最終警告 1
夢を見ていた。
私の実の父のことだ。私の父親は元々は名の知れた東北の旅館の副料理長だったらしい。母の料理がうまいのは父の指導だったが、私が6歳の時に別居して10歳の時に亡くなり、別居後は最後まで会わなかった。葬式は行ったけど。
父との記憶自体はいくつかあるが、そのどれも朧げで中には妄想かなと疑っているものもある。夢で見たのもそれで、胡座をかいた父の膝の上に座って塗り絵をしていた。
しかし、その絵はアニメのキャラクターや動物でもなく異様にリアルな川魚というものだった。父はそれを鱗はこの色とか、腹のとこはこれとか細かく口を出していて、時々色鉛筆を私から奪って自分で塗っていた。
私はそれをぼんやり見ていた。だけど、急に父は何が気に入らなかったのは色鉛筆で塗り絵をぐしゃぐしゃと塗り潰し、芯が折れて鉛筆自体が擦り減って紙が破れてもまだ絵を塗り潰そうとしていた。
私は父の顔を見ようとしたが、怖くてできなかった。体が恐怖で震え上がった。一体何が不愉快だったのか今となっては分からない。そもそもこれは本当にあったことだったっけ……。
走った色鉛筆の線が紙に染み出して、塗り絵本を鈍色に染めて、ページの隙間からぐちゃぐちゃになった魚が這い出てきて、私をじろじろと睨んで歯を剥き出しにした。その歯は完全に人間のそれで、私が怯えてノートを閉じようとした瞬間、私は夢から覚めた。
「え?」
目を開けたのに何故か周りは真っ暗だった。どうやら夜中に起きてしまったらしい。が、それから明らかな違和感に気づいた。
まず私はベッドで寝ていない。椅子に座って、しかも腕を縄で背もたれに縛りつけられている。拘束されていた。視界が暗いのも厚いゴミ袋のようなものを被せられているからだ。
「……何で」
悪夢の後にまた悪夢を見るってどういうことだ。やはり最近精神的に疲れているのか。しかしこの肌寒さと息苦しさ。特に足元は血が止まりそうなくらい寒い。
夢にしては……。
「ねぇ千明!? 流琴!? 冷穏? い、いるの!?」
縄の締め付けも硬く、私が夢なら早く冷めろと舌を強く噛んでいると、すぐ真向かいから母さんの冷静さを失った声が聞こえた。
「母さん?」
「千明! そこにいるの!? 他のみんなは?」
「わ、分かんないというかここどこ?」
「分からない。一体どういうことなの……」
「起きたか」
その時、すぐ背後から冷淡な低い男の声がした。寝起きで目隠しされているからというのもあるだろうけど、それにしても気配を全く感じなかった。
硬い靴底の足音が近づいてくる。恐怖で息がうまく吸えなくなり、今から何をされるのかと思うと頭が真っ白になった。男は私の前に立つと、袋を掴んでばっと外した。
「ふうっ……はぁ……ガホッ……」
口や鼻に入ってきた新鮮な空気を何も考えずに肺に入れたら、その冷たさと埃臭さに咳き込んだ。男はそれを気にせずに母さんの布袋も外した。
私も母さんも寝巻きのパジャマ姿でパイプ椅子に拘束されている。もう明らかに夢ではないというのが分かる。
「千明大丈夫!?」
「う、うん……」
私はこの場をぐるっと見た。どこかの空き倉庫なのは見て分かるが、扉は硬く閉ざされて窓はベニヤ板で塞がれている。耳を澄ませても無音で場所も時刻も全く分からない。振り返ったら目出し帽をつけた男が更に6人いた。いや、1人は体型が腰が細いし女だ。
「ほー……冷静に状況を分析中と言ったところかな? 未成年の小娘とは思えない肝の座りようだ大したものだ」
そう言って男は睨みつける母さんと私をじろじろと見た。彼だけは目出し帽ではなく金縁のサングラスをつけている。
ほんの僅かに黒髪が残った白髪を真ん中でソフトに分けていて、無地の焦茶色のスーツの下は黒いカーディガンに白シャツという服装はウチの学年主任と一緒だからか、一瞬アイツかと思った。
が、背は180くらいあるから全く違う。学年主任は168の私と同じくらいだ。見た感じ体付きは痩せてて、歳は髪と声からして50代くらいか?
