こちら警視庁、魍魎対策課!
……ここは警視庁、捜査五課。
捜査一課は殺人・強盗・強姦等の犯罪担当。捜査二課は詐欺・横領・贈収賄等の知能犯罪担当。捜査三課、空き巣・忍び込み等の窃盗事件担当。捜査四課は暴力団関係の事件担当。
聞き覚えのない、捜査五課。それは、新設された部署だからである。時代が移り変わるに連れて、新たに生じた犯罪郡。それに対処するために、設立された新進気鋭の第五課。
別名……『魍魎対策課』である。
『新宿区、歌舞伎町にて酔っ払い同士の傷害事件発生。マルヒは霊体である模様。第五課の派遣を要請』
慌ただしくなる室内。控えていた捜査員達が、出動するのだ。
「あの、せっかくお茶を入れたんですけど……」
巫女服姿の女性が、ため息を漏らす。彼女は神宮寺みこと。この第五課、魍魎対策課が設立されると同時に、実家の神社の手伝いをしていた所を引き抜かれたのだ。
長く伸ばした黒髪、ぽややんとした可愛い系の顔立ち。歳は今年で二十歳。まだまだ若く、課の中では最年少という事でお茶くみやらの雑用を押し付けられている。
「そんなものはどうでもいい。今は事件の方が大事だ」
てきぱきと指示を飛ばす彼。伊集院隼人警部。第五課設立当初からのメンバーで、みんなのまとめ役でもある。いざ捜査ともなれば、魍魎対策課の係長としてその手腕を振るう。
「なぁ隼人、俺も行かなきゃ駄目か?」
年配の刑事らしき男が、弱音を吐く。
「相手は幽霊だそうです。矢部さんの出番もあるでしょう。急いでください」
「どうにも腰がいてぇんだよなぁ……」
ぶつぶつと文句を言いながらも、椅子から立ち上がる矢部と呼ばれた男。しかし、良く見るとその姿の不自然さに気がつく。両足のあるべきところに、何もないのだ。
そう彼、矢部政吉巡査部長は、幽霊なのだ。かつては敏腕デカとしてならした彼。そのあまりのハードワークに過労死した後、紆余曲折あって今では第五課の一員となっている。
「とりあえずは俺と神宮寺君と矢部さん、この面子で行ってくる。他の者は待機」
そして彼らは、新宿の繁華街へと飛び出した。
「幽霊が酒飲んじゃ悪いか、おう?」
歌舞伎町のど真ん中。大騒ぎする影。相当に酔っ払っている。
「どいつもこいつも、浮遊霊だからって馬鹿にしやがって……俺だってな、好きでふらふらしてるんじゃねぇんだよ!」
幽霊の存在が、社会に認識されるにしたがって、ある問題が持ち上がってきた。幽霊の人権の保障である。霊体である存在にも、生きている人間と同等の権利を求める。そうした運動が全国で活発になるにしたがって、国もようやく重い腰を上げ、幽霊達の保護に努め始めた。
しかし、事態はそううまくはいかなかった。浮遊霊よりも自縛霊の方が高等である、などの根拠のない噂。『妖怪』と呼ばれる物の怪の跋扈。なかなかに事態は深刻で。
それゆえに、操作五課の苦労は絶えない……。
「とりあえず君、署まで同行願おうか。それ以降の取調べ如何では……」
「なんだとコラ! テメエも浮遊霊だからって馬鹿にしやがるのか!?」
伊集院の前では、くだをまく浮遊霊……マルヒの姿。いわゆる被疑者である。彼が今回、傷害を起こしたというのだが……その相手……マル害……いわゆる被害者の姿は、どこにあるのだろうか?
そう考えた矢部は、辺りをくまなく調べる。するとそれは……いた。屋台の下に小さくなって震えている、一匹の子猫……。
「おい、隼人。こいつが被害者らしいぞ?」
その子猫を抱え上げる、矢部。霊体でも平気で掴めるということは、それはすなわち……。
「被害者は妖怪か……。その子猫、正体は猫又か何かか?」
「まあ、そんなところじゃねぇかと思うんだが……おい、大丈夫か? 怪我は酷いのか?」
するとその子猫は、矢部の手をすり抜けて道路に降り立つと……ポンッとその姿を変えた。
そう……一人の少女の姿に。それが彼女の正体かと、納得する三人。しかしその中で、神宮寺みことはいち早く、少女の腕の傷に気付く。それなりには深い傷であるのか……出血はなかなかのもの。
「はわわ、応急手当します! 痛かったら、ごめんなさい!」
そして神宮寺みことは、その少女の傷に手をかざす。ぽやぁっと暖かく、柔らかな光が、その傷を包み込む。そう……霊体や妖怪には、通常の治療では効果が薄い。故に、彼女のような『特別な力』が必要になるのだ。
そして少女の傷は、なんともなく塞がり……流れた血は、みことが完全にハンカチで拭い去った。これでようやく、被害者の治療は終わった……となれば。
「現時刻を持って、君を逮捕する。今後一切の言動は、魍魎裁判での証拠に繋がるため、認識し自覚しておくように。では、行くぞ」
「あ、おい! ちょっと待ちやがれ!」
しかしそんな被疑者の幽霊の手には、がっちりと特殊手錠……ヒヒイロカネ製の手錠がはめられ……連行されていく。
その姿を、ぼぅっと眺める猫又の少女に、神宮寺みことは何か変なものを感じて、思わず見入ってしまう。だが、それもつかの間、伊集院に促され、被疑者の護送の手続きに入るみこと。
その後姿を、いつまでも少女は見送っていた……。
……場所は変わって、署の取調室である。そこで先ほど捉えた幽霊を、取り調べようという算段。しかし、幽霊はなにも口を開く様子はなかった。なにを言っても、自分が不利になると、そうわきまえているのであろう。
「しかし、現に目撃者も大勢いる。被害者の少女もだ。それでなにを沈黙する?」
伊集院がそう詰め寄るが、浮遊霊だと名乗った以外は口を開かない、被疑者。
「なにをだんまりを決め込んでいるのか知らないが、それでは立場が悪くなるだけだぞ! 吐け! 何がきっかけで、ああなった!」
「……」
黙る浮遊霊。そこへ、矢部が声をかける。
「なあ、俺も幽霊、こいつも幽霊だ。積もる話もあるし……しばらく二人っきりにしちゃくれねぇかな? なあ、隼人?」
「……わかった。よし、後は任せる」
そしてあっさりと、その場から引く伊集院。しかし、彼にはわかっているのだ。
取り調べのプロ、『仏の矢部』とは、彼の事を指すのだと。そしてその腕で、口で、被疑者の口を割らせるのは、容易いと。故に、後の事は任せても良いと判断したのだ。
そして、それは効果覿面であった。すぐに取調室のドアが開くと、矢部が中へ入るように促す。そして伊集院たちが中へ入れば、そこにはぼろぼろと涙を流す、浮遊霊の姿が。
「俺だって、浮遊霊だなんだって馬鹿にされりゃ……頭にもくるよ……! だからって怪我させちまったのは悪いって思うが……なぁ、そう思うだろ、矢部さん?」
「ああ、そうだなぁ。まあいい。これに懲りたら、反省してしっかりお勤めを果たして来るんだぞ?」
「すんません……矢部さん……!」
相変わらずの見事な手際だと、伊集院は目を細める。そう、こうやって彼らの役割は、きちんと分担されている。伊集院が締め上げ、その後で矢部が懐柔する。この作戦は、概ねうまく行くものだ。
しかし、これで事件が終わったわけではない。あの被害者の少女……置き去りにしてきたが、彼女の調書をとらなければならない。そして、それは……。
「神宮司君、君に任せた。うまくやってくれ」
「ははは、はいっ! お任せください!」
そして彼女は、あの屋台へと戻り……。そしてそこで、意外な話を聞く。
「あの猫の嬢ちゃん、最近この辺でふらふらしてるんだよ。うちも気安く餌をあげたりしてるんだが……懐かなくてな。困ってるところさ」
そういう風に、屋台の親父から話を聞く。つまりそれは、あの猫又の少女の居所は、あまり確定されていないということであって……。
「どうすればいいんですかぁ……!」
神宮寺みことは、大いに悩んだものだった……。
神宮寺みことの朝は、早い。朝一で実家の井戸で身を清めると、そのまま巫女装束に身を包み、きっちりと身だしなみを整えて……。
「行って参ります~!」
そうやって、実家を飛び出す。そして電車に揺られて、目的の警視庁まで。車内はぎゅうぎゅうづめの満員。苦労するみことである。
そして、列車がとある駅を通過しようとした時……それは起きた。急に列車がブレーキをかけたのだ。折り重なって倒れる、乗客たち。さてはこれは、列車への飛び込みか。そう判断したみことは、すぐに列車から飛び降りて……。
「す、すみません! 警視庁第五課のものです! 事件の詳細を……」
もしもこれが本物の人間の飛び込みならば、その直後に霊体が発生してもおかしくはない。そうなれば、そこから事情聴取するのが、みことの役割でもある。しかし、その事件は……ちょっと違った。
駅員達が取り囲むのは、一人の女性。しかし、列車に轢かれたはずなのに、ピンピンとしている。その表情は、酷く悲しげだ。何があったのか……すぐに駆け寄って、状況を尋ねるみこと。
そして、駅員曰く。
「彼女が飛び込んだのですが、ご覧の通りの有様で……しかも彼女、足が無いじゃないですか?」
そう、飛び込みをはかった彼女には、足がなかった。それはつまり、彼女はもうすでに死んでるということであって。
「あ、あのー? 何が、どうなっているんでしょうか?」
そう、飛び込みをはかった彼女に問いかける、みこと。すると彼女は、恨めしそうにみことを振り向いて。
「……死に足りない……。こんな事じゃ、私の恨みは晴れない……」
そんなことをのたまう。とりあえずみことは、駅長室に彼女を連れて行く事にして……さて。
「恨みが晴れないとは、どういうことなのでしょうか? よろしかったら、お話ください!」
そして飛び込み女幽霊の語る事には……。
「……二股の恨みを晴らすために、列車に飛び込んだ私は……それでも死んでも死に切れず……」
「ははぁ、怨念が残留していらっしゃるのですね?」
「……そして何度でも、死んであの男に復讐を……」
「ははぁ、復讐ですか。で、でもですね? それで列車を止めてしまうと、どういうことが起こるのかご存知ですか?」
みことは女幽霊に、くどくどと説教を始めた。
「もっとも頻繁に利用される路線……例えば山手線での飛び込みの損害額は、約五億円にもなるんですよ? そんな割に合わない復讐をして、何がどうなるものでもないですよね?」
「でも、私は……あの男に恨みを……」
「恨みを晴らすのは、軽犯罪に抵触しますのです! これは国会で決めたことなので、覆せません! なのですみませんが,わたしはあなたを連行しなければなりません!」
「連行、なんで……?」
「わたしが、警視庁第五課の刑事だからです! さあ、行きましょう!」
そしてみことは、まだぶつぶつと言う女幽霊に手錠をかけて、そのまま駅を後にした。
……そして今、警視庁の第五課、取調室にいる。
「はい、コーヒーです。よかったら、飲んでください」
