十九帥将
マチリーク軍占領下新潟県新潟市。
ミシュラン3つ星レストラン『ブリスフル』
80年代に元々は保育園だった建物を改修して洋風レストランにしており、店内と同じくらいの面積の庭では食材の鴨を放し飼いにしている。それを眺めながらの食事が評判を呼び、このためだけに来日する観光客も多いという。
午後9時。
占領下でも弾圧は暴動を招くというファンディッケンの指示により市民の外出は制限されていないが、多くの市民はライフルを背負った厳つい兵士達を恐れて出歩けずにいる。
公共交通機関は停止し、県庁や市役所はマチリーク兵の管理下にあるものの職員には変わらず仕事をさせている。マチリークの生活を脅かさないことをアピールするためだ。
もっともそれは表向きであり、自衛隊と警察からは警棒に至るまで全ての武器を剥奪し、刑務所の囚人は刑務所を野営に使うために自分で穴を掘らされてそこで処刑された。それは新兵達の学習教材も兼ねていた。
善意には善意を。悪意には敵意を。このマチリークの標語の通り、危険な存在は早い段階で手を打つことが徹底されていた。
「いらっしゃったぞ」
タクシーもまばらな夜の車道を、信号無視して走るベンツが2台の装甲車に護送されて店の前に止まった。
マチリーク製のクリンコフを肩から下げる兵士が後部座席を開けると、中からは兵士達の同じ灰色のつなぎとマガジンポーチが沢山付いた黒の防弾チョッキを着た、背は低いが肩幅ががっしりした角刈りの佐官が出てきた。
「お疲れ様です!!」
レストランを警備していたマチリーク兵が一斉に頭を下げると、彼は一言ああとだけ言って開かれた扉から店内に入っていった。
第一第二第三近衛師団師団長。総司令部付大佐。ブトゥーカ・ストラコフスキー幕僚総長。
階級は大佐で師団を任されているが、その中でも師団長の筆頭格である幕僚総長の座に就き、師団も第一第二第三近衛師団の3つ、約5万人の兵を束ねている。
それだけでなく他の師団に対して行政命令を下す権限を与えられ、戦地では将軍に代わり現場指揮を任されることもある、マチリーク軍の若手将兵の代表である十九帥将の頭的存在である。
「総長殿。防弾チョッキをお預かり致します」
「結構だ。俺が留守の間に自衛隊が反撃してきた時、着込む時間で数秒を無駄にしたくない」
「は、申し訳ございません」
「それはそうと閣下はもうお見えになられているか?」
「はい。今、励まれている最中でございます。他にはすでにエルベンストラレ警視が到着しております」
「……そうか。早く着きすぎたな」
毛先の短い深紅のカーペットを踏みしめて、いくつかの個室のドアを横切る。本来なら個室でない一般の客席の室内にある邪魔な座席を隅にやって無理やり個室に変え、別のホテルから強奪したローズウッドの長テーブルを置いていた。
そのテーブルで一番主賓の席に近い右の椅子で、エルベンストラレが1人座ってグラスに注いだペリエを飲んで座り込み、ガラス越しに雌雄の鴨が首を絡めてじゃれ合う様子を眺めていた。
軍部保安警察特務機関、地域福祉審議会主任。サヴァラン・エルベンストラレ。
「お疲れ様です。警視」
「ああ、これはお疲れ様です総長。今年に入って初めてお会いしますね。新年にご挨拶に伺えず失礼しました」
「いえ、お互い雑事に忙殺されていましたから。こちらこそ失礼を」
エルベンストラレはブトゥーカに気づくと立って頭を下げ、彼も同じようにお辞儀をして互いに軽く礼節の言葉を述べ、彼と真向かいの左の席に座った。
彼はブトゥーカと違ってブラウンのスリーピース・スーツを着て、白のワイシャツに抹茶色のペイズリー柄のネクタイを結んでいる。
髪もオールバックにしてポマードで固め、自分らを会食に招いたファンディッケンに失礼のない服装をしているが、ファンディッケンはむしろブトゥーカのような仕事熱心な仕事着姿の方が好むかもしれない。
この2人は公務員同士と言えど別の組織に属しているが、歳が近くまた似通った思想を持っているため互いに認め合っている。
「私はよく知らないのですが、このレストラン世界的に評判が良いそうですね。ミシュランだとか日本名店ランキングとか。普段貧しい食事しか食べていない私にはもったいないくらいですが、毒の心配は無いんでしょうね?」
