第十章 墓標を背負う者
ヨモツヘグイ
キラゴ・カシナラ編
第十章 墓標を背負う者
フィディラー大陸の呪い、契りの法は主に同じ日に生まれた月の目の子と太陽の目の子が契りを交わし、命を共有する。しかし、その選定は時に異常を来すこともある。両目が産まれた時から黒く、古き目の子と呼ばれる者や、この地に産まれ落ちても選定されずに両目が月の目、もしくは太陽の目のまま寿命を真っ当する者、老人と幼子が選定される現象や、アツァナと呼ばれる異種間で契りを交わす者もいる。
しかし、殆どの生物は産まれ落ちた日に片目が黒く染まるのである。黒く染まるまでの祝福された赤子を、この大陸では青い月の目の子をブレジオス、赤い太陽の目の子をセイショウと呼び、神に近い存在であると称えるのである。ほんの僅かな時間であるからこそ、祝福を喜び合う大事な時間なのである。…古き目の子を除いては。
***
アガス・フィルアが時折古き目で見る光景は美しい森や湖で、幸せそうに暮らす女性の視界である。アガスはそれが生き別れの姉の視界であると信じていた。
しかしそれは妄信であり、幼き頃アガスは戦で愛する姉を目の前で弄ばれたあげくに殺されていたのである。彼はその記憶を封じるように、右目で見る美しい視界を姉の視界であると思い込み。過去の悲惨な経験をほぼ喪失してしまっていた。しかし、彼が戦に狂うのは、果たして過去を捨てきれていると言って良いのであろうか?過去を知る者から見れば、未だに姉の死から逃れられないでいるようである。
彼が戦の度に戦場に立てる墓標は、自身の為の物か、姉の為の物か本人すらも分からない。
***
ブダラの海流を航行するカラーザ港から出港した、レース卿の軍船の一つ、アガスが傭兵として乗り込んだ船が大きく取り舵を取った。
船倉の一兵士が大声で叫ぶ。
「揺れるぞ!備えろお!」
アガスはぼそりと呟く。
「うるさい連中だ…」
船体は大きく傾き、ブダラ海流を抜けて行く。その先には、黒煙がとうとうと上る大きな港町があった。五隻の船の内、この一隻だけがその港に向かう。
カシナラ港、カーグ領の西の貿易港であり、フガロ地方を収めるカプノース卿の拠点である。アガスが乗るこの船はたった一隻でこの港に攻め入る作戦であった。目的は、カプノース卿の軍船二隻を航行不能にすることである。例え失敗したとしても時間稼ぎをすれば成功と言える、だが、この船にはアガス・フィルアが乗船している。軍船二隻程度ではとても終わることは無いであろう。
ブダラ海流から抜けた船は速度を緩ませること無く、船倉に軋む音を響かせながら激しい揺れを繰り返していた。カシナラ港にたどり着くのはもうすぐである。
まだ揺れの激しい中、アガスは墓標を背負うとすくりと立ち上がった。するとしだいに船の速度も安定し揺れも治まり始めた。揺れが無くなり、皆が立ち上がれる頃にはアガスは船倉から姿を消していた。
「あんたが隊長か?」
「…そうだ」
「わかっていると思うが俺はあんたらの命令は受けない、好きなようにやらせてもらう、もし、邪魔をするようなことがあれば、誰であろうと殺す」
その船の中隊長は複雑な表情でアガスを睨みつけた。
「分かっている、レース卿からも話は受けているからな…しかし、お前がこの作戦の邪魔をするようなことになれば、私もお前を殺すぞ」
アガスはピクリと反応して聞き返した。
「彼女を殺すのか?お前が俺を?」
そのアガスの表情を見た中隊長は、冷や汗を流し動揺を隠しきれないままこう伝えた。
「お前の好きにしろ、我々は邪魔などしない…」
アガスの前から中隊長は立ち去ると、アガスは黒い狼煙が上がる港を眺めた。
間もなくカシナラ港に入港する、アガスは血の臭いを放つ剣を鞘から抜き、興奮滾る想いを表情に表しつつも、微動だにしない臨戦態勢に入る。その後ろには隊列を整えたジウラ軍が緊張を抑えつつ、間もなく始まる血の宴への心の準備を各々済ませていた。
***
カシナラ港の東、町の広場での攻防にて海風に煽られた黒煙に潜む一人の弓兵、彼は硬直状態の戦況の次の一手が動き出すのをひたすら耐えて待ち続けていた。
「ん…?」
咳き込むのを抑えながら、黒煙のせいで滲む視界を擦り、ある人物が広場にいるのを確認した。
「驚いたな、あれはカプノース卿か?…どうやら、フィディラー王の加護が着いているのは俺達のようだな…」
戦況は動いた、弓兵は数ある枝分かれしていた作戦を全て覚えており、戦況に応じた作戦を選ぶ役目を追っていた。その中でももっとも勝利に近い作戦が選ばれる結果となり、仲間が隠れる建物に数ある内の二種類の笛矢を選び順番に放った、その後自分は灯台へと屋根伝いに向かうのであった。
風を切る笛矢は耳障りな音を放ちながら建物壁に突き刺さった。
「来たか、三と四だ、お前ら!作戦メイスだ!内容は頭に叩き込んであるな!」
小隊長が叫ぶと、一同は大きく返事をした。
「…ドゥケ、ドゥケ、作戦はメイスだぞ…」
ロイは死んだ友に作戦内容を伝えると、持ち場の配置に向かった。ドゥケは友であったが、彼はドゥケを亡くすことにより、心の甘えを断ち切ることになった。彼は戦場でようやく戦士になったのだ。
***
港では、ジウラ軍軍船が近づくのが確認された為、迎撃態勢へと移行を済ませ、軍船二隻の出航が始まりつつあった。
