【コミカライズ】私を愛さないと言ったのは、陛下のほうですが?
「シルビア。私が君を愛することはない。城の外にも出るな」
「あ、はい。わかりました」
結婚初夜。
私があんまりにもあっさりと首を縦に振ったので、夫であるソヴァル陛下はきょとんとした表情をしていた。そんな記憶が懐かしい。
それから二年。
リベア王国では、ソヴァル陛下への人気が最高潮に到達していた。そして私は、「過去最悪の悪女」として周知されていた。
ソヴァル陛下は、元々非常に素行が悪かった。それはもう、先代国王陛下が亡くなって戴冠式を行う際、大規模な反対デモが起きたほどに。
そこで、当時の執事長が「王妃を迎えましょう」と計画した。
「王妃を下げ、そんな愚かな王妃を献身的に愛する国王陛下像を作りましょう!」
執事長の苦肉の策に、ソヴァル陛下は前のめりで賛成。それからあれよあれよという間に、男爵家の末娘であった私が彼の正妻となった。
え? 実家は同意したのかですって?
したからここにいるんでしょう。
家計の苦しかった我が家は、王家からの強烈な圧力を受け、一家離散となるか私を嫁に出すかの選択を迫られた。
この世界ではよくある話。だから両親は恨んでいないし、むしろ申し訳ないとすら思う。
こうして始まった軟禁生活にも、ついには終わりが来る。
「シルビア。お前を断罪する!」
「はあ」
早朝だというのに、ソヴァル陛下は大量の護衛を控え、私の自室を訪ねてきた。
仮にも淑女の着替え中だというのに、なんて礼儀がない人なのかしら。
ドレスの具合を鏡で確認していた私は、平然とした顔で口を開く。
「それで。罪状はなんですの?」
「いくつもある! まずは、侍女の手を故意に火傷させ、宮廷から追い出した!」
ああ。あの、敵国のスパイだった侍女ね。
深夜、陛下以外立ち入り禁止の書物庫に侵入しようとしていたのを見つけたから、声をかけた。
すると、向こうが勝手に悲鳴を上げ、自ら近くの灯りに手をぶつけ、「王妃殿下から虐められています!」と騒いだ。
陛下は「これは使える!」とばかしに、侍女虐めの犯人として社交界で噂話を広めた。
状況調査をすれば、私の無実なんて明らかだというのに。
「次に、厩舎にて悪質な動物殺しを行った!」
息抜きに乗馬でもしようかと、厩舎に赴いたことがある。
そこに、一匹のネズミがいた。
同盟国で、ネズミが持ち込んだ疫病が原因で、国民の三割が死亡したという話を聞いていたので、これはいけないと処分を頼んだ。
それを知った陛下は、「王妃がネズミを使って馬を殺そうとした!」と騒いだ。
まったく。騒ぐしか能がない国王なのかしら。
「そして、国費の私物化! 国民の納税をあざ笑う、なんて愚かな王妃であるか!」
陛下は私のドレスを指さす。
そうね。確かに、これは貴方が買い与えたものの一つだわ。
私は欲しいと一言も言ってないのに、毎日のように仕立て屋と宝石商が品を置いて帰る。
全部、私が浪費癖のある悪女であると広めるため、ソヴァル陛下自らが勝手に買ったものだ。
「今までは優しく目を瞑っていたが、先日の悪事だけはどうしても許すことができない!」
「……先日?」
「私の私室に侵入し、国防に関する書類を盗んだな! これは立派な反逆罪だ!」
待って。
それは知らない。
私は驚き、思わず顔を陛下に向ける。
「お待ちください。初耳です」
「私の私室の棚を開けられる鍵を持ったのは、私と執事長、そしてお前だけだ!」
盗まれた? と思って、急いで私は机の引き出しを開ける。
けれど、鍵はいつも通り、厳重なガラスケースの中に保管されていた。
再び陛下のほうをみると、彼の後ろに立っている執事長はニコニコしている。
なるほど。執事長としては、そろそろ私はお役御免ってところか。