「ええ。部下が厨房でシェフの動きを見張っています。このレストラン内と半径300mにも私の師団の二個大隊を配置させていますし、万一に備えて毒見役も連れてきています。ああ、すまん」
恐々とした手つきで若い日本人男性のギャルソンがチューリップグラスに注いだミネラルウォーターをブトゥーカの前に置いてワインのリストを差し出したが、彼は見もせずに突き返した。
「いらんよ水しか飲まないから」
「失礼致しました」
そう言ってギャルソンは脚を震わせて去って行った。その様子を2人はじっと見ていて、やがてブトゥーカは水を一口飲んでため息を吐いた。
「最近の新兵はまるでなってない。今のヤツの半分の礼儀作法もあればいいんですが、頭も覚悟も技量も足りない。小中高の教師の体罰を禁止する法律が制定されたからと言って、軍隊までそれに倣うのは訳がわからない。戦になれば敵を殺し市街地に火を放つ兵士が打たれたくらいで文句を垂れるとは片腹痛いですよ」
「まーいずれ志願兵だけでは公務員の数を賄えなくなる時代が来ることを上は危惧しているのでしょう。もう出来損ないを殴る蹴るの板金感覚で鍛える時代は終わったのでは? それに昔の連中も血の気が多いとゆーだけで別に優秀ってわけではなかったですよ」
「だからと言って兵の質をみすみす劣化させていく理由にはなりません。昨日も日本人の少女を強姦した馬鹿が現れて減給と10日の営倉入りにしたところです。逆に囚人の射殺を嫌がる腑抜けもいて、私が手本を見せてやりました。最近の若い衆は根本的に騎士道というものを知らんのです」
「総長のお仕事は相変わらず激務ですなー。私もマチリークに協力したいと言ってきた自衛官をビジネスに連れていってみたんですが、足手まといもいーとこでした。確かに世界最強の武装組織の兵士が戦争も知らぬ雛鳥と実は同じレベルだったというのは、信じたくないものがある」
「全くです。連中、基本的な上下関係すら理解しきれてないのですよ。一体何がしたくて公務員になったのやら。まぁ可愛げがあるヤツも中にはいますが」
2人が軍の有様を嘆いていると、ブトゥーカ達が来た道とは異なる従業員用の出入り口の扉を開けて、アリーフがやってきた。無難なダークスーツ姿で口元に血痕みたいなソースがついていて人肉を食らったように見えた。彼もまた十九帥将の一角だ。
「お疲れ様です総長。主任」
「おう、大丈夫か? 毒入ってなかったか?」
「大丈夫でしたよ。シェフの皆さんもプロだし自分の料理を汚すようなことしないんじゃないですか? というかあーんで毒見しましたし」
エルベンストラレが自分の唇を指差しながら彼に尋ね、気づいたアリーフはハンカチで口元を拭いながら返事をした。
「いいなーモテる男は。俺も料理うまくて美人な女と暮らしてー」
「エルベンストラレ警視、嫁探ししてるんですか?」
「いや、それが全く結婚願望ないんですよね。私女子どもを幸せにできるほど立派な人間じゃないんで。ところでアリーフ」
エルベンストラレが指でアリーフをこまねき、彼が首を傾げながら歩み寄ると、エルベンストラレは懐から財布を出し、開いて中から新聞のスクラップを出してきた。
「この歌舞伎町で見つかった首の切断面に皮膚が張り付いた不審死体。やったのお前だな? 何でこの女殺したんだ?」
アリーフは首に手を当てて決まりが悪そうにエルベンストラレから目を背けて答えた。
「いや……何というか美人局で僕をハメようとしてきたんで」
エルベンストラレが心底愉快そうな顔でアリーフを見上げてクツクツ押し殺した笑みを漏らした。
「美人局? お前がか? 驚いたな。俺が知る限りこの世で一番美人局と無縁なのがお前だったんだがな。日本人は見境がないんだな。末恐ろしい民族だ」
「ま、僕もおっさんの歳ですからね」
アリーフは不服そうに口を尖らせる。ブトゥーカは舌打ちをしてシガレットケースから煙草を出して口に挟んだ。
アリーフがそれを見てすぐに彼の元に駆け寄り、ライターをポケットから出して着火した。ブトゥーカが紫煙をアリーフに浴びせながら口を開く。
「あのな中尉。殺したくなる気持ちは分かるが、マチリーク人のお前がやったことがマスコミ共に知られたらお前の父君に迷惑がかかるんだぞ? マチリーク兵とバレない限り売られた喧嘩は買うな。お前は礼儀正しく気が利くし忍耐力もある。難しくないよな」
暗に身分を明かせば殺していいと言っている。
「はい。以後心します。申し訳ございません幕僚総長。主任も」