みことの事情聴取は、あまりお世辞にも良いものとは言えない。しかし相手が女性であるし、理由も理由なので、彼女が適任だと伊集院が決めたのである。
「そして、お話をさせてください。その……恨みを持つに至った動機などを……詳しく」
「……それは……」
そして、女幽霊の語ること、しばし……みことは、両目に涙を浮かべて、その話を聞いていた。それほどまでに、悲惨で陰惨な出来事だと感じたのである。
しかしその実態は、別れ話がもつれて二股をかけられた、程度の事でしかなく、みことの感情移入の病が出ただけなのである。そういうところが、刑事としては二流なのだと伊集院たちは思う。
「えぇ、それはもうその男が悪いです! 絶対です! こうなればその男にも責任を……!」
そんなところで、伊集院たちが取調室に入る。そしてみことを席から引き剥がし。
「な、なにをするのですかぁ!?」
「君はいまいち刑事という職務を理解していないな。被疑者に感情移入してどうする。そもそも自殺したのは当人の責であって、我々がどうこう言えるものではない」
「し、しかしこのままでは彼女が浮かばれません! 成仏できません! 同じことを繰り返すだけです! だったら彼女の付き合っていた男性にも……!」
「それこそ、成仏できないのならば、反省するまで留置するだけだ。君の関わる事ではない」
「そ、そんなぁ~!!」
しくしくと泣き出す、みこと。そんな彼女をなだめる、矢部……。
「お嬢ちゃん、気にするでないよ。こういうことは、この仕事をやっていれば、いくらだって目にするのだから……さ?」
でも、みことには、やはり納得できないのであった。それが刑事の仕事だとしても……。
とりあえずの神宮寺みことの仕事は、あの時……傷害事件が起こった時の被害者の、猫又の少女を探し出す事である。それに至るまでに、思わぬ事件に遭遇してもらい泣きしてしまったまではよかったのだが、それで何が解決するわけでもなく。
とりあえずみことは、あの屋台を中心に、聞き込みを開始する。
「あの、このくらいの女の子を見ませんでしたか? その、猫又の女の子なのですが……」
しかし街行く人々は、『猫又』という単語を聞けば、露骨に顔を顰め、嫌そうな顔をする。
それだけ、まだまだ幽霊や妖怪などの魍魎は、現実社会に適応してはいないのである。
ついこの間、幽霊の国会議員が誕生したばかり、そんな時勢。これではなかなか協力を得るのも難しい……と、みことはその『視線』に気付いた。
じっと彼女を睨みつけるかのような、態度の悪い視線……。それは、敏感といっても差し支えない、みことの感性に障った。そこでみことは、そちらの方向を振り向いたのだが……。
「……はれ?」
そちらには、誰もいない? いやしかし、確かに視線は……と、そこでみことは気付く。
相手は人間ではない、妖怪なのだと。そうであれば、その姿は……。みことはそっと、その路地裏に近づく。そして手を差し伸べて……。
「怖くないですから、出ていらっしゃってください、ね?」
すると、そこからそっと現れる……一匹の子猫。にゃぁと鳴くと、みことの手を無視するように、ちょこちょこと歩き出す。その様に、みことは面食らった。まるっきり自分を無視する態度、これでは事情聴取も行なえない、と。
それでも何とかその後を追いかけて……そして、狭い路地裏へ。そこを子猫は軽く進んでいくが、仮にも大人の女性の神宮寺みことは苦労しながら進むしかない。
そしてゴミ箱やらをバッタンバッタン倒しながら、みことはその裏路地を抜けて……そこへ辿り着く。そう……一軒の、古びた家へ。
都会の只中に、面妖なことだと思うみこと。こんな街の中心地に、まだこんな家が残っていたことが驚きだと。しかし、それが空き家でないとするならば、誰が住んでいるのだろうか?
その答えは、すぐにわかった。子猫が敷地内に入ると、そこから一人の老婆が現れたからだ。
「あらあら、いらっしゃい。今日は早かったのね?」
「にゃぁ……」
老婆に抱かれて、家の中へ入る子猫。みことはすぐに後を追いかけて、そして呼び鈴を押そうかどうか、迷う。さすがに見も知らぬ人の家に、こうやって押しかけるべきものではないとはわかるのだが……それでも、事件の捜査のため、と。
呼び鈴を、押す。するとややあって、中から現れる老婆。
「……ええと、どなたかしら?」
「あ、その、警視庁第五課の、神宮寺みことと申します。その、こちらにお邪魔している子猫……猫又のお嬢さんの事で、お話が……」
「……あの子の?」
老婆はすぐに、みことを奥へと通した。そこは古びてはいるが、きれいに掃除の行き届いた部屋だった。そこで座布団を勧められて、みことはおっとりとその上に座り。
「あの、あの子はどちらに……?」
「今は、お台所じゃないかしら? お料理してくれるのよ、あの子」
「はあ……お料理ですか」
そういえば、先ほどからいい匂いがしてくると思ったら……と、みことの腹が、ぐぅと鳴った。思わず赤面する彼女に、老婆は微笑みかけて。
「よろしかったら、お昼を一緒にどうかしら? その、みことさん?」
頷くみこと。そして昼食を運んできた少女を見て……。
「あ、あの! 実はあなたに、お聞きしたいことがありまして!」
「……?」
少女は、不思議そうに小首をかしげた。
そして始まる、昼食。質素ながらも美味なそれに、みことは夢中になる。
これをあの猫又の少女が作ったのかと思うと、不思議な気もしたが……それは、彼女の腕がいいからだろうと、納得もする。しかし、この現状は、果たしてどういうものなのか?
傷害事件の被害者の猫又の少女。それを追いかけていて、偶然おかしな場所へ出てしまった。
そこには一人の老婆が住んでいて、そしてそこにあの猫又の少女は、自然に居ついている様子で……と。
「もしかして、こちらでその子を飼われているんですか?」
そのみことの問いには、老婆は首を振って。
「いいえ。でも、懐いてくれているのは、確かかしら?」
みことには、それ以上の事はわからなかった……。
話を聞いた限りでは、あの少女……名前はないらしい……を、偶然拾ったのが、出会いのきっかけ。それ以来、老婆に猫又の少女は懐いていて、そして何かと世話を焼いてくれるらしい。
それがどういうことか……よくわからないみこと。しかし、それでも。
「あの、その子が以前、とある浮遊霊に怪我をさせられまして……ですね?」
かくかくしかじかと、事情を説明する。すると老婆は、顔色を変えて。
「大丈夫、子猫ちゃん? 怪我の後遺症とかは、ないのかしら?」
「ああ、それでしたら、わたしが完璧に治療しましたので、大丈夫だと思います」
「そ、そう……」
ほっと息をつく、老婆。そして、ぺこりとみことに頭を下げて。
「この子がお世話になったみたいで……すみませんね。こういう子ですから、お礼も言わなかったんでしょうけど……代わりに、私が。ありがとう」
「い、いえ! お気になさらずに! これも仕事ですから!!」
「そういえば、お仕事ってなんでしたかしら? ええと……」
「警視庁第五課、です。主に魍魎犯罪に対処する部署でして……」
みことはそこで、自分の仕事を語って聞かせる。
「あらあら、それじゃあこの子に、事情聴取を?」
老婆の隣、じっと黙って座っている少女。その子に事情聴取をするにも、なかなか苦労しそうだと思うみこと。しかし、これも仕事なのであると、自分に言い聞かせて。
「あ、あの、お嬢さん? この間の事件の顛末などを、簡単でよろしいので、お聞かせ願えれば……」
「…………」
しかし、少女は黙ったままだ。なにも答えようとはしない。
「ごめんなさいね。この子、人見知りをするものだから」
「い、いえ! それはもう、こういう事には慣れていますから! その、辛抱強く、根気よく、事情をお聞きしたいなぁと!」
「そう……。じゃあ、子猫ちゃん? あなたの知っている事を、この人に話して聞かせてあげなさいね?」
「…………」
それでも、少女は黙ったままだ。ただじっと、みことの事を見つめている。
その沈黙が耐え切れず……みことは口を開く。しかし、その口から出たいかなる言葉にも、少女は反応しなかったのだ。
「申し訳ないですね。この子、少し意固地だから」
「い、いえ! それはもう、そういうのには慣れていますから! その、じっくりじわじわと、焦らずにお話を……」
かと思うと、唐突に席を立つ少女。そしてそのまま子猫の姿に『化ける』と、縁側のほうへ。
何があったのかとみことが見れば、ちょうどそこに……わずかながら、日光が差し込んでいるのだ。そこへ当って、日向ぼっこをし始める子猫。
本当に気まぐれなものだと、みことはため息をつく。
……結局、その日はなにも聞けずに夕方になってしまった。さすがに長居は無用であろうと、みことも席を立つ。そして、老婆に礼をして。
「あの、また来ます。そして次こそは、あの子に何かを話していただければと」
「そう……。でも、無駄かもしれないわねぇ……」
「いいえ、諦めません、勝つまでは! なので今日は帰ります。さようなら……ええと……」
「横井よ。ではさようなら、みことさん?」
そしてみことは、その家を後にする。なんとなく後ろを振り返れば、横井という老婆と少女が、並んでみことを見送っている。
その姿に、なんとなく手を振って……みことは、横井家を後にした。
そして、第五課。みことは、今日までの出来事を、伊集院勇人係長に話して聞かせる。
「ふむ、そうか……。ならば君は、しばらくその少女についていたまえ。少しは勉強になるだろうし……それに」
「それに、なんですか?」
伊集院は、それ以上は言わなかった。ただ、新米である神宮寺みことには、少しはこういう修練が必要だと思えたのだ。結局、刑事というのは、踏んだ場数がものを言う。そういう意味では、これもみことにはいい経験になると。
そしてその日から、神宮寺みことは、『浮遊霊傷害事件』の担当になる事が決まった。
おおよそのことは、当の浮遊霊が自白しているので、いまさらなのだが……それでも、手続き上、被害者の声は聞いておかなければならないのだ。
それが例え、魍魎なるものだとしても……人権のようなものはあるのだと。
そう、それこそは、欠かせない要素であった。魍魎の権利が主張されて、日が浅いというものの、それは無視できぬ要因として確かに存在する。
故に、彼らの声なき声を、聞く仕事が必要なのだ。それこそが、警視庁第五課の存在意義でもある。
だからこそ、彼らは今日も出動するのだ。そう、彼らいまだ弱者として扱われている者たちを、保護するために……。
その日も、神宮寺みことはあの家へと向かっていた。
あの家……横井なる老婆が住む、古びた家にである。
