最終警告 2
「心配するな。お前達を殺るなと上からは言われてる。というか、お前らも自分が何でこんな場所にいるのかちょっとは心当たりがあるだろ? 大葉千明」
「げぁっ!?」
エルベンストラレは母さんの胸ぐらを掴んで椅子ごと身体を起こして脈を測った。そして、昭和の白黒テレビを直す時のように手刀で腹を叩き、腹に溜まった茶を吐かせて叩き起こした。
「誰からな、名前を聞いたんですか」
「名前? それ今重要なことか? 郵便受けを早朝にガサガサしたら塾の勧誘チラシで知っただけだぞ」
エルベンストラレはそう言って私の方に向かうと、スーツを脱いで私の肩にかけた。煙草とガスに似た臭いが香ったけど、恐らく硝煙だろう。初めて嗅いだ。
「冷えるだろう。とりあえずはそれで我慢してくれ。とりあえずお前らがリラックスできるように少し話をしよう」
「話?」
母さんが身体をずぶ濡れにさせてエルベンストラレに聞き返した。明らかに寒そうなのはあっちだったがこの男にはそれがわからないらしい。
「まずマチリークの幹部が交戦中でもない国で死んだのは初のことでな。ジェスタフ君は軍部最年少で役員になった男だが、不憫にもそっちで我が国に名を残すことになったわけだ。が、彼はもう一つ喜ばしくない記録を打ち立ててしまった。幹部が堅気に殺されたことだ。おっとおっと」
それを言うとエルベンストラレはわざとらしく右手を突き出してぶんぶん振り、両手をピストルのカタチにして私達を撃つ振りをした。
「殺したのはお前達がカミーリアと呼んでる、ウチが大金を注ぎ込んだ生体兵器と言いたいんだろ? ま、正しくは加担したということだがそれでも由々しきことだ。何せ我々は武力しか強みがない。そんな様で幹部が堅気にやられたのが知られたら諸国に舐められる。おまけにその生体兵器は取り返せずじまいとあっては穴があったら入りたいほどだ」
「それで?」
エルベンストラレは私を指差して、その指をトンボを捕まえる時のようにくるくると回した。
「本来ならそんな舐めたことをしてくれた連中は例え南極まで逃げようと追って処分するんだが、閣下は寛大な方だ。お前らがあのガキを差し出すなら全て不問にするだけでなく謝礼金を渡すと仰っている」
母さんが訳知り顔でほくそ笑み、今度はエルベンストラレはそっちに向かった。
「ああ、アリーフから私がそれを拒んだ話を聞いたってことね。だから宥和政策をやめて直接脅しに来たってこと? あーわざわざご苦労様」
母さんが煽り、エルベンストラレが何気ない仕草でカーディガンに手を入れてやおらベルトに触れたことに私が気づいた瞬間、彼の拳が銀のラインを引いて母さんの喉を滑らかに横切った。
「あ……」
母さんの首筋に赤い線が浮かび、血が滲み出てきた。自分が殺されたと錯覚した母さんの顔面が蒼白になり、やがて恐怖を感じるくらいには余裕があることに安堵してため息を吐いて身体を震わせた。
エルベンストラレの人差し指と中指の間には小さな両刃のナイフが挟まれていた。いわゆる暗器という物だろう。
イラついて母さんを殺そうとしたがミスったのではない。黙れという警告でわざと頸動脈を外して薄皮だけ切りつけたんだ。どんくらい人の喉を掻き切ったらそんなテクニックを会得できるんだろうか。
「そういうとこだ。文官幹部を1人殺したから勘違いさせてしまったようだが、我々を軽く見ない方がいいぞ。それを教えるために私はお前らを拉致した」
そう言って首を捻って鳴らすと、ナイフを戻して尻ポケットからゴム手袋を出して装着した。それから部下の1人が懐から剪定鋏を出して、彼に渡した。
私はこれから何をされるのかと足が震えて、母さん同様割と洒落にならないレベルで漏らしてるが、不思議なことに顔は自分でも驚くくらい真顔で、思考も冷静だった。諦めかもしれない。
「お前らへの要求はただ一つ、あのガキをマチリークに帰るよう説得してほしいんだ。これ以上カミーリアといると私達の身が危険だから出てってくれと言ったりとか、どうするかは我々も協力する」