「うん。ま、困ったら俺を呼べばいいさ」
アリーフが恭しく頭を下げると、騒がしく響く複数人の軍靴の足音が更なる来客の到着を知らせた。
1人は剃り込みを入れたツーブロックヘアのいかにも軽薄そうな薄ら笑いを浮かべた30代半ばの男で、スーツこそ普通の色合いだが、およそ公務員には似つかわしくないピアスと中指薬指にはめた大きなダイヤとルビーの指輪がそれに拍車をかけている。
第五十七運輸師団師団長。兵站大佐。イーラス・ロアノフ大佐。
「お疲れ様です総長」
「ロアノフ大佐。相変わらず派手な見た目だな。師団長がそんなだからお前の師団は母数が少ない割に不祥事が多いんじゃないのか?」
「いつ死ぬか分からない稼業ですから悔いを残さないようにしてるだけですよ。ウチの連中に関しましても最近は改善されてきていますからご安心くださいませ」
「の割に先月、エルベンストラレ警視に1人消されたんじゃなかったか? 本来なら貴様、責任を取って給料の返納でもすべきはずだがな」
そう言いながらロアノフを押し退けつつ彼の分も椅子を引いてブトゥーカの横に座る七三分けの童顔の男。
彼は師団長の制服である金色の肩章がついた白い詰襟を着ており、胸元にいくつもの勲章を誇らしげに付けてある。
第六駐屯師団師団長 ロボフ・グラスノイチ大佐。
「ああ……その節はご迷惑をおかけしましたエルベンストラレ警視」
「うん。流石に公金を勝手に持ち出してそれで闇金やってたのはどうかと思う。百歩譲って自費なら無期停職で済んだかもしれんのにな」
エルベンストラレは真顔でそう言って気泡が減ったペリエを啜った。ブトゥーカがロボフに煙草を勧めながら彼の担当する区域について尋ねた。
「お前が任されている青森県の北部地域には問題はないか?」
「はい。日本人に敵意を抱かせないよう部下に朝夕の通学路の警備や地域の清掃活動や交番の代行をやらせてますが、功を奏してこの前農作業を手伝ってほしいと言ってきた農家がいました」
「チョロいな。今にマチリーク兵の子種を欲しがる女が湧き出てくるんじゃないか?」
ロアノフがギャルソンを呼びつけて、ボトルごと持ってこさせた淡い桜色のロゼワインの香りを物珍しそうに嗅ぎながら冷やかしを入れる。
「それはむしろ良いことだ。そうしたマチリークの血を取り込むことが高貴の証となり、我が軍に加入を希望する日本人が増えれば大いに助かる」
ロボフに向けたものだった冗談をブトゥーカは取り合わず、にべもなく正面から返答した。それがつまらなく感じたロアノフは、今度はトカレフを出して腰の前で持って壁際に佇むアリーフに振り向いて目を向けた。
「ようアリーフ。お前阿婆擦れに妙な因縁付けられたんだって?」
「はい。総長殿に先程お叱りを頂いたところです」
ロアノフが手を叩き、舌ピアスのよるものか先が割れた舌を出して品のない笑みをアリーフに見せた。
「殺すにしてもババアなら犯すメリットもないし散々だったな。せめて女子大生とかならレイプする大義名分ができて俺ならむしろラッキーなんだが」
「あなたが警察に左遷されないことを祈りますよ」
アリーフが無言のままニコニコ笑みを浮かべていると、また1人兵士が入ってきた。
長い亜麻色の髪を結んで肩から前に垂らした女だ。均整の取れたしなやかな肢体だが、およそ会食には似つかわしくない迷彩服姿でも気付くほどグラマラスな美しい女だった。
カーラベルサターナ・ザファロヴァ 東北地方占領区域筆頭弁務官。
日本の占領下にある自治体や官僚らとの渉外が役目だが、ロボフの師団ような日本に駐留しているマチリーク兵に対し、本国の司令部よりは下だが日本国内に限り臨時の指揮権を貸与されているため、その交渉は常に誤魔化せない血と鉄の臭いがある。
だが、彼女は厳密には陸軍人でなく中央指導省側の公務員である。最高戦力四熊の1人であり、アリーフの姉である。
「まさか、この場に男しかいないから野郎のふざけた会話をしていただけですよ。今あなたが来たからはいカチッ。紳士モードに入りました」
「やめろ貴様と同格に思われる」
「カーラ姉さ、ゲフンゲフン。弁務官殿。今日は珍しく帯刀してないのですね」
彼女のところへとアリーフが駆け寄るが、彼を待たずに自分からアリーフの方に接近すると、脚に沿わせて腰に差していた軍刀を抜いて塚を彼の脇腹目掛けて突いた?