「カプノース卿は町の防衛にまわったのだな?」
「…はい」
部下は歯切れの悪い返事をすると、大隊長は眉間を曇らせた。
「指揮は私が取る、お前は持ち場に戻れ」
カシナラ港大隊の隊長であるレタン・ヴェクサは苛立ち、軍船へと乗り込む。
「出航!」
目視で確認を取れるのはジウラ軍船一隻のみであった。援軍が無ければほぼ勝利は確定といえる。しかし、何の奇策もないようにその船は一直線にこちらに向かって来るのであった。
「突っ切る気か!?そんな馬鹿な作戦があるか?」
レタンは即座に決断しもう一隻の味方の軍船へ進路をふさぐように合図した。衝突すれば互いに沈むのは必須と言えるが、それで軍船一隻と港を守れればそれで良しと考えたのだ。援軍が続いて来る様子も無い、こんな馬鹿げた特攻に何の意味があるのか?腑に落ちない気持ちは拭えずにいたが、レタンは相手の行動を見ることに決めた。
しかし、予想通りの以外な結果となってしまう、ジウラ軍船は味方の軍船の横腹にスピードを緩めることなく衝突したのである。むしろ舵を取りぶつかりに行ったようにも思えた。
「あ、ありえない…、援軍を探せ!必ず来るぞ!」
レタンは戸惑いつつも、小隊の漁船に仲間の救出を命令した。
「カプノース卿…まずいぞ、海上に援軍の影は無い、狙いは陸からの侵攻としか思えん、港に戻らなければ…これがジウラ軍なのか」
レタンは港に戻るように舵を取らせると、カプノース卿の無事を祈った。
***
甲板にロゴアを突き刺し衝撃に備えたアガスは目を見開いた。
「愛する彼女の為、血が俺を生き返らせる」
衝突の衝撃は凄まじく、両軍船の兵士には海に投げ出される者もいた。開戦である。アガスは衝撃を利用し相手の軍船に飛び移ると呪詛の刻印の一つを使用した。
それは温暖な気候であるカーグ領では見ることの出来ない吹雪、リュクノースの息吹きと呼ばれる呪詛である。その呪詛に覆われた者は極寒に襲われ、身動きが取れなくなってしまう。
呪詛とはフィディラー大陸での呪術であり、自身の生命力を代償にし超自然現象や神通力等を使用するものである。刻印や特殊な呪物を媒体に使用するものであるが、生命力、即ち寿命を削る代物である為、使命や信念無き者が学び使用出来るものではない。ある例外を除いては。
アガスはリュクノースの息吹きを口から放ち終わると、目を開けることも出来ずに狼狽えている敵兵士に容赦無く剣を叩きつけ始める。目と体の自由を奪われた兵士が敵の攻撃を受ける、この恐怖は想像を絶するものであり、甲板の上では恐怖にかられた者の悲鳴と、ロゴアで叩き切られた者の悲鳴がけたたましく鳴り響いた。
カーグ軍は吹雪で動けなくなった者を撤退させ、残りの兵士でアガスへ一斉攻撃を始めた。
「アガスだ!アガスを討てぇ!」
アガスは怯むことなく敵が大勢いる中に単身特攻をする、ロゴアを握る右手から湯気のようなものが立ち上がりアガスの鼓動は激しさを増した。
「一人で行くな!囲め!囲むんだ!」
カーグ軍はアガスを囲む形で一斉にアガスに切りかかった。
「やったぞ!」
六本程の剣がアガスの体にめり込んだ、アガスは歯を食いしばり意識を保つと目の前の敵の喉にロゴアを突き刺した。
「それではやれないだろう…?」
アガスは刻印の一つである、リュクノースの黒爪と呼ばれる呪詛を使用し、ロゴアの薙ぎ払いの軌道に合わせ大きな黒い爪痕を残した。それは一太刀で数人を即死に追いやる程の斬撃であった。
リュクノースの黒爪はアガスが振るう太刀に合わせ何度となく現れ、アガスと対峙した兵士達を畳みかけるように殺していく。後方に下がった兵士達は弓を構えるとアガスに躊躇することなく連射し続けた。それは、アガスの後に続いて乗り移るはずだった、ジウラ軍の兵士が一人も乗船する隙もない程の猛攻であった。
「…いいぞ、戦え!そうで無くては意味が無い!」
アガスは頭、胸、腹、四肢、それら全てに矢を受けた。それでも血を吐き散らかしアガスは前進する、それは恐怖であった、彼は殺しても死なないのである。
「あれが、…墓標の剣士アガスなのか」
体から立ち上がる蒸気の様なものは、アガスの体を再生し、アガスは捨て身の攻撃を繰り返す。もはや、戦意を持つカーグ兵はいなかった。
アガスはまだ息のある兵士をロゴアで刺し、矢を抜きながら体の再生を促進させた。
「逃げる者は追わん、俺を殺したい者だけかかって来い」
アガスはそう言うとその場で立ちすくみ動かなくなった、その後ジウラ軍が乗船し逃げ惑うカーグ軍の掃討を始めた。いくつかの漁船も奪取し、軍船を占拠したジウラ軍は周りの漁船に火矢を放ちつつ、損傷激しい二隻の軍船といくつかの漁船でカシナラ港を目指した。
途中船側を損傷した船は、港迄耐えることが出来ず、沈没してしまったが、ほぼ想定内であった為、乗員の避難は全て行われていた。
***
フィディラー王の友である雪原の覇者フォティノースには光の聖に選ばれるはずだった兄弟がいた。彼は底の神の僕となり、底の塔の王となる、その道は破滅の道であり、フィディラー神話最後にフィディラー王と三戦神に打ち倒されたのだ。その神の名は雪原の影リュクノース。最強の神として神話に記されている。