強くてかわいくてよく食べるカミーリア 4
私も立ち上がってカミーリアの顔をチラリと見てから自室を出た。飛び散った紅茶で床全体が湿っている。砂糖が入ってなくてよかった。
「お前、とんでもないのを拾ってきたな」
階段の踊り場で父さんは振り返り、苦虫を嚙み潰したような顔で私に向かってため息を吐き、そして本音を漏らした。
「だって……私の学校で災害用備蓄コンテナの乾パン貪り食ってるのみたらかわいそうだったから……」
「だったら購買の焼きそばパンでも買い与えるだけでよかっただろ。いや、無視してよかった。何でよりによって家に連れこむような真似をした」
父さんは不機嫌そうに煙草に見るからに高そうなオイルライターで火をつけた。父さんが人前で煙草を吸うのはかなりイライラしている時だけだ。
「だってかわいそうだったし……私もまさかマチリークから来た子だと知ってたら……いや、知っててもほっとかなかったと思うけど」
「単なる逃げてきただけのガキなら俺と同類だし助ける気も起こるだろうが、カミーリアは別だ。アイツは厄介だぞ。この家がマチリークに特定されて、しかも刺客が撃退された以上奴らは必ずまたやってくる。それもより獰悪さを増して」
「……何でこんなことに」
私は階段に座り込んで頭を悩ませた。やはり私はこんな時でも自分のことを考えている。
本当は私のことよりもカミーリアのことを第一に考えたいのに、私も父さんと同じで自分の身の安全を最優先したいと思っている。
「とにかくあの子を警察に引き渡そう。そして四国でも沖縄でもいいから引っ越そう。危ない橋を渡ることになるだろうが、カミーリアさえ手に入れたら奴等も遠出してまで俺らを消しには来ないだろう」
父さんは私に顔を近づけると、息遣い荒く私に大雑把な今後のプランを述べた。
カミーリアもそうだけど、父さんもひどくマチリークを恐れている。
自分の祖国なのにこの怖がりようはどう考えても異常だ。過去にあっちでどんな経験をしたんだろう。まぁ恐らく聞いても答えてはくれないだろう。
「でも、そしたら連れ戻されたカミーリアがあっちでどんな目に遭うか……」
「そんなの俺達には関係ないことだ。いや、長い目で見たらマチリークの国力増強に繋がるから関係あるか。とにかく、アイツを留め置いたらどんな怖い目に遭うかはお前がよく分かってるはずだ」
父さんは私の両肩を掴んで揺さぶって説得した。父さんは良心に背いてでも私達を守ることを優先している。
でも、私はやっぱりまだ知り合って半日も経っていないあの子を、保身のために地獄に送り返すなんてことはできない。
「せ、せめて、このことを世間に告発できないかな。カミーリアはマチリークから逃げてきた少年兵で、アンドレイ何とかが来日したのはこの子を連れ戻すためですって」
「……」
父さんは少し考えこんだ。
カミーリアの存在を大々的に世間に広めたら、きっと弱みになるはずだし仮にあの子がマチリークに連れ戻されてもひどい扱いは受けないかもしれない。
理想はリスクを取ってあの子の拿捕を諦めてくれることだが。
「ダメだ。俺の経歴がマスコミに嗅ぎつけられたら歯医者の定期健診で虫歯が見つかった時よりめんどくさいことになる。最悪俺クビになるぞ」
「いいじゃん。父さんイケメンだし文才あるからゴーストライターとかAV男優でやってけるよ」
「何で後ろ暗そうな就職先しかないの?」
そもそもゴーストライターがどうしたらなれるのかは知らないけど、それでも父さんは臆病すぎる。
私も優柔不断な人間だけど、良心の呵責に苦しみ続ける平和な人生はなるべく送りたくない。
でも、父さんは私とは真逆のようだった。自分達が助かるためなら子ども一人の命は目をつむる気のようだ。
「うぇーい。たっだいまー」
すると、母さんが空元気で声だけは明るく帰ってきた。
家族だから、声を聞けばその時の感情がだいたい読み取れてしまう。
「あら、二人ともそこで何話してんの?」
「おかえり。ちょっと今千明と話してるところなんだけど、あの子は俺らに手に負える存在じゃないよ。今からでも警察に引き渡さないか?」