「うげっ」
「馴れ馴れしくするなと言ったはず」
そう言ってエルベンストラレに一礼すると、刀をテーブルの自分と彼の間に立てかけて着席した。アリーフは苦悶の表情を浮かべて床に倒れ、微動だにしなくなった。
「カーラ君。弟にはもう少し優しくしてやったらどうだ? 君が綺麗な肌でいられるのはコイツのおかげだろう」
「だからこそ厳しくしてるんです。兄は弟を甘やかしたまま死にました。そのせいでコイツは先日も問題を起こしたようにこの歳になっても甘ったれたままなんです。仮に堅気になるというなら態度も軟化させますが、部下なら話は別です」
エルベンストラレが彼女を注意したが、カーラは倒れるアリーフを気にする素振りも見せずに腕を組んで閉目し、彼は嘆息した。
それから数分経ち、会話も途切れて全員が気まずさを覚え始めた頃に大勢の足音が鳴り、残る他の師団長達が整列してやってきた。中佐クラスで階級自体は劣るが、それでも若くして一万を超える兵と高額な大型兵器を任された軍の出世頭達だ。
「お疲れ様です皆様」
中佐達を代表してブトゥーカに視線を合わせ、にこりともせず全員に頭を下げる男は中佐の中でも一際若く、20代半ばにも満たない少年の面影を残したクリーム色に近い金髪の若者だった。
第三十五憲兵師団師団長 ディミトリ・アバルキン。
しかし筋肉質ながらも引き締まった理想的な体躯と勇敢さと叡智を讃えた丸っこくも鋭いミミズクのような目つきは、颯爽とした佇まいに拍車をかけ、対峙する者に自然と畏敬の念を抱かせる。
「1人足らないな」
ロボフがロアノフのボトルを奪って自分のグラスに注ぎながら首を傾げると、ロアノフは返されたボトルを掴んでさらにロボフのグラスに並々と継ぎ足しながら疑問に答えた。
「海洋警備師団長のイワン中佐だろ。流石に彼は軍艦から離したらまずいからな。ま、今度最高の鮭児のルイベでも奢ってやるか」
「貴様にしては真っ当なもてなしだな」
「だってほらアレだろ。イワン君、40の癖に17の嫁貰ってるし」
「それは初耳です警視殿……どいつもコイツも若い女を娶ることをステータスと思っている」
「ちげーよボケ、単に燃えるからだよ」
ロアノフはせせら笑いながら煙草の灰を床に落とした。隣に座っていたディミトリの派手な装飾の革靴にそれが舞い落ち、彼は露骨に嫌そうに顔を顰めて爪先で床を叩いた。
「お前ら黙れ。警視も付き合わないでやってください。もうじき閣下が来る頃だ。あとは来てないのはイワン中佐以外は……ミハイルか。アイツは来るんですか? 警視」
「さぁねぇ。アイツは本当に自由気ままですから。そもそも公務員でもない大元帥直属の私兵ですしそれも当然なのかもしれませんがね。君は何か知ってるか弁務官」
「いえ何も聞かされてません。知ってるとしたらそもそも会食があると伝えたのはアリーフのはずですが」
「まぁ来ないなら来ないで奴が閣下のヅケを悪くして上等な飯を食いそびれるだけの話だ。簡単な話だよ」
「閣下がご到着になりました!」
エルベンストラレがそう言ってカーラの肩を叩いた時のことだった。
駆けつけた新兵が十九帥将に叫び、何人もの兵士の挨拶と共に入り口の扉が軋む音を立てて開くと、柔らかな床に軍靴の重厚な足音を響かせ、ゆったりとした足取りでファンディッケンがやってきた。
濃紺のスラックスとネクタイを締めたワイシャツの上から防弾ベストを着用し、光学機器を取り付けたレバーアクションライフルを持って腰にコンバットマグナムを下げた衛兵を3人伴って来たので、場の空気に従ってギャルソンや女のセルヴーズ達すらお辞儀をした。
ドアが開く音がした瞬間に将帥達は感電したような速さで起立し、彼が師団長側の左の道を通ったのを視認すると、一斉に深々と彼の方へ頭を下げた。
アリーフも少し遅れたが立ち上がり、姉の隣で頭を下げた。コイツ構って欲しくて気絶したフリしてたなとカーラは確信した。
「もう座っていいですよ」