そこに行けば、あの少女……名前のない、猫又の少女に出会えると信じて……。そして、その期待通りに物事は進んだ。
「あら、いらっしゃい。ええと……」
「みことです! 神宮寺みこと! 警視庁第五課の神宮寺みことです!」
「ああ、そうだったわね。それで、今日はなんの御用かしら?」
「その、彼女と……」
老婆の膝の上で、昼寝をしている子猫を見る。どうやら完全に安心して身を任せているらしく、その様は愛らしくもある。しかし、みことにしてみれば、それは貴重な時間の浪費。
起こしても構わないのか……そう迷う。だが、事情が事情で、ここにやって来たのだからと、自分を奮い立たせて。
「あのー、子猫さん……?」
手を差し出す。するとその手は、ばりばりっと引っかかれた。慌てて手を引っ込めるみこと。どうやら昼寝の邪魔をされたのが、ずいぶんと気に障ったらしい。
それでも何とか目覚めてくれたのだからと、己を信じて、みことは彼女……子猫に声をかける。おずおずと、どこかおっかなびっくりと。
「あ、あのですね、子猫さん? この間の事件なんですけど……」
「……」
子猫は、にゃあと鳴いて、老婆の膝の上から飛び降りた。そしてとことこと歩き……台所へ。
「そういえば、そろそろお昼の時間ね。よろしかったら、ご一緒なさるかしら?」
「あ、それは……」
みことは、台所のほうを窺う。なにやら三人前の昼食を作っているらしい、少女の姿。
そこでみことも決心して。
「はい、その、お世話になります……」
少なくともこうして関係者と触れ合う事も、刑事として必要な事なのだろうと理解するみこと。それでもやや行き過ぎの感は否めないが、それはそれとして。
そして三人で……いや、正確には二人と一匹で……昼食をとる。
相変わらず質素だが、それでもおいしいと感じる食事に、みことは少女の腕を思う。この腕ならば、相当な練習をして、料理を学んだのだろうと。しかし、それには老婆は首を振って。
「この子は、生まれつき才能があるみたい。なんて言うのかしら……料理の資質があるんだわ。そうよね、子猫ちゃん?」
そんな老婆の言葉には、無言で昼食を食べる少女。
そして昼食も終わり、みことは話を切り出す。あの事件について、少女から何かを聞き出そうというのだ。しかし、その少女だが、黙してなにも語らず……というよりも、なにも興味が無いといった風である。
仕方なくみことは、あの日に起こった出来事を、老婆に話して聞かせて……。
「この子が理由も無く、他人に文句をつけるはずが無いわ。それこそ、なにかの間違いというものよ。そうよね、子猫ちゃん?」
「…………」
答えない少女。それでも、老婆はなにかを信じている様子だった。
それはきっと、他に例えようもない信頼なのだろうと、みことは思う。それでも、事件のきっかけは、少女にあるのだとすれば。
「何でもいいんです。何か、話をしていただければ、それでこの事件は解決するんです」
「そう言われても、この子が話すつもりがないのなら……強要しても、無駄ですよ?」
「そ、それはそうですけど」
食事の後片付けをする少女を見ながら、みことは思う。何が彼女を、頑なにさせているのか。
そこには必ず理由があると思う。しかし、それがまったくわからない。ただ……この少女が、横井という老婆にだけは、心を開いているような……そんな、確信のようなものを感じて、みことは言うのだ。
「あの、おばあさんからも何か言ってあげてください。その、この子にはあなたの言葉が必要だと思えるんです」
「そうねぇ……ねえ、子猫ちゃん? この人に、何かお話をしてあげなさいな?」
しかし、少女は黙って片づけを終えると、そのまま子猫の姿に化ける。そして老婆の膝の上によじ登ると、そのまま昼寝を始める。
これではなんの解決にもならないと、みこともさじを投げた。さて、ここから先、どうやって彼女と付き合っていけばいいのか。
「とりあえず、また明日もいらっしゃいな? そうすれば、この子も何かを話してくれるかもしれないから」
そう言う老婆に、お礼を言って、みことは別れる。
そして、第五課へ戻り……彼と出くわす。そう、矢部という、幽霊刑事とだ。
「煮詰まった顔をしているな、みことちゃん?」
「あ、矢部さん……」
そして二人は、そのまま話しこむことになった。
「……なるほどな。そういうわけか……」
話を聞いた矢部は、『しんせい』を燻らせながら、みことに語りかける。
「俺に言わせれば、無理やり吐かせちまう方法もあるんだが……そういうのは好みじゃないんだろう?」
「えぇ、まあ……そんなの、可哀想です」
「まあ、相手が小娘となりゃ、話はそうだろうが。そもそもあの事件には、酔っ払いの戯言はともかく、あの子に落ち度なんてないんだぞ? それをいつまでもしつこく追うのも、どうかと思うがね?」
「でも、伊集院係長の命令ですから……」
そこだけが、問題となるのだった。そう、事件性はきわめて低い……事件。それをいつまでも追いかけるというのも、ナンセンスな話だ。しかし、それでも係長の命令としては、なんとしても解決しろというのだ。
みことには納得できない。だが、矢部巡査部長には、思うところがあった。
これをきっかけに、神宮寺みことが使い物になってくれればと……そう伊集院は考えているのかと。そうだとすれば。
「あれだ。命令ならその子に付きまとうのは、続けたほうがいいと思うね? 俺が言えた柄じゃないが、こういう場合は先に折れたほうが負け、恋愛と同じさ。わかるだろう?」
「れ、恋愛って言われましても……」
家が古風なみことであった。恋愛経験は、さして豊富ではないのであった。平たく言えば、片思いが精々であった。
それでも、そういうものかと己で納得して……。
「ありがとうござます、矢部さん。わたし、がんばってみます!」
「ま、ほどほどにな」
そう言うと、灰皿で煙草をもみ消す、矢部。
……そして、翌日も、みことはあの家を訪れた。その手に、土産を持って。
「ええと、こんにちは! 横井さん!!」
「あらあら、みことさん。どうも、いらっしゃい」
そして家の中へ招かれたみことは、さっそく土産を開く。それはみことの家の周囲で評判の、和菓子屋の羊羹。
「あら、そんな気を使わなくてもいいのに」
「いえ、是非に! その、あの子も一緒に……!」
「そうね。子猫ちゃん、いらっしゃい?」
縁側にいたところを呼びかけられた子猫は、老婆にすり寄る。そしてその手から、羊羹を差し出されて。
「猫に羊羹って、大丈夫でしたっけ? かまぼことかのほうがよかったでしょうか?」
「大丈夫じゃないかしら? ほら、お食べ?」
くんくんと匂いをかぐ子猫。そして、ぺろぺろっと舐めて、そのままむしゃむしゃと食べ始める。それを見て、みことは安堵した。少なくとも、嫌いなものではなかったのだと。
「あのお姉さんが買っていらしたのよ? お礼を言わなければね?」
「……にゃぁ」
すると子猫は、みことのほうをチラッと向いて、一言鳴き声。ただそれだけでも進展であったと、みことは嬉しく思う。そう、確実に自分たちの距離は狭まっていると、そう感じるのだ。
「それで、その……何かお話ししてくれましたか?」
みことは、老婆にそう尋ねる。しかしそれには、老婆は首を振って。
「なにも喋ってくれないわ。そう、何か嫌な事でもあったのかしらね? 極端に口が重くなるのよ」
「はあ……では、今日もなにも聞けそうにないですか……」
「そうかしら?」
その老婆の声に、顔を上げるみこと。すると横井という名の老婆は、にこにこと笑っていて。
「少なくとも、もうこの子は、あなたに対して敵意は持っていないわ。それどころか若干の興味を覚えているみたい」
「興味、ですか?」
「えぇ。そう……あなたの事を、もっと知りたいって顔をしているわ」
そこまで言われたみことは、戸惑う。しかし、真っ直ぐに彼女を見つめている子猫の視線に気がついて。
「わたしなんて、そんな話すほどの経歴を持たないのですが……その、お聞きになります?」
それに対して、さして興味もないように、子猫は。
「……にゃぁ」
そう、鳴いた。なのでみことは恐る恐る、自分の生い立ちを語って聞かせて……。
「……というわけで、伊集院係長に『スカウト』されたわたしは、警視庁第五課に配属になりまして……」
「あらあら、大変ね?」
「それはもう、一大事でしたから!」
そんな話を、子猫は黙って聞いていた。
その日、神宮寺みことは近所で評判のかまぼこを買って、横井家へと赴いた。
そして門をくぐれば……そこには、なにやらあの子猫が一匹、寂しそうな顔で佇んでいる。
「こ、こんにちは、子猫さん? 横井のおばあさんは、ご在宅ですか?」
「にゃ……」
すると子猫は、ひらりと奥へと走って行く。慌ててその後を追いかけたみことは、それを見る。そう、居間の畳の上に倒れている、横井という老婆を。
「ど、どうしたんですか!? しっかりしてください!!」
そしてそのそばに駆け寄ったみことは、慌てて老婆の体を抱きかかえ、そして何とか息をしているのを確認すると、すぐに救急車を呼ぶ手配を……。
「……だ、大丈夫よ……。ちょっと、眩暈がしただけだから……」
そう言う老婆に、携帯を持つ手を押さえられる。それでも、その様子が只事ではないと感じたみことは、なおも老婆に尋ねかける。
「本当に、大丈夫なんですか? お体のどこかが悪いわけじゃないんですね?」
「えぇ、大丈夫。そう、大丈夫よ……」
その最後の言葉は、向こうで様子を見守っている、子猫に向けてのもの。それだけ、子猫は老婆を心配している様子なのだ。それは無限の信頼がなければ、できないことだと思うみこと。だが、それでも……。
「あまり子猫さんを、心配させないであげてくださいね?」
「わかっているわ。ほら、私は無事よ、子猫ちゃん?」
そう言う老婆に、子猫は駆け寄って、ぺろぺろとその手を舐める。
……結局みことは、その日は布団を敷いて、その老婆を寝かしつける事にした。あの様子は只事ではないというのは実感であったし、何よりも子猫が心配をしていたから。
「平気よ、このくらい……」
「だ、ダメです! きちんと休んでください!」
「でも……」
「あとの事はわたしたちに任せて、体を休めてください、ね?」
そこまで言われて、ようやく老婆もおとなしく横になった。そして、すぐに寝息。
やれやれとそんな老婆を見守る、枕元のみこと。ふと気がつけば、そんな彼女の隣に小さな気配。見れば子猫が少女に『化けて』いる。
「……?」
みことが不思議そうに見れば、少女はチラッと横目でみことを見て。
「……ありが……とう……」
その時、初めてみことは、彼女の言葉を聞いたのだ。か細く、小さな、かすかな声だったけれども……確かに聞いたのだ。
