スのカミ
「ようこそ、ニホンミツバチの世界へ」
先輩格の働き蜂からの挨拶。
ガードレールから飛び出し、車ごと崖を落ちて、ぼくは死んだ。
だが、死の痛みはなかった。
海にフロントから突っ込む車の様子が見えた。
律儀にシートベルトをしたままの運転席の自分の姿も見えた。
着水する瞬間から、時間は停止に向かうように遅くなり始める。
太陽は大空の一点で止まり、ただ点滅を繰り返す。
その真後ろからまんまるの月の輪郭が見える。
きっと太陽の方向に進めば、時は流れ、太陽から離れれば、過去に向かうのだろう。
時間の軸がぼくと太陽と月を結ぶ直線になっている。
そこへ真上から天使が降りてきた。
時間の軸と垂直に。
「あなた、生まれ変わるつもりはある?」
「あっ、はい。させていただけるのなら」
「上がいい? それとも下?」
「いまより幸せなら、上でも下でもかまいません」
「わかったわ」
「ようこそ。ニホンミツバチの世界へ」
「あっ、はい。お世話になります」
「ここは、それほど長くはいられないわ」
彼女の説明が始まる。
「きっとあなたは、すぐに次の世界に転生するはずよ」
「しっかり働いて、悔いのないように生きなさい」
「ありがとうございます」
「いいのよ。わたしたちは同じコミュニティの仲間なんだもの」
それから1ヶ月、ぼくは一生懸命に働いた。
巣の真ん中に女王がいる。
それだけで、なぜか安心だった。
人間として生きているとき、こんな安心感はなかった。
恋人がいても、仕事に恵まれても、心の奥の方に、拭い去れない疎外感があった。
ある日、両脚に花粉をつけたまま、ぼくは巣に帰れなくなった。
飛ぶだけの力が出てこない。
せめて、あとすこしだけ、仲間の近くでと思い、死期を見誤った自分を悔いた。
そこへぼくより若い雄の蜂がやってきた。
どうやら分蜂の季節のようだ。
同じく若い女王蜂が、ぼくの真上で周回するように飛んでいた。