ファンディッケンは中央の1人だけ革張り椅子に深く腰掛けて身を預けると、一言そう言った。ブトゥーカを始めとする十九帥将らがはっと言って席に着くが、アリーフだけは座らなかった。
「……失礼致します」
「いや君も残りたまえジェスタフ君。君にも日頃車の運転や偵察や使いなど世話になっていますからその苦労を労わせてください。何より君も我が国が誇る精兵なのですから遠慮する必要はありませんよ」
人前では父上と呼ぶなとファンディッケン自身から言われているのでアリーフは最上級の上司と思って、実際事実であるがそう扱って首を垂れて踵を返しかけたら、彼から呼び止められた。
「閣下がそう仰せだ。中尉、座りなさい」
エルベンストラレがさっきとは別人のように冷ややかな声を発して上顎でアリーフの席を指し、席に着けと命令した。
「ありがとうございます閣下」
アリーフは1人だけ格下なことに疎外感を感じながらも断れずに致し方なく着席した。
「さて、君達には多忙を極める中ご足労をかけて申し訳ありません。しかしその代わりに朗報を持ってきました。先程宮城県県知事が我が軍の滞在を認め、県内の警察と自衛隊基地に武装放棄を命じました。これにより東北最大の都市である仙台が指揮下に入ります。君達の尽力に心から感謝を申し上げます」
「我々の力など微力なものでございます。全ては大元帥の薫陶と閣下の天賦の才である交渉術の賜物であり、マチリークの更なる発展のため我々は使い潰されることも厭わぬ覚悟で邁進していく所存です」
ブトゥーカは吉報を告げられて少しだけ頬を緩めたが、すぐに貝の殻のように口をギュッと結んで謝辞を代表して述べた。
「使い潰すなどとんでもない。若い君達には私が死んだ後にこの国を導く使命がある。私の代わりはすでに君らがいますが君達にはいない。だから君達には君達の代わりとなり得る次代の優秀な人材を育てる義務がある。そのためには我々は支援を惜しみません」
ファンディッケンはそう言って、ギャルソンが震える手をもう片方の手で握り締めて注いだワインをグラスの足に指を挟んでそっと回した。
「今後も進軍を続けていけば、日本も痺れを切らして別の地域の自衛隊に治安出動を命じるでしょう。それも退ければ日本の首脳陣は関西か九州、沖縄に移り、以降は交渉の相手はアメリカ、国連となるでしょう。そこまで漕ぎ着けてやっと第1章は終了です」
「はい。米兵が即座に逃走してくれたのは僥倖でした。もしこの戦争にアメリカが介入したとしたら頭を抱えることになりますので。それと各国の外務省が自国民に退避勧告を出していますが、占領地に住む在日外国人に関しましてはいかがしますか? 大使館も声明を出しております」
「ほっておきなさい。荷物をまとめて逃げる分には引き止めないが帰ってくることは許さないと告げたはずです。逃げないというのは我々の統治に異論がないということです」
ロボフの質問をファンディッケンは飄々とした顔で答えた。マチリークはロシアの支援を受けてるいるとはいえ日本領の自治区のため、この問題は世界的には日本の内政問題と見られている。
そこに他国が加われば、ことは内戦から大国同士の代理戦争となりベトナム戦争と同じ轍を踏む羽目になる。そうなればマチリークの痛手は計り知れない。
「それに我々は日本だけに兵を割いている場合ではない。ちょっと君達、悪いけど下がってもらえますか。料理を運ぶ時になったら戻ってきてください」
ファンディッケンはワインを一口飲んでから、壁際に佇むギャルソン達に退室を命じた。彼が目配せをすると衛兵の1人が歩き出してベストから封筒に入れた札束を出し、気前の良さを見せつけるため一人一人に万札を渡した。
全員が厨房の方に消えていくと、ファンディッケンが口を開いた。
「最近、北アフリカに位置するチュニジアという国で反政府運動が盛んになっています。政権側はかなり厳しくデモ側を取り締まっているようですが、恐らくベン・アリー大統領は逮捕かその前に殺されるか亡命するでしょう。我々は近く反政府側に投資をするつもりです」