「お言葉ですが陛下。いつまでも傀儡でいると、いつか足元をすくわれますわよ」
「どういう意味だ!」
「これで伝わらないのなら、陛下に帝王学を教え込んだ前国王陛下が浮かばれませんね」
落ち着きを取り戻した私は、そういってスタスタと窓際に寄る。
極刑を言い渡されているのに、泣きも喚きも許しを請いもしない私が気にくわないのだろう。
陛下は悔しそうに唇を噛む。
「男爵家の出身のくせして、偉そうに……! 少しは男に媚びへつらったらどうだ」
「お断りします」
「だが、私は心優しい国王だ。もし今お前がここで泣けば、心が痛む。生涯幽閉に変えてやらんでもない」
その言葉にギョッとした表情をしたのは、執事のほうだ。
そうでしょうね。ソヴァル陛下は、いつだって国民に「慈悲深い!」と称えられることが快楽なんですから。
私を処刑してしまっては、地位と名誉は確定するけれど、快楽はなくなってしまいます。
「へ、陛下! どうか考え直しください! これ以上王妃を野放しにすると、そろそろ国民にボロが……!」
「執事長は黙ってろ!」
そんなやりとりをする二人を見て、私は思わず笑ってしまった。
すぐに、ソヴァル陛下が怪訝な顔をする。
「なにがおかしい」
「いえ。ただ、本当に貴方様は何も見てこられなかったのだな、と」
「なんだと? 処刑を聞いて、気でも触れたか」
「いいえ」
私は窓を開け、近くの椅子を使って窓枠に立つ。
「シルビア……?」
「だって、私……ずっと前から、この結末を知っていましたから」
そういって、私は窓から身を投げた。
侍女の悲鳴が聞こえる。流石のソヴァル陛下も、顔を真っ青にしていた。
「シルビア!!」
どんどん自室の窓が遠くなる。
もうすぐ地面だろう。というとき、私に襲い掛かったのは身を割くような痛みではなかった。
ポスンッ、と音がして、体の衝撃は柔らかな素材によって抑えられる。
「流石、王妃殿下。時間ぴったりですね!」
私が落ちたのは、窓の下で待機していた荷馬車の上だった。山のように藁が詰まれ、白いシーツで覆われた大きな荷馬車。
その荷馬車を引くは、王国騎士団の騎士団長である。
「もう王妃ではないわ、ルディ」
ルディ・フェイト。男爵家の出身でありながら、たった二年で騎士団長に上り詰めた男だ。
──彼との話は、二年前に遡る。
◆
「やっぱり俺が直々に交渉を……! 君の家の借金は俺の父が肩代わりすると、そう何度も進言していたじゃないか!」
「ダメよ、ルディ。もう決定したことなの」
一カ月後には王宮への移動を控えていた私の元に、幼馴染であるルディがやってきた。
彼は、私の政略結婚が不服だとして、どうにか覆せないかと苦悩していた。
「だって、君には夢があっただろう! 世界を旅したいって! そう言ってたじゃないか!」
「王妃として外交をするのであれば、似たような機会はあるはずよ」
「あんな下劣な国王が、君にそんなことさせるわけがない!」
そうだろう。もしかしたら、こうして木々の豊かさに触れられるのも最後かもしれない。
目を伏せかけた私に、ルディは言葉を続ける。
「シルビア。今更かもしれない。でも、俺はずっと君を……」
「ルディ」
諭すような私の声に、ルディはハッとした顔をする。
「ありがとう、ルディ」
「……君はいつだって卑怯だ」
そうかもしれない。
幼馴染として、いつも一緒に育った。思春期になって、少しだけお互いのことを異性として意識し始めた。きっとこの世界のどこにでもある、よくある話。
彼の想いは知っている。
そして、知らないふりをする私は、ソヴァル陛下が仕立て上げたいと企んでいる悪女の才があるのかもしれない。
泣いてはいけない。
縁談の話が来たとき、心に決めた。
家族を守れるのなら、私は夢も希望も恋も捨てられる。