これまでに見てきたマチリーク人とは明らかに異なる、食べるために殺すのでなく殺すこと自体が目的で虫を殺すトカゲのような雰囲気を、直感で感じた。
「夜中に寝ているところをいきなり誘拐したのは悪いことをしたと思ってる。一応他の連中には何もしていない。が、騒がれても面倒だから麻酔を注射した後に縛ってある。あと、その麻酔もしばらく幻覚作用が残る日本ではヤクの分類に入ってるものだから、もし縄が解けて通報しても捕まるのは君らの身内だ」
「アンタは誰? いやマチリークの人なんでしょうけど」
「おい茶」
母さんが喉の渇きを訴えるように掠れた声で話すと、男はそれ察したのか、部下に指示をして大きな麦茶のペットボトルを持ってこさせると、意外にも母さんに飲み口を吸わせてやった。
「ま、そうだな。それ以外ないだろうな。だがまぁ私のことよりも自分の心配をしたらどうかな?」
「い、いや……アンタが誰なのかも気になるんだけど……これから何か尋問するとして名前も顔も知らない奴に答え……ぐえあっ!? あっ……ぐっ」
母さんが縄を緩めようとしながら男に強気に言い返すと、男は母さんの顔面を掴んで椅子ごと押し倒した。椅子に縛られてる母さんは何もできず、後ろに倒れてどこか打ったのか苦痛に喘ぐ声を漏らした。
「興味深いな奥さん。あなたにはここが雑談とドリンクを楽しむスターバックスとかに見えてるのか? 私がどうでもいいと言ったことはどうでもよく、大切と言ったことは大切なんだ。私のことなどあなたは知らなくていいのだ」
そう言って、地べたに置いたペットボトルを掴んで開けると、仰向けになってる母さんの鼻を摘み、胸を足で踏みつけてから歯を折るような速さで飲み口を口内へ突っ込んだ。
「がっ……ごっ……!!」
「これなーんでもないただの茶だから、酔う心配はしなくていいぞ?」
男はそう言うが、鼻を押さえられて仰向けのまま満足に動けない中で水を無理矢理大量に飲まされたら窒息して死んでしまう。母さんの顔は見えないが足を必死でバタつかせていて危険な状態だと分かった。
「や、やめてよ!!」
私はたまらず裏返った悲鳴を上げてやめるように懇願すると、部下の1人まで見かねて彼に声をかけた。
「エ、エルベンストラレさん、それ以上やったら死にますよ!」
すると、エルベンストラレと呼ばれた男は手を止め、ペットボトルを離して母さんの頭を横にして茶を吐き出させた。そうして立って膝を叩くと、諌めようとした男をじろっと睨み、彼に向かって歩き出した。
「ん? 今お前何て言ったよ」
「え、それ以上やったら死にますよと」
「その前だ」
「エルベ、ぐぅっ!?」
彼が再びエルベンストラレの名を言おうとしたその時、エルベンストラレは右手を伸ばして部下の首根っこを鷲掴んで締め付けた。
「作戦中に軽々しく自分含め仲間の名を出すなと言わなかったか? これだからズブの素人を連れてくるのは嫌だったんだ」
そう呻き、部下を持ち上げて逆にこっちを殺しかねない握力で締め上げるので、堪らず彼はエルベンストラレの腕を掴んで引き剥がそうとしたら、エルベンストラレの顔に怒気が浮かんだ。
「何ッだこの手は? 俺は今お前の成長を願って教育してやってる最中なんだがお前はそれを拒むわけか」
「い……いえ、申し訳ありませっ……」
部下から汗が噴き出て彼は慌てて手を離し、諦めて大人しくエルベンストラレの制裁を受けようとしたら。謝罪したことで彼は満足したのか手を首から離した。
「以後気をつけるように。あと私のやり方に口を出すな。集中の妨げだ」
「は、はい」
エルベンストラレがそう言って私達の方を振り返ると、部下は地面に手と膝をついて吐血しそうなくらい激しく咳き込んだ。
「さて、ウチの間抜けが名前を出してしまったから仕方ない。私の名前はサヴァラン・エルベンストラレ。ついでに役職はマチリーク軍部保安警察警視。外国人犯罪対策課主任」
エルベンストラレはそう言ってサングラスを外し、カーディガンに手を入れてシャツの胸ポケットからレンズの大きなのび太くんみたいなメガネを出すと、サングラスをしまってそれをかけた。
そして、気怠さを残しつつも氷柱のように鋭く、吹雪のように慈悲の欠片も感じない冷え切った眼差しを私に向けた。