「それはまた……随分と遠方の国ですね」
「ええ。多分チュニジアに呼応する形でイランやリビアやエジプトなどアラブ諸国において大規模な反乱が起きるはずです。彼ら産油国に貸しを作れば武器弾薬に石油などの資源をロシア以外のルートから安く入手することが期待できる。それを狙っています」
「そううまく行くでしょうか? 我々無頼漢の支援など拒まれるか程よく利用されて約束を反故にされる可能性もあります」
エルベンストラレがそれに疑問を呈し、ロアノフとカーラも微かに頷いた。
「ええ。我々の存在を悟らせないやり方で資金提供は行うつもりですが、もし義理の欠けた真似をするなら、ちょうど今手を焼いているナルシェーニエの問題が済んだ暁に真っ先に地図から消えてもらいます。簡単な話です」
何てことなさそうな顔でファンディッケンはそう言うと、顔の前で組んだ指の関節をバキバキと鳴らして全員を舐めるように見つめた。
「ま、もう少し様子を見てから反政府勢力とコンタクトを取るつもりですがね。君達にはそれよりあの一家の方が大切でしょう」
「はい。私の部隊はこれに関してはお役に立てずお恥ずかしい限りでございます」
ロアノフが手を膝につけてファンディッケンに詫びを入れる。下品な態度と派手な見た目をしているが、完全な縦社会の軍隊に籍を置く者として恥じぬ、最低限の礼儀作法は会得しているらしい。
「謝ることはない。君には君の使命がある。しかし珍しい一家です。あんな火薬庫のような子どもの面倒を見てくれた礼をさせてほしいと私は頼んだのにその要求を断るとは」
「まだ断ると確定したわけではありませんが。いや、助っ人を呼びつけて調子づいてるでしょうし、やはり要求は蹴ってくるかと愚考致します」
エルベンストラレは苦い顔であの時の清香の絶叫を思い出した。少しジェントルマン過ぎたかもしれない。せめて指を切り落とすべきだった。彼は天井を見上げてそう思った。
「彼らが要求に応じないならそれはそれで結構。因果応報の末路を迎えることを了承したというわけですから。エルベンストラレ君。この件は君に一任します。君の手腕にはより一層期待していますよ」
ファンディッケンは腰から自慢のシングルアクションアーミーを抜くと、撃鉄を起こして鈍い金属音を立て、引き金を引いて空打ちした。
「ご期待に背かぬよう覚悟致します」
エルベンストラレはそう述べると、背もたれに身を委ねた。同時にファンディッケンの背後の衛兵が掌を口に近づけた。袖の中から忍ばせている小型マイクで別のフロアの兵士と会話しているのだ。
「了解。失礼致します閣下、店側が料理を運んでいいかと聞いていますが」
「ああ、どうぞどうぞ」
「かしこまりました。ああ頼む」
その言葉を待っていたキッチンで待機中のギャルソン達は一斉に両手に皿を持って通用路を通ってやってきた。ここでもし師団長の誰かに料理ぶちまけたら爆笑するのになとアリーフはナプキンを首に回しながら思った。
「姉さ、弁務官。やりましょうか?」
「……ええ」
首の後ろでナプキンを結ぶのに手間取る姉を見かねてアリーフが立ち上がって手間取るカーラを助けた。
「鴨肉のロースト、スパイシーカンバーランドソース添えでございます」
ギャルソンが彼らの前に置いた温めた陶器の皿は、蒸し焼きにした桃色の薄切りの鴨肉を扇状に並べ、その上から血のように赤いソースをかけていた。付け合わせに半分に切った芽キャベツとアスパラガスにほうれん草を混ぜたマッシュポテトが盛り付けられている。
美しい色合いの料理だったが、この場にいる全員がスパイシーカンバーランドソースって何? と思ったが全員見栄を張って質問できずにいた。
それと同時にパンが置かれ、グラスにファンディッケンが見繕った赤ワインが注がれる。酒を飲まないエルベンストラレや下戸のアリーフも断れないため憂鬱そうな顔でグラスの底に溜まっていく赤い液体を見つめた。