陛下の計画通り、世界中の人が私を悪女だと罵っても。
たった一人、私の心を灯してくれる人がいるなら、それでいい。
立ち去ろうとした私に向けて、ルディは大きな声をあげた。
「俺は諦めないからな!」
振り返ると、彼は何かを決意した表情をしていた。同い年だというのに、この一瞬で彼から幼さが消えてしまったようにも見える。
「君がどれだけ手が届かないところに行っても、俺は必ず追いつく! 君の隣を許されなくても、生涯守り続ける!」
真っすぐな声は、私の鼓膜を抜け、心臓を震わせた。
泣かないと、決めたはずよ。
自分の人生の価値は、自分で決めるものなの。
自分で悲惨だと思ってしまえば、悲惨な価値にしかならず。
自分で理想的だと思えば、理想的な価値になる。
私は、自分の人生が誰かの策略の上にある程度の価値だなんて、絶対に認めないわ。
「……待ってるわ」
声が震えないように。顔を見られないように。
そう返すのが、精一杯だった。
◆
宣言通り、ルディはたった三か月で騎士団の入団試験に合格した。
とはいえ、才能を認められなければ宮廷直轄の部隊には配属されない。
ルディは、特段騎士として見張る才能があるわけではなかった。
それでも、仲間から止められるほどの努力を重ね、一年後には宮廷直轄部隊へ配属されることがきまった。
同じ宮廷内でルディの顔を見られるようになったころから、彼は私の腹心として活躍するようになる。
行動が制限されている私の代わりに、宮廷内の情報を集めてくれ、
敵国のスパイがいる可能性や、隣国で起きた悲惨な情報を伝えてくれた。
ソヴァル陛下にはこれっぽっちも気はないけれど、私は王妃。
なんの罪もない国民を追い詰めることはしたくないと、ルディの情報を元に宮廷内で蔓延る不穏を排除し続けた。
そして、あえて。
私が悪事を働いたとして、ソヴァル陛下に申告する役目を担わせた。
案の定、ソヴァル陛下はルディを高く評価した。自分にとって王妃のネタを提供してくれる、優秀な騎士として。
小さな積み重ねが功を奏し、ルディはついに、ソヴァル陛下直々から騎士団長の名誉を受ける。
私の行動が悪事ではなく、有益なものだと。執事長が気づくのは分かりきっていた。
気づかないのは、ソヴァル陛下だけだ。
そろそろ私を排除したがっているだろう、と数カ月前に教えてくれたのもルディだ。
なので、私たちは……国外逃亡計画を立てることにした。
「騎士団長が手を引いている! 反逆だ! 追え!!」
窓の下の光景を見て、ソヴァル陛下は真っ先に声を上げる。
さっそく、遠くからいくつもの馬が走ってきているのが見えた。
「あら。荷馬車で逃げられるのかしら」
「任せろよ、シルビア。この国に、俺の馬に追いつける者なんて一人もいない」
言葉通りだった。
追手は単騎だというのに、どんどんルディとの距離が離れていく。
町の大通りを抜ける際は、国民が何事かと注目したが、風のように駆け抜けてしまったため、声までは聞こえない。
馬の持久力は通常、トップスピードだと5分が限界だと言われている。
ルディの馬はそれをゆうに超えてしまうので、街を抜ける頃には常歩に変更しても追手が追い付くことはなかった。
丸二日の移動後、私たちはついに国境を抜ける。
「流石に時間がかかったな」
「ふふ。これで時間がかかったというのなら、少し生き急ぎすぎよ」
移動の途中で揃えた物資でキャンプをしつつ、私は周りの森林を見渡す。
「……懐かしいわね」
幼いころ、ルディと一緒に狩りを楽しんだ。
宮廷では見ることのない緑溢れた景色が、ようやく私に「解放された」という実感をくれる。
「友好国に逃げては、もう指名手配が回ってるかもしれない。あえて敵国側に逃げてみるか?」
