03 婚約者
「ルイシャ、体調はどう?」
数日後の午後、婚約者のカイン・エイデルがコルトン侯爵家を訪れた。
「カイン様、こんにちは」
前世の記憶を思い出してから連日、ルイシャは出される食事を頑張って食べていた。まだ固形物はほとんど食べられないが、スープや柔らかく煮込んだ穀物は頑張って食べるようにしている。体調により全部食べられない日もあったが、以前の食事量に比べると遥かに多くなった。もちろん薬湯も毎回飲み干している。何回飲んでも、あの独特な味には慣れないが、薬湯を飲んだあとには、ジェイスとカインが贈ってくれたキャンディを口直しに食べるのが、頑張って薬湯を飲み干したご褒美になっている。
「キャンディありがとうございました」
「気に入ってくれたみたいで、良かったよ」
テーブルに置かれた小瓶の中身が減っているのが見えたのだろう。「また今度来るときに買ってくるね」とカインは嬉しそうに表情を崩した。
カインとルイシャの婚約は幼少の頃に決まった。コルトン侯爵家とエイデル侯爵家は領地が隣接しており、昔から交流が深かった。祖父母の代の時に子供が出来たら結婚させたいと願っていたが、両家ともに子息だったため、その子供であるカインとルイシャに婚約の話が舞い降りて来たのだ。
しかし、ルイシャはとても病弱だ。死ぬ運命に頑張って抗っている真っ最中であるが、このように、いつ死んでしまうかも知れぬ者を婚約者としてしまって大丈夫なのか……これまで婚約解消の話が出ていないのが不思議なくらいだった。
いつも優しいカインのことは大好きだが、病弱な者を婚約者に迎える事になったカインに、ルイシャはずっと申し訳ないと罪悪感を持っていた。
「前に来た時よりも調子が良さそうだね」
今日は少し調子が良かったため、窓際の椅子に座りカインを迎えていた。ルイシャがベッドに寝ていない事の方が珍しいため、部屋に入って来たとき、椅子に座るルイシャを見て、カインは一瞬目を丸くして驚いていた。
これまでもカインはルイシャを度々訪ねて来てくれていたが、まともに対応が出来たことはなかった。ベッドから降りる事も出来ず、すぐに疲れてしまうため、長時間一緒に過ごす事はなかった。婚約者と会うというよりも、“見舞いに来てくれた”と表現した方が正しい。
「カイン様から頂いたキャンディをご褒美に、毎日薬湯を頑張って飲んでるんですよ」
「そっか、あんなに嫌がっていた薬湯をきちんと飲んでいるんだね。偉いよ。頑張れるように、また何かご褒美を用意しないとね」
「そんな、お気遣い……申し訳ないです」
「僕がしたいだけだから、気にしないで。ルイシャに元気になって欲しいんだ」
そうやって、ルイシャの頭を優しく撫でるカインの手は兄と同じ温もりがした。
「ありがとうございます。あの、カイン様」
「なんだい?」
「もう少し元気になったら、一緒にお庭を散歩したいです」
目を瞬くカインに不安になる。
(変な事を言ってしまったかしら?)
「ダメ、ですか?」
「そんなことないよ」
ルイシャの不安そうな声に、カインはルイシャの手を両手で優しく包み込むように握った。
「君からお願いされたのは初めてだったから……嬉しいよ」
そういえば、ルイシャからカインに何かをお願いしたのは初めてだった。いつも申し訳ない気持ちばかりで、何かをお願いしようと思う事はなかったのだ。俯いてばかりで、こんな風にカインと目を合わせて話す事もほとんどなかったと、気がついた。
カインの瞳は琥珀色で、少し下がった目尻に優しさが滲んでいた。まだ少年特有の幼さが残るが、乙女ゲームの攻略対象者だけあって大変整った顔立ちをしている。学園でもモテるに違いない。
「もう少し起きていられるようになったら庭に行ってみよう。どの季節でもお花が沢山咲いていてキレイだよ」
「ふふっ」
カインの台詞に、ルイシャは小さく笑う。
「ルイシャ?」
「カイン様の方が、この家のお庭に詳しいから、なんだか面白いなって思って」
「確かにそうだね」
ルイシャの指摘に、カインもクスクスと一緒に笑う。
今は窓から眺めるしかない花に彩られた庭を、カインと一緒に散歩する自分を想像してみて、ルイシャの気持ちが高揚する。
「じゃあ、約束だ。ねえルイシャ、庭だけじゃなくって君の知らない場所に沢山連れて行ってあげる」
「はい」
カインの差し出した小指に、ルイシャは自分の小指を絡め指切りをする。
カインと交わす、初めての約束にルイシャの胸がドキドキと速くなる。
(始まりは家同士が決めた婚約だけど、私……カイン様の事が好きだわ)
心に灯った淡い光は、ルイシャの胸を温かくさせた。