「それでは諸君。しばし硝煙と血の臭いを忘れてマチリークの今後について語り明かそうではありませんか。それでは……?」
ファンディッケンがグラスを掲げた時、何かに勘づいてガラス張りの外の闇夜を睨んだ。するとランプの灯りの下で影が動き、眼鏡をかけた血だらけの肥満の男がガラスに衝突し、蜘蛛の巣のような亀裂を走らせて地面にずり落ちた。
「な、何だコイツ!?」
ロアノフが椅子から飛び上がって懐からオートマグを抜き、衛兵がファンディッケンを椅子ごと後ろに倒して床に伏せさせ、銃を抜いて左右を警戒する。
警備兵が装甲車を回すよう外部に無線連絡すると、背負っているクリンコフを構えて師団長達の警護に回ったが、エルベンストラレとブトゥーカとカーラ、そしてアリーフは、頭を抱える代わりのような重いため息を吐いて俯いた。
「あーああ あの声で あの顔で 手柄頼むと妻や子が ん? お前らどうした?」
すると、鉄板を仕込んだ靴底によるガツガツと重厚で物々しい足音を立て、妙に気品のある声で日本の軍歌を歌いながら誰かがやってきた。
「いや……外から何者かが投げ込まれてきて……」
「ああ、それ俺」
そう言って、会食の場に入ってきた男は巨大な銃剣を抜き身で付けた対物ライフルを肩に立てかけてネクタイまで真っ黒なダークスーツ姿で、スコーピオンを収めて拳銃弾を余すことなくはめ込んだガンベルトとライフル弾の弾帯ベルトを襷のように肩にかけた、まるで任侠映画とマカロニウェスタンを足して割ったような出立ちの大男がやってきた。
「お疲れ様です皆様。これ俺なんでご心配なくとお伝えしに来ました。何か歩道橋からこっそり盗撮しようとしてて注意したら俺まで撮ってきたから制裁を与えたまでです」
「ミハイルこのガキ!! ここがどういう場だか弁えてんのかクソチンピラが!!」
「テメェはいつも傍迷惑なんだよこの野郎!! 喧嘩売ってんのか!?」
ブトゥーカが血管を浮かせて彼を怒鳴りつけ、中佐の1人もそれに応じた。
「あーすいません。殺すか否かの許可を閣下に尋ねたかったので」
ミハイル・ラスカロフ。大元帥直属護衛部隊三光部隊隊長。四熊の一人だがあくまで大元帥の私兵という立ち位置であり公務員ではない。
しかしそれが気にならないほどの圧倒的な強さを持っている。だが、ジェスタフの護衛に失敗したことでその評価は現在再考されてしまっている。
「あービビったわーミハイルお前ビビらせるなよーうぐっ」
「ミハイル。お前もこの場に呼ばれているのにも関わらずすっぽかした挙句、食事でなく騒ぎを起こしに来るとはどういうつもりだ?」
アリーフは気にせずにミハイルにハグをしようとして頬を掴まれ、エルベンストラレが鋭くミハイルを睨みながらやんわりと糾弾する。場の空気が悪くなった中でファンディッケンが手を叩きながら立ち上がった。
「ミハイル君。君も部隊長として配慮というものを覚えてください。君の仕事は血気盛んなだけでは成り立ちません。忘れないでくださいね。ただ、その君の逞しさと忠勤さを私はとても頼りにしています。そのことも忘れずに」
そう柔らかく諭すように注意をすると、ミハイルは調子が狂った様子ではいと言い、外で気絶している男を指差した。
「あれはいかがしますか?」
「殺すほどでもないでしょう。目障りだから処理は他の者に任せるとして、君も来たのだから座りなさい」
「はい」
そう言ってアリーフが座っていた席に座ると、彼の料理を皿を持ってマナーのマの字もない姿で貪り始めた。アリーフは捨てられた子猫のような顔でミハイルを見ているので、横にいたギャルソンが見かねて新しく持ってきますと伝えて厨房に入っていった。
「ま、一悶着ありましたが君達も仏頂面を直しなさい。軍部内融和、意思の統一がなければこれからの闘いは勝てません。君達にはマチリーク軍の顔として兵を監督すると共に、師団同士これまで以上に密接に隣接しなければ」