「いいえ。どこにだって自由に行けるわよ」
私の言葉に、ルディは首を傾げる。
「だって、私。どこの誰とも会ったことがないもの。私を籠の中の鳥にした陛下の失態ね」
クスッと笑って見せる。
そう、宮廷の者ならまだしも、他国で私を王妃だと認識できる者はいない。
でも、念には念を入れなければならない。
私は買ってきたものの中から、小さな短剣を手に取る。
「ルディ」
彼を呼んで、短剣を差し出した。
「髪を切って頂戴」
王妃時代は切ることのなかった、ブロンドの長い髪。
こんな立派に伸ばしていては、町娘を演じるに支障が出てしまう。
ルディは、少し戸惑ったような顔をした。
「俺は女性の髪を切ったことなんて……」
「あら。じゃあ、一人でやろうかしら。きっと、ガタガタになって余計に目立ってしまうわね」
「君は……本当にズルいなぁ」
十分ほどして、ルディが手鏡を渡す。
鏡を見た私は、思わず笑いを零してしまった。
「だから言っただろ! 俺は器用なことは苦手なんだ」
「違うわ、ルディ。……貴方の中の私は、ずっと変わらないままなのね」
鏡の中にいた私は、肩上までのボブカットをした少女だった。
ブルーの瞳は、少しだけ潤んでいる。
紛れもなく、結婚前の私の姿だ。
鏡を見続けていると、ルディが私の頭を撫でた。
「今も変わってないよ、シルビア。俺が守るから、世界中を旅しよう」
その日から、逃亡という名の旅が始まった。
言語の違い。文化の違い。食の違い。
この目に映るすべては新鮮で面白く、苦しかった過去を忘れさせてくれた。
私たちが一番楽しみにしたのは、訪れた国の市場にある掘り出し物市だった。
その国で得たものを、別の国で売る。旅にはお金が必要なので、次に向かう国の商人が好きそうなものがなんなのか、ルディと話し合う時間が楽しい。
「シルビア。この首飾りとかどう? 結構年季が入ってそうだよ」
「ふふ。ルディ、それは贋作よ」
「ええ!」
私はルディが欲しいといったネックレスを指でなぞる。
「紋章は有名な寒冷国を表しているけれど、チェーンの素材が違うわね。あの国でゴールドは採れないはずよ」
「流石、詳しいなぁ」
「いらない贅沢も、たまには役に立つものね」
そんな話をしていると、丁度私たちの隣にいた客の会話が耳に入る。
「ぜーったい、こっちのほうがいいわ!」
「だめです! この後、ちゃんとした仕立て屋が来ますから!」
「嫌よ! アタシはこっちのドレスで誕生日パーティーをしたいの!」
ツバの大きな帽子をかぶった、二人の女性だ。一人は私とそう歳が変わらないように見えるけれど、もう一人は明らかに少女。
どこか気品のある二人が言い争っていれば、どうしても意識が向いてしまう。
「お願いします、リリィ様。こんな場所で買い物はやめてくださいませ!」
その言葉が気になって、私はつい声をかけてしまった。
「あら。こんな場所でも、意外に良いものはあるわよ」
突然声をかけるものだから、二人は驚いた顔をした。私は構わず、彼女たちのそばに寄る。
「お嬢様が持っているドレス。とても素敵だわ。四季のある国で作られたものね。蚕が良く育つから、とてもいい生糸が採れるの」
「そうなんですか……?」
「ええ。保存状態もいいし、染め色も年齢に良く似合っている。誕生日にはぴったりのドレスよ」
私の評価を聞いた少女は、「ほらみろ」と目を輝かせる。
「おねぇ様、凄い! 私の目は間違ってないってことね!」
「ええ。将来はきっと、どんな偽物にも騙されない、素敵な女性になれるわ」
「おねぇ様みたいな!?」
ニコッと笑みを返す。
するとリリィと名乗った少女は、私の手を握った。
「おねぇ様! どうか、明日の私の誕生日パーティーに来て下さらない!? お母さまにも素敵な女性がいたと紹介したいわ!」