「現に今身の危険に晒されてるわけですがね。大体そんなこと言ったらむしろマチリークに復讐として戻るんじゃないですか?」
私がそう言うと、エルベンストラレはあっなるほどと言って掌の上に拳骨を叩いて置いた。
「その手もあるな。流石はティーンエイジャー、頭の回転が中年の私とは違うな。正直あのガキが望んで戻るか嫌々戻るかは大した問題じゃない。問題はどうマチリークまでしょっ引くかだ」
「……?」
私は顎のかゆみに耐えながら彼の話の続きを待った。舌で舐めたくらいじゃ消せないくらいかゆい。何か蚊でも止まってるような気さえする。
「私の管轄外だし知るところじゃないが、どうせアレは本国では前にも増してより厳重な管理体制に置かれるんだろう。しかし、そこに移送するまでどうしても警備が甘くなる。そこをどう切り抜けるかが問題なんだな。暴れられてまた我が国の資産が損なわれるようなことだけは避けたい」
「だからやろうと思えば私達じゃなくカミーリアを拉致することもできたのにやらなかった」
「ああ。そゆこと。ずっと薬物を投与してショックで死なれても困る」
エルベンストラレはそう言うと、大欠伸をして腕時計で時刻を見た。今何時なのか。というかカミーリアにリュウにアナスタシアちゃんはどうしたんだろう。まさかと思うが、同じように薬物を注射されたんだろうか。
今の頭痛が薬物によるものなのか恐怖か寒さからなのかが分からない。吐きそうで気分が悪い。
「分かったわよ……」
母さんが憎々しげに呟いた。
「何が分かったのか教えて頂きたいね」
「カミーリアにマチリークに戻るよう説得してみる。ただしあの子はマチリークを相当嫌ってるわよ」
「母さん……」
私は母さんの言葉を遮ろうとしたが途中で言葉が出なくなった。というより自分から話すのを打ち切った。こんな状況ではこれ以上どうしようもない。むしろ今までが平和すぎたんだ。
「その言葉が聞きたかった。が……奥さん、あなたみたいな専業主婦には分からないだろうが社会では口約束ほど信用できないものはない」
「な、何? 誓約書にでもサインしろと? ひっ……」
エルベンストラレに露骨に怯えながら母さんがそう尋ねた時、剪定鋏の冷たい刃が母さんの頬を平手打ちした。
「いいや、もし我々に背けばどうなるかを触りだけ理解してもらう。コイツは枝やゴムホースとか細長く硬いものを切るための鋏でな。ちょうど剥き出しだし、これで足の指を2本くらい切断するというのはどうかな? 謝礼金で義指を買えばいいし人の足なんか普通誰も見ない」
「は、は!?」
彼はそう言って屈み、母さんの足を手に取った。その気になれば蹴れるだろうけど、怖くてできないのだ。今はそれが懸命だろう。
構図だけ見たらシンデレラにガラスの靴をはめる王子だったが、実際には残忍な誘拐犯と被害者の関係だ。
「……!」
母さんの足の指を摘んで吟味するエルベンストラレを怒鳴りつけようとしたら、空気を食むだけで何も話せない自分に驚いた。それに気づいた瞬間に自分が彼に屈服したことに気付いて泣けてきた。
今まで胸にあった自分の無駄な万能感や虚栄心が崩れ去っていき、残ったのは弱く浅はかな己を悔やむ自分だけだった。何でこんなオヤジにされるがままにされなきゃならないんだ。
「心配するな。止血はしといてやる。よし、最初は小指がやっぱりマストだな」
エルベンストラレはそう言って母さんの小指の爪を刃で挟んでべりっと剥がした。
「ギャアアアアァァァァァァッ!!」
今まで聞いたこともない母親の悲鳴に私は怖気立った。自分はあんなことをされたくない。自分じゃなくてよかったと心底思った。
部下の連中も恐々としていた。
「痛いだろ? 私も昔自分にやったことがあるが本気で泣いたよ。なぁに。爪ならまた生えるさ」
軽いノリでせせら笑いながら、エルベンストラレは泣きじゃくる母さんの髪を掴んで自分の顔まで持ってきて、ねっとりと表情筋を動かして母さんを睨みつけた。
