14 告白
「はぁっ、はぁっ」
小走りで生徒会室から出たルイシャだったが、すぐに呼吸が上がってしまい、トボトボと廊下を歩く。思い通りに走れもしない体が憎い。
『季節の変化くらいで体調を崩さないように、もっと健康に気を付けないと』
クロエの言葉が頭の中に刻みついて離れない。
乙女ゲーム開始前に死んでしまうと知った時から、「死にたくない」と努力してきた。今だって寝込まないように努力しているつもりだ。
クロエが意地悪であんな事を言ったのではないことは分かっている。
彼女と何度も言葉を交わしていれば分かる。思ったことをそのまま口にする性格だと言うことも、その言葉に棘がないことも理解していた。
しかし先程の言葉は、努力が足りないと言われているようで、これまでの努力がなかったことのように言われているようで、ルイシャは傷付いたのだ。
行き先を考えずに無心で歩いていると、いつの間にか校舎を出て、温室の前にいた。
乙女ゲームで温室の模様替えができる仕様があったが、ルイシャは入学式のあとに校内案内で立ち寄っただけで、温室に来たことがなかった。
何となく興味が湧いて、温室の中に入ってみる。
「あたたかい」
一定の温度に保たれた室内は適度に暖かい。深く息を吸い込むと瑞々しい植物の香りに、乱れた呼吸と気持ちが少しだけ落ち着いた。
窓際に設置されたベンチに腰掛け、ルイシャは息を整える。
(以前に比べれば健康になったけれど、やっぱり私は弱いままだわ……)
死にそうな幼少期に比べれば、とても健康になった。周囲の者たちも、あの頃のルイシャを知っているから「健康になった」と思ってくれている。
けれど、あの頃のルイシャを知らない者から見れば、ルイシャは病弱な令嬢だった。自分では普通の令嬢と変わらないくらい健康になったと思っていたが、ルイシャのように頻繁に体調を崩して学園を休む者は居ない。
(今だって少し走っただけで、こんなにフラフラになるんだもの)
一度落ち着いてきた気持ちが、また沈んでいく。
(私みたいな病弱な人間が婚約者だから、カイン様にもいつも心配をかけてしまってる)
いつも寝込むと会いに来てくれたり、元気になるようにと贈り物をくれたり、ルイシャのことを大事にしてくれている。
嬉しい。
この先もずっと一緒に居たい。
だけど、心のどこかで申し訳ないという気持ちもある。
(もっと健康な子が婚約者だったら、カイン様も心配せずにいられるのに……そう、ルーキンさんみたいに、元気な子なら)
カインとクロエが一緒にいる場面が脳裏に浮かぶ。ゲームのスチルで見た二人はとても幸せそうだった。
それは、ルイシャが前世を思い出さなければ、訪れていたかもしれない未来。
(私の存在がカイン様を不幸にするかもしれない)
これから先も、ルイシャは度々寝込むだろう。結婚しても、この弱々しい体では子供は産めないかもしれない。
カインと幸せな家庭を作れないかもしれない。
「……っ、うっ」
嗚咽が込み上げ、ルイシャは両手で顔を覆った。息の仕方を忘れたようにヒクッと体が揺れる。
「ルイシャッ!」
焦った声で名前を呼ばれ、涙に濡れた顔をあげると、息を切らしたカインの姿があった。
「カ、インさま?」
「ルーキンさんに、ルイシャが走って出ていったって聞いて……どうしたの?何か悲しいことがあった?」
カインが手を伸ばし、ルイシャの頬を伝う涙を拭う。
クロエにルイシャが出ていったことを聞いて、すぐに探しに来てくれたようだ。
優しい、優しいルイシャの婚約者。
(この優しさを私が独り占めしても良いの……?)
ルイシャは顔に添えられたカインの手をソッと握る。
「カイン様、私……カイン様の婚約者で良いんですか?」
「どうしたの急に?」
カインは驚いたように目を丸くしてルイシャを見る。
「だって、私じゃカイン様を幸せにしてあげられないんです。すぐに寝込んでしまうし、結婚しても妻として社交界に出てカイン様を支えることができないし、こ、子供だって産めないかもしれない……そう考えたら……っ」
目の前のカインの姿が揺らぐ。
カインの登場で一度は引っ込んだ涙が再び溢れてきた。
「ルイシャ」
カインがルイシャを抱き締め、優しく名前を呼ぶ。
聞き馴染んだ穏やかな声は、ルイシャの乱れた心を落ち着かせてくれる。
「実は、まだ僕たちが幼かった──ルイシャがベッドから起き上がれなかった頃にね、君の両親から婚約を継続しても大丈夫なのか、祖父同士が決めたこととは言え、ルイシャの体調は安定しないから婚約を解消するべきなのではって確認されたことがあるんだ。でも、その頃から僕は君以外を婚約者にする気はなかった。だから、婚約解消しなかった」
「え?」
両親がカインに婚約解消について話をしていたことは、ルイシャにとっては初耳だった。
「婚約の継続を決めたのは僕の意思だよ。それに僕は三男だからエイデン家は継がないし、社交界に出る必要もないよ。近々両親に相談しようと思っていたんだけど、コルトン家に婿入りしようかと思ってるんだ。そうすれば君の両親もジェイスも安心だろうしね。子供は居なくても僕は君がいれば幸せだよ。どうしても欲しくなったら、養子を迎えて二人で慈しんであげようって思ってる」
予想外の具体的な未来予想図に、ルイシャの涙はいつの間にか止まっていた。
「カイン様は、私で良いんですか?」
「ルイシャじゃなきゃ駄目なんだよ」
間髪入れずに答えたカインは、ぎゅっとルイシャを抱き締めた。
トクントクンと少し早めの鼓動が聴こえ、これが夢じゃなくて現実なのだと実感する。
「ありがとう、ございます」
「ルイシャは?ルイシャは僕以外が婚約者でも良いの?」
「私も……私も、カイン様が婚約者じゃないと嫌です」
自分は婚約者に相応しくないと思った。だけど、自分ではない誰かがカインの隣にいるのは本当は嫌だった。
「良かった」
ルイシャの返事に、木漏れ日のように温かい笑顔を浮かべたカインがもう一度ルイシャを強く抱き締めた。