誰にも言うなよ、昨夜牢屋の奴とロエオス隊長がアダナス・ラビナがどうとか言っててな…相方にそれを調べてもらってたら、ジウラ領の元華族らしくて…何で隊長がそんな話ししてたんだろうな?」
ヒュエイは眉を曇らせ、アダナスについて詳しく聞いた。
「二ディアが言うには、プラテイユに敵対していたシュネイシス・ジウラの派閥のナンバー2だとか、今は死んじまったらしい、なんか怪しくないか?」
ヒュエイはジウラ領の事情等は頭に入っていないが、イシスに問いたださなければと直感的に思った。
「テレス、トリロが来たら牢屋に来るよう伝えてくれ、何か引っかかる、トリロなら答えを出せるとは思う
」
「あぁ…わかった、しかし、ロエオス隊長は何処にいっちまったんだ?」
「探せ!」
ヒュエイはテレスにそう言うと、イシスのもとに急いだ。
***
キラゴの騎士の大将であり、カーグ領カドル島群大隊長でもあるカウリオ・キノスはトリロとカウを前に静かに苛立ちを見せていた。
「間もなく開戦だと言うのに、ロエオスの姿が見つからないだと?ふざけているのか?」
カウは喉の渇きが急に訪れるように、唾を飲みながら答えた。
「も、申し訳ございません…」
カウリオ大将は、ワインを飲み干すとカウを指差した。
「カウ副隊長よ、お前が次のジアブロス島中隊隊長だ、防衛作戦を今すぐ立て直せ」
トリロはカウをちらりと見てそれはそうだと納得した。
「はっ!では、こちらのトリロ・フィズラを副隊長として任務に取り掛かります!」
カウはトリロの肩を叩くと、部屋を出るように合図した。トリロは少し瞳孔を開かせ、それはそうなるよなと納得せざるを得なかった。
「隊長、もう開戦ですよ作戦など今立ててる場合ですか?」
「海上の封鎖は終えているからな、上陸した場合の対処はまとめて報告しておく…そこは俺に任せておけ、お前には違うことをしてもらう、ロエオス隊長…奴の狙いは読めているのだろう?」
トリロはカウの先見に驚き、表情には表さなかったが、カウの隊長としての器に安堵した。キラゴの騎士には唯力自慢の者が多く、頭脳で戦える戦士は少なかったのだ。
「…まず間違いなくキラゴの騎士を裏切るのは明白、あの人は鍵を盗んで逃亡している、非常に危険ですね、守るべき場所は二か所、赤い真珠と巫女様、私は巫女様に関しては大丈夫と思われます。殺すのであれば最初に殺している。本丸は赤い真珠で間違いないかと」
カウはトリロの答えに頷きながら更に問うた。
「奴はどのように赤い真珠を奪うと思う?」
「ロエオス隊長が敷いた、兵の配置が鍵でしょう。あの方は西から敵が攻めると今の防衛体制を整えています。それを疑えば敵は東からも攻め入る可能性が十分にあります、その対処に遅れた混乱を狙い奪う算段ではないでしょうか?」
「…あり得るな」
カシナラ港の現状と酷似した作戦である、しかし今の彼等にはそのことは知りえない。故にその予想は当たっているのである。事実、ジウラ領最大海軍拠点のアラフ島にあるリブイサ砦より南下して溜め込まれた軍船20隻がクフリ港を出航していたのだった。
「やるべきことは巫女の間の防衛でしょう。必ずそこにロエオスは現れます」
カウはトリロからの考えを聞き指示を出した。
「お前は巫女の間でヒュエイと共にロエオスを討て…ヒュエイなら仕損じることは無い」
トリロは頷くとカウにフィディラー王の型を見せた。両手を何かを握るように前に突き出すフィディラー大陸での敬礼である。
「キラゴ・カシナラの名誉の為に!」
「キラゴ・カシナラの名誉の為に!」
カウも答えると、トリロはヒュエイを探しに行った。
***
クリノは恐る恐る部屋の鍵を開けた。
「私はこの部屋が苦手でして…、姫様、側に寄っていただけますか?」
ギアは了承するとクリノの肩に手をやった。
「わがままを聞いてくれて有難う、あなたが私に見せたくない者達がこの暗がりに閉じ込められているのね?
」
「…はい、恐らく姫様の片割れの物だと思われます。…そんな気がするとしか言えませんが」
クリノの唇は震えていた、このおぞましい部屋にギアを連れ込んでしまっている自分の行いに何も正しさを見いだせていなかったのである。不安が彼女の心を満たしていた。
「私は恐くてなりません、姫様があれに出会ったら何か嫌なことが起こりそうで…」
「大丈夫よ…私がどうなろうとそれはセリニ様の御意志なの」
クリノはその言葉に引っかかる思いがあったが、そう言われてしまえば何も言えない。月の目はこの大陸での最高神、逆らえるはずも無いのである。
「この櫃です」
カサカサと音がなる櫃を指さしクリノはギアの顔を見た、そこには無表情な人形が暗闇にたたずんでいた。
「…開けて」
ギアがそう言うと櫃の中の者達は歓喜に満ちたように蠢き、囁き始めた。
「…カアサン…オカアサン」
クリノは鳥肌を立たせながら櫃の鍵を開けた。その瞬間決して櫃の中から出ようとしなかった赤い欠片達はギアを目掛け飛び出し、瞬く間にギアの体を駆けずり回るように覆いつくした。
「姫様!」
「…あ、あぁああああ!」
ギアはもがき叫ぶと、よろめきながら部屋の外に向かい進み始めた。
「姫様!外は危険です!他の者に見られます!」
「やめて!嫌っ!違う私は違う!クリノ助けて!」
ギアはクリノを暗闇で探すように手を指し伸ばしながら暴れ続け、部屋の外に出てしまった。クリノがギアを追い部屋の外に出るとそこには床で泣き叫びながら、無数の赤い欠片に食い荒らされるギアの姿があった。
「姫様あああ!」
クリノはギアの体に纏わりつく赤い欠片を振り払い、ギアを必死に助けようとした、それに抵抗するように赤い欠片達はクリノの体も血だらけにし始めた。その痛みはクリノには感じられなかった。彼女は自身の痛みなどにかまっている余裕など何処にも無い程にギアの安否を心配していたのだ。
「神様!リオス様!どうかお助け下さい!」
クリノは自身が犯してしまったこの所業に懺悔を繰り返した。それでも、ギアの命だけは奪わないで欲しいと神に祈り続けた。
赤い欠片達は叫ぶギアの口からギアの体に入り出し、それにギアは抵抗するように嗚咽を繰り返した。喉の奥まで侵入したそれらにはもはや抵抗することも叶わず、絞る声すら出せずにギアは天井を唯見つめることしか出来なかった。
クリノがギアを抱えながら涙を流し体を揺らす中、ギアは左目に激痛を感じていた。体をのけぞらし痛みと戦いながら意識の狭間で後悔と共に快感を感じていた。
(私が私を犯している、私が私を殺そうとしている、私が私を喜ばそうとしている、私が私を…)
意識が飛ぶ中クリノの声だけが微かに聞こえていた。
***
フィディラー王がこの大陸を治める遥か昔、エオニオテロス達に匹敵する力を持ち大陸の西側を統治していた龍と狼がいた。狼を雪原の覇者フォティノースと雪原の影リュクノース、龍を龍の女王リヴァリィサ。その後の火山龍カドル、双頭の龍アナンもいずれも女王である。龍王はこの大陸の歴史で存在したことは無い。龍王の棺とはいったい何であるのかは今は誰にも分からない。