人間とオーロラのハーフ 4
清香は彼の銃をじっと見た。旧ソ連を代表する軍用拳銃のトカレフだ。極寒のロシアでも問題なく作動できるよう、安全装置まで削除という極端なまでに簡略化した構造の銃だ。
マチリークはソ連の流れを汲む組織だが、こんな旧式の銃をまだ生産して使っているのか。ジェスタフも古い中折れ式リボルバーを使っていた。マチリークは規模こそ大きいが、装備の方は全体的に古いらしい。清香はぼんやりそう思った。
しかしながら銃身には鉄の光沢がなく、ポリマーでこのトカレフはできていた。ポリマーフレームは量産や加工が容易な代わりにそもそもの設備を整えるのにかなりの金がかかると聞く。世界最大の武装グループ。やはり資金は唸るほどあるようだ。
「その銃、見せてもらってもいいですか?」
「うん? どうぞ」
アリーフはマガジンを抜き、初弾を廃莢してから清香にトカレフを渡した。アナスタシアが立って壁際まで転がった弾を拾って彼に渡した。
マガジンを抜いてもずっしりと重く、自分がかつて闇で購入した中華製のコルト・ポケットとはだいぶ違う。護身用と軍用の違いだろうか。
「よろしければ差し上げましょうか?」
「え?」
「もし兄貴の使っていたリボルバーをお持ちなら交換という形で。それのスペアならありますから」
それなら今、台所の引き出しの奥に隠している。彼にしてみれば兄の形見だ。欲しいのは当たり前だ。このトカレフもポリマーフレーム製で珍しいものだし欲しくはある。
「うーん、それなら持っていますがこの銃はあまり好きなデザインじゃないので惹かれないですね。他のはないんですか? もっと新しいので」
ただ、ここでこう言っとけばまたアリーフが私に会いに来てくれると判断したのでそう言うことにした。
アリーフは返されたトカレフを撫で回してからマガジンをはめてホルスターに戻した。
リウの目がうつらうつらしてきたのを察知したアナスタシアが彼をお姫様抱っこして2階に連れて行った。2人が消えたことで何か空気が変わった。
「うーんまぁ年季入ってる銃ですからね。帰ったらコレクションの中から適当に見繕ってきます」
「そうなさってください」
「それはそうと、あなた方は彼を差し出す気はないんですか?」
アリーフが立ち上がり、サイドボードの上のマトリョーシカを手に取って中身の小さな人形を出して並べながら呟いた。
「さっき彼が望まないとみたいなこと言いましたが、あなた方が手を切りたいというなら僕が今日中に連れて行きますよ。父にはあなたが差し出したと言いますから礼金は貰えるかと」
今日中って。マチリークが莫大な投資をして開発したという生物兵器に対して随分と軽く言う。さっきの動きを見れば多少は武芸の心得はあるようだが、ホテル周辺を半壊させたような子にどうこうできるとは考えにくい。
リウが言っていたように枝だからカミーリアがどんな存在だか分かってないのかなと清香は推測した。きっと兄を殺したのも警察だと思ってるんだろう。
「そうしなければジェスタフさんが私に牙を剥くということですか?」
マトリョーシカを元に戻すアリーフにそう尋ねると、彼の指先が止まってねっとりと首を振って彼女を見た。
「剥くのは僕じゃなくてマチリーク本国ですよ。脅しというのはあまり好きではないのですが、軍部は一度敵とみなした相手には厳しい態度で行きますよ」
「そうですね。あなたは脅しに向いてそうな顔じゃないです」
「イマイチ理解しにくいのですが、身内でもない拾った子どもを差し出すだけで大金をあげるって甘い誘いを、なんで蹴ろうとするんですか? 確かにお金はありそうな家にお住まいですがいくらあっても困らないものでしょう? お金って。逆に拒めばあなたもあなたの家族も……身内を突然失う辛さは絶対に慣れないです」
喋っていく度にアリーフの声が詰まっていった。ジェスタフ以外にも過去に家族を失ったに違いない。だからこそリュウを失うのをあんなに恐れているのか。
ジェスタフを殺したのもカミーリアが無知な故と渋々納得はしているようだ。恐らく人としては悪い人間ではない。でも彼は紛れもなくマチリークの軍人なのだ。だからこそ上手くいけば彼を味方にできるかもしれない。