「もちろんよ」
彼女たちが何者かも知らずに、つい了承してしまった。
渡された招待状を見て、私はクラッと立ち眩みがした気がした。
ルディも同じで、目を大きく見開き、見たこともないくらい唖然とする。
──アジール王国、リリィ第一王女殿下誕生日パーティー。
◆
アジール王国。代々、女性が王座に就く珍しい国でありながら、豊かな国土と平和主義によって先進国に名を連ねる国の一つである。
リリィ王女殿下が言っていた「お母さま」とは、つまり女王陛下のことであり……。
「……ルディ。本当に大丈夫かしら」
「だ、大丈夫。とても似合っているよ」
久々に引っ張り出した、会場に相応しい正装。ルディも慣れない燕尾服に身を包みながら、私と二人で会場の入り口に立っていた。
「はあ……私、社交界に行ったことないのよね」
「シルビアがそうなら、俺だって剣と筋トレしかしたことない」
まあ、私より緊張しているのはルディのほうか。と、改めて背筋を伸ばす。
「せめて、堂々としていましょう」
「君は肝が据わるのが早いな……」
そうと決まれば、足を会場内へ進める。
私とルディが歩くたびに、周囲から感嘆が漏れた。
「ほう……。なんと麗しいお方だ」
「リリィ様はあのような気品ある方ともお繋がりなのか。流石、我が国の王女殿下だ」
「燕尾服の男も、あれは騎士の成りだ。相当手練れに見える」
「髪が短いのが勿体ない」
どうやら、第一印象は悪くなさそうね。
私たちは、奥で豪華な椅子に座っているリリィ王女殿下と、隣に座る女王陛下の前に出る。
「お誕生日おめでとうございます。このたびは、お招きいただきありがとうございます」
「来てくれて嬉しいわ!」
リリィ王女殿下は、すぐに女王陛下に顔を向ける。
「お母さま! この方が、リリィのドレスを選んでくれたの!」
王女殿下と同じ白い髪色の女王陛下は、柔らかな笑みを浮かべる。
「素晴らしい目を持たれた方ですね。お名前は?」
「シルビア・アンドレットと申します。隣に控えるは、私の従者です」
「そう。シルビアさん。娘が気に入ったのであれば、私もぜひ貴女と友好を築きたいわ」
「光栄にございます」
よかった。爵位を名乗らなかったのを不快に思われるかと思ったけれど、そこまで深くは言及されなそうだ。
挨拶が済めば、あとは帰ってもいいだろう。
下がろうとした私たちに、女王陛下が小さく呟く。
「名がないのではなく、名乗れないと見えるわ。ただの町娘には思えないのだけれど」
心を見抜かれた気がして、ドキッと心臓が鳴る。
「私の目に狂いがあって、勘違いなのかしら」
いいえ。女王陛下の目は正しくございます。とは、返せず、愛想笑いで済まそうとしたときだった。
「……シルビア?」
すっかり忘れていた声が、私たちの背後から聞こえる。
振り返れば、挨拶待ちをしていたソヴァル陛下だった。
あまりにも唐突すぎて、疑問は浮かぶが声が出ない。
私たちの空気感を見た女王陛下は、リリィ王女殿下に話しかける。
「リリィ。リベア王国の方もお招きしたの?」
「違うわ、お母さま! でも、来たいって毎日連絡がきたの! もう、嫌になっちゃって招待状出しちゃっただけよ」
「そう」
「……お叱りは嫌よぅ」
「違うわよ。我が娘ながら、感心したのよ」
女王陛下らの会話を片耳に、ソヴァル陛下は肩を震わせ、私に向かって指を差した。
「こ、この女をひっとらえろ! 我が国の反逆者である!」
ああ。なんてことを。
ここは、他国のパーティー会場。まるで自国であるかのような振る舞いをするのは、どんな理由であれ国の評判を落とすというのに。
自国でないので、当然動く護衛はいない。
というか、この人……従者の一人も付けずに来たの? 外交のやり方を知らないの?