「あ、その、いえ、別に! うちのおじいちゃんの介護で、こういうのは慣れてますから! ただ、おじいちゃんの場合は、あまりに元気すぎるので困っているのですが!」
「…………」
それ以上、少女はなにも言わなかった。ただ、真っ直ぐに老婆を見つめて、その安否を気遣っている様子だった。
だからみことも、余計なことはなにも言わなかった。それでも、確実に自分と少女の……猫又の少女との距離が縮まっていると、そう感じたのは事実だった。
そして夕方。みことは帰る事にして、お土産のかまぼこをちゃぶ台の上に置く。
「では、わたしはこれで。子猫さん、後はよろしくお願いしますね?」
「…………」
無言の少女に見送られ、みことは横井家を後にする。
ただその胸に、一抹の不安と希望を抱えながら……。
「そうか……そりゃよかったのか、悪かったのか……」
廊下の喫煙所で、『しんせい』を吸いながら、そういうみことの話を聞く、矢部巡査部長。
「たぶんよいことで……そして、悪いことだと思うんです。あの子猫と話せたことは、嬉しいです。でも、あのおばあさんの容態も気になるんです」
「そりゃ人として当然の反応だがね。しかし俺が引っかかってるのは、もっと別な部分だよ」
「はい?」
矢部は話そうかどうか、迷った。それは、長年の経験から来る、勘のようなもの。
その老婆と、子猫の関係と……その家のあり方というものについての……勘。
しかしそれを話すのには、目の前の新米はあまりにも幼すぎて。
「まあ、それとなく見守ってやりな。その婆さんも……それを望んでいるだろうからな」
その言葉には、みことははっきりと返事をした。
そしてその日も終わる。しかし警視庁第五課に、休息はない。
この街のどこかで、魍魎犯罪が起こる限り、彼らは出動するのだ。
そして、それらを速やかに解決し、加害者、被害者の人権……いや、魍魎権を守るためにも、彼らはいつでも奔走するのだ。
割に合わない仕事だと、誰かが言う。しかし、彼らは否定するだろう。
自分たちの仕事に、誇りを持っているのだから……。
ある日、神宮寺みことが、あの家へと向かおうとしたときの事だった。
「いいかな、神宮司君?」
そう声をかけてきたのは伊集院係長だった。慌ててなんでしょうと問い返すみことに、彼は。
「いや、最近の調子はどうかと、そう思ってな」
「最近……ですか?」
みことは、ちょっと考えて。
「まずまず……だと思います。子猫さんとも、何とかうまく付き合えていますし、おばあさんとも……」
「そうか」
伊集院は、やや険しいその顔立ち……作っているわけではなく、自然にこうなのだ……を、美琴に向けて。
「命令である以上、深入りするのは構わないが、覚悟だけは忘れないように。それが、俺たちの仕事の意味だ」
「覚悟……ですか?」
「ああ。覚悟が無ければ、他人の生活に踏み込むことはできない。それが例え、警官であろうと、だ。それだけは、忘れるな」
それには、みことはおずおずと頷いて……そして。
「こ、こんにちは、おばあさん!」
今日も彼女は、横井の家を訪れる。
「あら、いらっしゃい。ほら子猫ちゃん、お姉さんが来てくれたわよ?」
そんな二人の元へ、とてとてとやってくる、子猫。そしてみことを見上げると、軽く喉を鳴らした。
「今日はご機嫌みたいね? じゃあ、奥へどうぞ。お茶でも入れるわね?」
そして二人と一匹は、奥の居間へと入り、そしてお茶を出されたみことは、礼を言ってそれを口にした。
「本当に、今日はいい日ねぇ。娘と孫の事を思い出すわ」
「娘さんと、お孫さん……ですか?」
それに頷いた老婆は、奥の仏壇を開く。そこには若い女性と少女の遺影……。
「お、お亡くなりになっていらっしゃったのですか?」
「えぇ。旅行先で交通事故で……ね?」
そして、老婆は語り始める。自分の娘と孫が、どういう人物だったのかを……。
「そう、まるであなたたちのような……かわいらしい娘達だったわ……」
みことは遺影をとっくりと眺める。その中の少女……孫のほうが、どことなく誰かに似ている気がして……。
そして、彼女は気付く。そう、この人物は。
「この子猫ちゃんに、そっくりでしょう? 人間に化けたこの子が現れた時は、私はあの子が帰ってきたのかと思って、それはもう大慌てだったのよ?」
「そ、そうですか……」
「私はこの子猫ちゃんの中に、自分の孫の姿を投影しているのかもしれないわね。それはこの子には申し訳のないことだけれど……」
老婆は、ぽつぽつと語る。みことには、ただ聞くことしかできない。
「この子猫ちゃんは、私に懐いてくれているわ。だからもしかしたら、と思うのよ。神様が、孫をこの子に変えて、私の元へと送ってくださったんじゃないかって」
そんなことはありえないと、みことは思う。それは確かによく姿かたちは似ているが、だからといってそんな夢物語のようなことが現実に起こるはずが無い。
ただ、それでも。
「この子が幸せに生きられることが、私の望み。その他には、なにもいらないわ。そう、なにも……ね?」
そう呟く老婆には、何か深い感情のようなものを見て取って、みことは思うのだ。
何かを、この老婆は隠しているのではないかと。
それはもしかしたら、みことの勘違い、見立て違いなのかもしれないが。
少なくとも、その時彼女は、そう感じたのだ。
「ごめんなさいね、つまらない話を聞かせてしまって……」
そう謝る老婆に、みことは慌てて手を振って。
「い、いえ! そんなことありません! とても深いお話でした!」
「そう? そうかしら?」
「それはもう、絶対にです! 今のお話は、完全に忘れないと誓いますから!」
「そこまでのものじゃないわよ?」
それでも、みことは考える。今の話は、すべて自分の中に刻まれていると。
そう、これが係長の言っていた『覚悟』なのかもしれないと……。
そうだとすれば、あまりにも重い覚悟だ。受け止め方にもよるだろうが……少なくとも、簡単に流せる話ではない。
そう、簡単ではないのだ……この話は。
だからこそ、みことは。
「あの、子猫さんにはそういうお話は……理解できているのでしょうか?」
そう、尋ねてしまうのだ。
なんとなく憂鬱な面持ちで第五課に帰ってきた、みことである。
それを目ざとく見つけたのが、幽霊デカの矢部であった。ふらふらっとそのそばに漂うと、何があったのか問いかける。
しかし、みことは首を振るばかりで答えようとしない。
「何があったんだ、みことちゃん? そんなんじゃ、わからないぞ?」
「……いえ、別に……」
そこへ横から口を差し挟むのは、係長の伊集院だ。
「矢部さん、彼女の事は放っておいてくれ。それよりもこちらの……」
「ああ、学校の体育館ね。俺はどうも好かねぇな。その……青少年ってところが」
「だが実年齢を考えれば、捨て置けないのも事実だ。そしてこれには彼女も……神宮司君!」
慌ててそんな伊集院のそばに寄るみことに、彼は書類を押し付けて。
「目を通しておいてくれ。今夜、この事件を解決する」
「事件……」
そう、自分たちはなにはなくとも警官なのだ。それをうっかり忘れそうになっていた自分を、みことは恥じた。そして書類に目を通し……。
「……え? これって……」
「そのままの意味だ。被疑者はその学校の体育館にいる」
そう、そこにはとある学校の図面と、それに関しての詳細が記されていた。その意味を考えて、みことは。
「魍魎犯罪……でも、なんで学校なんかに……」
「軽犯罪だが、犯罪は犯罪だ。騒音がやかましいとの近所からの通報だからな」
「……はい?」
そして目標となる夜半の時刻になるまで、みことたちは警視庁で待機する。
その最中にも、矢部はみことの憂鬱そうな顔を気遣った。
「何があった? それとも、そんなにも話せないことなのか?」
「そ、そういうわけじゃないんです。ただ、あまりにも重い話で……」
「だったらなおさら結構。おじさんに話してみな? こう見えても俺は、重い話を軽くするのが役割でね? まあ、それも幽霊となったいまだからこそなんだが……」
そこでみことは、悩みながらもその話を……横井の家での話を語って聞かせる。
「するってぇと、なにかい? その婆さんは、孫を猫又の少女に投影し、そしてその猫又も、それを受け入れている……と?」
「はい。でもこれって、やっぱりおかしいですよね?」
うむむと唸る、矢部。確かに不健全な事には違いない……が、それで当人達が納得しているのならば……。
「特に問題とすべきじゃない、か?」
「そうですよね。でもわたしには、やっぱりそれを黙って受け入れることができないんです」
「うーむ……」
矢部は唸る。そして、一言ばかり彼女……みことに声をかけようとして。
「矢部さん、神宮司君。時間だ」
現れた伊集院に、話を遮られ、そして事件現場へ向かう。
そこは、なんの変哲もない中学校。
しかしここで魍魎犯罪があったのだという。
その正体は何か……みことは、資料の内容を思い返す。
「確か、騒音がどうのって……なんですか?」
「それはさ、この……」
矢部は、かすかに聞こえる音を、みことに解説する。
「……ボールを突く音だわな。さて、体育館に向かうか……」
わけもわからず、その後を追いかける、みこと。そしてそこで、彼女は目にする。
そう、一人の少年の姿を。
「……あれって……」
みことは、呟く。そう、その少年には……首がなかったのだ。その代わりに、少年が突くボールは……彼の首らしいもの。
よくある、学校の怪談。それを目の当たりにして、みことは震えた。
「あ、あれって痛くないんでしょーか? というか、なんでこんな事を……?」
「それを聞くのが、俺たちの役割ってね。さて、おーい、少年!」
すると少年は、自分の首を拾い上げ、二人の元へと駆け寄ってくる。そしてその手の内の首が寂しそうに語るのだ。
「ねぇ……僕の首は、どうなっちゃったの? 教えてよ……」
みことは、もう少しで失神しそうであった。しかし、矢部は飄々としたものだった。
「少年よ、とりあえずどういう事情か、説明してもらおうか?」
そして少年の語ること、曰く……。
「体育館で事故を起こして首を切断した? まったく、そういう事件が表に出なくてどうするってのかねぇ……」
矢部はぼやきながら、調書を取り始めるのあった。いまだに衝撃からふらついているみことは、きっぱりと放置して……。
とりあえず、少年に対して事情聴取を行なった、二人。
その語るところによれば、かなり昔にこの体育館で事故で首を切断してしまった少年が、その無念さから毎晩現れては、自分の首を突いて回っているというのだ。
聞けばなんてことのない話だが……どうにも実感に乏しいと思うみことである。
そもそもそんな昔の事を、今まで引きずられても……と思ってしまうのは、彼女がまだ若いからか?