「確かに……あなたの言う通りマチリークの要求を呑むべきなんだと思います。それに息子さん、あなたのお兄様を殺したことに与した私達に文民大臣は寛大な対応をしてくださっていることも。それでもただ、私は彼の苦しみを少しでも忘れさせてあげたいんです」
正直いい解答ではないと思う。自分がアリーフだとしたら今の返事に対する反論が一瞬で4つ浮かんだ。今、5つに増えた。清香はそう思いながらアリーフを見た。
そしてたじろいだのは彼の美しさかマチリークに刃向かったことへの恐怖なのかが分からない。
「ま、いいと思います。義憤ですよねそういうの。素晴らしいと思いますよ」
アリーフはそう言って立ったままカップを直に掴んで残った紅茶をぐいっと煽った。急に礼節を失った飲み方だ。そのままリビングを出て帰るのかと思ったら2階に上がった。
リウに伝えることでもあるのかなと清香が彼の後を追うと、予想に反して入ったのは詩音の部屋だった。
「あの……彼女に何か?」
清香は毛布を捲って寝ている詩音の顔を見つめるアリーフを警戒して、隠し持っていたベビーブローニングを背中から取り出した。
「えい」
突然、アリーフが屈んで詩音の唇を奪った。
「へ」
清香の口から変な声がよだれとともに出て、慌てて手で拭った。何してんだコイツ。ただJKにキスしたかっただけ? 清香は流石に引いた。
「ふぇ!? な、何だお前誰だ何すんだオラ……あ、失礼致しましたすいませんこんな姿で」
息苦しくなって飛び起きた詩音は最初、当然のようにいきなりキスをしてきたアリーフに怒りをぶつけたが彼の顔を見て一瞬で猫を被るという凄まじい変わり身の早さを見せた。
「もう風邪は治ったかな」
「え? あれ……お、お腹すいてきた」
起き上がった詩音の顔色は赤みが戻って目に見えて回復していた。ただアリーフに照れているのかもしれないが。声も鼻声じゃなくなっている。一体何をしたのか分からない。マチリークの特別な薬でも飲ませたんだろうか。
そして、よく見ると脇の下から清香に銃口を向けているのが見えた。失敗だった。彼を味方につけたいのにこれでは警戒させてしまう。
「き、清香さん。この人は?」
「リュウとアナスタシアちゃんのお兄様よ」
「ああ、道理で……」
「じゃあね、詩音ちゃん」
アリーフはそう言って詩音の頬を撫でると、そのまま詩音の部屋を去って今度はアナスタシアの部屋に入った。初めて来る家なのに迷っている様子がないのは何故なんだと清香は首を傾げた。
「リュウ、リュウ」
アナスタシアの膝の上で寝ているリウの肩をさすって彼を起こすと、アリーフは半開きのリウの目がちゃんと開くまでじっと待っていた。
「リュウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」
「あ!?」
その時、玄関のドアが空いて雄叫びと共に土足のまま千明が階段を駆け上がって部屋に入ってきた。
「よ、よかったまだいた……あ、もしかしてあなたがリュウのお兄さんですか!? お願いしますリュウを連れてかないでくださいリュウ無しの生活なんて私にはもう耐えられないんですお願いします何でもしますからリュウとカミーリアを私にくださいお願いします!!」
「わ、分かりましたよ。リュウもそれを望んでますし無理に連れ帰りはしません」
唐突にやってきた千明に壁際まで追い詰められた挙句威圧的なまでに必死に懇願されたからか、アリーフはあっさりと引き下がった。何か刺激したらまずい人間だと思ったんだろうか。
「よ、よかった。リュ〜〜ウ〜!!」
「千明おかえりー」
言質を得て安堵した千明はそのまま起きたリウと抱擁を交わして大根おろしのような頬擦りをした。アナスタシアはそれを暗い眼差しで見ていた。
清香の方は千明がアリーフには無反応でリウには拘る様を見て、自分の娘が真性のショタコンであることを再確認して戦慄した。いつか児ポで捕まらないことを祈るばかりだ。
「なら私も残ります」
アナスタシアは毅然とした表情でそうアリーフに言った。
「だろうね。ほら、これ小遣い」
アリーフは苦笑して長財布を取り出し、中の札を指を舐めて4枚出してアナスタシアに渡した。
「リュウにも一万あげといて。お前もせっかく日本に来たんだから観光とかした方がいいよ」