「分かったか? もし今自分が言ったことを反故にしてみろ。この痛みが愛撫みたいなもんに思えるくらいの責苦を与えて殺してやる……んで」
エルベンストラレは脅し文句を並べてから母さんの頭をゴミみたいに放り捨てると、振り返って私の背後の部下を見た。
「そろそろ出てきた方がいいんじゃないか? お父さん」
そう言うと鋏を一番右端の部下に向かって投げつけた。
「うっ……」
男は声を漏らしてそれを蹴り上げ、ギリギリで真上へ弾き返した。その声には聞き覚えがあった。
「気づいていたのか」
彼はそう言うと、目出し帽を脱いで素顔を晒した。
「な、だだば!?」
隣の部下が驚愕して彼から距離を取った。父さんだった。薬を注射されたはずなのに何でいるんだ? それにどうやってついてきたんだ? 思うことはあるけど何にせよ少しだけ安堵した。
「うん。40点だな。服を奪う際に自分と同じ体格の奴を狙ったのはいいが、私がアイツの首を絞めた時にお前だけ我関せずと嫁を見ていた上、息遣いはやたら荒く、何よりついにその嫁が危害を加えられるまで出てこなかった。バカめ」
エルベンストラレが父さんを冷静に分析している。存在にずっと気づいていたけど泳がせていたのか。
母さんが10年は老けた疲れ切った顔でそう言った。その顔にもこころなしか落ち着きがあった。
「そ、そうよ……いるなら、止めなさいよ……」
「すまん」
エルベンストラレは詫びる父さんの顔をじろじろと見た。睨んでるわけでもないが嘲りや疑いすらも何の感情も読み取れない表情の消えた顔つきで。
「ま、指を切断するのは嘘だ。私の目的はお前さ大葉流琴。そもそもの話、経験上女子供はさらって拷問しても敵を焚きつけるだけでむしろ逆効果だ。弱いものいじめだからな」
そう持論を述べるエルベンストラレの顔は教師そのもので、ジェスタフにあった覇気など全く見えなかった。それがこの男の強みなんだろう。
「むしろ、屈強な益荒男を拉致して四肢切断にして上下逆にした末に送り返してやった方が、よっぽど無益な血を流さずに済む。あとは言わなくても分かるな?」
エルベンストラレはまたナイフを指に挟み、棒立ちのまま腕だけ構えると、左手の指先を引っくり返ったゴキブリのようにくねらせた。
父さんは背中からおもちゃのピストルみたいなものを抜くと、下に強く振り出してグリップから伸びた部分を射出させた。特殊警棒を改造してトンファーにしたのか。刺突に適すように先端が削られて尖っている。
「絵に描いたようなサイコパスだなお前……。俺だけは何もせず去り際にわざと物音を立てて起こして誘き寄せたわけか」
「お前のことも調べがついている。反軍組織に属して色々悪さした後に国外逃亡。そんで今は脚本家か。お前の舞台ビデオで見たけど割と面白かった。だが不幸だね。あんな厄介の種を拾わなければ再び我々の目につくこともなかったのに。ああ、それと」
エルベンストラレはナイフの先で父さんを指差して、しかめっ面で口を開いた。
「そのサイコパスって言葉最近よく聞くが私嫌いなんだ。ああいうのは公務員になっても役に立たない。というか、あの手のは自分勝手だから秒で死ぬしな。第一にアイツらはたかが人1人殺したくらいで悦に浸り、それをじっくり味わって余韻にも浸っている。そんなんじゃ話にならん。もっと次だ次と切り替えてやっていかなくちゃ仕事にならんよ」
「ふん。ビジネス感覚で淡々と殺して回る方が遥かに悪質だぞ。それにサイコパスはサイコパスだと気付かないもんだ」
「エル……いや、主任! 僕らはどうすれば?」
父さんが彼の職業倫理観を一笑に付すと、少し離れた先で見ている部下達が彼に声をかけた。
「加勢されても足手まといだ。お前らはコイツにやられたHの捜索と外の見張りでもしてこい」
そう指示を出すと、部下達は大人しく従って扉を開けて外へと出て行った。
「さて、遅れてやってきた主役よ。家族にしっかり見てもらおうか。お前が私に弄ばれて、惨めに命乞いをする姿をな」