何にしても、このままでは埒が明かないということで。
「あのねぇ、君のやっていることは、軽犯罪……人声、楽器、ラジオなどの音を異常に大きく出して、静穏を害し近隣に迷惑をかけた者……に当てはまるわけよ。そういうわけだから、君は俺らに保護されなきゃならん」
「な、なぜですか? ただ僕は、首を使って遊んでいただけで……それは確かに無念もありますけど、僕は何も悪いことは……」
「それが罪になるのが、現代社会ってことだ。さあ、行こうか」
そうやって少年を連行しようとする矢部の前に、慌てて立ち塞がるみこと。
「邪魔だよ、みことちゃん。それとも、邪魔をしたいのか?」
「そ、そうです! 邪魔をしているんです! だって、その子はただ遊んでいただけじゃないですか! それをどうして……!」
「ご近所がうるさいんだよ。ポルターガイストも、立派な軽犯罪だって。そういうのも考えなきゃならんのが、今の俺たちなんだよ」
「でも、だからって……!」
みことには、納得できなかった。ただこの少年が遊んでいただけで、どうして罪に問われなければならないのか。そもそもそんなに騒音というほどには、うるさくしていないはずだ。なのに、なぜ……?
「まあ、これも現代社会ってことだわな。隣近所でも、監視しあわなきゃならんほどに、この国は間違った方向に向かっている……と言うのは、俺の独り言だけどさ?」
「でも、矢部さん……!」
「理屈じゃないんだよ。こういうのはさ」
そして少年を補導して、待っていた伊集院と共にパトカーで去る一同。そして体育館は静けさを取り戻した。
「……でも、やっぱりおかしいです……」
廊下の喫煙所で、矢部を相手にそう話しこむ、神宮寺みこと。
「そもそもお化けとかそういうものとは、折り合いを付けていくのが日本人だったはずです。柳田翁の時代から、それは変わっていなかったと思っていたんですけれど……」
「さて、ね。まあ、俺は俺がこのままでいられる、こういう現場を愛しているがね?」
「それは矢部さんがもう幽霊だからで……」
「そういう問題じゃないんだよ」
矢部はその透き通った体で、みことに顔を近づけて。
「無意味だと言って目を閉じるのは、そりゃ現実を受け入れていない証拠だ。そこで目を開いて、なにを見るか。自分の目玉は、何のためにあるのか。それを見て、あるがままを受け入れるのが、本当のあり方ってものだ」
「けれど……」
結局あの少年は、軽犯罪を犯したということで、拘留となった。
それが正しいことだとは、どうしてもみことには思えない。
ただ、思うのだ。怪奇が怪奇であることすら、今のこの国では罰せられてしまうのかと。そう思えば悲しくもなるのが、彼女なのである。
そんなみことを思いやるように、矢部は言葉を選びながら。
「まあ、あれだ。お前さんの追っている、猫又と同じさ。誰にも迷惑はかけちゃいないつもりでも、それが迷惑になっている事もある。そういうのを取り締まるのは、誰かがやらなきゃならん。それが、俺たち第五課ってわけさ。所詮は嫌われ者……爪弾きの連中さ……」
ふぅっと煙草の煙を吐き出す、矢部。そんな彼に、どういう顔をしていいのかわからないみこと。彼らの間には、ベテランと新米の、埋められない溝があった。
「ま、くよくよしなさんな。それよりも自分の受け持つ事件くらいは、しっかりやらなきゃならん。その婆さんと猫又の少女……何か、俺には感じるものがあるんだがね?」
「感じるもの、ですか?」
矢部は、大きく息をつきながら。
「勘だがね、その婆さん……もう先行き、長くないんじゃないかね?」
「え……?」
みことは、耳を疑う。今、矢部はなんと言ったか?
先行きが長くないと……そう言ったのか? しかし、それはなぜ……。いや、そもそもその意味は……?
「猫又なんかと付き合っていれば、生気を吸い取られるのがオチだ。もちろん、こいつは猫又に悪意があるかどうかの問題じゃない。ただそこにいるだけで、化生は力を必要とするのさ。そして若いものならば、その程度は若さのおかげでどうってことはないが……歳が歳なんだろう、その横井って婆さんは?」
「だ、だからって……あの子猫さんが、そんなことを……」
「だから、悪意の有る無しじゃないのさ。俺たちゃ所詮は化け物、この世にいちゃいけない存在。それが無理やり人前にいるってことは、なんらかの代償を必要とするものさ」
みことは、そんな矢部の話を黙って聞いていた……。
神宮寺みことは、今日もあの場所に向かう。
そう、横井の家だ。あの古ぼけた家に、今日もまた……。
しかし今日のみことは、いつもとは違う面持ちであった。何か深い悲しみを、その身に宿しているような。
彼女を知る者が見れば、その変化は一目でわかったであろう。そして彼女も、また……。
「おや、みことさん? 今日は何かあったのかい?」
「おばあさん……」
いつもと変わらぬ様子に見える、横井の老婆に、みことはかける言葉が見つからず……ただ相談のような感じで、
「こういう、事件があったんです……」
縁側で二人で話をする。みことがするのは、あの体育館での一件の話。それを老婆はいちいち頷きながら聞いていた。
そして、全てを語り終えたみことは……ほぅと息をつき、老婆を見る。
「わたし、どうすればよかったんでしょうか? あの少年を放置しておく事も悪くて、だからって捕まえるのは、なにかが違う気がして……結局、わたしはなにもできないまま……」
「そうかい……辛かっただろうねぇ……」
「わたしは辛くなんか無いです。ただ、あの少年の幽霊が不憫で」
そんなみことの頭を、そっと撫でる老婆。
「私には、そんなに難しいことはわからないけれど……悪いことは、悪いと教えてあげなきゃ、いつまでたっても負の連鎖が続くだけだよ?」
そう、老婆は言う。しかし、それで老婆の場合は?
「おや、お帰り。食事はしてきたのかい?」
そこへ現れるあの子猫。彼女の存在が、老婆を苦しめているとすれば、それは話しておくべきなのか?
だが、それも違うと思えるみこと。結局のところこの二人は依存しあっているのだから、引き裂くわけにはいかないと。
それでも、やはり心配なことはあるのだ。
「おばあさん、その、お体の具合は……?」
「ああ、心配要らないよ。すこぶる元気だからね。しかしなんで、そんなことを改まって?」
「そ、それは……」
みことは迷う。正直に話したものか。
その猫又の少女が、あなたの生気を吸い取っています、と。
しかし、そんなことを話して何になる? それがきっかけで、両者の関係が破綻してしまったとしたら……?