「は?」
余所行きの格好をした母さんが、階段を上り父さんの顔面を睨みつけた。
紫煙を吐いている最中だったので母さんの顔にもろに煙がかかったけど、母さんも昔はヘビースモーカーだったので気にしなかった。
「何で? あの子がマチリーク人だから?」
「あの子は……」
「あの子がマチリークから追われてるというのは知ってるし、現にリビングのガラス叩き割られたから迷惑も被ってるけど、あの子をマチリークに引き渡すのが本当に正しいことかな」
「正しいとか間違ってるとか……」
「助けてあげなさいよ。アンタもマチリーク人の知り合いいるでしょ? あの子まだ子どもよ? それにロクな教育も受けてないのよ? 見捨てるなんてかわいそうだとは思わないの? 私はアンタと初めて会った時に牛丼奢ったわよね? 放置なんてしなかったよね?」
二人のレスバの経験差がすごい。発言途中で遮られてる。かわいそうに。
脚本家である父さんの本当の口は顔でなくペンにあるので、自分の意見を書面以外で語るのはあんまり得意ではないのだった。
「あ、それ覚えてる。私のサラダも食べたよね」
「あん時は……4日くらい水道水しか飲んでなかったから……」
「そう、今のカミーリアはあの時の父さんなの」
かわいそうだとは思うけど、私もカミーリアを手放したくないから母さんに加勢する。
「いや……でも、戸籍とかほら……あるだろ」
「そんなん後で市役所か家裁にでも行ったらどうにでもなるわよ。マチリークから来たってだけで、移民と似たようなもんよ。お金ならお互い結構あるでしょ? 功徳積むと思って面倒見てあげようよ? ね?」
父さんは目を泳がせているけど、まだ渋っていた。
「でも、君と千明に危険が及ぶだろ。何かあってからじゃ……」
「大丈夫ホラ、私にはこれがあるんだから。また来ても2人を守ってみせるわよ」
そう言って、母さんはスラックスの左裾を折って靴下を見せると、脛のところに付けた革ホルスターに納まるちっぽけな拳銃を父さんに見せた。
「じゃーん愛しのコルト・ジュニア」
父さんが呆れ返って眉間にしわを寄せる。
「君、それ持って警察行ったのかバカか?」
「大丈夫よ。空港みたいな金属検査はないって知ってるし、私は被害者だから手荷物検査もなかったから。帰り道とか不安じゃない」
ここだけの話、母さんは重度のガンマニアで、どういうやり方で手に入れたのか拳銃を一丁だけ持ってる。弾も何発か持ってるようだ。
普段はこの拳銃が辛うじて入る小さな金庫の中にしまって、家のどこかに隠してる。
何丁かモデルガンも持ってるけど、それらはカモフラージュだ。まぁ本物を前にしたら愛着もないだろうから扱いも雑だ。
人間、バレたら困るようなことの1つくらいあるだろうからあんまり気にしてないけど、深く考えるといつか捕まりそうでヒヤヒヤするというのもある。
「わかったよ」
父さんはイライラした勢いで吸い殻を階段の手すりに擦りつけて消すと、根負けしてうなだれた。
「ただ、アイツが自分から面倒ごとを起こしたり、しょうもない理由で逃げてきたりしたんだったら即追い出すぞ」
「そこはまぁ臨機応変に」
「無責任な言葉だな……触るなもう」
母さんがニヤニヤ笑って父さんのほっぺたを掴んで無理矢理笑顔を作った時、さっきのお巡りさんがやってきた。
「お取込み中失礼します。引継ぎの者が来ましたので私はこれで失礼します。あと……タオル貸してくれませんか」
ずぶ濡れで。
「あっ」
父さんが青ざめた。そういえばさっき父さん窓から紅茶捨ててたな。そん時のか。父さんもこの人も運が悪い。
「どうぞ」
父さんはゴキブリみたいな速さで洗面所に行くと、ふわふわのタオルを取ってきて、凍り付いた笑顔でお巡りさんに恭しく両手で渡した。
父さん、かっこいい時とそうでない時の差がひどい。
何はともあれ、カミーリアをこれで我が家に留め置ける。後は野となれ山となれの精神で、開き直ってどーんと構えてこうじゃないか。
と、言いたいところだけど、再びこの家が襲われた時、私は今の決意のままでいられるだろうか。