そう言って彼女の手を取って口づけをすると、リウにも笑顔を向けて部屋から出た。ドアを過ぎ去る時にまたバニラの甘い香りがした。
「ん?」
アリーフが階段を降りると玄関で靴を履いたまま冷穏が倒れているのを発見した。その横でカミーリアがどうすればいいか分からず立ち尽くしていた。
「あ」
しまった。2人を鉢合わせないためにカミーリア達を外に出したのに。
「……?」
アリーフに気づいたカミーリアはしばし彼を怪し気に見つめていたが、やがてリウの面影でも感じたのか僅かに顔に焦りが浮かび、拳を握りしめた。
「カ、カミーリア!」
「お、君がナルシェーニエか。久しぶりだねぇ。思ったより小さいし細いんだな。こんな身体の子に負けるって兄さんも腕が落ちたんだな」
「? !? ?」
が、アリーフは闘志や殺意は微塵も見せずにそうニコニコ言って近づいてくるなりカミーリアの頭をくしゃくしゃと撫で回した。なので、それを滲ませていたカミーリアは困惑してされるがままになっていた。
「手出しは極力するなと言われてたし今日のところは帰るよ。弟達の無事も見れたり君も今元気そうなのが確認できた。君ももうしばらくここにいた方がマチリークの矛として刃を磨けそう……」
そう呟いて頭から徐々に手を下に下げ、カミーリアの唇の形を確かめるように触れてから抱っこして、赤ちゃんにやるようないわゆる高い高いをした。
「よ、よかった……また家壊れるかと思った」
争いが起きないに越したことはないが変だ。カミーリアにしては妙にされるがままになっている。いつもは少なくとも口ではやめろとか言うし、場合によっては千明にですら抵抗も辞さないのに。喜んでるような顔にも見えない。
「そんじゃね」
アリーフは一通り兄の仇でマチリークが総力を上げて回収しようとしているカミーリアで遊ぶと、彼を床に下ろすと倒れている冷穏の襟を掴んで片手で持ち上げた。その下に彼の靴があったのだ。
「えーと奥様。この子はどうかしたんですか? 生きてますけど」
「あ、気にしないでください」
多分、何度も家に戻ろうとする千明と初めて行く水族館で何をやらかすか分からないカミーリアの監督で相当スタミナを奪われたに違いない。あとでボーナスあげよう。
「はぁ」
アリーフはよく分からずもとりあえずうなされる彼を傍に仰向けに寝かせてから靴を履いた。サバイバルナイフの鞘を靴べら代わりにしていた。
「それでは奥様。これからは警備会社と契約することをオススメしますよ。安全ピンくらいの護身にはなるかと」
「ご忠告ありがとうジェスタフさん」
「アリーフでいいですよ」
「なら私のことも清香で」
玄関の外で2人は互いに握手を交わした。が、清香が期待していたのは握手だけではなかった。
「あ、あの、アリーフさん?」
「はい」
「私にもキスとかしてくれてもいいんですよ?」
「いや人妻にやると後が怖いので。では」
そうもっともなこと言ってから、せめてもという感じで軽いハグをしてから帰っていった。途中ですれ違った近所の主婦が何でここにイケメンがとぎょっとした顔でアリーフを見た。
今の感情が清香には分からなかった。何かとんでもない決断を流琴に相談もせずに終えてしまったはずなのに、やってきたアリーフの可憐さに絆されて夢見心地のまま時間が過ぎていた。今も不安や焦燥があまりない。
「お、おいお前どうした?」
が、玄関から冷穏の声が聞こえて何事かと中に戻った。
「カミーリア? 大丈夫? 苦しいの?」
すると、カミーリアが白い顔をさらに灰色にして玉のような汗を流して胸を押さえていた。清香が慌てて膝をついて彼の肩をさすろうとした時、膝が何かを踏んづけた。
「!?」
反射的に立ち上がったが、そこには何もなかった。確かに硬いけど弾力のあるものを踏んだような気がした。後ろで半開きだったドアが閉まり、再び膝を床についた時は何も感じなかった。
カミーリアが肩で息をしながら今にも倒れそうな様子で清香の顔を見て、こう言った。
「あの男、多分、俺よりずっと、強い。ずっと身体を何かで縛りつけられたまま、何も……」
そう言って倒れると、気絶したまま嘔吐した。介抱するために清香が回復体位を取らせて上着を脱がすと、カミーリアの身体は全身が痣によって猛毒のカエルのような悍ましくも鮮やかな色をしていた。