できない。そんなこと。できるはずが無い……。
「何か心配事かい? よかったら、話を聞くよ?」
そう言う老婆には、なんでもないと首を振り。それでもみことは、この件については話しておくべき相手はいると思うのだ。
……みことは、あの子猫を抱いて、裏路地に出てきた。多少嫌がった子猫だが、大事な話があると噛んで含めるように言えば、おとなしく従った。
そして、そこでみことは子猫を、少女の姿に化けさせて。
「あなたに、お話があるんです……その、あのおばあさんの事で……」
小首を傾げる、少女。そこへみことは、多少残酷だと知りつつも。
「あなたの存在が、あのおばあさんを苦しめている。違いますか?」
ふっと、少女の顔に影がさした。
「子猫さん、あなた知っていたんですか……?」
みことの問いに、黙って頷く、少女。
「じゃあ、何であのおばあさんのそばに……それがお互いにとって、良くないことだってわかっているのなら、何で……!?」
「…………」
少女は、首を振った。そして、か細い、本当に小さい声で。
「……できない……あの人、一人になんか、できない……」
「でも、このままじゃあのおばあさんは長くは……」
「だけど……夢見てるの。あの人は……私に、自分の夢を……」
そう、結局そこに尽きるのだ。あの老婆がこの少女に自分の幻想を抱いているうちは、決して二人は離れることはできないと。
しかし、それがおかしいことだとは、猫又の彼女も理解している様子なのだ。ならば、ここは黙って老婆から妖怪が身を引くのが……。
「……正しい事じゃ、ないんですか?」
「…………」
猫又の、名もない少女は、黙って首を振った。
「でも、だけど……このままだと、悲しい事に……」
「……それでも」
猫又の少女は、ややはっきりとした口調で。
「……私には、こんな事しかできないから……」
神宮寺みことには、もはや何が正しいことなのか、わからなくなっていた。
ただ、現状が決して正しいと言い切れないのが、本音だった。
だからといって、自分ひとりで何ができるわけでもなく。
「……はぁ」
ため息をつきつつ、実家に帰る。するとそこでは、彼女の祖父……この神社の神主が、箒を手に境内を清めているところであった。
「おお、帰ったか。しかし、なんじゃその顔は?」
「おじいちゃん……」
みことは、思わず祖父に駆け寄っていた。そしてしっかりとその体にしがみついて。
「わたし、なにもできない……小娘のままだよぅ! ねぇ、どうしたらいいと思う!?」
困惑の表情を浮かべる祖父に、みことはその事件の詳細をあるがままに語って聞かせて……。
「ふむ、そりゃ問題じゃな」
「問題なんだよぅ……。でも、でもね? わたしには、なぁんにもできなくて……!」
「……ふむ」
みことの祖父は、しばし考え込み。
「その猫又、ワシが祓ってしまおうか?」
「そ、それはダメ! そんなことしたら、おばあさんが泣いちゃうよぅ!」
「ふむ……では逆に、その婆に真実を伝えるのは?」
「それもダメ! おばあさんがあの子を突き放しちゃったら悪いし……それに、それにね? もしもそれでも構わないって言っちゃったら……どうしようもなくなっちゃうよぅ!」
「難しいのぅ……」
みことの祖父は、色々と考えている様子だった。そして、重々しく口を開いて。
「ワシが思うに、猫又はともかくその婆も、もうとっくに気がついているのではないかな?」
「え……?」
問い返すみことに、祖父は微笑みながら。
「その程度の感性がなくては、人と化生が相容れるものではない。思うにその婆、名を横井といったか? もうすでに、その猫又との関係には、気がついておるじゃろう」
「じゃ、じゃあおばあさんは、自分が蝕まれていくのを承知で……あの子と一緒にいるの?」
「左様。しかし、その事はあえて口には出さず……言えばお前も、その猫又も、傷つくと知っているからな? そして、なんでもないように振舞っておるのじゃろう」
みことは、涙ながらに首を振った。そんな馬鹿な話があるか。そうであれば、もっとあの老婆は悲痛な顔をしているはず。
「それも人間の強さじゃよ? なんでもない事を、なんでもない事のようにやってのける。それができるその婆は……心底、人間としての器が大きいんじゃろう」
みことは、そんな祖父に問いかけるのだ。
「だったらわたしにできることって、なに? あの二人のために、わたしができることって何があるの?」
「そうじゃなぁ……」
祖父は、うんうんと唸って。
「……まあ、最期を看取ってやること、くらいかの? そのくらいの覚悟は必要じゃろう。そして、その覚悟こそが、お前を成長させる……と、ワシは思うでな?」
また、覚悟という単語が出た。結局は、それがみことにとって、足りないものなのだろう。
だが、それでも……。
「あのおばあさんの最期を看取るなんて……わたしには無理だよぅ……!」
「お前以外に、誰がやれるのじゃ?」
「そ、それは……」
「ワシは思うんじゃが、お前に足りんのはその覚悟じゃよ。警官になったかと思えば、今度は魍魎退治ときておる。しかもその度に泣き付かれたのではワシもたまったものではないぞ?」
それには、みことは涙ながらに頷いた。
でも、確認しておきたいことはある。それは例えば……。
「あのおばあさん……あとどのくらい、持つのかな……?」
「さて、見たことが無いからのぅ、なんとも。ただ、先は長くない。そうじゃろう?」
「……同じこと言う……」
矢部の顔を思い出す。あの飄々としたおじさんも、こんな感じで覚悟を背負っているのだろうか? そう、みことは思う。何にしても、今は……。
「それよりも、夕飯は食ったのか? まだならば、ワシが作ってやろう」
「あ、うん……」
足りない覚悟というものを補っていかなければと……そう思うのだ。
その日、みことは別の事件に駆り出された。
なんでも夜の川で不審な事を行なっている人物がいる……という通報。それを確認しに行った現地の警官が見たものが……。
「……お前か?」
「へ、へい」
矢部の目の前、小さくなっている人物……。
「お前なぁ……再犯するなって、あれほど言っただろうがよ?」
「し、しかしこう……川があると洗っちまうのが癖でして……へい」
みことは、頭を抱えた。小豆研ぎ……本当に実在していて、しかも……。
「再犯って、前にも、ですか?」
「そうだよ。このジジイ、前にもおんなじことやってとっ捕まってるんだよ。なぁ?」
「へへ……面目ない」
しかし、たかが小豆を研ぐ音をさせる程度で、犯罪者として捕まえるというのも……。
「おかしい話じゃないですか? それだったら、怖がって近寄らないのが、昔からの人間の……」
「そういう理屈じゃないんだよ、これは。さて、再犯は再犯だ。どうしてくれようか?」
そう言ってじろじろと小豆研ぎを見る矢部。即座にみことはそんな彼と小豆研ぎの間に割って入った。
「どうするもなにも、見逃してあげてもいいじゃないですか! 再犯だからって、こんな事でいちいち取り締まられるほうが、迷惑です!」
「しかしな、みことちゃん……」
「しかしもかかしもありません! こんなの、やっぱりおかしいです! 昔から人は、怪奇と共に暮らし、共に夜を分かち合ってきたはずです! でも、これじゃあ……」
そこでしゅんとうなだれる、みこと。矢部も小豆研ぎも、その様子を黙って眺めた。
彼らにも、彼女の言おうとしていることは、わかる。だが、それでも……。
「庇ってもらって悪いっすけど、お嬢ちゃん? オイラにも、迷惑をかけたという自覚はありまして……へい」
「だけど、小豆研ぎさん。あなたはただちょっとした音を立てていただけじゃないですか」
「それでも苦情があれば騒ぎにもなるし、騒ぎになれば乗じて通報する輩もいるってことだ。そういうのをきちんと処理するのが、俺たち警官の役割……ってね」
矢部のその理屈は正しいと思う、みこと。だが、彼女の中のなにかが、それを許さない。
それは言ってみれば『古き理想』でしかないのだが……それをわかろうとしない、わかりたくないのが、彼女でもある。結局は彼女も自分のエゴでしか動いてはいないのだ。
「んじゃ、行くか?」
「へ、へい……」
矢部に引き連れられ去っていく小豆研ぎ。その後姿を、黙って見送るみこと。
その内側では、燻るなにかがある。ただそれをうまく形にできずに……彼女は戸惑うのだ。
これは間違っていると考える、それはいい。しかし、それを肯定すれば、自分たち魍魎犯罪に対する組織の存在理由も消し去ってしまう事になる。
それでは意味がなく、その上で何もかもを解決する方法があればと……そう思う。
だが現実には、そんな折衷案が存在するはずも無い。
「……というわけなんです」
翌朝、横井の老婆の家に赴いた彼女は、そう老婆に愚痴る。
老婆は、黙って話を聞き……そして。
「そりゃ、その小豆何とかが悪いね」
「そんな、一言で……?」
「じゃあ何かい? そのまま見逃しておいたほうが、世のため人のためになったと?」
そういうつもりはない、と思うみこと。しかしその一方で。
「なにも捕まえる事なんて無かったと思うんです。その、再犯だか何だか知りませんけど……そういう理由で、捕まえる事なんて……」
「そんなことを言っていたら、人間の犯罪者はどうするんだい? 人間が川で何かをがさがさやっていたら、それを捕まえるのは、警官の役割じゃないのかい?」
「それは……そうですけど」
老婆の言うことには、一理以上もある。確かに魍魎だからといって、冷遇しないように気をつけるのは当然としても、贔屓をするわけにはいかない。
そしてそれに携わる自分が……それを率先して行なうことが良くないのも、わかる。
「結局は、覚悟の問題だよ? 私にはそういう詳しいことはわからんけれど……少なくとも、悪い事を悪いと罰することができるかは、覚悟の問題でしかないねぇ。そういう覚悟が自分に無ければ、今の仕事は続けていけないんじゃないかい?」
「……」
みことは、黙った。そう、確かに自分にこの仕事は、向いていないのかもしれないと。
そもそもが自分は、どういう理由でこの第五課に配属になったのか? そこがはっきりと思い出せないほどに、自分の存在は頼りない。そう思うみこと。
「まあ、みことさんの人生だから、私からはなにも言わないけどねぇ……」
その老婆の言葉は、みことには胸に痛かった……。
うろうろと第五課の前を行ったり来たりする、みことである。
先ほどから中に入ろうか入るまいか、迷っているのだ。
そんな彼女の肩に不意に置かれる、冷たい手。
「はわーーーっ!?」
慌てて飛びのくみこと。そんな彼女の前で、ニヤニヤと笑うのは……矢部。
「どうした、みことちゃん? なにをうろうろと……うん?」
「な、なんでもないです! はい! それはもう元気です!!」
「そうか? にしてはずいぶんと……その、あれだ。顔色が悪いが?」
「そんなことはありません! わたしはいつでも……」
……と、そこで矢部は、みことの手にしているものに気付く。一通の……封書?