私のドン引きにも気づかず、ソヴァル陛下は大々的なスピーチを始める。
「この女は、私の元王妃だ。国の情報を盗み見、国外へと逃亡した悪女だ!」
ざわざわ、と会場が騒めく。
私は彼を止めるより、反論するより先にリリィ王女殿下の前に膝を突き、彼女の耳を塞ぐ。
「申し訳ございません。リリィ王女殿下。愚か者のせいで、貴女様の晴れの日に泥がついてしまいました」
リリィ王女殿下は、泣くまいと必死に涙を堪えている。楽しいはずの誕生日会で、知らない男が大騒ぎすれば、傷ついて当然だろう。
「だ、大丈夫よ……おねぇ様……。アタシは、将来女王になるの。だから、泣かないの」
「素晴らしいお考えです」
怒る、とは多分このことだと思う。
自分勝手な振る舞いしかできない男に対して、こんな小さな子のほうがこれ以上騒ぎにならないようにとしている。
ソヴァル陛下……。なんて、なんて身勝手なの。
私は怒りのままに立ち上がり、積もり積もった感情でソヴァル陛下に体を向ける。
「ソヴァ……」
「変ねぇ」
口を開きかけた私より先に、声を響かせたのは女王陛下であった。
「私が聞いていた話とは、ずいぶん違うようね」
「何をおっしゃいますか! 私はアジール王国と友好を結びたく参った身。嘘などついておりません!」
「あら。私は嘘、なんて一言も言ってないけれども?」
女王陛下の言葉に、ソヴァル陛下の顔が青ざめる。
「リベア王国は現在、王妃の不在によって国民から強い非難を浴びていると聞いているわ。毎日のようにデモが起き、王室への批判が止まらない……と」
「そ、そのようなことは……」
「国政のほぼすべては、王妃が担っていたのよね。世間には悪女と呼ばせ、内では寝る間もないくらいの仕事を押し付ける」
「か、彼女は望んでやっていて……」
「おかげさまで、現国王は政治の回し方一つ知らない愚王だと。世界中で有名なこと、ご存じでなくて?」
堪らずクスッと、隣のルディが笑いを零した。私は「真面目な場面よ」と、肘で牽制する。
でも、周囲もルディと同じで、そこら中からクスクスと聞こえる。
「大変よね。たった数カ月にして、友好国は一つもなくなってしまったと聞いているわ」
「ま、間違いです……」
「だから、こうして幼い王女のパーティーを通して、我が国と友好を築かなければ、国の暴動が収まらないのよね」
女王陛下の柔らかな物言いの中には、隠しきれない怒りが見えた。女王である以前に、娘を泣かせた母としての怒りだ。
きっとソヴァル陛下は、いつものように「私が悪い」と言えば、思うように事が進むと思ったのだろう。
自分のことばかりしか考えないから、こうして失敗しかできない。
ソヴァル陛下は、しばらく黙り込み、突然顔色を変えて私に笑みを向けた。
「いやあ、私としたことが、勘違いしていたようです!」
「……はい?」
私は思わず、首を傾げる。
「実は、王妃と痴話喧嘩をしてしまいまして。ずっと、拗ねた妻を探していたのです!」
「……はあ?」
「世間にあるような評判は嘘ですよ! 私たち夫婦は愛し合っていますから!」
な? と言いたげにソヴァル陛下は私を見つめる。
もう、このどうしようもなくなった自分の立場を、私が収めろと言いたいのだろう。
まあ、お断りですが。
「先に私を愛さないと宣言されたのは、陛下のほうですが?」
耐えきれなくなった周囲は、ヒーヒーと笑い声をあげる。
どっちが嘘つきかなんて、わざわざ弁明しなくても明らかだ。
ソヴァル陛下は顔を真っ赤にして、肩を震わせる。
今日は王女殿下の誕生日会。各国の要人が集まっているので、ソヴァル陛下の醜態は明日にも世界中に広がるだろう。
私は再び王女殿下に声をかける。
「リリィ王女殿下。申し訳ございません」
「謝らないで、おねぇ様。それに……お母さまがかっこよすぎて、アタシ、もう全然悲しくなくなっちゃった!」