「なんだそりゃ? ちょっと見せてみろよ」
「あ、ちょ、矢部さん!?」
そして矢部は、無理やりに霊的パワーでその封書を奪い取り……そして目を丸くする。
なぜならばそこには大きく『辞表』の文字が書かれていたのだ。
「……あー」
矢部は、ぽりぽりと痒くもない頭をかいて。
「……辞めちゃうんかい?」
みことは、小さくなってうつむいた……。
……廊下の喫煙所。そこで矢部は、みことを前に渋い顔をしていた。
目の前で小さくなっている小娘に、色々と言いたいことはあるのだが……さて。
「何で辞める?」
「それは、その……」
みことはごにょごにょと、呟くように。
「……適性、無いのかなって……」
矢部は渋い顔で煙草を抜くと、一本くわえて。
「何でそう思う?」
「そ、それは……覚悟が足りないから、とか……」
矢部は渋い顔のまま、煙草に火をつけて……そして大いに笑った。なぜ笑われたのかわからないという顔をするみこと。そこへ矢部は、ぷはーっと煙草の煙を吐きだしながら。
「まさか真に受けるとは思わなかった。いやはや、みことちゃんは相変わらず面白いねぇ」
「わ、笑い事じゃありません! わたしは真剣に……!」
「真剣に、なに? まさか辞める辞めないで、真剣に悩んでいたなんて言わないだろうな?」
「そ、それは……!」
「言っておくけどさ……」
矢部は、少しだけ真面目な顔つきで、みことに言葉を返す。
「覚悟が足りないなんて、そりゃ誰だって同じだ。俺だって、係長だってそうだ。でもな、覚悟が足りないのと、覚悟をしないの違いは、わかるか?」
みことは考える。覚悟が足りないのは、そもそも覚悟をしている上での問題で……となると、覚悟をしないのとはまったく別の問題では……?
「そういうことだ。覚悟しているから、足りないなんて抜かせる。覚悟が無いやつは、最初っからゼロだ。その違いさえ、わかっていればいい」
「で、でもわたしには……」
「覚悟が足りない、か? んじゃ聞くけど、覚悟が足りている状態って、なんだ?」
考える。そして、みことはその状態なんてそうそうありえないと気付き……。
「バンジーで飛び降りるやつの気が知れないって言うけど、ありゃ飛ぶやつだって覚悟は足りてないな。でも前に飛び出さなきゃ格好が悪い。そういう単純な理屈で飛び降りてるんだな」
「で、でも、だけど……」
「単純な理屈で聞く。お前は、なにをしたい?」
それには、みことは考え……ずに。
「みんな、幸せがいいです」
「そのためには、なにをしなければならない?」
「……悪い事を、悪いと……きっちりけじめをつけること、ですか?」
「ちょっと違うな」
矢部は、うまそうに煙草を吸いながら、答える。
「悪い事を悪いと断定するのは、それこそ上の人間のやることだ。俺たちで言えば,係長。俺たちはそのコマとなって、『悪そうだから捕まえる』程度でいいのさ」
「そんな、それじゃあ犯罪者の人権は……」
「それこそ些細な問題さね。悪い事をしているみたいだ。そこを捕まえて、何が悪い?」
そう言われては、みことにも何も言い返せなかった。
そもそも自分たちが相手にしているのは、人では無いのだから、人権も存在しない。新たに設けられた薄っぺらい魍魎の権利では追いつかない。
では、誰がその権利を守るのか?
「……そっか」
みことは、頷いた。捕まえられずに、それこそ社会的に『抹殺』されてしまうことのほうが、遥かに重い。それは、権利以前の問題だからだ。
魍魎だろうが妖怪だろうが、幽霊だろうが……そこにいる、存在する意味はあるはずなのだ。
そしてそれがある限り、権利と一体になった義務が付いてくる。
そういう、単純な答えなのだと……。
「ありがとうございます、矢部さん」
みことがそう言って顔を上げたとき、その矢部は向こうのほうに浮遊しながら歩いて行くところだった。
それでも、みことは彼に深く感謝した……。
朝、目覚めたみことは、朝食を奇麗に平らげる。
そして祖父に元気に挨拶をし、家を出る。
「いってきまーす!」
「おう、気をつけてな?」
そして電車に揺られて警視庁へと向かう。
思えば最初は、この巫女服での通勤にも違和感があったものだが……それにも慣れてしまった自分を感じる。そもそも他の第五課の人員は普通にスーツなどであるのに、なぜ自分だけ巫女服?
しかしそれでも、恥ずかしいと思う反面、誇らしいとも思う。そんなみことであった。
そして、今日も元気に……。
「お、おはようございまー……」
元気に挨拶をし、第五課に入ろうとした彼女は……それを見る。
「そもそも何でそういうことになったんだ? 事情は?」
「はあ、先方の話では、『なんか怖い人たちが押し寄せてきた』という……」
「それだけじゃわからん。まったく……ん? 神宮司君?」
ちょうどいいところに来た、という顔をする伊集院係長に、なんとなく嫌な予感を抱きつつ、みことは問いかける。
「あの、何か……?」
「何かじゃない。今、報告を受けていたところだ。なぜあの老人の家を、徹底的にマークしておかなかった?」
老人の家といえば、ひとつしか彼女に思い当たる場所は無かった。
そう、それは……。
「横井さんの家が、何かあったんですか!?」
「あった……というか、正確には無かった。未遂で済んだ。しかし、今後を考えれば……」
「何があったんですか!?」
そんな剣幕で詰め寄るみことに、伊集院は呆れた口調で。
「まさかあの老人の家が、地上げにあっていた事も知らなかったのか?」
「……え?」
そしてみことはひた走り、彼女の家に到着する。そう、横井の老婆の家だ。
「おばあさん、無事ですか!?」
そして玄関から飛び込もうとすれば……粉々に粉砕された、玄関のドアガラス。
ここで何が起こったのかは、もはや明白であった。みことはそのまま奥へと入り……。
「だ、大丈夫ですか、おばあさん!!」
そこで布団に横たわっている老婆を見る。彼女はみことの姿を見ると、すぐに身を起こそうとして……静かにそばに寄り添っていた少女に、それを押し止められる。
「あ、あの、あの! わたし、なにも知らないで……その!」
そうやってまくし立てるみことに、病床の老婆は笑いかけて。
「言わなかったからねぇ。まあ、仕方が無いよ」
「仕方が無いって……何をされたんですか? 玄関だけですか!?」
「まあ、とりあえずはね。この子が守ってくれたから……」
みことは少女の姿を見る。心なしか不安そうな顔をしている少女。
とりあえずはそれで問題はないとしても……とにかくみことは、確認しておきたかった。
家の中を歩き回り、異常が無いかどうか確かめて……。
「そんなにうろうろとするものじゃないよ。問題はないって言ったでしょう?」
「で、でも……」
こういう場合、みことには何をすればいいのか、わからなかった。経験が浅いのもあるが、まるっきり管轄外の出来事だったからだ。
とりあえずは自分に何ができるのかを考えるみこと。そして。
「あ、あの……相手は人間の方、でしたよね?」
「そうだよ。おかげでこの子がちょっとその本性の力を見せただけで、ひっくり返って逃げていってしまったけれど」
「……人数は?」
「四人かねぇ? でも、それがどうかしたのかい?」
みことは、ぶつぶつと何かを呟く。それは『人間に危害を加えた魍魎に対する法律』の一部だったのだが……それは老婆達にわかるものではなかった。
ただ、みことはそのあと、しっかりと彼女たちを見つめて。
「お、お任せください! このわたしが、しっかりとお二人をお守りいたしますから!」
そんな意気込みを見せるみことには、何がなんだかわからないという顔を見せる一人と一匹であった。
大勢の男たちが横井の家に押しかけてきたのは、そのすぐ後の事だった。
そして彼らは口々に『暴力を振るった猫又を出せ!』とのたまう。
懸命にその相手をするのが、神宮寺みこと。
「ですから、法律上、その身を守るために行なった行為に関しては、不問とすると……」
「やかましい、この小娘が! 早くあの猫又を出せ! ぶっ殺してやる!!」
「い、今の発言は公式に記録され、以後の処置に関しましては……」
「黙れって言ってるんだよッ!!」
さすがに男たちも直接手を出す真似はしなかったが、その代わりに猛烈な威圧をみことに送る。それに怯みそうになりながらも、みことは負けずに。
「警視庁第五課の面目に賭けて、ここは通しません!」
そうやって玄関に立ち塞がるのだ。その一方でさすがに痺れを切らしたのか、男たちはその手にした角材やらで、辺りを滅茶苦茶に破壊して回る。
「や、やめてください! これは後々問題に……!」
「ならねぇよ! テメエの口も封じるからな!」
「な、なにを……って、きゃぁっ!?」
そしてついに、みこと自身にも、その手は及び。
「は、離してくださいっ!! これは国家権力に対する……!!」
「やかましい女だな。おい、少し痛めつけてやれ!」
そして暴力が彼女に振るわれようとした、その時。
「……やめて……」
あの少女が……猫又の少女が、彼らの前に立つ。慌てるみこと。これ以上彼女に暴れられたら、下手をすればそれこそ……。
「魍魎が人間を意図的に傷つけたと、そういうことなら実刑受けますよ! それでもいいんですか!?」
「…………」
少女は、答えなかった。ただ代わりに、そばにいた男を、問答無用で殴り倒した。
それが、始まりだった。少女は大いに暴れ……男たちも応戦し……そして、死屍累々といった有様になって、ようやく。
「お、覚えてやがれ!!」
仲間を担いで逃げていく男たち。その後姿に、逆立てていた毛をおさめて、猫又の少女は部屋の中に戻る。
一方のみことはそれこそ真っ青な顔をして震えていた。あんな修羅場を目の前に、平静ではいられない。しかも、よりにもよって……。
「警官のわたしの目の前で人間への意図的暴力行為……これじゃあ庇い立てる事もできないじゃないですか……」
そんな心配をするみこと。それでも何とか家の中に戻り、老婆たちを前にして。
「あの……言い難いのですが、警視庁までご同行願えますか?」
……そして、取調室。
「タレは出ている……か。それで、君はどういうことをしたのかな?」
矢部が部屋の中で、少女を前に尋問をしている。被害届けは出ている。それを受けて、なおどういう対応をすべきか……そこが問題だった。
それをここから見定めていこうというのだが、少女はなにも答えない。
困ったように矢部は痒くもない頭をかき……そして続ける。
「ご覧の通り、俺も魍魎のお仲間だ。幽霊ってやつだ。それに対しても、同じく口を聞けないのかな?」
「…………」
黙ったままの少女。矢部はこれ以上続けても無駄だと感じた。だから静かに部屋の外に出た。
「ど、どうでした、矢部さん?」
そこに駆け寄ってくるのが、神宮寺みことだ。彼女に、矢部は首を振って。
「どうもこうも……ありゃ難物だよ。俺らの手に負えるとは思えんがね?」
「その……本当はいい子なんです。でも、ちょっと口下手なだけで……」
そして『ごめんなさい』と付け加えるみことに、矢部は笑って。
「いんや、いいけどさ。でも、あの調子じゃ現行犯での逮捕って事で……難しいなぁ」
「難しい……ですか?」
「まあ、何とか掛け合ってみるけど……こればっかりはなぁ……」
そう言うと、矢部は上司である伊集院の元へと向かった。そして、これこれと事情を説明して……。
「……隼人、これでも駄目か?」
「駄目だ。例外は許さない。彼女には罪を償ってもらう」
そう、あっさりと切って捨てる、伊集院。彼には血も涙も無いのかと、みことは憤慨する。
しかし、そんな彼女の心の内を見透かしたように、伊集院は。
「なにか文句があるのならば、彼女が無実だという証拠を持って来たまえ。もっとも……君が現行犯逮捕したんだが?」
そう言われては、みことも黙るしかない。そして猫又の少女は拘留される事となった。
「まあ、これでも軽いほうだけんどさ? 一応、魍魎による暴行罪の適用ってことで、拘留で済んでるんだから……」
矢部はそう言うが、みことには気が気ではなかった。
そもそも少女は、老婆を守るために戦って、その結果として他人に暴力を働いたのだ。それはいい。しかし、それならばなぜあの男たちは処罰されないのか……。
「これだから怖いねぇ、人間ってやつは……」
そう言いつつ、矢部はゆらりと影に消えた。みことは第五課の室内で、ただ一人悩み続けるのであった……。
みことがその家へ赴くと……彼女は、縁側で一人、ぽつんと座っていた。
「もう、あの子はいないのよねぇ」
そんな老婆に、みことは声をかける。
「あ、あの、でも拘留だけなので、あと数日も待てば……」
「その数日の間に、私がどうなるかしら」
そう、その数日の間、この老婆には守ってくれるものはいないのだ。そしてたとえ数日が経過して、無事にいられたとしても……その後、また同じことが起これば……。
「……ひとつ、頼まれてくれるかしら?」
老婆の言葉に、みことは頷く。
「私がいなくなっても、あの子が無事に生きていけるように……それだけが、心残りなのよ」
「そんな、いなくなる前提で話されてもですね?」
「いなくなるわよ。だって、もう……」
その時、老婆の体が、大きく傾いだ。慌てて支えるみこと。その腕の中で、老婆は呟く。
「……お願い、ね……?」
すぐにみことは救急車を呼び、老婆は搬送された。そして今は病室の中。
安否はよくわからないが、危篤状態だと聞かされたみことは、そのまま待合室にいるよりあの家へ戻ることを選んだ。
今、自分がここにいてもなにもできない。それよりは、彼女たちの帰る場所を守るべきだと、そう考えて。
そして、一人……横井の家を守って立つ。
「……来た」
そこへ現れたのが、あの時の男たち。今度は鉄パイプやらを引っさげてきたあたり、やはりこの家の事をなんとかしようとしているのは、間違いが無い。
ぐるりと、みことの周りを包囲する男たち。ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべている。
「何だぁ? あの猫又は、留守か?」
「あ、あなたたちのおかげで……拘留中です!」
「そうか、それは悪い事をした。だったらもう、遠慮はいらねぇよな?」
そう言うと、辺りを破壊し始める男たち。たちまちぼろぼろになる家。みことは何とかそれを引き止めようとしたが……逆に捕まって、羽交い絞めにされる。
「だ、ダメです! これは騒乱罪、及び強盗罪で……!」
「知らねぇよ! そんな罪状はいいから、あの婆を出しな! すぐにこの家を明け渡すように口を割らせろ!」
「だ、ダメなんです!! この件においては、建造物等損壊罪、また不動産侵奪罪により……!」
「知らねぇって言ってるだろうがボケ!! このまま絞め殺されたくなければ、早くあの婆を……ん?」
その時、男の一人が不意に向こうを向いた。釣られてそちらを見るみこと。そして彼女たちはそこに……信じられないものを見る。
「まったく、人間は度し難い! これでは、まだ魍魎のほうが価値があるというものだ!」
「か、係長……?」
そう、そこに立っていたのは……伊集院隼人係長。そして無造作に一人の男に歩み寄ると……そのまま猛烈にぶん殴る!
「て、テメエ!! 何しやがる!?」
「その言葉は公務執行妨害と判断する! 速やかに彼女を放し、こちらの指示に従い……」
「ウルセエ! この女をどうにかされたくなければ、さっさとどこかへ行きやがれ!」
「それは職務強要罪だッ!!」
さらに一人、殴り倒す。
「こ、このクソ野郎!! いますぐぶっ倒してやる!!」
「今度は侮辱罪だッ!!」
そして、また一人!!
その頃になって、ようやく男たちも、相手が只者ではないと気がついたようだった。しかし、その時にはすでに遅かったのだ。
「凶器準備集合罪……及び、住居侵入罪、その他諸々……貴様らには罰を受けてもらう!!」
「く、くそっ! やっちまえ!!」
そして一斉に飛びかかった男たちは……あっという間に伊集院に蹴散らされる。
「まったく! これが自分たちの守るべき人間かと思うと吐き気すらする! おい、神宮司君! ぼーっとしていないで、彼らに手錠を!」
「は、ははは、はい!」
慌てて手錠をかけるみこと。しかし手錠の数が足りない。そんなにじゃらじゃら携帯するものでもないのだから、それも当然なのだが……。
と思ったら、いつの間にか矢部が隣に現れていて。
「あまり昼間に活動させないでくれよ……。ほれ、予備の手錠。これで早く拘束しときなよ」
「あ、すみません……!」
そして男たちは、揃って逮捕された。さすがに現行犯では、言い逃れもできず……そのまま他の署員たちの手で後送されていった。
しかしこうもうまいタイミングで係長が現れた……その事に不審を覚えるみこと。それには、その係長自らが答えた。
「矢部さんの報告がなかったら、君もあの連中にどうにかされていた。まったく、無茶もほどほどにしたまえ。確かにこの家に張り付けとは言ったが、身を賭して守れとは言っていない」
「それはその、それよりも矢部さんが助けてくださったので……?」
その矢部だが、先ほどから影が薄い。やはり昼間だと、幽霊という種はこんなものなのかと、妙なところで納得するみこと。
「納得はいいから、俺、もう帰ってもいいか……? やっぱり昼間は駄目だ。この直射日光が、どうにも……な?」
そして彼らは胸を張って本庁に帰還する。若干一名、死にっぱなしで影の薄い人物を除いて。
……横井の家には、平穏が戻った。
縁側で猫と戯れる老婆の姿も、あとどれだけの間見られるかはわからない。
だがそれでもと、みことは思う。
「こういう一時が、少しでも長く続きますように……」
そう願うだけが、彼女の唯一のわがまま。刑事としてではなく、ただの一人の女性として、そう願うのであった。
「……それで、なぜ猫がこの課に迷い込んでくるのか、そういうことを聞きたいんだが?」
そして、あの日を境にどこからともなく第五課に現れるようになった、一匹の猫。
時折少女の姿に変身しては、第五課の職務室の中を掃除し始めたりするのだ。しかも、意外と気配りをしつつ、きれいさっぱりと室内を磨き上げていく。
どうやら老婆が寝ているときにだけ、こうやって現れては、恩返しをしているようなのだ。
これに関しては、まったく責任は自分にあると、深く反省するみことである。
だが、伊集院係長は意外とその猫を気に入った様子であった。
「ふむ、まあいいだろう。この猫又に関しては、神宮司君に一任する。好きにやりたまえ」
「い、いいんですか?」
「俺に聞く前に、課長に聞いたらどうだ? この伊集院という一人の人間、そして係長という役職からは、文句のつけようもないからな」
「か、課長ですか? それはちょっと……あの人いつもサングラスで怖いですし、そうそう顔を合わせるのも遠慮したいかな、と」
そういうわけで、ちょっと変わったマスコットが、第五課には増えた。その一方で。
「矢部さんって、意外と頼りになるんですね」
そんなことを言うみことに、相変わらずだらけて煙草を吸う、幽霊デカ。
「頼っちゃいけないよ。こう……あれだ。昼行灯と呼んでくれ」
「はい、幽霊なのに優しい、刑事の矢部さん♪」
そんなみことに、ぷはーっと煙草の煙を吐きかける、昼行灯の幽霊デカ……。
こうして、ひとつの何でもない出来事は終わる。
ただ、その最後に追記しておくならば。
これで彼らの話は終わりではなく、まだまだその始まり、序章に過ぎないのだ……ということであろう。
警視庁捜査第五課。ちぐはぐな集団だが、それでもまだまだ先の見えない、そんな集団でもあった。
さて、次の魍魎事件は、いずこで……?
「そういえばわたし、まだこれといってなにも事件を解決していないような……?」
そして神宮司みことに、この先の成長と、幸あれ。
とりあえず勝負用に昔の文章を引っ張り出してきました。cleopatra7さんの書いた物語とどちらが面白いのか、冷静に読者の方に判断していただきたいと思います。