この心意気こそ、未来の女王に相応しい。
私は笑みを浮かべ、ルディと共に会場を後にしようと歩き出す。
ソヴァル陛下には目もくれず、立ち去ろうとしたが……
「……私をこんな目に遭わせて……許さない」
異様な悪意を感じて振り返れば、ソヴァル陛下が鬼の形相でこちらに向かって詰め寄ってきていた。
彼の手が私に触れようと伸びる。
「女のくせにっ……!」
「失礼ですが。これ以上彼女を愚弄するのは許しがたい」
罵声を上げかけたソヴァル陛下の前に割り込んだのは、ルディだった。背が高いせいか、ソヴァル陛下はルディに見下ろされる形となる。
普段のルディとは全く違う、温度のない冷徹な瞳にジッと見つめられ、陛下はタジタジと後ろへと下がった。
この剣士には勝てない、となけなしの男の本能にでも触れたのだろう。
「今後一切、シルビアに近づけると思わないでください」
「貴様っ……」
緊迫感が奔る中、女王がふいに片手を上げた。
「女のくせに。その言葉は、アジール王国を馬鹿にされていると受け取ってよろしいでしょうか?」
ここは女王が治める国。周囲からも笑いが消え、冷ややかな視線がソヴァル陛下に向けられた。
ソヴァル陛下は焦った顔をして、弁明を始める。
「違います! 女王陛下!」
「お帰り下さい」
が。何をいう間もなく、ニコリと微笑んだ女王陛下の一言によって、退場を余儀なくされてしまった。友好を築くどころか、未来永劫振り向きもされないに違いない。
なんと愚かな人なんだろう。今頃、城で陛下を探し回る執事長の泣き顔が目に浮かぶようだ。
陛下が逃げるように退出する様子を見守っていた私の頬に、暖かい手が触れる。
「シルビア。怪我は?」
いつもの、優しい瞳をしたルディだ。
「ないわ。それより……」
「それより?」
私を守ろうと立つ貴方の背中、とても美しかったわ。……とは言わず。私はクスっと笑う。
「いいえ。私たちも帰りましょう」
そうだ。ルディはずっと、幼い時からずっと私を守ってきてくれた。
二人で悪戯をして怒られる時も、私を庇うようにして立ってくれたし。森で小さな蛇を見つけた時も、私を守るように立ってくれた。
私は……そんな貴方の背中が好きだったんだわ。
◆
この国にとどまるなら、市民権を。との好意を断り、私たちはアジール王国を後にした。
誕生日パーティーが騒ぎになってしまったことに対して、リリィ王女殿下は「すっごい楽しかった! また悪者をやっつけたい!」となんとも無邪気な前向きさを見せていた。
将来化けるのが楽しみだ。
いつも通り、荷馬車に乗って森の中を移動していたが、ルディに元気がない。
「どうしたの? ルディ」
「ああ、いや……」
具合でも悪いのだろうか?
ついには馬を止めたルディを心配していれば、彼の小さな声が聞こえた。
「あんな愚王の言葉だと分かっていても、俺は一瞬……嫉妬した」
「嫉妬?」
「その……愛し合っていた、と」
あれは、ソヴァル陛下がついた嘘だ。
でも確かに、ルディは私たち夫婦がどんな契約結婚を送っていたか知らない。
私は口角を上げる。
「ルディ。私は、嘘をつかないわよ」
「え?」
「陛下は私を愛さなかった。それ以上もそれ以下もないわ」
意味が分からなかったのか、しばらくルディは固まる。しかし、次第に顔がゆでだこのように真っ赤になった。
「し、るびあ……」
「さあ。旅に出ましょう、ルディ……これからも隣でずっと一緒に」
どんな世界が訪れたとしても。
どんな未来が待っていたとしても。
世界でたった一人の、愛した貴方が灯してくれる道を歩んで行きたいわ。
【大事なお願い】
いい話だった。ああ、もっと読みたかった!そんな風に思って貰えるよう、一生懸命書きました。
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